2020/12/25 - 2020/12/25
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近場を巡る旅「Petit Voyage! 東海道53次ぶらり旅2020」第8弾も、濱松宿(天竜区)にある「二俣」への旅。
天竜川が山間部から遠州平野に出る場所にある二俣は、かつて、天竜木材や繭の取引場所として繁栄しました。しかし、時代の変遷とともに過疎化が進み、昔の賑わいは消えてしまいました。しかし、今でも、繁栄の跡が偲ばれる旅館や蔵、洋館、鉄道駅などが残ります。
二俣Part②は、「二俣のまち」と「天竜浜名湖鉄道・天竜二俣駅」を巡ります。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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-
1<今回のコース>
今回は、②の清龍寺を振り出しに、クローバー通り界隈をぶらぶらしながら、③の天竜浜名湖鉄道「天竜二俣駅」に向かいます。 -
2<二俣諏訪神社>
本田宗一郎ものづくり伝承館のすぐ横にあるのが「二俣諏訪神社」。
明治7年に創始された神社で、8月下旬には諏訪神社の祭典「遠州二俣祭り」が盛大に行われます。12月25日には、門松が立っていました。二俣諏訪神社 寺・神社・教会
-
3<清龍寺(せいりゅうじ) 入り口>
諏訪神社の横にあるのが「清龍寺」。お寺は、山の中腹にあります。清瀧寺 寺・神社・教会
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4<井伊家ゆかりの地>
清龍寺は、徳川家臣であった「井伊家」ゆかりの地です。ここに眠る徳川家康の嫡男「松平岡崎三郎信康」の母「築山殿」は井伊家の血筋で、女城主「井伊直虎」とは親戚関係でした。 -
5<井戸櫓(やぐら)>
寺に向かう坂道にあるのが、「井戸櫓」。元は二俣城にあったものです。
山城であった二俣城は、天竜川沿いに井戸櫓を設けて城内に水をくみ上げていました。それが、廃城の際に清龍寺に移されました。 -
6<清龍寺 山門>
坂道を50メートルほど上がると、歴史を感じる山門がありました。
清瀧寺は、浄土宗知恩院の末寺で山号は「信康山」。 -
7<清龍寺 本堂>
「信康山」の名から分かるとおり、この寺は、信長より謀反の罪をきせられて自害させることになった嫡男「信康」を供養するために、家康が建立したものです。 -
8<葵の御紋>
幻の二代将軍の眠る寺としてはあまりに質素で、葵の紋だけが徳川家とのつながりを示すだけです。家康は、本当は立派な墓や寺を建てたかったのでしょうが「謀反の疑いによる自害」ということで、質素にせざるを得なかったのでしょう。 -
9<鐘楼>
二俣は、「本田宗一郎」ゆかりの地でもあります。
この寺のすぐそばにあった「二俣尋常高等小学校」時代の本田宗一郎少年は、やんちゃ坊主だったそうで、正午を知らせるこの寺の鐘を30分前に突き、早弁をしたという逸話が残っています。 -
10<信康廟入り口>
寺の境内の奥に「信康廟」に向かう階段がありました。 -
11<信康廟>
これが「信康廟」の門です。
信長の口難に遭い、父に命じられ21歳の若さで自刃した信康。どんな思いでこの地に眠っているのでしょう。 -
12<クローバー通り>
ここは、二俣のメインストリート「クローバー通り」。
昭和初期の看板建築が残るレトロな商店街です。シャッターが下り、もう営業していない店舗も多いですが、かつての繁栄を想像しながらののんびり散策するのもいいものです。 -
13<マルカワの蔵 叉水(さすい)>
クローバー通りを一旦北に向かい、そこからふらふらと南下します。
こちらは、横町通りにある「マルカワの蔵 叉水」。もとは酒蔵でしたが、廃業後に懐かしの映画ポスターやレコード盤、生活用品の展示のほか、駄菓子屋も再現され、昭和にタイムスリップできるギャラリーとなりました。(入館無料)マルカワの蔵 お土産屋・直売所・特産品
-
14<謎の店「遊」>
「マルカワの蔵 叉水」の東側にあるのが謎の店「遊」。
フランス国旗と椅子、そして「遊」の文字。当日は閉まっていたので、何の店か分からず、超~気になりました。 -
15<蔵通り>
横町通りから南を見ると、いくつもの土蔵が見えたので、そちらに行ってみることにしました。 -
16<マンホール>
これは、道路にあった浜松市と合併する前の「旧天竜市」のマンホール。
市の鳥「キセキレイ」と、市の花木「ヤマユリ・杉」が描かれています。 -
17<ヤマタケの蔵>
先ほど見えた土蔵の表側に回ってきました。
ここは、大正12年に建てられた旧内山家(屋号がヤマタケ)の蔵です。
邸宅は失われていて3つの蔵が残されています。
毎年、春と秋に広場や蔵を会場に、手作り品や地場産品などが販売されるイベント「蔵シック」が行われ、多くの人で賑わうそうです。 -
18<ヤマタケの蔵>
3棟とも「登録有形文化財」に指定されています。
こちらは、中央にある「新蔵」。木造ですが、外壁はモルタル塗で目地を切って石造風に見せています。当日は閉館していて見られませんでしたが、ケヤキやスギの良材を用いた畳敷きの立派な座敷蔵だそうです。 -
19<美しい洋館>
クローバー通りを南に下ると、東側に蔵と水色の外壁が美しい洋館が見えてきました。博物館のように見えますが、何と現役のお医者さんでした。 -
20<二俣医院>
二俣医院は、1916(大正5)年に建てられた木造2階建て洋館。
基礎は煉瓦積みで、外壁は杉材の鎧張り。柱や梁のデザインがおしゃれ。
診療内容は、内科・放射線科・小外科・小児科でHPもあります!
※http://futamataiin.com/ -
21<天竜ファミリータウン>
二俣医院のすぐ南にあるのが、レトロなスーパー「天竜ファミリータウン」。半地下部分のテナントは撤退したようで営業していませんでした。いくつもの「営業中」の看板が、「まだやってるよ~」と叫んでいるようでした。 -
22(陣屋旅館)
天竜ファミリータウンの筋向かいにあるのが、二俣に現存する唯一の木造3階建て建物「陣屋旅館」さん。
昭和40年代まで営業していました。大規模な建物は、それだけ「二俣」が栄えていた証でしょう。 -
23<脇道>
脇道に入ると、旧街道に見られる造りの町屋が並んでいます。
ノスタルジックな雰囲気を感じます。 -
24<煉瓦造りの蔵>
天竜が林業で栄えていたという時代を感じる蔵通り。
煉瓦造りや石造りの蔵や建物が並び、いい雰囲気です。 -
25<水切瓦(みずきりかわら)のある土蔵>
漆喰塗りの壁に瓦が埋め込められた土蔵がありました。
これは「水切瓦」といい、防水の目的とともに美観を意識したものです。
このお宅は、ずいぶん大店(おおだな)だったのでしょう。 -
26<尾張屋旅館>
また、クローバー通りに戻ります。ここは、現役の旅館「尾張屋」さん。
家族的な旅館で、春は山菜、夏は川魚、秋は山芋きのこ、冬は猪鍋がうまいそうです。コロナ渦で休館中のようでした。経営大変でしょうね・・・。 -
27<米徳商店>
さらに南下すると、「米徳商店」さんがあります。
ぱっと見は石造りですが、オーク樽を連想させる板張りの看板建築です。 -
28<オーシャンウヰスキー>
いくつかの失われた文字から、長い時の流れを感じます。
そういえば、昭和のある時期まで、オーシャンは、サントリー、ニッカと並んで国産ウイスキーの三大ブランドでした・・・。 -
29<料亭かな?>
今は営業していないようですが、店の構えを見ると料亭のようです。
屋根の下の四角い意匠がおもしろい。 -
30<ガソリン計量器>
鎌田屋商店の前にあった昭和初期の「赤いガソリン計量器」。
昭和のまち「二俣」の一つのシンボルとなっていました。 -
31<かどや旅館>
クローバー通りの南の端に近づいてきました。
ピンクの壁と楕円窓が印象的な看板建築、これは「かどや旅館」さん。
かつては、洒落た旅館として賑わったことでしょう。 -
32<ギャラリークローバー>
「かどや旅館」の南側にちょっと怪しい建物がありました。
ここは、昭和レトロギャラリー『ギャラリークローバー』。窓には古い映画のポスターがベタベタと貼られ、細長い店舗の中には昭和時代の人形やグッズがたくさん展示されていました。地域活性化のために有志の方が始められたとのこと。素晴らしい!! -
33<吾妻町稲荷>
ギャラリークローバーのすぐ南に「吾妻町稲荷」があります。
11月には、この稲荷の例祭「酉の市」に合わせて、キツネの面をかぶった新婚夫婦がちょうちんを持った従者とともに商店街を練り歩く「キツネの嫁入り」が行われます。ちょっと見てみたい・・・。 -
34<天竜二俣駅>
クローバー通りの散策を終え、車で「天竜浜名湖鉄道」の「天竜二俣駅」に向かいました。天竜二俣駅 駅
-
35<天竜浜名湖鉄道・天竜二俣駅>
天竜浜名湖鉄道の前身は「国鉄二俣線」。太平洋戦争当時、東海道線が破壊された場合に備えるパイパス線として「掛川」から「新所原」まで浜名湖の北を通る路線として敷設されました。
国鉄民営化後、地域の足として第三セクター「天竜浜名湖鉄道」として生まれ変わりました。ここ「天竜二俣駅」は、全線のほぼ中間に位置する拠点駅です。 -
36<登録有形文化財Ⅰ>
いまでも開業当初の施設が随所に残り、全線で36件もの国の登録有形文化財を見ることができます。二俣駅は、現役で活躍する転車台や扇形車庫、運転指令室、プラットホームなど10件が見られる「鉄道遺産の宝庫」です。 -
37<駅構内>
ここが駅の入り口、地元天竜の木材を使った駅舎。「天竜二俣駅」と書かれた看板がいい雰囲気です。
左側には、焦がしネギ入りの特製中華そばが人気の「ホームラン軒」。休日には行列ができます。 -
38<土産物コーナー>
駅の構内には土産物店があります。そこにあるのは、「天竜区の土産物」と「天浜線グッズ」。
土産物の種類や数を見ると、結構、観光客が来るようです。 -
39<天浜線・線路の石>
その中で目が釘付けとなったのが「線路の石」の缶詰!!
コロナ渦で、全国の地方鉄道の経営はかなり厳しいと聞いていますが、「生き残るためには、どんなことでもする!」という会社の「覚悟」を感じました。 -
40<転車台マドレーヌ>
おいしそうな食べ物「転車台マドレーヌ」がありました。
「転車台」は、天浜線の「ウリ」の一つです。 -
41<鉄印帳&鉄印>
寺社を訪れて「御朱印」をいただく御朱印ブームが起きて久しいですが、その後各地の城の登城記念として「御城印」が生まれ、そして近頃、第三セクターの乗車を記念する「鉄印」が生まれました。ここ、天浜線にも「鉄印」があります。ここの鉄印は、社長自らが書くことで話題となっています。 -
42<名物駅弁>
天竜二俣駅では、土日祝日限定で3種類の駅弁が発売されています。
いずれも、二俣の店が作る地元の新鮮な食材を使った「名物駅弁」で、すぐ売り切れちゃうそうです。この日は、「鰻どんこ弁当」(1200円)が残り3個となっていました。 -
43<転車台&鉄道歴史館見学ツアー>
二俣駅構内では、毎日人気のアトラクションが行われています。
それは、「転車台&鉄道歴史館見学ツアー」。平日は1日1回(午後)、土日祝日は1日2回(午前・午後)、駅員さんの案内で「登録有形文化財」である転車台や扇形車庫、鉄道歴史館が見学できます。(約45分間・大人350 円) -
44<登録有形文化財Ⅱ>
見学できる施設は、いずれも開業当時(昭和15年)のもので、「扇形車庫」や「転車台」、「運転区事務所」は、全国でも残っているところが少なく希少なもの。それが現役で使われているというところに、さらに価値があります。 -
45<上下プラットホーム>
このどこにであるようなプラットホームも「登録有形文化財」。
「駅鉄」や「施設鉄」などの鉄ちゃんは、たまらないでしょう。 -
46<係留列車>
駅の片隅には、地元NPOの手で保存されている往年の気動車や寝台車もあり、「車両鉄」も満足? -
47<列車の到着>
ちょうど列車が到着しました。これは、ポピュラーな「TH2100形」。
緑とオレンジ、水色はそれぞれ「お茶」&「天竜の山」、「みかん」、「天竜川」&「浜名湖」を表していると思います。きっと・・・。 -
48<扇形車庫(おうぎがたしゃこ)>
「扇形車庫」は、蒸気機関車を格納する施設として造られました。建設当時は6線分の格納が可能でしたが、現在は4線分となっています。日本に10箇所ほど残るうちの一つです。天竜二俣駅 転車台 鉄道歴史館 美術館・博物館
-
49<転車台(てんしゃだい)Ⅰ>
「転車台」とは、蒸気機関車のように車両の片側にしか運転席がなく、真っすぐにしか走れない機関車を方向転換させるための装置です。
昔は日本中にありましたが、現在、国内で稼働しているものは僅か30数箇所程度。ここのように、近くで見学できる施設は少ないはず。 -
50<転車台Ⅱ>
「転車台&鉄道歴史館見学ツアー」が素晴らしいのは、実際に列車が転車台に乗り、回転してから扇形車庫に入るのを見られるところ。
天浜線では、気動車を扇形車庫に入れる際の振り分け用に使っています。 -
51<扇形車庫内部>
ここは、扇形車庫の内部。ここまで入れて鉄ちゃんは感涙ものでしょう。
天井は排気等を考慮して高くなっており、小屋組は見事なトラス構造。木造の扇形車庫は、かつて全国に数多くありましたが、現在残っているものは天竜二俣駅のみで 非常に貴重です。 -
52<鉄道歴史館Ⅰ>
扇形車庫の奥に、国鉄二俣線当時の資料を展示した「鉄道歴史資料館」があります。
こちらは、運賃表。遠く東京・神戸までの運賃も書かれています。 -
53<鉄道歴史館Ⅱ>
これは、懐かしの「硬券」売り機。昭和だなぁ。
昔は、駅員が改札口で改札鋏(かいさつばさみ)をカチャカチャ音をさせながら乗車券を切っていたっけ。 -
54<鉄道歴史館Ⅲ>
昔、サザンの桑田圭祐がCM撮影のために天浜線に来たみたい。
ググってみたら、コカコーラのCMのために、三ケ日駅ホームで夕焼けの浜名湖湖畔をバックに「白い恋人達」を歌ったそうです。 -
55<運転区事務所>
整備員さんのつなぎが干されているここも「登録有形文化財」。事務所や休憩所、風呂なども見学できます。 -
56<SL機関車公園>
45分の見学を終えて駅を出ると、そこには旧国鉄二俣線時代に活躍した蒸気機関車が展示されていました。今は、ゆっくりと休んでいます。 -
57<十文字屋>
おなかが減ったので名物を食べに、駅前の「食の駅 十文字屋」へ。
ここには、あるものを食べに鉄道ファンが訪れます。食の駅 十文字屋 グルメ・レストラン
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58<転車台カレー>
その「あるもの」は、転車台をイメージした「転車台カレー」。
「天竜浜名湖鉄道に相応しい商品を作り、天竜二俣に多くの人を呼び込みたい」という店長の思いから、平成27年に「転車台カレー」が誕生しました。
三ヶ日牛も捨てがたいが、ここは「転車台カレー」一択でしょう! -
59<天浜線転車台カレー>
キター!! 転車台に見立てた丸い皿にカレールーを入れ、その中にご飯を列車形に盛り付けたTH2100形が・・・。線路と枕木も再現されています。車両前面部は食用でんぷんシートに印刷された運転台。みごとな再現です。 -
60<列車破壊される>
壊すのは忍びないが、空腹を満たすためには仕方ありません。崩してみると、車両側面のオレンジと黄緑のラインは人参と絹さやで、窓はハムでした。肝心のカレールーは、地元のブランド「三ヶ日牛」や新鮮な食材をじっくり煮込んだもので、とてもおいしかったです。わずか、10分ほどで列車は消滅してしまいました。 -
61<お土産>
最後は、お土産の紹介。これはかつての主力気動車「TH1形」の目覚まし時計。チョロQみたいにプルバックで走ったりもします。
「Petit Voyage! 第8弾「昭和の面影が残るまち『天竜・二俣』」への旅は、以上です。
最後までごらんいただき、ありがとうございました。
緊急事態宣言が出され、ますます遠出どころか、外出さえしにくくなってしまいました。皆様も、コロナにはくれぐれもお気を付けください。
次回は、「天竜二俣」の旅パート3として、残りの4カ所を紹介する旅行記をアップする予定です。よかったら、ごらんください。
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