2004/11/18 - 2004/11/26
256位(同エリア1176件中)
kiju-jiさん
- kiju-jiさんTOP
- 旅行記102冊
- クチコミ6件
- Q&A回答0件
- 38,904アクセス
- フォロワー23人
第4日目(11/21・日)
今日は、クスコからペルーレイルのビスタ・ドームでマチュピチュに・・・。マチュピチュ遺跡の見学後はクスコに戻り、フォルクローレ・ディナーショーを・・・。
5歳から18歳まで長崎県・佐世保市で暮らした。
昭和31年(1956年)中学1年生の頃に、ペルーを題材にした記録映画”太陽の帝国”を観た。”太陽の帝国”(原題:L´ Impero del Sole)は1956年イタリア制作の記録映画。撮影は1955年10月からペルーの首府リマに探検隊本部を置き一行8人により8カ月にわたって行われた。
15世紀の初めの南米ペルーを中心にアンデス文化の全盛時代を築いたインカ帝国(インカとは“太陽の子”の意味)の遺跡、3万キロの領域をカメラに収めた長篇記録映画。
スピルバーグ監督の”太陽の帝国:原題:Empire of the Sun・1987年制作”と日本語の題名が同じで紛らわしい。映画関係者も1956年イタリア制作の記録映画:L´ Impero del Soleを知らなかったと思われる・・・。
それ以来、憧れていたペルーのマチュピチュに旅行した。羽田からリマまで約27時間を要するので、奥さんと体力があるうちに旅行しようと100%意見が一致。
この旅行記は、コロナ禍が少し収束の方向に向いつつあると思われる2021年11月に執筆している。何しろ17年前の旅行なので、変わった面・記憶違いは悪しからず・・・。2021年12月1日に公開。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
PR
-
第4日目(11/21・日)
今日は、クスコからペルーレイル(ビスタ・ドーム)でマチュピチュに・・・。
4:00 起床、5:00 朝食、5:25 集合、5:30 出発(サン・ペドロ駅へ)、
6:00 サン・ペドロ駅出発、9:40 マチュピチュのアグアス・カリエンテス駅到着。
ペルーレイル(ビスタ・ドーム)を背景に奥さん・・・。 -
私もペルーレイルを背景に・・・。
-
ペルーレイル(ビスタ・ドーム)の車窓と奥さんを記念に・・・。・・・。
-
イチオシ
ペルーレイル(ビスタ・ドーム)のチケット・ケース?・・・。
-
ペルーレイル(ビスタ・ドーム)のチケット。
-
ペルーレイル(ビスタ・ドーム)の車内・・・。
-
朝靄の中をクスコ峠(高度は約3800m)に向って・・・。クスコの街並み・・・。
列車はクスコ峠をスイッチバックで上って行く。 -
朝靄の中をクスコ峠(高度は約3800m)に向って・・・。クスコの街並み・・・。
列車はクスコ峠をスイッチバックで上って行く。 -
朝靄の中をクスコ峠(高度は約3800m)に向って・・・。クスコの街並み・・・。
列車はクスコ峠をスイッチバックで上って行く。 -
ペルーレイル(ビスタ・ドーム)の車窓から・・・。左の客席に座っているので左に曲がる時は写真が撮れる・・・。
-
オリャンタイタンボ駅にて暫しの休憩・・・。
中央はペルーレイルの男女の車掌さん。左はツア仲間の○さん。 -
車窓から・・・。民家の屋根には必ず夫婦の牛の守り神?・・・。
-
車窓から・・・。天気も良さそう!!!・・・。
-
途中の駅(?)で一休み・・・。
駅舎内にインカ・トレイルのコースが表示されている・・・。 -
途中の駅(?)で一休み・・・。
駅舎内にインカ・トレイルのコースが表示されている・・・。 -
イチオシ
ここで、現地ガイドのSさんからの差し入れのトーモロコシ(唐もろこし)。
粒が大きい・・・。甘くなく素朴な原産地の味?・・・・。
南米からヨーロッパ、東南アジアを経由して日本に伝わった食物は、トウモロコシ、トマト、南瓜、ジャガイモ(子供の頃はジャガタライモと呼んでいた)、サツマイモ、オクラ・・・と一杯あるが・・・。 -
車窓から・・・。
-
車窓から・・・。ウルバンバ川は流れ流れて遥か遠くアマゾン川に・・・。
-
ビスタ・ドームの車窓から・・・。
-
ビスタ・ドームの車窓から・・・。発電所のダム?・・・。
-
ビスタ・ドームの車窓から・・・。
-
ビスタ・ドームの車窓から・・・。
-
9:40 アグアス・カリエンテス駅に到着・・・。
写真はネットから・・・。有難う。 -
直ぐに中型のシャトルバスに乗換えて・・・。
写真はバスのチケット。粗末な紙に印刷されたチケット・・・。
バスに乗ると、サンポーニャ(ケーナ:縦笛・葦の管を利用した縦笛)を持った現地人の若者が乗り込んで演奏を・・・。チップを期待しているらしい?・・・。 -
つづら折りの登山道・・・。
写真の右上の建物がベルモント・サンクチュアリ・ロッジ。
写真はネットから・・・。有難う。
昔々、グッバイ・ボーイと云う少年がいたが、曲がり角でグッバイと叫び、急坂を駆け下り次の曲がり角でもグッバイと叫び、チップを貰っていた。危険なので禁止された?!・・・。 -
中型のシャトルバスに乗換えて、つづら折りの路を・・・。ベルモント・サンクチュアリ・ロッジの前に到着。
-
マチュピチュ遺跡へのチケットの表裏・・・。
マチュピチュは、インカ帝国の滅亡(1532年)後400年近く経った1911年7月24日にアメリカの歴史学者のハイラム・ビンガムのよって発見された時は草に埋もれた廃墟になっていた。
ビンガムは、インカ帝国の滅亡後に侵略者のスペイン人達が手に届かないジャングルの奥に築いた伝説の都・ビルカバンバに関する古い記録=非常に高い山の頂にある、精巧な技術で建造された壮大な建物がそびえたつ=という数行の文にヒントを得て、草に覆われた段々畑をよじ登り、山頂に累々と広がる遺跡を発見した・・・。 -
いよいよ、マチュピチュ遺跡に・・・。
マチュピチュとは、ケチュア語で老いた峰と云う意味・・・。 -
ここが入り口。ベルモント・サンクチュアリ・ロッジから目と鼻の先・・・。
見張小屋までは200mぐらい・・・。
現在は入場制限、時間制限があるとか?!・・・。私達は、まだ観光客が少ないいい時期に行ったようだ!!!・・・。 -
マチュピチュ遺跡の案内図の前で記念に奥さん。
-
マチュピチュ遺跡の地図。実際には南北に広がっている・・・。
地図は、・・・の歩き方から借用。有難う・・・。
散策の予定は、
見張小屋 ⇒ 正門 ⇒ 石切り場 ⇒ 主神殿 ⇒ 3つ窓の神殿 ⇒ 日時計 ⇒ コンドルの神殿 ⇒ 水汲み場 ⇒ 太陽の神殿 ⇒ 王女の館・・・。 -
右下を見ると、ワイナピチュに似た山が・・・。プチュクシという山・・・。
-
プチュクシから見たマチュピチュ遺跡・・・。写真はネットから・・・。有難う。
-
見張小屋の下にやって来ました!・・・。記念に奥さん。期待は大きい・・・。
太陽は殆んど真上に・・・。 -
見張小屋の下にやって来ました!・・・。記念に私も。
-
本当のワイナピチュを背景に奥さん。
太陽は殆んど真上に・・・。
ワイナピチュとは、ケチュア語で若い峰と云う意味・・・。 -
私も・・・。
-
夫婦そろって・・・。
-
イチオシ
マチュピチュ遺跡とワイナピチュ。
-
見張小屋は高台にあるので上って行く・・・。手前は段々畑・・・。
-
見晴らしがよい見張小屋に上ってきて、マチュピチュ遺跡とワイナピチュ。
-
マチュピチュ遺跡の左の渓谷・・・。マチュピチュは急な山の上に築いた。
-
見張小屋からワイナピチュを・・・。
遥かインティワタナ(日時計)と聖なる岩が見えている・・・。 -
見張小屋の横で現地ガイドのSさんに説明を聞くツア仲間は・・・。
-
見張小屋からワイナピチュ・・・。何度見てもすばらしい!!・・・。
-
見張小屋の横は・・・。祭礼場なのだ・・・。
-
イチオシ
見張小屋とワイナピチュ・・・。
-
見張小屋の横で記念に・・・。後ろは絶壁、右手の人差し指で支えて・・・。
-
そして、またワイナピチュ・・・。
何度見ても。マチュピチュに遥か来たのだと感動が・・・。
遥々来たぜ!!!マチュピチュ・・・。 -
インカ路に続く階段・・・。
-
イチオシ
もう一度ワイナピチュ・・・。
-
葬儀の石と墓地・・・。
-
葬儀の石と墓地・・・。ここには多くの女性が眠る?・・・。
-
見張小屋の横。女性が恐怖で抱き合って・・・。
-
旅行会社の募集パンフレットから・・・。有難う。
-
見張小屋から下って、正門に・・・。
-
正門。
-
正門をくぐると・・・。
-
記念に奥さん。奥さんも嬉しそう・・・。
-
マチュピチュ遺跡。突き当りを右に曲がって左に曲がって・・・。
-
マチュピチュ遺跡。
-
石切り場で奥さん。
鉄器を持っていなかったインカの人々は、石に直列に複数の穴をあけ、木材を叩き込み、木材に水をかけて浸み込ませその膨張力を利用して、石を割った(切った)らしい・・・。 -
遠くに、3つ入り口の貴族の館を臨む・・・。
-
遠くに、3つ入り口の貴族の館を臨む・・・。
-
主神殿・・・。地震の影響か大分崩れている・・・。
-
主神殿で夫婦で・・・。
-
3つ窓の神殿。写真を撮るのを忘れネットから借用。有難う。
-
高山植物の花・・・。
-
技術者たちの居住区とプチュクシという山を臨む・・・。
-
インティワタナ(日時計)のチケットの表裏・・・。別料金?・・・。
-
インティワタナ(日時計)からワイナピチュ。奥さんもこの日の最高の笑顔で・・・。
-
インティワタナ(日時計)で、若い女性に囲まれて記念に・・・。
インティワタナには細紐の囲いが・・・。 -
マチュピチュ遺跡にいた3本脚(実は左前足に左後足がかくれて)?!のリャマ?、ピクーニャ?。
それとも、毛を刈ったばかりのアルパカ、アルパカは白い毛が普通だが・・・。
アルパカにも リャマ(ラマ)にもいろいろな種類がそれぞれいるので、一言で、アルパカと リャマの違いを言うのは、難しいが、一般的なアルパカとリャマであれば見分けはつく?!・・・。
まず一般的なアルパカは、白くて、ずんぐりむっくりしていて、もこもこ・・・。
そして、一般的なリャマは、首が細長くて、耳がピンとしていて、白くない。
アルパカは、一般的にとても温厚そうな穏やかな表情をしていて、リャマは、一般的に野生の顔をしている・・・。
アルパカは、攻撃してこないが、リャマは、つばを吐きかけて、攻撃してくるので、危険?!・・・。2021年11月30日、TVでやっていました??!!・・・。 -
コンドルが羽根を広げたように石組みされたコンドルの神殿・・・。
手前は生贄の台、神聖な場所なので囲いが・・・。奥に牢獄も・・・。 -
コンドルの神殿でコンドルの姿で、記念におどける奥さん・・・。
サイモンとガーファンクルの”コンドルは飛んで行く”の世代の我々夫婦・・・。 -
水汲み場。マチュピチュ遺跡には16の水汲み場があるらしい?!・・・。
-
イチオシ
ジャーン!!、マチュピチュ遺跡にもあった12角の石!!・・・。
これからマチュピチュ遺跡に行く人は探して見てください・・・。写真の順序を考えると大体の場所の予測が・・・・・。 -
太陽の神殿・・・。マチュピチュで只一つの丸みがある建造物・・・。
太陽の神殿には、2つの四角い孔が・・・。夏至と冬至には太陽の陽射しが射しこむように造られているらしい・・・。こちらは南側で夏至の時に・・・。
次の写真を見ると、写真の四角の孔の右側の壁に、もう一つの四角い孔が・・・。太陽の神殿の壁の内側に塞がれた四角い穴が沢山あるが、実際の夏至と冬至のズレを補正したと私は勘ぐるのだが・・・。 -
太陽の神殿を上から見ると・・・。四角い孔が2つ開いていることがわかる。
東側の孔には冬至の時に、太陽の陽射しが射し込むらしい・・・。
写真はネットから拝借・・・。有難う。
写真の右側は、王女の宮殿・・・。 -
太陽の神殿の左横は王女の宮殿・・・。
-
太陽の神殿の下は陵墓・・・。奥にミイラがあったとか・・・。
スペイン人が行くと祟るとか・・・。ジョークです・・・。 -
マチュピチュ遺跡の北の端・・・。聖なる岩?とワイナピチュ。
-
マチュピチュ遺跡の北の端・・・。
-
マチュピチュ遺跡の北の端・・・。
-
マチュピチュ遺跡の北の端・・・。
そろそろ戻ります。 -
見張小屋の下まで戻って・・・。段々畑・・・。
-
マチュピチュ遺跡の端っこを振返って・・・。
-
マチュピチュ遺跡の端っこを振返って・・・。
-
ワイナピチュと聖なる岩?・・・。
-
見張小屋の下で・・・。添乗員のNさん、現地ガイドのSさん、ツア仲間。
ここは段々畑・・・。 -
見張小屋と段々畑・・・。写真はネットから・・・。有難う。
前の旅行記①にも述べたが5歳から18歳まで長崎県・佐世保市で暮らした。
昭和31年(1956年)中学1年生の頃に、ペルーを題材にした記録映画”太陽の帝国”を観た。”太陽の帝国”(原題:L´ Impero del Sole)は1956年イタリア制作の記録映画。撮影は1955年10月からペルーの首府リマに探検隊本部を置き一行8人により8カ月にわたって行われた。
15世紀の初めの南米ペルーを中心にアンデス文化の全盛時代を築いたインカ帝国(インカとは“太陽の子”の意味)の遺跡、3万キロの領域をカメラに収めた長篇記録映画。
映画の中で、7オクターブ半の声域を持つ女性がスキャット?するシーンがあった。子供心に素晴らしい歌声と思った・・・。まだ、ほかにいくつかの南米のインカのシーンを憶えて居る・・・。古いことはよく憶えて居るが、近頃は3歩あるくと忘れるワルツハイマー症候群の私だが・・・。 -
段々畑。写真はネットから・・・。有難う。
きちんと直線的に石組みされている。インカ人の血液型はA型??!!・・・。 -
マチュピチュ遺跡までのつづら折りの登山道は、中々全体が撮れない・・・。
-
ベルモント・サンクチュアリ・ロッジのファザードで。
-
ベルモント・サンクチュアリ・ロッジで記念に・・・。
-
また、シャトルバスに乗換えてアグアス・カリエンテスに戻って・・・。
写真は昼食を摂ったレストラン。料理はバイキング形式・・・。美味かった記憶が・・・。 -
アグアス・カリエンテスの近くには土産物屋が沢山。
写真はネットから借用。有難う。 -
アグアス・カリエンテス駅
-
アグアス・カリエンテス駅。
15:30発でクスコに戻ります。19:30クスコ・サン・ペドロ駅着。 -
アグアス・カリエンテス駅の構内・・・。写真はネットから借用・・・。有難う
-
帰りの車窓から・・・。夕闇がせまって・・・。
-
クスコが近づいて・・・。白い○粒は窓の汚れ・・・。
-
車窓から(ガラス窓にくっ付いて)・・・。車両が揺れに揺れて、手振れもありピンボケの写真・・・。
アルマス広場とクスコのメイン通りがはっきりと・・・。 -
ネットから借用したクスコの夜景・・・。有難う。
-
19:30 サン・ペドロ駅に到着。バスが待っている。
フォルクローレ・ディナーショーのレストラン・トゥヌパに。 -
フォルクローレショー。
-
フォルクローレショー。CDを1枚買ったように憶えているが見つからない!!・・・。
-
レストラン・トゥヌパの店内。民族舞踊も・・・。
-
レストラン・トゥヌパの店内・・・。日本人の観光客も多いらしくテーブルに日本国旗が・・・。
-
スープ。パンをくり抜いた容器に・・・。フラッシュを使ったので白飛び・・・。
-
もう一度撮りなおして。スープ。パンをくり抜いた容器に・・・。パンの容器も最後に食べて・・・。
-
私はアルパカのステーキを選んで。奥さんと半分こ・・・。
アルパカの肉は多いが硬くて不味い・・・。
チキンのソティの選択肢もあったが、試しにアルパカの肉を選んだが!?・・・。 -
奥さんはべヘレイ(南米の白身の川魚)のムニエルを選んで・・・。私と半分こ。
こちらが互いの好み・・・。 -
最後に滋養強壮のコカ茶。コカ・コーラのコカとは関係あるのかな・・・。
-
飲んだ後のコカの葉っぱ・・・。手もみはしてない・・・。
-
コンドル印のミネラルウォーターのラベル2枚・・・。
-
クスコで有名なビールのラベル・・・。
明日は、バスでクスコからラ・ラヤ峠を越えてプーノのチチカカ湖に・・・。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
思い出のペルー9日間旅行記
-
思い出のペルー9日間旅行記⑥ナスカの地上絵・リマ・ニューヨーク経由・帰国篇
2004/11/17~
ナスカ
-
思い出のペルー9日間旅行記①出国・リマ篇
2004/11/18~
リマ
-
思い出のペルー9日間旅行記②クスコ篇1
2004/11/18~
クスコ
-
思い出のペルー9日間旅行記③マチュピチュ、クスコ篇2
2004/11/18~
マチュピチュ周辺
-
思い出のペルー9日間旅行記④クスコからプーノ(チチカカ湖)へ
2004/11/18~
チチカカ湖周辺
-
思い出のペルー9日間旅行記⑤チチカカ湖(プーノ)篇
2004/11/18~
チチカカ湖周辺
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
マチュピチュ周辺(ペルー) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 思い出のペルー9日間旅行記
0
117