2021/05/08 - 2021/05/08
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東海道品川宿から数えて56番目の宿場町「枚方宿」を西から東に散歩してみました。豊臣秀吉の時代に、大阪城と伏見城を行き来するために使われ、江戸時代には東海道を大阪まで延長する上での宿場街として整えられた枚方宿。お寺や町家が数多く残っており、かつての風情を生かした京街道を散歩してきました。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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スタートは水面廻廊。枚方市から寝屋川市まで続く水路の一部が公園になっており、かつて淀川を行き来した三十石船のモデルが飾られています。春は桜がきれいな公園でもあり、お花見を楽しむ地元の方も多い場所です。
水面廻廊 自然・景勝地
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水面廻廊の隅にあるのが合同樋門跡。枚方市や寝屋川市を含む北河内(現在の大阪府北東部)を淀川の洪水から守り、畑や田んぼに水を提供するための樋管を1930年にまとめたものが合同樋門。その後、淀川改修により河底が下がり、ポンプ場が必要になったのでお役御免になったようです。
枚方合同樋門跡 名所・史跡
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水面廻廊を後にし、道なりに5分ほど歩くと淀川に出る桜町の交差点があり、淀川に向かって左側にあるのが洪水碑。
明治18年の大洪水は、洪水碑がある伊加賀地区で最初に堤防が決壊したのを皮切りに、淀川沿いの堤防が次々決壊。当時の大阪府全体の世帯数の約2割が浸水、被災人口は約27万人、橋30余りが次々に流失し、市内の交通のほぼ全てが寸断されたと言われています。
その後「淀川改良工事」が行われ、今では洪水が嘘だったかのように河底が低い淀川が広がっています。明治十八季淀川洪水碑 名所・史跡
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洪水碑の反対側にあるのが、郵便屋の渡し跡の碑。淀川の向こう側にある高槻に郵便を届けるために使われていた場所。明治18年の淀川決壊がこの付近からスタートしたのはなんとも皮肉なものですね。
郵便屋の渡し跡の碑 名所・史跡
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桜町の交差点を渡ると、淀川の河川公園が広がります。大きな芝生の公園で、天気がよい週末には、子ども連れの家族がテントを張って遊んでいます。道も整っているので、ロードバイクを楽しむ方もたくさん。枚方市と高槻市を繋ぐ枚方大橋が見え、景色もいい場所です。
淀川河川公園 枚方地区 公園・植物園
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少し戻り、ここが枚方宿の西の入口である枚方宿西見附を探します。わかりやすい案内板を見つけたら、整えられた小さな道(京街道)を東に進みます。
枚方宿西見附跡 名所・史跡
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道を入ってすぐの左手にあるのが鍵屋さん。江戸時代は淀川を行き来する船を抱えた宿屋として栄え、その後は料亭として知られました。現在は、枚方宿の資料館になっておりますが、緊急事態宣言中は残念ながら閉館していました。
枚方宿鍵屋資料館 美術館・博物館
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町屋をそのまま活用したオシャレな雑貨屋さん兼カフェになっているのがルポ・デ・ミディ。華やかすぎない衣類や食器などを見て回るのも楽しいですし、アイスコーヒーで一休みするのもアリ!おすすめのお店です。
ルポ・デ・ミディ グルメ・レストラン
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道なりに進み、十字路の手前にあるのが木南喜衛門亭。江戸時代初期から庄屋と問屋役人として活躍し、幕末には農業経営や金融業を営んでいたそうです。枚方宿の中でも最大規模の町屋です。
木南邸 名所・史跡
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十字路を左に曲がり、突き当たりにあるのが浄念寺。本願寺が東西で分裂した後、西本願寺の本寺兼帯所として扱われ、西御坊と呼ばれ親しまれていました。
浄念寺 寺・神社・教会
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浄念寺から道なりに進まず直進し、京阪の踏切を渡った右手にあるのが願生坊。雑に言うと浄念寺の東本願寺版で、東御坊として親しまれました。
願生坊 名所・史跡
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5分ほど道なりに坂を登ると、左手に万年寺山の入口が見えてきます。江戸時代には、右に伏見、左に大阪を見渡せる絶景が広がっていたそうです。今回は、右手の階段を登り意賀美神社を目指します。
万年寺山 自然・景勝地
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階段を登りきると、意賀美神社の本殿が目の前に現れます。大きな神社ではないのですが、たくさんの絵馬が掲げられており、地元のみなさんに愛されているようです。
意賀美神社(おがみ神社 枚方市) 寺・神社・教会
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階段を半分ほど降りると右手に梅林があります。梅の時期は過ぎているのですが、深い緑が夏を感じさせてくれます。梅の時期にまた来てみたい。
意賀美梅林 自然・景勝地
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梅林を抜けると、豊臣秀吉が創ったと言われる御茶屋御殿跡があります。今は公園のような広場になっていますが、枚方の街を見渡せる展望台のような高台なので、大阪城と伏見城を行き来した秀吉がここで御茶を楽しんでいたとしても不思議ではない景色が広がっています。
御茶屋御殿跡展望公園 公園・植物園
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坂を降り、京阪の線路を渡り、京街道に戻ります。今の三矢公園は枚方宿の本陣だった場所で、案内の看板が出ています。本陣は、大名や旗本、幕府の役人などが休む場所で、当時の人たちにとっては敷居の高い場所でした。江戸時代の参勤交代の際などは賑わったのでしょうね。
本陣跡 名所・史跡
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三矢公園の十字路を左に進むと、淀川に出ます。芝生の広場が広がっており、犬の散歩を楽しむ人たちや、ボール遊びを楽しむ子連れの家族がたくさんいました。これだけ大きい広場はなかなかないので、お正月は凧上げなども楽しめそう。
淀川河川公園 三矢地区 公園・植物園
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河川公園の脇には淀川の歴史を集めた資料館があります。緊急事態宣言中は閉館していましたが、展示内容も見てみたいですね。
来た道を少し戻り、京街道を更に東に進みます。淀川資料館 美術館・博物館
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左手ににある大きな町屋はくわらんかギャラリー。現在は普通の民家なのですが、雑貨などを販売しているようです。
コロナ禍の影響で現在は中止されていますが、毎月第2日曜日にくらわんか五六市という手作り市が開催されています。くわらんかギャラリー含め、枚方宿全体が200店を超えるお店で賑わいます。くらわんかギャラリー 専門店
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くらわんかギャラリーを更に道なりに進むと、左手に見えてくるのが常夜灯。開国の年と言われる1854年、京阪間の行き来が増え、移動中の安全を祈願して作られたそうです。
ここまで来ると、もう少しで京阪の枚方市駅。だんだん駅前っぽい雰囲気になってきます。常夜灯 名所・史跡
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京街道枚方宿のちょうど中心に当たるのがショッピングビル「ビオルネ」の前にある岡本町公園。枚方駅に近く、カフェやレストランなどが多い場所なので、この辺りで休憩するのもよいかもしれません。
京街道枚方宿 名所・史跡
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岡本町公園を道なりに進むと、旧京街道の宗佐の辻と呼ばれている京街道と磐船街道の分岐点があります。江戸時代製油業を営んでいた角野宗左が住んでいた辻だったことから、宗佐の辻と呼ばれているようです。
宗佐の辻を左に進み、東見附を目指します。宗佐の辻 名所・史跡
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5分ほど進むと、枚方宿の東口に当たる東見附の案内板に辿り着きます。天野川の堤防の手前にあり、当時の雰囲気はあまり残っていません。
枚方宿東見附跡 名所・史跡
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天野川の堤防を右に進むと、左手に天野川に掛けられた天津橋があります。「天野川」という名前が七夕を想像させるのでしょう、天津橋の真ん中には七夕伝説のランドマーク「しあわせのモニュメント」が設置されています。モニュメントの中には「幸せの鐘」があり、カップルで力を合わせて鳴らすと、永遠の愛が育まれるそうです。
天の川 (七夕伝説) 自然・景勝地
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天津橋を戻り、京阪枚方市駅に向かいます。駅前には、T-SITEという枚方市最大級の書店があります。なぜ枚方にこんなにモダンで立派な建物をと不思議に思ったのですが、蔦屋の創業者が枚方市出身なのですね。T-SITEは、書店だけでなく生活提案型商業施設として、スーパーやカフェ、レストラン、雑貨屋さんなどのテナントが入っています。今回は、スタバで一休みしました。
枚方 T-SITE ショッピングモール
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T-SITEの裏手にあるのが岡東中央公園。ちょうど市役所と駅の間に位置しています。遊具もあり、ちょっとしたボール遊びできそうで、子連れ家族が買い物ついでに立ち寄るにはよさそうな場所ですね。
今回の散歩はここで終了です。遠出はできませんが、近場を散歩するのもいいですね。岡東中央公園 公園・植物園
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