1989/06/05 - 1993/09/02
44位(同エリア208件中)
唐辛子婆さん
これは30年前のお話です。
当時はウジュン・パンダンと呼ばれていたマカッサル
ジャカルタから飛行機で2時間半の町に私たちは4年ほど滞在しました。
まさか4年にもなるとは思いませんでしたけどね。
外国人向けスーパーは1軒だけ、帆船や要塞の残る港、郊外のゴルフ場、
釘を一本も使わないで作るボートの村、焼き物の村、蝶のいっぱい集まる
バンティムルン渓谷などが思い出されます。
この写真はマカッサル車で約2時間半の高原の避暑地マリノに
出かけたときのもの。海抜1200mでお茶畑がひろがっていました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- タクシー 徒歩 飛行機
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-
郊外のキャッサバ畑
インドネシアはタピオカの原料であるキャッサバの栽培が盛んでした。
芋の皮には毒があるそうですが皮をむいて蒸したものは
いい香りがしてほの甘くサツマイモよりもおいしく感じられました。 -
車で1時間程度の国立公園バンティムルン渓谷の入り口では
こんなモンキーがお出迎え。 -
蝶が砂地にお水を飲みに来ることで有名です。ウォレス(英国の博物学者)がここで新種の蝶をたくさん見つけたそうです。
流れのはやいジュンブラン川には滝もあってチュービングを楽しむことができました。 -
ロン先生が週末に子供たちをチュービングに連れて行ってくれたことを娘が作文に書いていました。ライフジャケットをつけてタイヤに乗り水が渦巻くところから出られなくなったり岩に挟まったり滝を下りる時にチューブから転げ落ちたりスリル満点で面白かったそうです。
キリスト教のミッションの人たちは週末にはいつも郊外でハッシュ・ハリヤーをしていて日本人の子供たちもよく誘ってくれました。
前の日に係の人が木の枝などに印をつけ、当日それを探しながら走るのですが森のブッシュや田んぼのあぜ道などを走って泥だらけになって帰ってきたこともあります。
私も参加したことがありますが、前日に集合場所確認の電話をかけて困った。ニュージーランド人のナマリが聞き取れないのです。
「え?え?もう一度・・・(冷汗)」
集合時刻と場所という超簡単な内容なのに聞き取れない。
どうしてこんな簡単なことが聞き取れないんだろう?!
困った私はインド人のお友達に通訳を依頼しました。
「OK.(しばらくして)わかったわよ。7時に〇〇に集合だって」
どうして強いインドなまりは聞き取れてニュージーランドなまりが聞き取れなかったかというとバンコクでバングラディシュ人の友人がいたからなんです。ニュージーランドの田舎ではノーのことをナイっていうやうです。とてもやさしい穏やかなレディでしたけどスーパーで見かけたりしたら大変!話しかけられないように棚にこそこそと隠れました。
日本にもハッシュのクラブがいくつかあるそうですね。 -
お隣の夫婦(アメリカ&タイ人夫婦)が仕事で3日ほど本土(ジャワ島)に出張することになりメイドに二人の男の子(4歳ぐらい)を預けて出かけたことがありました。娘に「放課後ベビーシッターしてくれない?」と頼んで。
「仕事仕事(お金お金)」
娘は張り切ってスケジュールを作り子供たちを飽きさせないよう
工夫して初めての任務は無事終了しました。夫婦は「プロジェクトまで考えてくれるなんてビックリ!」といってお礼をはずんでくれました^^。
ベビーシッターのやり方を私が教えたことはなかったので中学部のお姉ちゃんたちから「ベビーシッターの基礎」を習っていたのかも。
このタイ人のマダムはバンコクのチャオプラヤ川上流のモン族出身。
「とても清潔なエリアなのよ。母が植物を育てるのが好きで運転手の暇な時にあれこれ指図してとてもきれいなガーデンを作っていたの。」そのテクニックは娘にも受け継がれて彼女のお庭はとてもセンスが良くてきれいでした。一年中ガーデンを美しく保つコツを彼女から学べたのはとても幸運でした。 -
マカッサルには軍所有のゴルフ場があり会員にならなくても
日本では信じられないほどの低料金でプレイができました。 -
娘に向いた子供用のクラブがなかなか入手できなかったのですが
おもちゃのようなのが手にはいり、当たるとめちゃめちゃ飛びました。
くやちい!
雨季になるとフェアウェイがぐちゃぐちゃにぬかるんでボールが地面にめり込んで見つからなくなることもしばしば。乾季になると芝が枯れて土がカチカチになるのでボールはどこまでも転がり続け飛距離がめっちゃ伸びたやうなうれしい錯覚をもたらしてくれました。 -
4番ホールはティーグランドの目の前が池。
それほど広い池でもないのに誰でも緊張するんですね。
コンペで何個もボールを落とした人がいました。
なにせ村の子供たちは落ちろ落ちろ落ちてくれ~!と神に祈っている。
落ちたらすぐに池に飛び込んで魚の目で(!)ボールを探す。
見つけたボールを洗って売ってお小遣い稼ぎ。 -
ティーグランドのすぐ前がお墓というホールがありました。ティーショットに失敗して墓石にあたるとカキーンという甲高い音とともにボールはティーグランドのはるか後ろに飛んでいく。まさにお墓の呪いでした。
-
キャディたちはここから出勤してくる。
一度だけ唐辛子婆にしちゃ絶好調の日がありパー5以外のホールがすべてパーオンしてこれはもしやハーフ36で回れるかも!
90切ったら大喜びの唐辛子婆にしちゃ破格の成績です。
当然キャディーも入れ込んだ。
ホールインワンほどじゃなくてもイーブンパーとなりゃたんまりチップが稼げるはず。なので9番ホールのグリーン上での熱の入れようったら!
私だって緊張しまくりです。
で、なんと簡単なパットを外しまくって4パット!
キャディーの怒ること怒ること!
それでもハーフ38ですぜ。
いつもなら(暑いので)平日は午前中のハーフで切り上げてたんですけど
こんなことはめったにないからと後半も回ることにしました。
でも途中で雷雨になり夢は幻となってしまひました、あはは。 -
コースの中ほどの橋の向こう側に見えるのが村人の洗濯場。
井戸があるのです。 -
フェアウェイに出勤中のヤギたち。
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雄鶏も。
ちなみに雄鶏は南スラウェシでは最大の尊称だそうです。
ゴワ王国のハサヌディン王が「東方の雄鶏」と呼ばれていたとか。
西洋なら「獅子王」と呼ばれるところですね。
そして現代でも身分制度は結構やかましく、王の血筋でもない人が自分の子供にアンディなどという王族の名前をつけたりはしないんだそうです。
「社会的に許されないのでそのようなバカなことをする人はいない。」 -
プレイ後のビールがおいし~~い!
軍関係の奥様方(インドネシア人)は日本女性たちがビール飲むのを
「え~~~っそんなことして。」と(わざと)呆れてましたが
みんな仲良しでしたよ。
彼女たちの飲み物はファンタ。
南国仕様のあまったる~いファンタにコンデンスミルクを混ぜたもの! -
そしておそばもおいしくて。
生の唐辛子をガリっと噛んでヒーハーいいながらおそばを食べビールを飲んでプハ~~~っ!!それでみんなから「マダム・チャベ(唐辛子)」と呼ばれていました。ふふふ、唐辛子婆の語源です。
今ぢゃそんなことしたら胃が痛くなってしまう。 -
我が家にはアダムという白くてハンサムな雄鶏がいました。よなよな隣のお宅の庭に女遊びをしに行くようになったので妻をめとらせようとキャディに頼んだら持ってきてくれたのが短足の真っ黒けのめんどりでした。あまりのブサイクぶりにイブとは名付けられず「イボ」と命名。
庭の隅に作ってやった鳥小屋に卵を2個産んだのでひよこが孵るかと楽しみにしていたのにいっこうに温めようとしない。「7個ぐらいにならないと温めないんですよ」と運転手がいうのでスーパーから5個買ってきたらば温めはじめました。でも一個も孵らなかった・・・。そしてイボがいるのにアダムは夜遊びをやめようとはせずとうとうお隣のハレムに行ったっきりになっちゃいました。
妹一家が日本から遊びに来てくれて -
町の果物屋さんでおいしいマンゴーを買ったり
-
海で泳いだり民族衣装を楽しんだり。
可愛かった姪と甥も今じゃそれぞれ一児の親です。
ジャカルタから飛行機を乗り継ぐ田舎の町なのに意外といろいろな方が訪れてくださいました。
日本軍の工兵部隊として奥地に橋や水道を作っていたという方も。
「引き上げるという知らせが来たので大急ぎで、それこそ2日も3日も寝ずに港に駆けつけたが帰国船は出発したあとだった。しかしそれが幸運だった。その船は撃沈されてしまった。収容所に1~2年留め置かれてから帰国できた。ここにきて話しているうちに何十年ぶりかのインドネシア語がボロボロ出てきたので驚いた。」 -
バリが近かったのでお休みにはよく訪れていました。
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海に近い観光地は暑いので少しだけ。
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もっぱらブドゥグル高原のゴルフ場(バリハンダラ廣済堂カントリークラブ)に滞在しました。標高約1100m、平均気温が16℃~20℃。クタから車で2時間ほどです。ゴルフ場は当時世界のベスト50に数えられていました。時々インドネシアの大臣がやってきて横入りするのがなんでしたけどね^^。
冬の朝はセーターを着なければならないほど冷え込むのが嬉しくて。
はじめてロッジに泊まった夜ボーイが持ってきてくれた薪を暖炉でもやすのが楽しくて娘は夢中になりました。薪が燃え尽きると割り箸や紙や燃えるものを片っ端から見つけてきてとうとうそれもなくなると
「ママ、カーテン燃やそうよ!」 -
熱帯では見られない花がいろいろ咲いていてそれにも大喜びでした。
バリは1年中どこかしらでお祭りをやっていると言われていますが
お祭りをやっていなくてもバナナやヤシの葉を使った飾りつけやお供えが美しく田舎道をどこまでも歩いていきたいおだやかな気分になります。
一度ニュピ(ヒンドゥー教の行事)に遭遇したこともあり。
その夜は家にこもってすべての明かりを消さなければならない日。
知らないで空港に着いた私たちはホテルからの迎えの車もなかなか来なくて待ちくたびれました。外国人のための送迎も台数が制限されたいたのです。真っ暗闇の町を通り抜け田舎道をのぼり、たどり着いたカントリークラブのホテルもカーテンから明かりが漏れないようにしていました。
2012年に訪れた時「山崩れにあってホテル内に土砂と木々が流入した」
と聞いてびっくり!
https://4travel.jp/travelogue/10695572
今は元通りに復旧したやうですよ。 -
日本人会の活動も楽しかったです。
これは餅つき大会。
杵でついたお餅であんこを包んでおいしくいただきました。
日本人会誌の発行や図書の管理、インドネシア語で書かれた日本料理の本の発行、麻雀・将棋・囲碁セットの貸出し、ゴルフコンペなどをやってました。 -
外国人向けのスーパーに日本食は少しだけ売られていましたが賞味期限のところに(わざと)値段シールが貼ってあったり・・・。それでも私たちは町に住んでいたし海のそばなのでシーフードにも恵まれていました。奥地に住んでいて3か月に一回町に降りてくる人は「賞味期限切れでも和食なら何でもいいっ!」とまとめ買いしていました。
そうそう夕食後のアイスにあたってゲロゲロしたことがありました。
娘と夫が別々の部屋から次々と私を呼ぶので雑巾持って走り回りました。
なぜかその日に限って私は食べてなかったので無事でしたが「(一緒に食べたのに)マダムだけがあたらなかったんですって。さすが鉄の胃袋!」という噂がいっぺんに広がりました。時々停電があったからスーパーのアイスが溶けてはかたまり溶けてはかたまりしてたんでせう。 -
さて、日本人会誌は「ロンタラ」という名前でそれはこのロンタラ椰子に由来していました。葉っぱに古代叙事詩を書きつけたものがオランダのライデン博物館にあるとか。もちろん編んでうちわや籠やザルを作ったり屋根をふいたり垣根にしたり。そして花序からとる樹液は煮詰めると砂糖になりそのまま置くとおいしいお酒になり発酵が進むとお酢になり。
-
丸い実の中に
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こんな平べったいのが何個か入っています。
皮はベージュ色で中身は半透明でジェリーのようでほの甘い。 -
娘は実の空洞に砂糖をいれてかじるという野蛮な食べ方が好きでしたが
ふつうは小さく切って甘く似た豆などと一緒にシロップやココナツミルクに入れてみつ豆のようにしていただきます。 -
スーパーで見つけたロンタラの缶詰の外装をはがして描いてみました。
えっ、よく見たらタイ製でシンガポールから輸入されたものだった!
さういへばバンコクからホアヒン海岸への街道沿いに
この実を甘く煮含めたのを売っているエリアがありました。
超でかい甘納豆みたいでと~~ってもおいしかったです。 -
肝心のロンタラ酒はなかなか入手できませんでした。米、黒いもち米、ニッパヤシ、シュロ、ロンタラの中でロンタラ酒が一番おいしいとか。
私が試飲した中では黒いもち米のお酒が甘くてバリのブレムよりおいしいと思いました。ニッパヤシのはグレープフルーツのようなちょっと苦みがかったお味でした。
作ったばかりのお酒は瓶の中でぶくぶくブクブク発酵していてこれがどんどんどんどんお酢になっちゃうわけですから早く飲んであげないとお酒に申し訳ないような気持にさせられました。 -
ロンタラ椰子の葉に書かれたロンタラ文字。
試飲(←なんやて?)子音と母音の組み合わせによる表記はハングルの方式ですね。
マカッサルに来てこの地の歴史や文化を詳細に記した井上年広氏の著書に接することができたのは神様の思し召しとしか思えません。
氏は赴任地マカッサルと南アフリカで仕事の合間に当地の歴史を調べるうちオランダ人の実際的な考え方や遂行力に感嘆し、のちにハウステンボス開催への準備のためにアムステルダムに1年滞在されました。 -
kembang sepatu(クンバン・スパトゥ)
ハイビスカスの花を見ていたら突然そのインドネシア語が思い出されました。
子育てに忙しくてマカッサルのことをあまり知らないまま過ぎてしまったのをとても残念に思います。
マカッサルのあったスラウェシ島もそうですがまだまだ東のパプア・ニューギニアの隣のイリアン・ジャヤまでがインドネシア。
数えきれないほどたくさんの島の中に家探しでお世話になったメイ・トーフィクの出身地テルナテ島があります。メナドのすぐ近くだと思い込んでいたのですがモルッカ海峡のそのまた向こう。
オランダ人が19世紀に植民地とするまでテルナテ王国は現在のインドネシア東部の広い範囲を統治。クローブ貿易で栄えヨーロッパ人が到達する以前から中国人やマレー人の商人が訪れていたとか。
ザビエルは日本を訪れる3年前にここで布教活動をしたとか。
(←それでスラウェシ島にはクリスチャンが多いのか!)
そして英国人の博物学者ウォレスがダーウィン宛てに送った論文は
この島から送られたのでテルナテ論文と呼ばれているそうです。
(ウィキより抜粋)
テルナテ島にはバタビア航空が運航してるそうなので一度は訪れてみたいです。写真集で見たモルッカ諸島の海はそれはそれはきれいでした。
メイ・トーフィクがマカッサルに移り住んだのはず~~っと昔のこと。
船でかしら?メナドから飛行機に乗ったのかしら?
それでもどんなにか遠くに感じられたことでせうね。
母上が亡くなって涙してた理由が分かったやうな気がしました。
きっと長いこと会えてなかったのでせう。
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この旅行記へのコメント (8)
-
- tabinakanotaekoさん 2021/09/06 21:11:21
- チャベのページを教えてくださって------
- チャベさん、
お名前の由来、その1と、そしてこっそりその2も教えてくださってありがとう。秘密はとのくらい秘密のままでいられるでしょうかね?
鉛筆の絵も素敵です。絵が描けたり、楽器が弾ける人が羨ましいです。 taeko
- 唐辛子婆さん からの返信 2021/09/07 21:40:41
- Re: チャベのページを教えてくださって------
- taekoさん
インドネシアの田舎におこしくだすってありがとうございました。
私の旅行記も「いいね」が少ないから秘密はそんなに拡散しないと思います^^。
絵はすっかり放り投げて写真に走ってしまひました。
楽器はそうですね、空港とか駅に置いてあるピアノ弾ける人羨ましいです。
でも最近ジンバブエ発祥の素朴な楽器を入手したので勝手に弾いています。
パリの公園で聞いたスティールパンがとても素敵だったのでそれの発祥の地(トリニダードトバゴだったか?)にも行ってみたいと思っていましたが
スティールパンのフェスティバルに出席しに行った日本人女性が公園で殺されてしまったのでビビりまくっています。
唐辛子婆
-
- ほいみさん 2021/07/12 15:20:07
- 由緒あるお名前
- 激動の時期をインドネシアで過ごしていたんですね。
「バブル祭り」や「バブル崩壊騒ぎ」は関係なかったのですか?
一年中ビールを美味しく飲めそうで、ヤバいです。
南国仕様のあまったる~いファンタにコンデンスミルクを混ぜたもの!・・・これは拷問だけど。
唐辛子婆の語源・・・そういうことだったんですか。
私も現役中は、辛い物大好きで、家ではカレーに胡椒と唐辛子をたっぷりかけて食べてました。リタイアしたら辛い物もしょっぱいものも食べたくなくなったのはなぜ?
それでも最近のインド・ネパールのカレー? 辛くなくなったのが残念です。
ほいみ
- 唐辛子婆さん からの返信 2021/07/12 21:41:20
- Re: 由緒あるお名前
- バンコクにいた時がバブルの真っ最中で不動産価格がどんどん上がるので
このままでは一生自宅が持てなくなるのでは?と焦りました。
それでバンコクの仕事が終わって夫が1か月東京にいる間にマンションを買ってもらいました。仕事しながら家を探して購入手続きを全部一人でやってもらってそれこそ何も文句は言えませぬ。
もちろんその後(帰国してから)バブルは崩壊しまくりましたよ。
>あまったる~いファンタにコンデンスミルクを混ぜたもの!・・・これは拷>問だけど
それが、汗た~っぷりかいたあとって甘いものが体にしみる脳みそにもしみるんです~~^^。ベトナムのアイスコーヒーもコンデンスミルクがこ~~ってり沈んでました。
>リタイアしたら辛い物もしょっぱいものも食べたくなくなったのはなぜ?
寄る年波のせいでせう。
一日でも長生きしたい態勢に入ったということですね。
一日でも長生きして旅と写真のお師匠さんでいらしてください。
>それでも最近のインド・ネパールのカレー? 辛くなくなったのが残念です。
そうなんですか!
インド人もネパール人も健康に気を遣うようになったのかしら?
唐辛子婆
-
- olive kenjiさん 2021/07/12 08:33:18
- 唐辛子婆さまの語源
- 毎回コメント書いているので、気恥ずかしい感じがしております。シャイなのです。
ハーフ38とは凄い。在インドネシア日本人女子アマの部門ではトップクラスだったのではないのでしょうか。
唐辛子婆様の語源が納得出来ました。生唐辛子が好みだったのが由来だったのですね。
私は、人生甘いも辛いも経験して、唐辛子のように辛さが凝縮してしまって、世の中を辛口でバッサバッサと切っていく、でもそこには優しさと愛が伴っている。それが由来でいい名前だなと思っていました。絶対私の考えの方が合っていると思う。
ロンタラ文字は、これは何と難しい文字かと思いましたが、よーく見ていくと確かにハングルのように子音と母音の組合せなのですね。
そうすると、日本語のひらがなってとっても覚えにくい文字だなと痛感。
私はどのようにして覚えたのかしら、不思議。
昔一度バリ島に行ったことありますが、すべての景色、遺跡、風習が異色で良かったです。特に至る所にお供えをしている葉っぱや花の美しき事。まるで聖なる妖精が散らばっているようにも見えました。素晴らしい宗教儀式だと思うし、もっと世の中に普及してもいいアートかなと思いました。
旧日本兵の話も興味深かったです。そんなこともあるのですね。
不運が幸運を導いてくれるともあるのだと。
しらけたオリンピックになりましたけど、これも良き運への転換かもしれません。
悔しいけど、そう願いましょう。
いつものごとくいい絵をお描きになります。締めは缶詰の外装を描いた作品。
流石と唸るばかりでした。
- 唐辛子婆さん からの返信 2021/07/12 21:27:10
- Re: 唐辛子婆さまの語源
- こんな地味な話におつきあいくださいましてありがとうございます。
>ハーフ38とは凄い。在インドネシア日本人女子アマの部門ではトップクラ>スだったのではないのでしょうか。
だからまったくのマグレですってばぁ。
私よりスコアのいい女性がマカッサルだけで2名おりましたし。
パキスタン(に1年)滞在中お友達はホールインワンを2度も達成してました!
もう今は夫婦ともゴルフは卒業してテニスを少しだけしています。
唐辛子婆の語源についてはホントは続きがあるんですけど
恥ずかしいので書けませぬ。
ロンタラ文字を子細に見てくだすってありがとうございます。
タイ文字も子音と母音の組み合わせでしたが母音が子音の前に来ることもあり
句読点もスペースも一切ないのでものすんごく難しかったです。すぐにギブアップしたので精神錯乱には至らなかった^^。
バリの飾りつけは自然素材を使っているので本当に癒されますね。
バリと日本兵の話で急に思い出したことがあります。
ケチャックダンス(猿の群舞)を今の洗練されたカタチにしたのはドイツ人のシュピースという芸術家(画家でもあった)でしたが戦時中にバリでつかまって敵軍の船に乗せられて航行中に日本軍に撃沈されちゃったんですって。
同盟国に殺されちゃったの!
その本を書いた人の名前を忘れましたけど「すまんシュピース!」と謝っていましたよ。
缶詰の外装はただの「なぞり書き」です、お恥ずかしい。
唐辛子婆
-
- スイカさん 2021/07/11 23:16:39
- なるふぉど
- マダムチャべだったのですね。
しかし、生唐辛子?をかじる習慣は、何処で身に付けられたのでしょう。
スイカ
- 唐辛子婆さん からの返信 2021/07/12 21:05:16
- Re: なるふぉど
- バンコクで。
緑色の小さい唐辛子プリッキ・ヌー(ネズミのなんちゃら)を齧ると
舌も口も唇も痛くて汗と鼻水タラタラ~~~っ!!
なのに病みつきになっちゃって。
唐辛子婆
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