2021/02/23 - 2021/02/23
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特急南風の2000系に乗りにやってきた土讃線。
何にも考えずに大歩危に宿泊することにしましたが、せっかくなら大歩危周辺を観光しましょう。
全く計画なしで出発した1日です。めったに来ないところだから、と言うことでいろいろ見て回ろうと頑張りましたが。。。
それで、ここって「秘境」なんですか?
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サンリバー大歩危の朝食です
お味はそれほどよろしくありませんでした。大歩危温泉 サンリバー大歩危 宿・ホテル
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納豆が置いてありました。西日本では東日本ほどポピュラーでないと聞いたことがありますがどうなんでしょうか。。。
それで、「水戸の朝」と言うタイトルの商品でしたが、メーカー名を見ますと、秋田の納豆メーカー、ヤマダフーズになっています。ヤマダフーズは、茨城工場を開設して首都圏市場に乗り込んできました。
秋田の工場でも全然問題はないと思うんですけど、何か茨城に工場を作らないとだめな業界の不問律でもあるんでしょうか。。。
青森県の豆腐メーカー太子食品も、首都圏進出にあたっては日光工場を建設しました。 -
レストランの窓から線路を見かけますと、列車が来ました。
始発の南風です。 -
2000系ディーゼルカーが橋を渡っていきます
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2000系ディーゼルカーが橋を渡っていきます
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2000系ディーゼルカーが橋を渡っていきます
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2000系ディーゼルカーが橋を渡っていきます
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2000系ディーゼルカーが橋を渡ってトンネルに入っていきます。
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コロナ禍ですが、しまんとを併結して結構長いです。
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N2000系もいます
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山に入って行きます
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行っちゃいました
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まだ見てる
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まだ見てる
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エレベーターホールにはこれ
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「鉄橋が見えるムーンライト大歩危」と言う部屋もあるそうです
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簡易リクライニングシートが展示されています、国鉄の奇妙な作品ですね。
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チェックアウトは朝10時と結構早いです。その割に送迎バスは1人だけで、大歩危駅にやってきました。
500円のコインロッカーに荷物を預けて出発します。 -
大歩危駅を見下ろす
大歩危駅 駅
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旅館で配られたチラシで見つけて、クーポンもあったので乗ってみようかと思った遊覧船乗り場までは1.7キロほどあります。
旅館の送迎の人が(たぶん)黙って乗せていってやる、と声をかけてくれましたが、せっかくなので1.5キロ歩きます。 -
吉野川
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地方の山間部の特徴である、コンクリート運搬のミキサー車がやってきました。
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こんな橋懐かしいですね~
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雲
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国道に入りました。
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対岸の線路を2700系が。
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こんな伝承が。
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道の駅には妖怪が。。。
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大型トラックが次々
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これも懐かしい光景ですね~
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こんな伝承もあるそうです
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遊覧船乗り場の古ぼけたコンクリートが見えてきました
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かなり急流の渓谷です
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ですが綺麗な水です
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舟下りのところに着きました
大歩危峡観光遊覧船 乗り物
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ここで、「ゴートゥー秘境三好市トラベルクーポン」を使って遊覧船に乗ります
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なんか古い市民プールとかにありそうな感じのコインロッカー
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いかにも高度成長期の観光施設
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これは大事です
私が船に乗るのは、十和田湖の遊覧船に次いで2件目。。。 -
きちっと確認しておきましょう
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この乗り場に向かうルートもなんか大胆です
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建物の下をこうして進みます
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視界が開けました。
確かに素晴らしい -
ここを下りていくと遊覧船
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さっきの建物
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岩も削られていて、険しい地形がわかります
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こちらが遊覧船
客が一定数集まったら随時出航です -
流れが急です。流石急流・吉野川
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おー
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これだけで見応えあり
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さて、乗船
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出発です
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後ろに乗ったらエンジンの排気ガスが。。。
川を下っている間もアイドリング状態でした。止めればいいのに。。。 -
まずはバックで川に出ます
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エンジンのアイドリング音を聞きながらの川下り
大歩危峡観光遊覧船 乗り物
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水はきれいだし、岩の景色はすごいです
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とにかく水が綺麗で、浅瀬だと川底が見えます
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国道が見えます
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川幅はだいぶ狭いです
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国道の反対側の崖には土讃線が張り付いています
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「大股で歩いても危ない、小股で歩いても危ない」の大歩危小歩危。
幼稚園児か小学生の頃に見た鉄道ビデオを突然思い出しました。 -
ちょっと係員の話を聞きながら乗っているうちに折り返し地点に到着
ここに見えるクレーンで川下の船を川に降ろしているそうです -
帰りはモーターボートとして流れに逆らって一気に戻ります
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下船後、再び周辺を眺めます
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この部分とか台風とかくれば水門のようになりそうですね
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でもそれにしても水がきれい
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「吉野川ってどれくらいダムありましたっけ?」と聞いたら、タバコをふかしながら船頭さんが解説しにやってきて、早明浦ダムが吉野川ですよ、と言われてあーと思い出しましたが、タバコをふかしながら近づいてこられたのは大変困惑しました。
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建物内のポスターです
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ここにもカモシカいるんですね
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大型台風が来るとやっぱりこの辺まで水が来るそうです
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ダム反対運動を記録した書籍が売ってありました。今思えば買ってくるべきでした。。。一応、建前上「環境問題と政治」の研究をやっておりますので、本来は必読書のはずです。。。(最近は「フォルテピアノの演奏解釈」ばかりやってる私ですが。)
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さて、売店に貼ってあった時刻表を見たところ、ちょうど5分後に一旦かずら橋に行くバスが来るそうです。
本当はその予定はなくて、大歩危周辺をさらに散歩した後、各駅停車で新改駅に寄りながら高知に向かう予定でしたが、この地域めったに来ないよなと思い、じゃあ行ってみようかと思いました。 -
バスが来ました
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1番前は閉鎖中なのでこちらに乗りました
路線バス (徳島バス) 乗り物
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大歩危駅をまたぎます
大歩危駅 駅
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ちょうど、2000系ディーゼルカーがやってきました
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お買い物はここでするつもりです。
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四国の山に入ってきます
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それにしても、杉と檜が多いですね
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なんか山一面杉ですよ
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わー、杉。。。。
花粉症があるので、これはやばいところに来てしまったと思うと同時に、高度成長期の拡大造林以前は豊かな山であったと思うと悲しくなりました。そして、これほど一面に杉ばかり植えておりますと、山はいつ崩れてもおかしくない状況です。そして、木の根本には、まともな植物は生えていないでしょう。自然ではなく、ただのプランテーションなんです。 -
わー、これはこれは
四国は熊が絶滅しそうになる位森の状況がやばいと聞いていましたが、納得です。 -
祖谷温泉のホテル
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材木の運び出し場
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何か新しそうなバイパス道路が。。。
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わー、なんか大型ですね。。
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なんですか、この桟橋は
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桟橋を崖に作ってあるのは駐車場ですね
かずら橋夢舞台 グルメ・レストラン
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バスの車両はこちらでした
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バスを降りて確認しましたが、これがどうやら「かずら橋夢舞台」と言うそうです
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バスを降りてちょっと歩くと、かずら橋が見えてきました
秘境、秘境と宣伝しますけど、あんな大きい道路があったら何も秘境じゃないですよね -
これが有名なかずら橋
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こちらが根本の支えの部分ですが、木を巻いていますが、おそらく中にはワイヤーロープがあるものと思われます
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説明
やはり、これも平家の落人伝説と関係があるようです -
基本的には木で作られていますが、やはりワイヤロープの補強がかなり重要なようです
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一応、ロープをかける支えになってる木
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説明
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では、渡ってみましょう
コロナ時代の祝日でしたが、そこそこ人がいました。大抵は地元民なので大丈夫ですが。。。多くの人にとって私こそリスク。かずら橋 名所・史跡
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やはりワイヤーロープですね
祖谷渓 紅葉
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川底がきれいです
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ほんと綺麗なんですが、ちょっと顔を上げると、先程の「夢舞台」のコンクリートの桟橋があります。
とにかく、買ったばかりのiPhoneを落とさないように気をつけるので精一杯でした。祖谷のかずら橋 名所・史跡
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橋を渡ったところには食堂がありましたので、とりあえず、郷土料理のでこまわしを。あんまり美味しくなかった。。。
いこい食堂 グルメ・レストラン
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滝。
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説明。。
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かずら橋での観光時間は25分ほどでした。
それで充分だと言われてたんですが、確かに足りました。で、でこまわしを食べながらバス停まで戻ったんですが、まだ5分あるはずなのにバスがやってくるではないですか慌てて駆け寄ってみると、この停留所で5分止まるそう。。。 -
今度は日野ポンチョに乗客2人。内装は先程の写真の通りです。
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そして、バスを私は途中で降りました。
こちらの「平家屋敷」によるためです。
遊覧船のところで話をしていて、ここが平家の落人の屋敷である、と言う話は聞いていたのですが、どうやら途中の看板によりますと、安徳天皇の御典医がここに落ち延びて暮らしていたと言うのです。
漢方薬関連の活動もしておりますので、これは見にいかねばなりません。新改駅は諦めて、後続の特急に乗ることにしてここで下車です。平家屋敷民俗資料館 美術館・博物館
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門です。
建物自体は、幕末から明治にかけてのもので、800年前のものではありません。 -
解説板
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英語版の解説もありますが、正確かどうか判りません。
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京都で、安徳天皇の御典医をしていた人物が、屋島の戦いに敗れ、この地に逃げ延びたとのことです。
展示内容としては、主に明治から戦前の期間の、この家の人物が地域の有力者として活動した頃の品が中心です。例えば、明治時代の小学校教科書とか、職員を授与されたときの書類とか、軍隊関係のものとか、あと、よく地域の郷土資料館にありそうな古い農機具とか。そんなものが中心でした。
私としては、安徳天皇の医者、と言うことに目が行きますので、医学関係の資料がないものか、と期待するわけですが、それはあまりなくて、生薬を入れるための薬箱があった位でした。生薬としても使われるキノコの展示もあったのですが、残念ながら漢方の概念に照らし合わせた説明ではなく、健康食品的な説明に終始しており、大変残念でした。。 -
トイレはこんな感じでした
館内は撮影お断りだったのですが、誰もいなかったのでプライベート用の写真はちょっと撮りました。。 -
山あいの集落です。
これほど険しければ、屋島の戦いに敗れた平家側の関係者がここまで逃げてきてもおかしくはありません。 -
入り口に戻ってきました。
受付には、地元の方と思われる、高齢の方が2人いました。そこで、ちょっと質問してみました。
屋島の戦いに敗れてここにやってきた安徳天皇の御典医、この地で、山で薬草を採取し、地元の人に医療を提供したそうです。
それで、「この地域ではどんな薬草が取れるのか、何かわかる事はありますか?」と聞きました。そうしましたところ、「薬草はもうありません」と言うことでした。
「という事は、高度成長期の拡大造林政策で山が杉林に転換され、他の植物などが取れなくなった、と言う理解で良いのでしょうか?」と質問しましたところ、そうですとの事でした。
ここに来るまでの道中でも見てきましたが、四国の山の、この拡大造林政策による被害は非常に深刻です。見渡すかぎりの杉林です。
それによって失われたのは、この「秘境」に伝わっていたはずの、平家の落人が持ち込んだ医療文化だったのです。
京都で第一線の医者として活躍していた人物がこんな地方の山奥にやってきて、地元の薬草を採取してどんな医療活動をしていたのか、大変興味深いテーマです。
高齢者の方の口から、薬草は取れない、と明確な答えが返ってきたのが印象的でした。つまり、この地域で薬草が取れて、それが有用であると言うことを、ある程度は知っているものと思われます。
ここの家の方が、800年医者をやってくれていたらかなり詳細な記録が残ってると思うんですが(残念ながらそうではなくて、この建物を建てた方はあくまでも地域の有力者として活動していたようです)、それでも、薬草に関して、その分野の専門ではない人からある程度答えが来ると言う事は、その地域にその文化が残っていた可能性もあるのではないか?と推測します。
例えば、奈良時代に、奈良のほうに行きますと、公家の人たちも、薬狩りの年中行事をやっていました。(これって最初は薬の収集が目的だったんですけど、だんだん目的が変わっていったことがよく知られています。)
この地域でも、そんな行事があったのでしょうか?あるいは、安徳天皇の御典医の知識を受け継いだ人々が、ごく最近までいたのでしょうか?
そんなことが気になりました。
もし、昭和30年頃まで、何かしらそういった薬に関する行事があったりすれば、それは極めて貴重なものです。そして、この地域にどんな薬草があったのかを調べると言う事は、別の意味でも重要なことです。
何故かと申しますと、日本は、奈良時代に漢方薬が伝来して以来、中国との貿易も続けてきましたが、江戸時代までは、相当の種類の生薬を国内で自給していました。それが、明治政府の西洋医学一辺倒の政策で廃れてしまい、戦後になって漢方薬が復興しても、大半が中国からの輸入でまかなわれています。
しかし、中国からの輸入は年々不安定になっています。環境の変化や、需要の増大、また農薬問題や、レアアース等と同様に生薬資源が政治取引の材料に使われるリスクもあります。そんな状況ですので、国内で生薬の栽培を復興するための活動が行われています。ちなみに、この分野で積極的に活動しているのはなんとドイツ・バイエルン州です。
なので、なおさら、高度成長期に失われてしまった可能性がある、この地域の生薬利用の伝統がある、と言う可能性も気になるわけです。
網羅的な調査研究が行われることを期待したいものです。そして、杉林の伐採と、広葉樹林の復興が必要です。
それで、ちょっとググってみますと、徳島県立図書館のページにいくつか研究が掲載されています。
例えば、こちらの論文では、土地利用及び就業形態の変化が大きな影響を及ぼしているとのことです。地域の主要な就労先が建設業と言う実態は、全国各地の山間部で見られるものですが、この状況は絶対に持続可能なものではありません。荒廃しているとの表現がありますがその通りでしょう。
https://library.bunmori.tokushima.jp/digital/webkiyou/53/P195-205.pdf
また、こちらの論文を見ますと、どうやらこの地域で最近まで伝承されていたのは「民間薬」にあたる薬のようです。つまり、安徳天皇の医者が持ち込んだ学術的な漢方は、すでに廃れていて、一般的な民間薬が残っていた、と見るべきものと思われます。
もっとも、この地域に取れる薬草だけで古典医学書通りの漢方薬の処方を行う事は無理ですから、民間薬的なものに変化していくのは当然のことです。
https://library.bunmori.tokushima.jp/digital/webkiyou/53/P087-098.pdf
それにしても、この2つの論文を読んだだけで、高度成長期の日本の農業政策や林業政策が、いかに地方の貴重な資源を破壊していったのかと言うことがわかります。
そしてそれは、ある意味、日本企業も含む世界的な大企業が現在開発途上国と呼ばれる地域で行っていることと同じです。。。 -
さて、ここから大歩危駅まで3.6キロほど歩きます
遊覧船の人は「遠いですよー」と言いましたが、別に荷物がなければ3.6キロ位になったことないです。地方にいると600メートルでも車になっちゃいますからね -
ヤマト運輸の配送センター
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800年の歴史とありますが、建物の歴史は150年位。
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スギ花粉。。。。
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路肩で眠ってる大型トラック
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材木輸送のトラックがありました
この杉林をどんどん切り出して住宅建設なので使ってもらいたいものです。
自由貿易と言うのは本当に両刃の剣です。それがなければ、こういった木も使い道があったし、東南アジアやカナダやロシアから、貴重な森林を伐採して日本に持ってくる必要は無いのです。TPPはやめて、無制限の自由貿易から公正な貿易を目指す社会に変わっていかなければなりません。
こんなこと言うとアレと言う人がいますが、例えば国際法と言う概念も大きく変化が見られます。国際法を厳密に解釈するのなら、例えばポル・ポト派のような勢力が何をやっても外国は「内政不干渉」の原則に基づいて介入できません。これは、現在ウイグル問題でも中国が主張している内容です。
一方、これに変化が見られたのは、ユーゴスラビア内戦でした。NATO軍による空爆、と言う介入の方法の是非はともかくとして、人道的な外国の介入、と言う形で、他国の内戦についても人道面から介入することが、人道的な正義である、と言う意見がだんだんと世界に広まりました。
この、国際法の解釈の変化は日本に身近な所でも起こっています。例えば、韓国の憲法裁判所で出た、徴用工をめぐり「請求権等が認められる」と言う判決はこれなのです。国際法と言うのは、それこそ昔の時代に作られたもので、国家間の関係を定義(この場合は日韓基本条約ですね)しても、個人についてはどうなのかと言う事は無視してきたきらいがあります。それに踏み込み、国際法の新しい見方を提示したのが徴用工裁判でした。
このように国際法に関する概念は少しずつ変わりつつあります。ですので、自由貿易に関しても、何でもかんでも自由貿易をすればそれで良い、と言う時代は終わり、公正なルールが必要である、と言う時代に変わってきているのです。ですから、欧州連合が、バイオ燃料としてパーム由来のものを禁止する、と言う決定を出したことに対し、マレーシアがWTOに申し立てている件が重要なのです。
ここでEUが勝たなければ、無制限の自由貿易と言うものがしばらくまた正義として振りかざされてしまいます。いくら自由貿易といっても、そこにはルールが必要である、と言う判決が出なければいけないのです。仮に、それが、今の自由貿易をめぐるWTOの規則と合わないのであれば、WTOの規則自体を改正する必要があります。 -
今度は道路工事
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大歩危駅
大歩危駅 駅
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駅前の歩危マートで食事です
祖谷汁です。祖谷産の蒟蒻と歩危マート特製油揚げです。 -
祖谷そばも。
美味しいです。 -
道路挟んでこっちが飲食の2号店
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こっちがスーパーの1号店です
買い物に夢中になって写真がないのですが、いろいろおいしそうなものが売ってました。
購入したのは、切り干し大根、刺身こんにゃくに使える祖谷のこんにゃく、特製の特大油揚げ、祖谷地域の番茶と緑茶、かりんとう、即席雑炊、干し芋、などなど。さすがに生のお豆腐は買えなかったのですが。。。
三好市クーポンを利用して支払いましたが総額4000円以上買い物しました。もっと買い物して宅配便で送ってもらおうと思ったんですが、「送料いくらですか」と聞いたらえーとちょっと待ってって言う感じだったので、ゆったりとしているうちに列車の時間が迫っていたので諦めました。。歩危マート 専門店
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買い物袋を持って大歩危駅へ
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歩危マート。
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揚げおへぎ
いわゆるかりんとうですが、これが美味しいんです。(おそばを食べるときに、別のグループがお茶を飲んでいて、私にもくれたんです)
揚げ物お断りの私がどんどん食べるんですからびっくり。 -
刺身蒟蒻にできるこんにゃく
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祖谷名産
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駅の展望スポットに下りてみました
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ホームからこうして下りることができます。
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それにしても、ギリギリのところに線路と集落が。
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急な流れですし
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まもなく列車が来ます
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ホーム
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列車が来るまで2分ほどあったので特急券を購入
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昨日乗ったのと同じ時間の南風です
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乗車券は車内で購入です
事前に分割で買っておけば安くついたのですが。。 -
特急券も事前に分割すればもっと安かったんですが。。。考えてみたら、事前に買っておいて、もし普通列車に乗って使わなかったら変更すればよかっただけでした。
エドモントン券の特急券って珍しいですね。 -
こちらの2000系はトイレ等の更新がされていない車両でした
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今日は後ろ展望です。結構見えます。
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ここは。。。もう少しで。。。
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鉄橋を渡っって
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トンネル抜けて、土佐北川駅のある鉄橋に来ました
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通過です
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土佐北川駅でした。
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座席裏にはコロナ対策の案内書き
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さて、再び後ろに移動して
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新改駅です。
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通過しました
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デッキも解放感があっていいですね
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もうすぐ高知
速い -
ラジオのアンテナ
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まもなく
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到着です
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車内を撮って
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デッキを撮って
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折り返しはしまんとを併結です。
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昨日見れなかった連結作業を見ていきましょう
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反対側には2700系
四国の特急車両はフレキシブルな利用ができて大変良いです。北海道も、261系を増備するのではなくて、こういったフレキシブルな車両を投入するべきでした。 -
しまんと編成が入線
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止まって
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ドア開けて
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連結
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渡り板渡して
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幌繋いで
あとオッケーなので、街に出ます -
駅からホテルに向かうと、早速こんなものを発見
あからさまに過積載っぽい感じがします
ということで、早速高知県警に通報です。土地勘は無いですが、駅の高架下と言う都合の良い場所でしたので、場所も難なく伝えられました。 -
やっぱり積みすぎじゃないですかね。。
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その横断歩道を渡った先が、今日の宿泊のJRクレメントイン高知です。
JRクレメントイン高知 宿・ホテル
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