2020/10/04 - 2020/10/04
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かつのすけさん
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江戸時代、埼玉県深谷市(旧岡部町)にあった岡部藩
藩主の安部(あんべ)氏は徳川家康家臣安部大蔵元真を祖とし、ほぼ江戸時代を通じて岡部に藩庁を置いていました
理由あって、今回は安部氏岡部藩所縁の場所を訪れ、23,041歩のお散歩です
その後で、深谷の郷土料理・煮ぼうとうをいただいてきました
【表紙の写真】深谷の郷土料理・煮ぼうとう
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とりあえず大宮駅まで行って、高崎線方面へと行く電車を待ちました
上野東京ラインと湘南新宿ラインから電車が来るからもしかしたら次の電車待つよりも早いかも・・・って思いながら~大宮駅 駅
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でも考えは甘かった!
08:45、08:58発の電車は途中籠原止まり
その先に行く次の電車は09:04発の快速アーバン高崎行で30分くらい待たされました -
30分待ってようやく来た電車に乗って50分
JR高崎線 乗り物
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岡部駅にようやく到着
駅前の一等地ですら広大な畑が広がっています岡部駅 駅
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駅周辺はこんな感じになってます
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岡部駅を出発します
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駅前通りですが、人も車もない・・・
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畑も多いですねぇ~
深谷の名産・深谷ネギを育てているところも多いです -
駅から歩くこと30分
広大な畑の奥に走る高崎線 -
駅前の案内図によればこの辺りが岡部陣屋があった場所のようだけど、それらしき案内は全くない畑の中
あそこに何か建ってる! -
で、この畑の中の雑木林の手前にあるのが「高島秋汎幽囚地跡」の石碑
高島秋汎は江戸時代後期の高島流砲術の創始者で、幕府にも重用されたものの、密貿易の罪を着せられて(通説)ここ岡部藩に幽閉され、慶應2年1月14日この地で没した(参考:Wikipedia)岡部藩陣屋跡 (高島秋汎幽囚地跡) 名所・史跡
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国道17号線に出て歩いている途中でこちら
東京からちょうど80kmの地点 -
そのすぐそば
この奥が曹洞宗の玉鳳山源勝院
陣屋跡からもすぐそばの場所にあります -
山門前にお地蔵様が並んでます
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「ようこそ ようこそ」と小坊主君がお出迎え
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この山門は室町時代の様式を残す江戸時代初期の建立という
写真右の大きな石碑は明治天皇美久留満乃安登(みくるまのあと)の碑
明治11年明治天皇が行幸の際にお休みになられたそうで、大正5年に建てられたこの碑の書と文は渋沢栄一によるものだそう -
山門を入って左手にある大きな石碑は安部家の祖・安部大蔵元真(信勝の父)の碑
安部氏は信濃の滋野氏の嫡流海野氏と伝えられ、真田氏も海野氏の一族なんです
後に駿河国井川に移り、安部大蔵は今川氏の家臣でしたが、今川氏が武田氏に滅ぼされた後武田氏に家臣になるよう迫られ、徳川家康に助けを求め、徳川氏の家臣となりました
安部氏は旗本から慶安2年に19,000石となって譜代大名となり岡部陣屋を藩庁としました
以前調べたら、かつのすけの高祖父が安部大蔵元真の9代後の子孫だったことが分かって、今回ここに来てみました -
ここ源勝院は江戸時代岡部を領地とした安部家の菩提寺として創建されました
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こちらに並ぶのが岡部藩主・安部家歴代のお墓
二代 信盛から十三代 信寶(のぶたか)までの十二基の屋根付位牌形の墓碑が東向きに南から北へ世代順に並んでいます(初代信勝は岡部藩主ではないので、初代藩主が安部氏二代、二代藩主が三代…と1代ずつずれています) -
初代藩主 安部信盛(天正12年~延宝元年11月27日)
初代信勝の子(元真の孫) 大坂の陣の功で元和2年御徒頭に任じられる
寛永13年4,000石加増、都合9,200石 慶安2年大坂城番となり摂津に1万石加増し大名となる
戒名 竜徳院殿前摂州大守妙法性都大居士 -
第二代藩主 安部信之(慶長9年~天和3年7月28日)
二代信盛の長男 寛永9年従五位下・丹波守に叙任・任官
寛文2年父の隠居に伴い家督相続した際に弟信秀・信直にそれぞれ1,000石を分与し、所領は17,250石、寛文8年大坂城番に任じられ、三河国に1万石加増 延宝6年隠居
戒名 智海院殿前丹州大守性實元忠大居士 -
第三代藩主 安部信友(寛永15年~元禄14年3月18日)
第2代藩主安部信之の長男 寛文8年従五位下摂津守に叙任・任官、延宝6年父の隠居により家督相続、弟信厚に1,000石分知、天和2年大番頭に任じられ、2,000石加増都合22,250石、貞享3年大坂定番に任じられる
『土芥寇讎記』では仁義あって領民をよく統治し、領内は穏やかであるとされている
戒名 乾徳院殿前摂州大守徹應宗澄大居士 -
第四代藩主 安部信峯(万治2年~宝永3年5月21日)
第3代藩主安部信友の長男 貞享3年従五位下丹波守に叙任・任官、元禄14年元禄事件に際して浅野内匠頭と母方従兄弟であったため連座、家督相続し、弟信方に1,000石を分知、宝永2年に岡部に陣屋を移す
戒名 慈祥院殿前丹州大守□峯義寛大居士(信峯だけWikipediaに戒名が書いて無く、墓石の風化で画像で判読できませんでした) -
第五代藩主 安部信賢(貞享2年~享保8年2月7日)
4代藩主安部信峯次男 宝永3年父安部信峯の死去により家督相続、弟信政に1,000石を分与、宝永6年従五位下摂津守に叙任・任官
戒名 芳徳院殿前摂州大守春嶺宗融大居士 -
第六代藩主 安部信平(宝永7年~寛延3年4月5日)
5第藩主安部信賢の長男 享保8年父信賢の死去により家督相続、享保16年従五位下・摂津守に叙任・任官
戒名 大遷院殿前摂州大守竺巌良心大居士 -
第七代藩主 安部信允(享保13年~寛政10年12月12日)
3代藩主安部信友次男安部信方の子安部信興の次男 寛延3年6代藩主安部信平の末期養子として家督相続、従五位下丹波守に叙任・任官、明和8年大坂定番に任じられ摂津守に遷任、天明元年病気を理由に辞職、天明2年家督を長男信享に譲り隠居して主水正に遷任
戒名 峻徳院殿前摂州大守法雲義潤大居士 -
第八代藩主 安部信享(宝暦8年~文政5年6月17日)
7代藩主安部信允の長男 安永4年従五位下丹波守に叙任・任官、天明元年采女正に遷任、父信允の隠居で家督相続、摂津守に遷任、寛政7年~文化元年大坂定番を務め、文化3年病気を理由に信操に家督を譲り、剃髪して丹波入道と号した
戒名 来震院殿前摂州大守灌渓道関大居士 -
第九代藩主 安部信操(寛政2年~文政8年4月29日)
8代藩主安部信享の三男 文化3年父信享の隠居により家督相続、従五位摂津守に叙任・任官、文化4年・5年江戸城和田倉門番、文化5年田安門番、文化9年半蔵口門番、文化10年大坂加番等を歴任
戒名 高徳院殿前摂州大守義峯宗看大居士 -
第十代藩主 安部信任(文化6年~文政11年4月10日)
9代藩主安部信操の長男 文政8年父信操の死去に伴い家督相続 文政9年従五位下丹波守に叙任・任官 文政10年大坂加番を命じられる
戒名 祐泉院殿前丹州大守彩雲蒼龍大居士 -
第十一代藩主 安部信古(文化12年~天保13年10月7日)
9代藩主安部信操の四男 文政11年兄信任死去に伴い末期養子として家督相続 天保2年従五位下摂津守に叙任、天保3年・天保13年大坂加番、天保5年・天保12年日光祭礼奉行を命じられる
戒名 義徳院殿前摂州大守廓山魯道大居士 -
第十二代藩主 安部信宝(天保10年~文久3年4月10日)
11代藩主安部信古の長男 天保13年父の死去に伴い家督相続、嘉永6年従五位下摂津守に叙任、安政5年河内守に改め、安政6年摂津守に改める 嘉永7年日光祭礼奉行、安政5年大坂加番、文久3年二条城定番を命じられる
戒名 蔵雲院殿前摂州大守忠巌全孝大居士
13代藩主安部信発は武蔵六浦藩米倉昌寿の9男 三河国半原へ移り、幕末を迎えた -
源勝院のお隣にある岡部神社です
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参道にはところどころに彼岸花が咲いていました
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かなり奥まったところにご社殿がありました
今ではすっかりさびれてしまっている岡部神社ですが、江戸時代には藩主安部氏の崇敬も篤く、明治の居城返還に際し、城主より金馬簾・陣太鼓・保良貝などが奉納されたそうです -
普済寺
建久2年に岡部六弥太が栄朝禅師を招いて創建した寺だそうで、六弥太が植栽したカヤの木が門の左右にあります -
境内に何やらおめでたそうな石像が立ってる~!
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畑の奥にあるのは岡部六弥太の墓
岡部六弥太忠澄は源義朝の家人として保元・平治の乱に活躍した人物で、保元・平治物語や原名盛衰記にもその武伝が記されているそう -
ここにある五輪塔の一番大きなものが六弥太のもので、墓石の粉を煎じて飲むと子宝に恵まれるそうですが、中には入れないようになっていたのは墓石を削らないようにするためでしょうか?
岡部六弥太忠澄墓 名所・史跡
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こちらは中宿歴史公園
この辺りは飛鳥時代の中宿遺跡一帯
大規模な倉庫群跡が出土したそう -
倉庫の礎石跡の隣には
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大きな倉庫が2棟復元されています
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1400年~3000年くらい前の蓮の一種・原始蓮
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そのすぐ前にある道の駅 おかべに昼食を食べに来ました
道の駅 おかべ 道の駅
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ここにあるそば蔵岡部店さん
そば蔵 岡部店 グルメ・レストラン
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入口ではふっかちゃんがお出迎えしてくれます
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煮ぼうとうです
小麦粉が比較的容易に手に入る深谷の郷土料理で、地元野菜をふんだんに使っています
あの渋沢栄一翁も大好きだったそう -
添えられている天ぷらは深谷名物の「深谷ねぎ」です
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その煮ぼうとうが大好きだった近代日本経済の父 渋沢栄一
もうすぐ1万円札の顔になります -
駅まで一本道を1.5km
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JRの岡部駅に到着
岡部駅 駅
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ここでもまた約30分待ちでようやく電車来ました
この日は電車の待ち時間が長く、かなり予定が狂ってしまいました
加えていつ雨が降ってきてもおかしくない天気
ということで、本当はこの後別の予定を組んでいましたが、疲れてしまったのでそのまま帰ることにしますJR高崎線 乗り物
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