2021/08/01 - 2021/08/02
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tetsuさん
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今回の稚内ツアーの目的は、最近、ローカル紙に取り上げられた「旧大日本帝国海軍大湊通信隊稚内派遣隊幕別送信所」を見学するためだ。
ガイドさん同行での見学しか認められないため、稚内市役所に連絡を入れて見学をお願いした。
この施設は、1931年(昭和6年)に建てられ、大東亜戦争開始の「ニイタカヤマノボレ ヒトフタマルハチ」の暗号電報は、ここから単冠湾の機動部隊司令官南雲海軍中将に中継打電されたのだ。
終戦と同時にソビエトが稚内に進行する恐れがあったため、書類は全て焼却処分され、当時のことは、あまり分かっていないのが実態だ。
稚内市では、新たな観光スポットとして期待しているようだ。
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天塩町からオロロンラインを北上すると道路わきでエゾ鹿をよく見かける。
画像に映っている鹿を撮影していたら後ろ側にも大きな鹿が居てびっくりした。天塩川 自然・景勝地
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朝日にを浴びた牧草ロール
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一直線に伸びるオロロンライン
北海道の道路は、冬に降雪で道路幅が分からなくなるのを防ぐために道路の両サイドに矢印の付いたポールが立っているが、オロロンラインの北側は、何もない。北海道道106号稚内天塩線 (オロロンライン) 名所・史跡
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利尻富士が見えてきた。
利尻山(利尻富士) 自然・景勝地
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日本最北端の駅、稚内駅に到着
稚内駅 駅
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北海道の北行きの終着駅
特急宗谷は、毎日札幌と稚内を走っている。 -
北防波堤ドーム
高さ約14メートル、長さ427メートルで、昭和6年から5年かかって完成
樺太航路の桟橋稚内港北防波堤ドーム 名所・史跡
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ノシャップ岬で記念撮影
後方には、礼文島と利尻島が見える。ノシャップ岬 自然・景勝地
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稚内公園に向かう道で見かけたエゾ鹿の母娘
車から降りて暫し鹿を眺めると母子とも顔がそっくりだった。稚内公園 公園・植物園
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晴れて条件さえ良ければ、氷雪の門の後ろ側に樺太が見える。
氷雪の門 名所・史跡
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タロ(1955年(昭和30年)10月 - 1970年(昭和45年)8月11日)とジロ(1955年(昭和30年)10月 - 1960年(昭和35年)7月9日)は日本による初期の南極地域観測隊に同行した樺太犬の兄弟である。南極に取り残されながら共に生存し、1年後に救出されたことで有名になる。
ここ稚内で、訓練された。 -
稚内公園から北防波堤方向を眺める。
左側にはサフィールホテルと稚内駅が見えるサフィールホテル稚内 宿・ホテル
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夏の風物詩「昆布干し」
利尻昆布も高級品だ。
因みに全国で獲れる昆布の90パーセントは、北海道産
羅臼、松前、日高など有名な産地がある。 -
日本最北端のマクドナルド
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旧秋田木材工場発電所 (現 西岡牧場倉庫)
大正2年に造られた煉瓦造りの発電所跡
天井が崩れ落ちている。 -
観光客に人気の観光スポット
日本最北端の碑がある宗谷岬宗谷岬 自然・景勝地
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宗谷岬近くの白い道
ホタテの粉末にした貝殻を敷き詰めている。宗谷丘陵 白い道 名所・史跡
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今回の旅の目的地、稚内赤レンガ通信所
見学するには、予め稚内市役所に連絡して予約が必要 -
二重のゲートの先には、旧大湊海軍通信隊稚内派遣隊幕別送信所跡
一部修復されているのは、札幌の太陽財団による資金援助で行われている。 -
今回、案内していただいたのは、稚内ユネスコ協会の熊田要二さん
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この建物は、昭和4年に造られたそうだ。
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他の2棟の建物と比べると、天井を含めて維持補修されている。
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こちらは、真ん中にある建物
昭和16年に建てられた。
天井が一部壊れていて修復されている。 -
一番左側にある建物
この棟の2階に通信施設があったそうだ。 -
窓枠が緑色に塗られているのは、日本海軍が撤退した後、進駐軍がここに駐留した際に塗られたもの。
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四角い2本の柱状のものは、暖房用の煙突
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壁が崩れないように鉄枠で補強されている。
稚内地方は、降雪量が多いため、雪の重みで屋根は崩れ落ちたとのこと。 -
この部分は、3階建てになっている。
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昭和6年(1931)北方の国土防衛をねらいに大湊海軍通信隊稚内派遣隊幕別送信所として新設され、平屋の送信所庁舎・隊舎、木柱から順次鉄塔のアンンテナがそそり立つ施設が丘の樹木の中に目立たぬように建設された。
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こちらの部屋には、ベットが造られている。
昭和12年(1937)海軍大湊通信隊稚内分遣隊に昇格して北方海域における電波戦に対処していた。 -
昭和16年(1941)、敷地面積6ha、周囲は常時監視の目が光る要塞施設の感じで、レンガ造りの庁舎・並びに隊舎の完成と同時に、一挙に隊員が増員され、1個中隊編成でにわかに緊張を高めてきた。
戦後になって知ることになるのだが、この施設は大本営海軍部と直結した送受信基地で太平洋戦争開戦時「新高山、登レー二○八」の暗号電報は、ここから単冠湾の機動部隊司令官南雲海軍中将に中継打電された。 -
こちら部屋は、浴場
昭和20年3月17日硫黄島最後の攻撃の決別電報を、小笠原兵団長栗林中将から涙とともに傍受するなど、最北の無線基地でありながら常に最前線と連絡をとりあった重要拠点基地でもあった。 -
洗面所
昭和22年(1947)アメリカ軍第11空挺部隊の一部、第1騎兵師団通信業務隊が幕別送信所跡に駐留。
昭和37年(1962)のキャンプ撤退まで幕別住民との交流が続いていた。 -
昭和48年、レンガの建物・鉄塔はそのままで防衛庁が管理することになった。
平成18年3月(2006)国より有償譲渡を受ける。 -
3階部分からの眺め
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コンクリートの基礎は、高さ35メートルの通信用アンテナがあった場所
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一部修復されている。
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一番左側の大きな建物は、屋根が崩れ落ちていて、内部への立ち入りは出来ない。
当日、50名ほどが働いていたとのこと。 -
赤レンガ通信所の説明板
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一番左側の大きな棟の内部を外から撮影
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天井が崩れ落ちていている。
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当日、英国から輸入したレンガで建設された。
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真ん中の棟
少しずつ修復されている。 -
一番右の棟
内部には、写真や資料が展示されている。 -
カラーで復元された当時の写真
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