
2014/09/15 - 2014/09/18
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さんふらわあで航(い)くかごしまマル得レンタカープラン-鹿児島の戦跡を訪ねる旅・後編-笠之原~串良~鹿屋~志布志~関西-
ひょんなきっかけでフェリーさんふらわあを利用して鹿児島へ行ってきました。今回のサブタイトルは、前回の現実逃避行の旅で沖縄の戦跡を回った時にふと思ったことを自分なりに史実を知りたくなり、今回の鹿児島の戦跡を訪ねてみようということにはじまりました。内容として幼稚なものであり、また捉え方によっては不愉快に思われることがあるかと思います。ただ私は未熟そのものの人間ゆえ、書いていることがすべて正しいとは思いませんので絶対的な答えではありません。旅行記としては重苦しいところもあるかとは思いますが、あえて楽しい旅の"訪問地"として興味を持って頂けたらと思って書きました。
こちらでは2日目の鹿屋~志布志までの道のりを書いています。
2014年9月17日水曜日
かのや大黒グランドホテル 10:00
海上自衛隊鹿屋基地資料館 15:00(46.4km)
ニコニコレンタカー志布志営業所 16:15(81.1km)
2日間トータル走行距離 470,2km
16:50
志布志港 17:00(乗船17:25)さんふらわあきりしま
18:05出航
【船中泊】ツーリストベット
昨晩寝るのはそれなりの時間でしたが、しっかり朝目が覚めます。7:30、普段はまだ夢の中です。着替えてから朝食を頂きに1階レストランへと向かいます。出して頂いたのは和定食、地のものって言う訳ではありませんが、どこぞのホテルの朝食バイキングよりよっぽど食べごたえがあり、おいしく頂きました。ごちそうさまでした。
部屋でしばらく今日の行程を見直します。予定では鹿屋地区の戦跡を巡った後佐多岬まで足を延ばして志布志に戻って行くルートです。でも昨日の教訓からまず無理だとは思っているので、とにかく戦跡巡りが終わったら考えることにしてとりあえず出発することにします。
≪本日の戦跡訪問地≫
①笠之原海軍航空基地跡地
②串良平和公園(串良海軍航空基地跡慰霊塔)
③串良海軍航空基地地下壕電信指令室
④小塚公園(鹿屋海軍航空基地慰霊塔)
⑤桜花の碑
⑥海上自衛隊鹿屋基地資料館
※なおこの6つの史跡に関しては、改めて”さんふらわあで航(い)く鹿児島海軍特攻戦跡を巡る旅~笠之原・串良・鹿屋編~”に番外編として載せております。
10:00にチェックアウトします。自宅で組んだ、ホテル→笠之原基地跡→串良平和公園→串良基地地下壕通信指令室→小塚公園→桜花の碑→海上自衛隊鹿屋航空基地資料館→佐多岬→志布志というルートですが、この笠之原基地跡をナビで探しても出てきません。Googleマップのナビ機能を使っても座標からだと道がないと出てしまいます。なので最後の手段、大まかな場所と行先設定しあとはひたすら探すことにします。笠之原基地跡は笠之原小学校近くなので、そこまで行って探します。目的地まではすぐでしたがどうも場所の特定が難しい…、田畑の真ん中にぽつんと基地跡だけがあってすぐわかるとたかをくくっていましたが、現実は笠之原小学校自体が住宅地の隣にあり、周辺が区画整理されているため道が違うような気がします。小学校と公園の位置関係などを見ながら住宅地の中をぐるぐる回ること数十分、ホントに田畑の中にぽつんとあった旧海軍笠之原基地地下通路入口跡を発見しました。
この旧笠之原基地ですが、元々民間の飛行場を軍が接取して基地としました。沿革には陸海軍の飛行場基地として使われており、最終的には昭和19年1月15日に海軍航空基地となり、翌昭和20年1月には零式戦闘機72機が配備され、特別攻撃隊として多くの若者が南海へと飛んで征かれました。その後昭和20年3月8日の連合軍の集中爆撃を受けて基地は壊滅状態となり終戦を迎えました。当時を唯一偲ぶものとしてあるのがこの”旧笠之原海軍航空基地地下通路入口”としてのこのコンクリートの建物です。写真に収めて次の目的地へと向かいます。
串良平和公園に到着します。目指す慰霊塔は、ナビが示した場所と道路を挟んだ向かいになります。まず串良海軍航空基地跡慰霊塔へと向かいます。白い慰霊塔に刻まれている「慰霊」の文字は、ノーベル平和賞受賞者の佐藤栄作元首相の筆によるものです。慰霊塔の両脇には、ツツジを刈り込んで作った「平和」の文字、花の時期に来るとさぞかしきれいだろうと思いました。また「慰霊塔」の上には「鳩」がいます。勿論作ってあるものですが、橋の上から柏手を打つと「クックッ」と鳴くそうです。細やかな作りに「平和の念」を感じます。慰霊塔周辺には、串良基地ゆかりの部隊の慰霊碑が数多くあります。慰霊塔脇にはこの海軍串良航空基地より飛び立って征かれた363名の特攻隊員を含む565名の方の名前が刻んでありました。ともに寝食を共にしながら戦っていたので、仲間意識と言うのは大変強いものだったろうと思います。戦死された方々を生存した方々が慰霊し、またその事実を戦争を知らない世代に語り継いで、二度と同じ過ちを繰り返さない気持ちが真に伝わってくるように思いました。あと「関西桜通り」と名付けられている桜並木、戦時中は滑走路でした。にわか作りのもので凸凹もあったろうこの途を、機に爆弾を取り付けてヨタヨタと飛んで征く姿を想像すると、急に涙が出てきて止まらなくなりました。私一人非力な人間ですが、過ちを繰り返しませんと心から願う…そんな気持ちを新たにしました。
この平和公園の入口には、鹿屋近郊の戦跡マップがあります。次の目的地「串良海軍航空基地地下壕電信指令室」の位置を確認します。私有地内にある場所でナビ検索ができなかったので場所を確認します。距離的には1kmちょっとなんでわかるだろうと思って行くと…やっぱりわかりません。実は入口を2回ほど通り過ぎました。たまたま駐車場前の道路を拡張工事していたのでそちらに気を取られていました。それに気付いてもどうやって入ったらいいのか…って勝手に思っていたので100m程離れた場所でしばし考え中…。結果大回りすれば普通に入れたってオチになります(汗)。
もうこのあたりになってくると平静ではいられなくなっていました。時間はどんどん過ぎていくので。この串良海軍航空基地地下壕電信指令室は私有地にあり、管理もされているということを事前に知っていたにも関わらず、わざわざ蜘蛛の巣をかき分けて藪の中へと入って行って何とか場所には辿り着いたものの、周囲をぐるっと一周して終わってしまいました。その後普通に陽の当たる方向に進むと民家の隣に出ることができました。そこで気付いていれば内部も見られたのですが、そのことに気付いたのは帰りのフェリーの中でした…。串良海軍航空基地地下壕電信指令室は、特攻隊員の方々が最後の命令を聞いた場所とされています。厳かな場所ゆえゆっくり見て回りたかったのですが今回は仕方がありません。なので次回の課題にするとします。
次は鹿屋市街に戻り小塚公園の「鹿屋海軍航空基地慰霊塔」を訪ねます。慰霊塔のある公園といえば地元で知らない方はいらっしゃらないだろうと勝手に思い込んでいました。ただ「小塚公園」ではナビ検索に引っかからないので、また最寄りを指定してあとは目視のパターンで行くことにしました。実はここで大きな間違いをしてしまいました。ナビの設定を小塚公園の最寄にある「西原台小学校」を「西原小学校」と間違ってしまい、結果住宅地内で迷子に。それでも「小塚公園」はどこ?で一発解決!と思っていたら、まさかの地元の方の「知らない」と言う回答。え~?っと思いましたが、地元では「慰霊塔」と言えばわかる場所でした。それを「小塚公園」と繰り返していたことがそもそもの間違いだったことにやっと気づきました。国道269号線から入って行く交差点には、これ見よがしに「慰霊塔前」と書かれていました。あちゃ…。
駐車場に車を停めて公園内へと入ります。こちらは一目瞭然、海軍カラーの”白と金”色の慰霊塔に向かってまっすぐ階段が延びています。まずは慰霊塔に参拝し、塔のまわりにある「旧海軍鹿屋基地」から特攻出撃をされて亡くなられた908名の方々のお名前が刻まれている銘板を見て、改めて犠牲者の数の多さを認識します。お参りをして一旦階段を下りましたが、入口にあった「鹿屋海軍航空基地慰霊塔」の建立の謂れを見て、思うところがありもう一度階段を上り直します。それはこの「慰霊塔」から見える風景は、特攻出撃をした隊員の方々が基地を飛びたち見て征かれただろうものだろうの一文、改めてこの風光明媚な景色の重みを感じました。この「小塚公園」にある「鹿屋海軍航空基地慰霊塔」こそ旧海軍鹿屋基地時代の特攻戦没者への慰霊塔となっています、場所的にも一番近いということなんだろうと思います。。
1時間ほどかけて回ってきたあと、次の目的地「桜花の碑」を目指します。「朝日神社」の横なので、ナビをセットし走り出します。ただここも結構わかり辛く住宅地内をグルグル回った末辿り着きました。こちらは駐車場がありません。あまりよくはないですが、それほど車が通るわけでもない場所なので、路肩に目いっぱい寄せて駐車し見学します。
「桜花の碑」はその名の通り先の大戦末期に海軍が用いた人間爆弾「桜花」によるものです。戦後桜花の隊員だった方が、南方へ飛んで征かれた「仲間」を忠魂する為に私財を投げ打って建立されました。碑文・由来文は当時報道班員として隊員の方々と交流のあった作家山岡荘八氏によるものです。
お昼ご飯を食べる暇もなく回って来ましたが、どうやらあと一ヶ所回るのがやっとになりました。「海上自衛隊鹿屋航空基地資料館」、「桜花の碑」からはすぐのはずですが、今度はどこから入ればいいのか?がわかりません。鹿屋基地をぐるっと一回りしてきて「ここかな?」っていう場所を見つけて入って行きます。
こちらは現海上自衛隊鹿屋基地の敷地内にある資料館で、海軍の歴史から現在の海上自衛隊に至るまでのものが紹介されています。エントランスにある「夕映えの桜島」をモチーフにしたステンドグラス、これは日本画家の「平山郁夫氏」の原画を元に作られています。また同じ場所に「敬礼をした隊員像」が来館客を迎えていますが、こちらは重い障害を持った作者が「特攻隊員の慰霊の意味」を込めて作成し、収められたものだそうです。館内一階は、主に海上自衛隊の活動の紹介になっています。二階に海軍関連のものが展示されていますが、原則撮影禁止です。なので写真はありません。今回訪れた史跡資料館は、ほとんど撮影不可なところが多いため違和感は感じませんでしたが、やはり遺品等を含め「資料」としてカットされた写真をビジュアルで見るだけでは、なかなかそのひとつひとつのものが訴えかけるところまではわからないような気がします。「百聞は一見にしかず」の言葉通り、実際に「見て・聞いて・感じて」貰うことこそがこれら資料館の役割のように思います。残念ながら今回の旅ではもう戻らないといけない時間になってしまったので、後ろ髪引かれる思いで「屋外展示」されている自衛隊機の合間をぬって車へと戻ります。
時間は15:00、あとは志布志に戻ることしかありません。約30kmの道のりなので1時間みとけば大丈夫だろうと思いながら、2日間で駆け足でまわった特別攻撃隊の史跡のことを思い返しながら国道220号線を走って行きます。
鹿屋から国道をひた走り、志布志に向かいます。途中大崎郵便局に寄って旅行貯金をしたあと大崎道の駅”あすぱる大崎”でトイレ&一服休憩します。ここには立寄り湯や足湯の設備がありますが、残念ながら時間切れでいくつかお土産を見た後帰路を急ぎます。一旦ニコニコレンタカーの店舗を通り過ぎて志布志郵便局に立寄り、数分で用を足してからラストランです。お店の前のガソリンスタンドで給油した後に何事もなかったかのように返車します。本日の走行距離81.1km、2日間で470.2kmを走った今回の旅の終点です。休憩と見学時間を合わせた走行時間21時間、旅の友マーチ君ともお別れです。
返車の手続きをした後志布志港へと送って貰います。17:00に到着し、まず乗船手続きをします。さんふらわあとレンタカー利用のキャッシュバックの手続きもしますが、こちらはニコニコレンタカーで書類を作って頂いてたので提出だけでしたが1,000円返ってきました。ふと気付いたんですが空席表示にデラックスシングルの空きもあるようです。ものは試しにアップグレードの話をするとできなくはないそうですが、チャージが7,000円ちょっとかかるとのこと、残念ですが次回にしますと丁重にお断りしました。
昨日朝に下り立った志布志港旅客ターミナルを眺めつつ、行きと同じくツーリストベッドの乗船券を手にしてしまうと、いよいよいよ今回の旅も終わりだなあ~っとセンチになってしまいます。
しばらくお土産を見たあと意を決し乗船します。17:25、無事船上の人となり行きと同じく荷物を置いた後にデッキへと向かいます。ちなみに船室は行きと同じくツーリストベットですが、行きは6階でしたが帰りは7階です。大阪に比べ西方向に位置する鹿児島なので、ちょうど夕陽を見ることができました。そして出航時刻の17:55になりましたが、どうやらまだ乗り込む大型トラックや乗用車が残っているようです。まあここまでなるとなんとでもなれ~って気持ちにもなっています。そして18:05、定刻より遅れること10分、夕陽に照らされた志布志港を私を乗せたさんふらわあきりしまが一路大阪へと航海に出ました。
しばらくデッキにいた後、キャラクターズルームを公開してますとの案内を聞き、見に行きます。くまモンルームは一回は泊まってみたいと年甲斐もなく思ってしまいました。勿論室内への立ち入りはできないので、入口で写真に切り取って次回以降の資料にします。そして船室に戻り荷物を片付けているうちにどうやら眠ってしまったようです。レストランの閉店のアナウンスは記憶にありますが、ショップの閉店アナウンス20:30は記憶にありません。よほど疲れていたのでしょう。というわけで今日も気楽にzzz。
2014年9月18日木曜日
大阪南港かもめ埠頭 7:45(下船7:57)
8:08
住之江公園 8:52
9:37
西梅田 9:58
大阪 10:45
最寄り駅 11:28
11:44
自宅 11:55
3:00頃にふと目が覚めました。いつもならこれから寝るような時間なのでちょっと変な感じです。とりあえず一服をしに行きます。エントランスの現在地表示では室戸岬沖のようです。あと5時間弱かかるので、行きと同様二度寝を決め込みましたzzz。
再び起きたのは6:30、案の定サンライズには間に合いませんでしたが、次回の楽しみにとっておきます。私はあまりバタバタとするのが好きではないので、先に荷物を作ってからまた船内をウロウロとします。急ぐことは嫌いにもかかわらず、あらかた大阪南港に入った段階でエントランス付近にて待つことに。というのもこのあと大阪南港かもめ埠頭から京都駅までWILLERバスを利用する予定でした。WILLERではフェリーチケットも発売しており、南港線だと連絡しているとばかり思っていました。接岸が定刻より5分遅れの7:45、そして3番目に下船して7:57に一昨日出発した大阪南港かもめ埠頭に降り立ちます。時間は遅れましたがそれは仕方がないこと、でも小走りでバス停へと急ぎましたが、バスは影も形もありません。どうも連絡はしていないようです。仕方がないので地下鉄住之江公園行きのバスに乗ります。こちらは フェリーターミナルの駅も経由しますが、行きのあのバタバタとした乗り換えを避けるためであえて終点まで乗ります。あ~あ、大阪だなぁ~と思う住之江公園駅前、ちょっと寄り道し、これまた久しぶりに吉野家に入って納豆定食を食べました。グルメじゃないことを暴露した瞬間です(笑)。
お腹もふくれ、いつもならちょうど良い眠気が出てくるはずですが、昨晩は柄にもなく爆睡しましたので、目がシャキーんの状態で地下鉄四ツ橋線に乗り込みます。そして西梅田駅に到着し行き同様チケットショップ~最寄り駅までの切符を買いに行きます。しかししばらく来ていない大阪の地下街、決まって迷子になります。まあボストンバックを抱えた田舎者丸出しスタイルは、黄門様の紋所のなみ並みの効果があり誰にも気にもされません。なのでマイペースに歩いて大阪駅前第三ビルまでたどり着き、無事チケットを購入したあと、再び韋駄天電車新快速に乗ること42分、私の旅の始まりでもあり終着点でもある最寄り駅に到着します。駅前の時計は11:40をさしていますが、これで1泊4日の旅は終わりました。
まあ当然自宅まで戻らないといけないんですが、ここは自宅を番している方にお迎えを頼みます。11:54自宅に着きました。いつもの八重山だと7日コースなので達成感みたいなものがありますが、さすがに今回はもう終わり?って言うのが正直な感想ですね♪
このさんふらわあ利用の商品ですが、行かれる場所によっては凄く利用価値があるものだと思います。弾丸でも1泊でもそうですが、弾丸の「観光バス利用」やレンタカーで「桜島・鹿児島」程度なら行程の時間取りにあまり気を取られることはなく楽しめると思います。1泊なら大隅半島一周とかでも余裕で回れますが、今回私が組んだコースだと本当に「走りっぱなし」になります。また大隅へのフェリー利用は、時間が遅くなると便数も少なくなります。確かに距離と所要時間は大幅に短縮されますが、それなりに行程管理が必要のように思いました。次回への教訓は…、行きは飛行機で指宿泊、次は鹿児島市内から垂水フェリーで大隅泊、最終日に大隅一周してさんふらわあで大阪へ。これがイチバン!
というわけでさんふらわあで航(い)くかごしまマル得レンタカープラン-鹿児島の戦跡を訪ねる旅・後編-笠之原~串良~鹿屋~志布志~関西-は終わります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 レンタカー JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
-
和定食の朝食は、ホント美味しかった!
かのやグランドホテル 宿・ホテル
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かのや大黒グランドホテル、入口。短い時間でしたがお世話になりました。それでは出発する。
かのやグランドホテル 宿・ホテル
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笠之原海軍航空基地跡地下道入口。
旧海軍航空隊笠之原基地地下道入口跡 名所・史跡
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旧笠之原海軍航空基地跡地、沿革。
旧海軍航空隊笠之原基地地下道入口跡 名所・史跡
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串良平和公園内にある「串良海軍航空基地跡慰霊塔」。
つつじでできている「平和」の文字に重みを感じます。 -
串良海軍航空基地跡慰霊塔。
下に見えるのが「祭壇」になります。 -
串良海軍航空基地跡慰霊塔、側面の戦没者名簿。
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串良海軍航空基地跡慰霊塔、後方部の戦没者名簿。
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鹿屋近郊の戦跡案内マップ。
串良平和公園 公園・植物園
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串良海軍航空基地の滑走路跡。現在は〝関西桜通り〟と銘打たれています。
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次に訪れる串良海軍航空基地地下壕電信指令室の場所を確認します。
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串良海軍航空基地地下壕電信指令室の駐車場にて。入るのはホントてこずりました。
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串良海軍航空基地地下壕電信指令室の入口部分。明らかに人工物とわかります。
旧海軍航空隊串良基地地下壕第一電信室 名所・史跡
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内部の様子だが、虫が多いため今回は外からの見学に留めておく。
旧海軍航空隊串良基地地下壕第一電信室 名所・史跡
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小塚公園内にある〝鹿屋海軍航空基地慰霊塔〟。白と金色のツートンカラーが映えています。
旧海軍鹿屋基地特攻隊戦没者慰霊塔 名所・史跡
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鹿屋航空基地より特攻出撃をされた908名の隊員のお名前が刻んでありました。
旧海軍鹿屋基地特攻隊戦没者慰霊塔 名所・史跡
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この小塚丘からの風景をどう見て征かれたのでしょうか…。
旧海軍鹿屋基地特攻隊戦没者慰霊塔 名所・史跡
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鹿屋基地から程近い場所にある、"桜花の碑"。
桜花の碑 (野里国民学校跡) 名所・史跡
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桜花の碑建碑由来。作家山岡荘八氏の文章。
桜花の碑 (野里国民学校跡) 名所・史跡
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海上自衛隊鹿屋航空基地史料館にやって来た。
鹿屋航空基地史料館 美術館・博物館
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海上自衛隊鹿屋航空基地資料館エントランスにある「夕映えの桜島」ステンドグラス。
鹿屋航空基地史料館 美術館・博物館
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海上自衛隊鹿屋航空基地資料館エントランスにある〝敬礼をする特攻隊員像〟。
鹿屋航空基地史料館 美術館・博物館
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海軍航空兵力の興亡
海軍航空が発足し、第一次大戦、上海事変、支那事変、大東亜戦争において活躍した様子及び衰退していった過程を航空用兵思想の観点から考証している。
また、作戦の一環として神風特別攻撃隊が誕生し、必死の作戦が敢行されるに至った経緯、特攻隊の出撃の概況、特攻に使用された機種、各方面別の特攻作戦、その他神風特別攻撃隊の全容をそれぞれのジャンルに整理して説明し、愛する者のために身を犠牲にした特攻隊員の至高至純な心を偲び、理解しやすいように展示している。
特別攻撃隊の中心的な出撃基地として使用された鹿屋基地について、駐屯した部隊(陸軍98戦隊)や基地周辺住民との触れ合いを折り混ぜて紹介している。
鹿屋航空基地資料館資料より転記。鹿屋航空基地史料館 美術館・博物館
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鹿屋航空基地資料館の"零式艦上戦闘機五二型"復元。
資料館パンフレットより。鹿屋航空基地史料館 美術館・博物館
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米軍が認めた"二式大艇"レストア。
二式大艇(にしきだいてい)
旧日本海軍が第二次世界大戦中に九七式飛行艇の後継機として実用化した4発大型飛行艇。二式飛行艇(にしきひこうてい)とも言う。初飛行は1941年(昭和16年)。略符号は「H8K」。レシプロエンジン装備の飛行艇としては当時世界最高の性能を誇る傑作機とされる。通称は二式大艇(にしきたいてい、にしきだいてい)。二式大型飛行艇とも言う。なお、輸送型は「晴空」と呼ばれていた。九七式飛行艇の後継機として、同じく川西航空機で生産された。 連合軍におけるコードネームは「Emily」。性能は、最高速度240ノット(444km/h)以上。当時の主力戦闘機九六式艦上戦闘機と同等。同時期の英国4発飛行艇サンダーランドの最高速度336km/時と比べると100km/時以上速い。航続距離…偵察時7400km以上、攻撃時6500km以上。いずれも一式陸上攻撃機やB-17爆撃機の5割増。B-29爆撃機と比べても、30%近く長い。20mm機関砲多数を装備した強力な防御砲火、防弾装甲。雷撃を容易にするため小型機並の良好な操縦性。1t爆弾または800kg魚雷2発搭載可能。鹿屋航空基地史料館 美術館・博物館
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同じく鹿屋航空基地資料館に展示してある"二式大艇一二型"レストア。
詫間31号機、426号機(1943年3月製造)。鹿屋航空基地史料館 美術館・博物館
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海上自衛隊鹿屋航空基地史料館の碑、二階堂進氏揮毫。
それでは志布志港へと向かいます。鹿屋航空基地史料館 美術館・博物館
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2日間お世話になりました、ニコニコレンタカーのマーチ君です。
470km走りました。志布志郵便局にて。 -
志布志港に無事到着し、先ずは乗船券とバウチャーを引き換えます。
帰路のさんふらわあきりしまのフェリーバウチャー。志布志港 乗り物
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帰り志布志発大阪行きさんふらわあきりしまツーリストベットの乗船券。
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出航を待つ〝さんふらわあ きりしま〟です。
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さあ残すところ志布志の滞在時間もあと1時間弱です。
乗車ゲートが開いている〝さんふらわあ きりしま〟です。 -
これから大阪まで私を運んでくれるのは〝さんふらわあ きりしま〟です。
船体前方部。 -
〝さんふらわあ きりしま〟の船体中央部です。
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〝さんふらわあ きりしま〟の船体後方部です。
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船体前方部の乗車ゲートが開いていますが、車の乗り込みは後方からのようです。
〝さんふらわあ きりしま〟の勇姿。 -
行きの〝さんふらわあ さつま〟同様、前方の最上階に見える〝志布志-大阪〟の行先表示が頼もしく見えます。〝さんふらわあ きりしま〟。
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この船体に大きく描かれている〝太陽のマーク〟に旅人は少なからず憧れを感じたことはあるんじゃないでしょうか?
さんふらわあ きりしま。 -
さんふらわあ きりしま
1993年8月26日就航、1997年改造。12,418総トン、全長186m、幅25.5m、出力34,200馬力、航海速力23.5kt≒43.5km/h(最大25.5kt≒47.2km/h)。
旅客定員782名。車両積載数:トラック175台・乗用車140台。三菱重工業下関造船所建造。
船籍港は以前は東京だったが、後に大阪に変更されている。 -
さんふらわあ きりしまの船内にて。これまた行きと同じく3階に乗り込んだ後6階へとエスカレーターで上がります。
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〝さんふらわあ きりしま〟に乗船し、ツーリストベットに荷物を置いた後、最上階のアッパーデッキより志布志港の夕陽を眺めます。
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〝さんふらわあ きりしま〟に乗船し、ツーリストベットに荷物を置いた後、最上階のアッパーデッキより志布志港の夕陽を眺めます。
ちょっとアップで撮ってみました。 -
行きと違って帰りには、出迎えのバスは見られません。
〝さんふらわあ きりしま〟のデッキから見た志布志港旅客ターミナル。 -
出航時間の17:55になりましたが、まだ乗船していないトラックや車があるようです。
後方の乗車ゲートより乗り込むトラックの姿。もうしばらく居たいなあ…。 -
おおよそ夕陽が落ちた、志布志港にて。
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さんふらわあきりしまのデッキより、思い出いっぱい夢いっぱいの鹿児島志布志港が離れて行きます。
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ベタですが、さんふらわあきりしまの写真撮影コーナー、日にちはちゃんと2014年9月17日水曜日です。
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公開されていたさんふらわあきりしま、「くまモンと夢見る船旅ルーム」。これはホント?に泊まりたいな?!
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同じく公開されていたさんふらわあきりしま、「ぐりぶーとさくらの仲良し船旅ルーム」。話のネタにはしたいかも…。
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大阪へ向かう際の"日の出"、"出入港"の時間案内。
行きが16日朝、帰りは18日朝なんで全く同条件とは行きませんが、約1時間の日の出の時間が違います。
とはいえ"二度寝"を決め込み、帰りも"サンライズ"は夢の中zzz。 -
これまたベタな"さんふらわあきりしま"の写真撮影コーナーですが、日にちはちゃんと2014年9月18日水曜日に変わっています。
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3日ぶりに大阪南港かもめ埠頭に帰ってきました。
京都行きのバスを意識するあまり、3番目に下船します。楽しかったけどホントに短かった(泣)。大阪南港 かもめフェリーターミナル 乗り物
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行きと同じアングルですが、乗客が降りているところから大阪南港かもめ埠頭に着いたときのものだとわかって頂けると思います。
大阪南港 かもめフェリーターミナル 乗り物
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志布志までの往復、お世話になりました。
今日の夕方また志布志へと向かう働き者です。大阪南港 かもめフェリーターミナル 乗り物
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"さんふらわあきりしま"の働きに対して、感謝の意味を込め"敬礼"!
フェリーさんふらわあ 乗り物
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大阪南港かもめ埠頭から大阪市バスに乗って、地下鉄住之江公園駅に着きました。
もうここまで来ると完全に大阪の雰囲気です…。住之江公園駅 駅
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大阪市営地下鉄四つ橋線住ノ江公園駅3番出口。
ここからまた電車の旅が始まります。大阪メトロ 四つ橋線 (3号線) 乗り物
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旅の始まりでもあり、旅の終わりでもあるJR田舎駅。
石山駅 駅
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2014年9月18日木曜日AM11:40、旅は終わりました。あとは自宅へ帰るのみ。
京阪バス (大津エリア) 乗り物
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旅行記グループ さんふらわあで航(い)くかごしま~平成24(2014)年~
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