2025/09/25 - 2025/09/25
23位(同エリア842件中)
かっちんさん
NHK学園オープンスクール「てくてく半日旅行~三鷹で感じる戦前・戦後~」に参加しました。案内役の講師は佐藤徹也氏。
戦前にあった中島飛行機の軍需工場とそこまでの専用鉄道を地図と痕跡で確認しながら、戦後の線路跡をたどります。
戦後80年が経ち、昔の風景の面影が全くありませんが、線路跡だけは遊歩道として整備され残されています。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・NHK学園オープンスクール「三鷹の軍用線路跡と東京スタディアムがあった時代」の資料
・みたかナビ「グリーンパーク遊歩道(武蔵野市)」
・武蔵野市の現地説明板「中島飛行機 武蔵製作所 工場引込み線跡」
・三鷹市「堀合(ほりあわい)児童公園」
・4トラベル、junさん「中島飛行機武蔵製作所引込線の廃線散策」
・吉グル「三鷹の「延命寺(えんめいじ)」は七福神の毘沙門天・寿老人を祀る延命長寿・縁結びの寺」
・吉祥寺.me「消火栓用のマンホールがかわいい!フタの形がいろいろなワケ。」
・アトリエ杉本のHP
・武蔵野市「都営住宅について」
・NTTファシリティーズ一級建築士事務所「NTT武蔵野研究開発センタ本館」
・むさしのエコreゾートのHP
・ちゅうはんブログ「千川上水を歩く(1)境橋取水口~関町一丁目交差点」
・ウィキペディア「国鉄武蔵野競技場線」「境浄水場」「関東バス」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
「JR中央線三鷹駅」
参加者は午前10時に12名ほど集合しました。 -
戦前の「中島飛行機武蔵製作所引込線」(1942年頃)
現在の「武蔵野中央公園」と呼ばれる界隈は、戦前「中島飛行機武蔵製作所」という広大な軍需工場が存在し、航空機エンジンを製造し、昭和13年~20年(1938-1945)まで稼動していました。
その工場への物資輸送のため鉄道が敷設され、「武蔵境駅」から玉川上水までの部分は「境浄水場の引込み線」を利用して工場までの線路を敷きました。
路線図の現在地は、戦後に「武蔵野競技場」まで線路を敷き直した時の分岐点です。 -
戦後の「武蔵野競技場前までの引込み線」(1951年頃)
戦後、昭和26年(1951)工場跡の一角に「東京スタディアム グリーンパーク野球場」が開設され、プロ野球観戦などの観客輸送のため、現在地から線路を敷き直し、三鷹駅からの国鉄「武蔵野競技場線」として生まれ変わりました。
しかし、間もなく野球場は閉鎖され、引込み線も昭和34年(1959)に廃止されました。
その後、廃線跡は昭和59年(1984)に遊歩道に生まれ変わりました。 -
「今日の散歩コース」(NHK学園の配布資料)
戦前、武蔵境駅から「中島飛行機武蔵製作所」があった軍需工場まで専用の鉄道(引込み線)がありました。
工場跡は現在「武蔵野中央公園」となり、またプロ野球の「東京スタディアム」となったこともあります。
三鷹駅から「東京スタディアム」までは昭和26年(1951)から1年間国鉄「武蔵野競技場線」が運行されていたので、その線路跡をこれから歩きます。
その先は西武新宿線の武蔵関まで歩きます。 -
「東京スタディアム跡」(NHK学園の配布資料)
戦後、再開されたプロ野球は、神宮球場が米軍に接収され球場不足になっていました。
プロ球団を所有することになった国鉄がホームグラウンドとして、空襲により壊滅した工場跡地の東側に球場の建設を決定したのです。
観客席総数は51,000人というその規模は後楽園球場を上回り、甲子園球場にも匹敵する規模でした。
しかし、都心からの距離があり、さらには完成した昭和26年(1951)の翌年には神宮球場の返還が決定され、球場は閉鎖となり国鉄「武蔵野競技場線」も実質1年で休線となってしまいました。
鉄道路線の距離は3.2km、軌間は中央線と同じ1,067mm、直流1,500V電化方式でした。
東京スタディアムの西側には、接収された米軍宿舎が並んでいます。 -
「三鷹駅北口を出発」(三鷹駅付近)
駅前のバスロータリーを武蔵境の方向に歩きます。
高い樹木の下には「玉川上水」が流れています。
ここは三鷹市です。 -
川幅の狭い「玉川上水」(三鷹駅付近)
地図で「玉川上水」を確認すると、三鷹駅線路の下をくぐり、井の頭方面へ流れています。 -
「堀合北陸橋」(三鷹駅付近)
都道121号の上に架けた陸橋を渡ります。 -
「JR中央線の電車」(中央線沿い)
昔からオレンジ色の電車ですね。
線路を地下で横断する「堀合地下道」入口が右側に見えます。 -
「跨線橋前」バス停(中央線沿い)
おやっ、周りを見渡しても跨線橋が見当たりません。 -
在りし日の「跨線橋」(NHK学園の配布資料)
実は跨線橋があった時は、橋上から遠くに富士山が眺められました。
写真は2023年当時。
残念ながら橋の老朽化により、2025/7に撤去されました。 -
イチオシ
「寝ぼけ顔の電車」(三鷹電車区)
車庫でゆっくり寝ていた電車。「もうすぐお昼だよ!」
カメラの焦点が手前の柵にあってしまい、電車が寝ぼけ顔になりました(笑)
黄色い電車なので、総武線直通の車両です。 -
「堀合児童公園」
線路沿いから「堀合児童公園」に入ります。
「堀合」は、この辺りの古い地名で「ほりあわい」と読みます。 -
広い公園(堀合児童公園)
正面の塔は「上連雀一丁目アパートの給水塔」です。
団地でよく見かける給水塔の風景です。 -
「堀合遊歩道」
「堀合児童公園」を抜けると、線路跡を再整備した遊歩道へ入ります。
緩やかなカーブを描きながら北方向へ進みます。 -
イチオシ
気持ちいい散歩道(堀合遊歩道)
-
川があった形跡(堀合遊歩道)
木製の橋が残されています。 -
枝がほうき状に広がる「ケヤキ」(堀合遊歩道)
三鷹市と武蔵野市に多い樹木です。 -
「成蹊学園の欅並木」(2014/11/23訪問)
三鷹市の隣の武蔵野市にある欅並木です。
旅行記にしているのでご覧ください。
『ちょっぴり散歩「武蔵野の欅並木」(東京)』
https://4travel.jp/travelogue/10955952 -
「ぎんなん橋」(境浄水場付近)
再び玉川上水と出会い、そこに架かる「ぎんなん橋」。
かつてここに鉄道橋が架けられていたので、線路を模した橋になっています。 -
「玉川上水の鯉」(ぎんなん橋)
川底を覗いてみると、なんと鯉がスイスイ泳いでいます。 -
「境浄水場」
柵に囲まれたところが「境浄水場」。
手前は都道12号で、玉川上水は暗渠の中。
信号名称「いちょう橋」は、都道12号西側の歩道に架かる橋。
東側の歩道に架かる橋は「ぎんなん橋」だったので、共通点がある橋の名前です。 -
「グリーンパーク遊歩道」
玉川上水を渡ると線路跡の名前が「グリーンパーク遊歩道」となり、武蔵野市に入ります。 -
秋空の「境浄水場」
大正13年(1924)に多摩湖と狭山湖から引き入れて建設された緩速ろ過方式の浄水場です。
武蔵野市は独自の市営水道を運営しているため、境浄水場の水は東京都千代田区、渋谷区、世田谷区、港区、目黒区の一部に給水されています。
かつて、ろ過池に用いる砂を輸送するため、武蔵境駅から引込み線が敷設され、玉川上水を跨いで現在の南門から浄水場に続いていました。 -
「仲良く歩く参加者」(グリーンパーク遊歩道)
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秋の花「ヒガンバナ」(グリーンパーク遊歩道)
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「井の頭通り」を渡ります
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可憐な花「ムクゲ」(グリーンパーク遊歩道)
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「木々に囲まれた遊歩道」(グリーンパーク遊歩道)
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「グリーンパーク緑地」(関前)
この付近に「関前高射砲陣地跡」がありました。 -
「関前高射砲陣地跡」(グリーンパーク緑地 関前)
米軍機の空襲に備え日本軍によって作られた高射砲や機関銃陣地がありました。
昭和19年から始まった武蔵野への空襲は、終戦近くまで続きました。
米軍B29による爆撃は、工場を目標に高度約1万メートル上空から行われました。
日本軍は高射砲で迎え撃ちましたが、多くの砲弾はその高さまで届きませんでした。 -
美味しそうな「ブドウ」(グリーンパーク遊歩道)
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線路跡は「関前公園」へ続きます(グリーンパーク遊歩道)
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イチオシ
背比べしている「ヒガンバナ」(グリーンパーク遊歩道)
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葉脈が美しい「ハナミズキの葉」(グリーンパーク遊歩道)
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「紅葉のハナミズキと実」(グリーンパーク遊歩道)
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瓦屋根の「自動車整備工場」(五日市街道沿い)
モルタルに瓦屋根なので、昔からの建物ですね。
五日市街道に出ました。
ここで、街道沿いにある延命寺に立ち寄ります。 -
「関東バス」(五日市街道)
前面のエンブレムの社紋の由来は、二重の輪を10個の「C」が囲むデザイン。
二重の輪は「和」を意味し、周囲のCは和箪笥の取っ手に使用される「カン」を表します。
つまりカンが10個で「カントウ」なんです。
バスの行先表示は4文字。バス停の行先案内表示を見て謎解きしたら「武蔵境駅」とわかりました。 -
「八幡山 延命寺」
「武蔵野吉祥 七福神めぐり」で巡る寺社のひとつ。
三鷹の「延命寺」は七福神の毘沙門天・寿老人を祀る延命長寿・縁結びの寺です。 -
「よく来たな」(延命寺)
勇ましい「吽形金剛力士像」からのご挨拶を受けます。 -
デザインマンホール「防火水そう」(延命寺周辺)
消防士が一生懸命に消火活動をしています。
表面のぶつぶつは、ちょっと気持ち悪いですが、マンホール表面で滑ってころばないようにするためのものらしい。 -
「250kg爆弾の破片」(延命寺)
延命寺に立ち寄った目的は、この爆弾の破片を見学するため。
延命寺は中島飛行機武蔵製作所の軍需工場から南に約200mの位置し、戦争末期の空襲で境内に爆弾の被害を受けました。 -
「関東バス第五小学校前車庫」(五日市街道沿い)
新宿区から西側の区、武蔵野市、三鷹市で多く運行している関東バス。 -
デザインマンホール「消火栓」
両手を広げ、市民を守っている勇敢な消防士のデザイン。
背景には赤い消防車と消火している姿が描かれています。 -
「アトリエ杉本」
鷹または鷲と、コウモリのデザイン。
何のお店だろう。 -
剥製の展示(アトリエ杉本)
鳥や動物たちがこちらを眺めています。 -
「グリーンパーク緑地」(八幡町)
線路跡に戻り、これから五日市街道の北側に続く遊歩道を歩きます。 -
森の中の遊歩道(グリーンパーク緑地)
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爽やかな散歩道(グリーンパーク緑地)
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青空が似合う「サルスベリ」(グリーンパーク緑地)
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「くりの直売所」(グリーンパーク緑地)
1袋200円。参加者が買ってます。
今晩は栗ご飯かな。。。 -
イチオシ
分かれ道(グリーンパーク緑地)
戦前の中島飛行機武蔵製作所への工場引込線は、ここから左側にのびていました。
戦後、昭和26年(1951)工場跡の一角に「東京スタディアム グリーンパーク野球場」が開設され、ここから野球場へ向かう線路を右側に敷設しました。
また、従来の引込み線を利用しながら、途中の玉川上水「ぎんなん橋」から三鷹駅までの線路を敷設し、プロ野球の観戦輸送のための国鉄「武蔵野競技場線」として生まれ変わりました。
これから右側の道に進み、武蔵野中央公園へ向かいます。 -
「武蔵野中央公園」に到着
ここにはかつて日本有数の設備を誇る中島飛行機武蔵製作所がありました。
陸軍の一式線「隼」や四式線「疾風」を製造したほか、海軍の主力戦闘機だった零戦のエンジンなども製造していたことから、米軍の空襲の重点対象となりました。 -
イチオシ
「戦後の幸せなひととき」(武蔵野中央公園)
子供たちのお散歩です。 -
イチオシ
「秋空の広い公園」(武蔵野中央公園)
ここで昼食です。 -
「武蔵野台地のすすき原」(武蔵野中央公園)
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水の補給(武蔵野中央公園)
暑さは続いており、人間だけでなく樹木にもたっぷり水をあげています。 -
デザインマンホール(武蔵野中央公園)
東京都の木「イチョウ」、花「ソメイヨシノ」、鳥「ユリカモメ」のデザインです。 -
「武蔵野のケヤキ」(武蔵野中央公園)
-
少しだけ紅葉(武蔵野中央公園)
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「都営緑町二丁目アパート」
武蔵野中央公園から東に向けて歩くと団地に入ります。
昭和60~64年(1985-1989)に建設された都営住宅です。 -
イチオシ
「手を振るおじさん」
目が合ってしまい、思わず手を振りました(笑)
隣のマンションに止まっていた「引っ越し屋さんのトラック」です。
この近くに「武蔵野競技場駅」がありました。 -
「武蔵野東小学校前」
小学校の前には昔から必ず文房具屋さんがありますね。
ここを左に曲がると・・・ -
まもなく「武蔵野緑町パークタウン」
-
「武蔵野緑町パークタウン」案内図
案内図の下(南側)から入り、左上(北側)へ通り抜けます。
かつて「東京スタディアム グリーンパーク球場」があった所です。 -
「1944(昭和19)年の航空写真」
中島飛行機武蔵製作所の東工場付近に野球場がありました。 -
「武蔵野緑町パークタウン」の建物
この先、武蔵関駅へ向かいます。 -
「NTT武蔵野研究開発センター本館」(武蔵野市緑町3丁目)
南外壁は小さな窓とダブルスキンサッシ(青い部分)で構成して熱負荷の軽減を図っています。
1999年竣工。 -
「むさしのエコreゾート」(武蔵野市緑町3丁目)
ここは、市民との議論を重ねて実現した、ごみ処理施設「武蔵野グリーンセンター」の旧建物の一部をリノベーションして整備しました。
地球温暖化を背景に、市民や市民団体、事業者、関係機関、市などの多くの主体が参加して、ごみをはじめさまざまな環境について一緒に考え、学び合い、行動・活動するための施設です。
建物のロゴは、風に吹かれて廻り、循環する葉っぱとリサイクルマークをモチーフとし、気持ちも新たに循環されるようなゆったりと廻るロゴマークです。 -
「エコリス」(むさしのエコreゾート)
エコリスは武蔵野市の特徴である緑を守るリス。
「むさしのエコreゾート」の隣りのどんぐり広場に住んでいます。
トレードマークは大きな葉っぱのしっぽと背中の木の模様。
手には、緑あふれる持続可能な武蔵野市の未来が詰まった種「エコの実」を持っています。 -
お尻が痛くなりそうな「エコタローベンチ」(むさしのエコreゾート)
都市ごみの焼却灰をリサイクルして作られたエコセメントで製作したコンクリートベンチです。
エコタローとは、東京たま広域資源循環組合が取り組むエコセメント事業のシンボールマークです。 -
「千川上水の清流」(西窪橋)
千川上水は江戸時代に玉川上水から取水し、本郷・下谷・浅草方面の飲料水を給水するために造られた水路です。
千川上水の水源は、玉川上水沿いの境橋付近にある取水口です。(境浄水場の西側付近)
千川上水に架かる「西窪橋」を渡ると、武蔵野市緑町から練馬区関町南へ入ります。 -
「石神井川(しゃくじいがわ)」
新青梅街道を越え、さらに北へ進むと石神井川を渡ります。
石神井川の西側が西東京市東伏見、東側が練馬区関町北です。 -
「武蔵関公園」(練馬区関町北)
公園内を歩きます。
中央に瓢箪を東西においたような「富士見池」があります。
もともとの水系は武蔵野台地特有の自然湧水。
しかし、近年の都市化で湧水はなく、現在は石神井川の水を一時溜めて洪水を防止する遊水池になっています。 -
自然樹木に囲まれた「富士見池」(武蔵関公園)
-
「西武新宿線」(武蔵関公園付近)
公園の武蔵関方面口を出ると西武新宿線の黄色い電車と出会います。 -
イチオシ
「郵便ポストの門番くん」(練馬区関町北)
武蔵関駅へ向かう途中の住宅街で発見!
何だか気取ってる感じ。 -
「サルスベリの実」(練馬区関町北)
夏の終わりを感じます。 -
「武蔵関駅前通り商店会」の旗
武蔵関公園に棲む「カワセミ」がデザインされています。 -
元気な野菜「自然村」(武蔵関駅前通り商店会)
自然食品にこだわるお店です。
元気いっぱいの野菜が踊ってますね。
まもなく武蔵関駅に到着し解散しました。
JR中央線三鷹駅から、引き込み線跡や玉川上水、武蔵野中央公園、武蔵野緑町パークタウン、武蔵関公園を通って西武鉄道武蔵関駅まで、戦時中と戦後の復興を思い描きながら歩きました。
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