2025/04/05 - 2025/04/05
3位(同エリア102件中)
旅猫さん
美作の旅初日の後半は、美咲町にある柵原鉱山資料館と廃線となった片上鉄道線の吉ヶ原駅の跡を見学し、その後、津山市内に戻り、城西地区の街歩きをする。
(2025.05.07 投稿)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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城東地区の散策を終え、津山駅前から、12時15分発のバスに乗り、吉ヶ原へと向かう。バスは、津山城下を流れる吉井川に沿って南下した。
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そして、30分余りで吉ヶ原バス停に着いた。降りると、そこが旧片上鉄道の吉ヶ原駅跡であった。駅には、瀟洒な駅舎が残されている。
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駅舎を抜けてホームに出ると、当時の車両が保存されていた。
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それにしても、吉ヶ原駅は、廃線跡とは思えないほど、往時の姿がそのまま残されている。今にも列車がやって来そうである。
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吉ヶ原駅跡のある場所は、柵原ふれあい鉱山公園となっていて、その一角には、柵原鉱山資料館もあった。立ち寄ってみると、ここにあった柵原鉱山に関する資料が展示されていた。館内には、昭和30年代の柵原の街並みが再現されていた。
柵原ふれあい鉱山公園/柵原鉱山資料館 美術館・博物館
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地下には、坑道での作業を再現した展示もあった。柵原鉱山は、1991年に閉山となり、同時に片上鉄道も廃線となっている。
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吉ヶ原駅から続く線路を辿ってみる。すると、途中に桜並木があった。今も現役であれば、多くの人が訪れたであろう。
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しばらく歩くと、また駅が見えて来た。黄福柵原駅とある。かつての終点であった柵原駅を模して造られたものだそうだ。廃線後に新設されたものにしては、違和感なく風景に溶け込んでいた。
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そして、ここにも車両が保存されていた。屋根もあり、保存状態は悪くないようだ。一部の車両は、綺麗に整備されていた。片上鉄道線は、柵原鉱山から採掘される鉱石の輸送を目的として開業した鉄道であった。
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吉ヶ原駅に戻り、13時56分発のバスで津山駅へ戻る。そして、津山城下の散策を再び始めることにする。まず訪れたのは、城址南麓に立つ郷土資料館である。
津山郷土博物館 美術館・博物館
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館内には、古代からの津山の歴史が紹介されている。中でも興味深かったのは、陶棺と呼ばれるもので、古墳時代後期に横穴式石室に置かれたものだそうだ。出土した半数ほどが美作地域なのだそうだ。よくある石棺と違い、どこか素朴で温かみがある。
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中世の展示では、津山城の復元模型が良かった。多くの櫓や門が所狭しと立ち並ぶ様が良く分かる。
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企画展示では、津山藩のお抱え絵師であった鍬形恵斎に関する資料が展示されていた。目玉は、『江戸一目図屏風』である。俯瞰した江戸の町を描いたもので、主要な施設が上手くまとめられ、とても見応えがあるのであった。彼が、『東海道名所図会』の中の11図を描いていたことも、今回初めて知った。
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郷土資料館を後にし、南側を走る出雲街道を目指す。その途中で、石垣が目に留まった。近寄ってみると、津山城の大手門であった京橋御門のものであった。
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出雲街道に突き当たり、道沿いに西へと向かう。すると、道はアーケード街となり、旧街道とは思えない雰囲気である。
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その商店街の途中に、空き店舗を利用した雛飾りがあった。今年の春旅では、訪れた街々で雛飾りを観た。ここまで多いと、やや食傷気味である。
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出雲街道は、アーケード街の先にあった大型商業施設の中へと入った。旧街道も、ここまで分断されると少々悲しい。そこを抜けると、裏道に風情のある旅館が立っていた。『あけぼの旅館』と言う宿で、乃木希典夫妻が宿泊したこともあるそうだ。明治に建てられたもので、格式のある宿だったそうだ。
あけぼの旅館 宿・ホテル
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出雲街道の北側、津山城の西側に広がる田町は、かつて武家屋敷街であった場所である。その景観は、昭和中期までは色濃く残っていたそうだが、その後建て替えが進み、今は僅かにその痕跡を残すのみとなっている。
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さらに西へと歩くと、『城西浪漫館』と言う洋風建築が立っていた。大正6年に、中島病院本館として竣工したものだそうだ。
城西浪漫館 名所・史跡
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中を見学した後、まだお昼を食べていなかったので、館内にあった喫茶に入り、ホットケーキとリンゴジュースをいただく。ホットケーキを食べるのは久しぶりであったが、素朴で美味しかった。
ソーズカフェ グルメ・レストラン
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そのすぐ近くに、津山城下町歴史館と言う施設があった。津山藩士であった田淵家の武家屋敷を利用したものだが、中は新しく建てられた施設で、だんじりなどが展示されていた。通りに面した長屋門は、綺麗に整備されていたが、江戸時代に建てられたものだそうだ。
津山城下町歴史館 美術館・博物館
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城西浪漫館の西側に立つ本源寺を拝観。この寺は、津山藩主森家の菩提寺であり、境内には、藩主一族の墓もある。墓所は拝観出来なかったが、江戸時代に建てられた門と霊屋が観られた。
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その本源寺の北側には、宗永寺がある。二代藩主森長継の母の菩提寺で、境内には、長継の側室や子供たちの五輪塔が立ち並んでいた。森家は五代で改易され、その後は松平家が明治まで続いたが、今でも津山では、森家の方が親しまれている。
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田町から南へと歩くと、再び出雲街道沿いとなる。この辺りは、城西伝統的建造物群保存地区に指定され、江戸時代から昭和に掛けて建てられた商家が連なる商家町と、多くの寺院からなる寺町とが残っている。旧土居銀行津山支店など、近代的な建物も僅かに見られた。
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伝統的な町屋の格子に、何やら飾りが吊るされていた。可愛らしいものだが、由緒などは分からなかった。
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出雲街道を東へと進むと、重厚な親柱を持つ橋が現れた。城西地区を南北に貫く藺田川に架けられた翁橋であった。この橋は、大正時代に架け変えられたもので、車道部分も含め、全面に煉瓦舗装が施されたとても貴重な橋なのだそうだ。
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翁橋の西詰から、藺田川沿いに南下すると、西側に泰安寺と言う寺があった。その寺は、津山藩主松平家の菩提寺であり、歴代藩主の墓所がある。しかし、墓所の拝観には予約が必要とのことである。ちょうど、墓所の入口が開かれていたので、そこから垣間見ることが出来た。境内には、津山藩医宇田川家が輩出した洋学者三代の墓所もあった。
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泰安寺の南隣に、成道寺がある。その山門は、番士部屋を持つ堅牢な造りのもので、寺の門らしからぬ構えである。それは、この門が、かつての津山藩庁の門の払い下げを受けたものだからだそうだ。
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その墓地には、新興俳句の騎手として知られる西東三鬼の句墓碑がある。刻まれているのは、初期の代表作である「水枕がばりと寒い海がある」であった。西東三鬼は、現代俳句協会を立ち上げた人物で、角川書店の俳句総合誌『俳句』の編集長を務めたこともある。俳句を嗜み始めて二年となるが、その間、『俳句』には、四句掲載していただいた。彼の墓に詣で、日々の中での作句に励むことを誓った。
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成道寺の南側で藺田川を渡る。そこからすぐの場所に、西東三鬼生誕の地があった。句碑が置かれ、「枯蓮の うごく時来て みなうごく」が刻まれていた。
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時計を見ると、17時半近くであった。気付かぬうちに、随分と陽が長くなったものである。この日の宿は、津山駅前にある『ホテルルートイン津山駅前』である。小奇麗なホテルで、設えも悪くない。
津山散策の拠点に最適 by 旅猫さんホテルルートイン津山駅前 宿・ホテル
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窓から外を眺めてみると、手前に吉井川が流れ、その向こうに津山城址が良く見え、なかなかの眺望であった。
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汗を流すと、もう18時半である。店を探すのも面倒なので、敷地内にあった『美蔵』と言う居酒屋に入った。期待はしていなかったが、地酒も八種類ほどあった。とりあえず、地元津山の多胡本家酒造場が醸す『加茂五葉 純米雄町』と枝豆を注文した。
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桜の季節の津山とあって、店は満席のようだ。よく一人で入れたものである。混み合っているので料理が遅れるとのことであったが、何故か料理は追加しても、ほとんど待たずに出てくる。しかし、代わりに、お酒とお冷が出て来ない。
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ただ、ここの料理には、半人前の設定があり、一人旅の者には嬉しい。しかも、値段も半分である。ホッケ焼きの半身を頼んだのだが、肉厚でかなり大きく、脂ものっていてとても美味しかった。合わせたお酒は、やはり津山の難波酒造が醸す『作州武蔵 純米吟醸 極意』である。かの『はなの舞』などを運営しているチムニーの系列店だが、地酒の品揃えは悪く無かった。ただ、端末での注文は、やはり味気ない。
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外へ出ると、津山城址が夜空に浮かんでいる。せっかくなので、夜桜見物でもしようかと、行ってみることにする。すると、入口には屋台が立ち並び、昼間とは全く違う感じである。しかも、かなりの人出のようだ。
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入城口で券を買う。昼間の半券があればそのまま入れたのだが、急に思い立って来たので仕方が無い。三の丸跡にも多くの屋台が立ち並び、かなりの賑わいである。桜は、朝よりも開花が進んだようで、見応えがある。
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二の丸への石段を登っていると、打ち上げ花火の音が聴こえて来た。振り返ると、まさに花火の打ち上げであった。桜の季節に花火を観ることが出来るとは思わなかった。これは嬉しい。しばらく眺めていたが、すぐに終わってしまった。それにしても、カメラのオートモードで花火が撮れるとは思わなかった。
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二の丸跡まで来ると、物凄い人の数である。昼間の数倍はいる。しかも、年齢層がかなり低い。昼間は、地元の中高年者や観光客が多かったが、夜は地元の若者がほとんどのようだ。
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とりあえず、本丸跡まで登り、上から眺めてみる。津山城址は、照明が強くなく、どこか仄かで幻想的な風情がある。
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ぼんぼりの灯りで浮かび上がらせているようにも見え、江戸から昭和初期くらいまでの夜桜見物を再現したかのようである。
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そのぼんぼりも、今は電球の灯りではあるが、色や光の強さでかなり印象が変わるようだ。
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ただ、本丸石垣と備中櫓に強い光が当てられ、そこだけ違和感がある。
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それと比べると、二の丸跡の辺りは、落ち着いた感じで美しい。
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混み合う二の丸跡でも、上の方を眺めれば、桜が綺麗である。
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朧月夜であったことも良かった。『荒城の月』らしからぬ、『桜城の城』と言った光景である。
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入城口を出ると、人で溢れ返っていた。ここまで来ると、もう桜はほとんど無いので、訪れている人たちは、屋台が目的なのだろう。
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宿へ戻り、部屋の窓から眺めると、津山城址が夜空に浮かんでいる。桜の辺りは暖色系の灯りで照らされているのが良く分かる。本丸の灯りは、もう少し弱くても良いのではないだろうか。珍しく夜桜見物を楽しんだが、悪くは無かった。桜の葉が色付く季節も綺麗そうだ。ゆっくり出来なかった場所や、訪れることが出来なかった場所もあるので、いつかまた訪れてみたい街である。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ポテのお散歩さん 2025/05/08 20:09:28
- 夜桜
- 旅猫さん こんばんは。
今回 歩かれた所は、地名も知らない所でした。
吉ヶ原駅から続く線路沿いの桜並木は、鉱山で栄えていた時は
多くの人が楽しまれたでしょうね。
津山の街も、江戸時代の武家屋敷から 大正時代の洋風建築が残り
当時は多くの人の往来があった事がうかがえます。
夜桜を観に行かれたら 若者が多かったそうで、
あまり楽しむ場所が無い彼らにとっては
夜の屋台をひやかすのがせいぜいなのかも知れないですね。
夜桜も美しく、いつかは津山の桜を見てみたいです(*^-^*)
ポテ
- 旅猫さん からの返信 2025/05/09 20:30:26
- RE: 夜桜
- ポテさん、こんばんは。
いつもありがとうございます。
吉ヶ原は、私もまったく知りませんでした。
鉱山跡と廃線跡があると聞き、急に寄ってみることにしたのです。
往時は、とても賑わっていたのが、写真などでわかり興味深かったです。
後半は、津山城下の城西地区を歩きました。
城東のような街並みはありませんが、寺町が広がり、その中に趣のある町屋などがある感じです。
街道沿いなので、今よりは賑やかだったのでしょうね。
夜の津山城址は、八割くらいが若者でした。
地方だと、祭りが一番の楽しみなのでしょう。
昔は、どこでもそうだったのが、今や都会は遊び場ばかり。。。
旅猫
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