2019/08/19 - 2019/08/20
5730位(同エリア14932件中)
su3さん
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鳥取を後にし、そのまま家には帰らず奈良を散策。傷病者が出たためもともとあった予定を大幅に変更しての旅行でしたが、それでも楽しく過ごしてしまいました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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今日も朝から砂丘へ。
鳥取砂丘 自然・景勝地
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とりあえず馬の背へ行ってみます。
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やっぱりキツイね、馬の背の坂道。
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太陽が昇っていましたが、曇り空なのでうっすらとしか見えません。
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とはいえ何だか神々しい空の色。
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天気が悪くなってきたので退散しましょうか。
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少し小雨も降ってきたので一度宿に戻ります。
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朝食は宿では取らず、気になっていたすなば珈琲ホープスター店へ。
仮店舗にあるのかなと思ったら、ビジネスホテルに入っている店でした。すなば珈琲 ホープスター店 グルメ・レストラン
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一人だったのでカウンター席に座ります。
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壁の上にはクジラの子らは砂上に歌うのグッズが。
砂丘会館ともコラボしてますしね。 -
和朝食とトーストセットがあるんですね。
うーむ、どちらも魅力的。ホテルに泊まっているらしき方々は和朝食を頼む方が多くいらっしゃいました。 -
コーヒー屋さんのアイスコーヒー。
ほろ苦さに目が覚めます。 -
せっかくだからコーヒーに合うようにモーニングはトーストセットで。
厚切りパンが良い感じでおいしかったです。 -
朝食を終え、宿に帰りながら町を散策。
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駅が近いので高架があり、時折電車を見ることができました。
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宿に着き、車に荷物を詰め込んだらチェックアウトです。
白兎会館 宿・ホテル
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実は昨晩から同行者が体調を崩してしまい、宿に病院や薬局などについて相談していたこともあり、心配されながらのチェックアウト手続きでした。
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いろいろお世話になりました。
二日間ありがとうございました。また来まーす。 -
鳥取から奈良へ向かう途中にトイレ休憩で立ち寄った道の駅宿場町ひらふく。
道の駅 宿場町ひらふく 道の駅
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地元の新鮮野菜が販売されていました。
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敷地には展望台もあるんですね。
今回は時間がないので行きませんが、ちょっと登ってみたかったな。 -
トイレ休憩と昼食のために西宮名塩サービスエリアに立ち寄ります。
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フードコートにあった飛魚だしラーメンの文字が目に入り即座にメニュー決定。
西宮名塩サービスエリア(上り線)フードコート グルメ・レストラン
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飛魚だしがしっかり効いたラーメンは、予約したホテルにできるだけ安全に早く着こうと頑張って運転している体に滲みいりますね。疲れた胃袋を癒してくれました。
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奈良に着き、本日泊まるホテルの方に事情を説明して予定チェックインより前に部屋を使いたいと申し出たところ、今すぐ入れるのでどうぞと言われホテル側のチェックイン時間を大幅に前倒しして即チェックイン。この対応をされたことで、奈良の定宿はこのホテルだなという気持ちになる。
体調不良者を部屋に寝かせ、薬局に薬を買いに行き、その後は暇になってしまいました。どうしましょうかという話をしていたところ、残りの同行者に唐招提寺に行きたいという提案があり体調不良者からも行って来たらといわれたので訪れてみました。落ち着きのある空間 by su3さん唐招提寺 寺・神社・教会
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雨が降りそうだけれど降っていない空と金堂を支えるエンタシスの柱。
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金堂の周りにはハスが入った鉢がずらりと並んでいます。
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金堂の後ろに回るといろんな建物がずらり。
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講堂にも足を運んでみましょうか。
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講堂から見た金堂。
鴟尾の形から、角が生えた建物の様。ちょっと可愛い。 -
鼓楼。
現在は鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため、舎利殿とも呼ばれているんですよね。 -
礼堂を進んでお隣の東室の先にも行ってみましょう。
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開山堂に到着。
約1年半ぶりでございますね。またお邪魔させていただきました。 -
開山堂の裏手から本坊の方に進んでいきましょう。
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あら、神社がありますね。もともとこの土地にいらっしゃった神様でしょうか。
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本坊は中が入れるようです。
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庭にずらりと並ぶ蓮鉢。
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門には唐招提寺で咲いている蓮の種類が書いてありました。
その数、なんと39。一重や八重のものがほとんどですが、稀に半八重というものもありました。 -
もう花が終わってしまったものがほとんどだったので、どんな花が咲いていたかは想像で。
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門を出ると右手側には百日紅の花。
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さらに奥に行ってみると
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お寺の創建時に鑑真和上が掘ったと伝わる醍醐井戸がありました。
古井戸ですが、今もなお八角形の井戸枠と覆屋で丁寧に守られ水が溜められていました。横には藤棚。 -
さてもどうかと踵を返したあたりからポツリポツリと雨の雫が。
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水楢の 柔き嫩葉は み眼にして 花よりもなほや 白う匂はむ
と刻まれた北原白秋歌碑。
北原白秋は晩年に視力をほぼっているのですが、それに関係しているのでしょうかね。 -
御影堂はまだまだ工事中ということで2022年3月までは拝観できないそうです。
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御影堂の入り口。
中では修繕工事が進められていました。 -
新宝蔵の方に向かいましょうか。足元の石が面白いですね。
新宝蔵に到着してみるも残念ながら開館はしていませんでした。 -
新宝蔵から続く石畳を歩いて礼堂や東室の方に戻りましょう。
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宝蔵のあたりに戻ってくる頃にはしっかり雨が降りだしました。
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休憩所をかねた売店でしばし時を過ごした後は、南大門をくぐり唐招提寺を後にします。
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宿で休んでいた同行者が復活し、ラーメンが食べたいというので彩華ラーメンへ。
天理に本店がある奈良の店舗 by su3さん彩華ラーメン 奈良店 グルメ・レストラン
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天理ラーメンは天理市のご当地ラーメン。彩華ラーメンはその天理ラーメンの元祖と言われている店です。奈良市内にもチェーン店がるこちらの店舗では、天理ラーメンを彩華ラーメンという名前で提供していました。
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白菜とにんにくがたっぷり入っている彩華ラーメン。細めの縮れ面に絡むスープは醤油ベースで、ピリ辛な少し塩気が強いかなと思う味でした。
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店を出て自販機を見たら奈良サッカーチームの奈良クラブとのコラボ自販機でした。
やっぱり鹿のデザインなのね。 -
次の日は昨日とは打って変わって晴れた空。
朝食時にそういえば行ったことがないなという同行者の一言で、平城京跡へ行き先が決まりました。ところどころの気配りが嬉しい宿 by su3さんホテル リガーレ春日野 宿・ホテル
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前回はバスでこの場所にやってきましたhttps://4travel.jp/travelogue/11500942が、今回は駐車場に車を置いてからの移動です。
第一次大極殿へ向かいます。とても広いです by su3さん国営平城宮跡歴史公園 公園・植物園
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途中で見えた建物。
あの中では何を復原しているんでしょうね。 -
道に沿ってしばらく歩くと、第一次大極殿院に到着。
第一次大極殿院は、大極殿を含む南北約320m、東西約180mの区間で、古代の宮都における中心施設で天皇の即位や外国使節との謁見など国家の重要な儀式が行われた場所です。大極殿を取り囲む築地回廊、南門、東西楼はまだまだは復原整備中で、先ほど見えた建物は第一次大極殿院の南門の囲いだったようです。 -
奥に正面約44m、側面約20m、地面より高さ約27m。直径70cmの朱色の柱44本、二段構造の入母屋造の屋根に瓦約9万7000枚を使った第一次大極殿が見えますね。鮮やかな朱色が映えています。
恭仁京に遷都された際に移築されて、平安京に遷都の折は恭仁京跡で山城国分寺の金堂として用いられたのと、当時の設計図や参考になるような絵画などが残っていないため、発掘調査で判明している基壇や恭仁宮の大極殿の跡に残る礎石の状態などから大極殿の大きさや形を推定し、わずかに残る文献や法隆寺金堂、薬師寺東塔など、同時代の寺院建築も参考にして復原されてたそうです。二つある大極殿の一つ by su3さん第一次大極殿 名所・史跡
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中に入ってみましょうか。
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お久しぶりの第一次大極殿。今回はボランティアガイドの方がいろいろ教えてくださいました。
第一次大極殿は、平城遷都が行われた710年3月には、どうやら未完成だったらしく、715年の元日朝賀(年始の挨拶)の少し前に完成したとみられています。 -
万物の根源、天空の中心を意味する「太極」(=北極星)に名前が由来する大極殿は、中国の道教では天皇大帝の居所を表します。こちらの大極殿も意味は同じようです。
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第一次大極殿の屋根の上に乗っている鴟尾。
遠くから見ると分からないんですが、近くで見るとやっぱり大きいです。鴟尾は金属で作られていて溶かされて再利用されたので残っていないらしく、こちらの鴟尾は京都市上ノ庄田瓦窯跡から出土した双頭かつ双尾の鴟尾片を参考にして作られたそうです。鯱と違って鴟尾には頭はありませんが、屋根に接する方を頭部、上に伸びた方を尾部と呼ぶんだとか。 -
第一次大極殿の小壁は36面あり、白虎、青竜、玄武、朱雀の四神を各1対、十二支は南北に6体ずつ、他の面には飛雲を配しています。四神と十二支を描いたのは、日本画作家の上村淳之。古墳から出てきたような絵は描けないですよという承諾の下で制作を引き受けたんだそうです。
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中央には高御座外観模型。
大極殿院は、天皇の即位や元日朝賀などの国家儀式、あるいは外国使節の歓迎の儀式がおこなわれた国家機構を支える最も重要な儀式を行う場所だったので、天皇が儀式の際に着座された御高座のイメージ模型があります。現代でも天皇陛下が即位する時にはこれに似た高座が使用されますよね。高御座が八角形なのは、道教をふくめ、古代中国の思想において八が聖なる数と考えられていたことからきていると言われています。 -
四神に囲まれる御高座。
こちら側の指針は朱雀と青龍。 -
御高座の横には八咫烏付き太陽。
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反対側の御高座の横にはカエルとウサギ付きの月。
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白虎と玄武もいますね。
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せっかくなので復元事業情報館にも寄ってみましょうか。
第一次大極殿院建造物復原整備工事について知ることができます by su3さん平城宮跡復原事業情報館 美術館・博物館
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ちょうど開館直前だったので、軒下で涼みつつ開館を待ちます。館内に入って一言目は「ふー、涼しい。生き返る」でした。
第一次大極殿院建造物復原整備工事についての取組みや整備意義、目的などが実物展示やCGなどを交えて分かり易く解説してくれていたのでとても楽しめました。版築などの展示は大変さがよくわかりました。 -
復元事業情報館を出てからは第一次大極殿を横切り遺構展示館へ。
建物などの痕跡の残る遺構は、通常、発掘調査された後に再び盛土され、風雨などから保護されますが、遺構の一部を建物で覆うことにより保護と露出展示を実現した平城宮跡内で唯一、遺構を常時見ることのできる施設です。 -
こちらは内裏の建築模型。
南側に正殿、その北側には日常生活をおくるための建物があったようです。 -
内裏の建物は大きく3時期の変遷をたどっているそうで、こちらの建築模型は中期のもので、大極殿や朝堂が中国風の建物だったのに対し、檜皮吹の掘立柱建物という日本古来の様式だそうです。後期になると、内裏正殿の区画が縮小し、日常生活の区画の方が拡張していきます。
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平城宮中核施設の模型の先には奥には内裏出土の直径1.7メートルものスギの大木をくりぬいた井戸枠の実物と第二次大極殿の基壇土層の南北断面が剥ぎ取られたものが展示されていました。
ちなみに現在の平城宮跡にみられる第一次大極殿は元明天皇が建てた大極殿、第二次大極殿は聖武天皇が建てた大極殿です。現在の第二次大極殿跡には、イヌツゲの木を円柱形に刈り込んで柱の位置を表しています。 -
第二次大極殿の瓦屋根を出土した瓦なども利用して復原したもの。濃い部分は当時の瓦、白いところは復元した瓦だそうです。良い顔をした瓦がいますね。
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1964年に発掘調査された掘立柱建物の遺構の露出展示。
説明板には色分けされた図で、同じ場所に複数の建物が建て替えられた痕跡がどれかを示していました。 -
確かに柱穴の重なり方を観察することで、それらの掘られた順番がわかりますね。遷都後1000年以上水田となっていたために、地下には奈良時代の建物跡などがこのように比較的良好な状態で残っているんだそうです。
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遺構をぐるりと一回り。
730年頃の天平期の初めから770年頃の宝亀期のはじめ頃までの40年ほどの間に、同じ場所に複数の建物が建て替えられたという痕跡を示しているそうです。 -
北棟を出ると後殿跡がありました。
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中棟に入ると塼積官衙遺構模型が設置されていました。
奈良時代には塼というレンガがありました。無数の塼によって形成された基壇や通路を持つ建物がこの場所に存在していたことが判明しており、その区画は塼積官衙と呼ばれています。 -
北棟から中央棟に行くと塼積基壇建物の復元模型がありました。
建物の前に目隠しが設けられていますね。塼積官衙は広大な敷地を持つ平城宮にあってもきわめて特異であること、天皇の住まいである内裏やそれに付設する(推定)宮内省と隣接する特別な場所に位置していることなどから、塼積官衙には太政官と呼ばれる当時の最高国家機関が置かれていたのではないかともされています。 -
塼積官衙の付近から出土した井戸枠がありました。こちらは丸型のもの。ヒノキ製のようです。上部はボロボロですが、下部は埋まっていたため結構しっかり残っています。
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同じく塼積官衙付近から出土した正方形の井戸枠も並べて展示されていました。
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発掘された瓦や土器、役人が主に仕事で利用した木簡、奈良時代のレンガである塼などが多数展示されていました。円形の初めて見る形の出土品などは硯という説明書きがないと分からなかったな。
写真の左端にほんの少しだけ写っていますが、近隣にあった官立の酒造所である造酒司跡から発掘された排水用の木樋も展示されていました。水をたくさん使う酒造所は排水を流すための排水溝がいりますもんね。 -
中棟と南棟のあいだには平城宮跡北西部の佐紀池周辺から発見された奈良時代のものと思われる礎石。柱を立てるために使われた柱座として加工された礎石もあります。
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平城京跡では露出展示、模型展示、模式展示、復原展示など色々な手法で展示を行っています。
露出展示している遺構以外は、傷つけないように土盛による保護を行っているそうです。 -
衣桁露出展示がある南棟にやってきました。
奥にあるのは塼。左側には公事、右側には私事とそれぞれ刻まれていました。これは役人が位置する場所を指し示したものであるといわれています。案内板みたいなものですね。 -
奈良時代のレンガである塼を積んだ基壇などが見られる、塼積基壇建物跡の基壇北辺部の遺構。表面に緑色の苔が生えていますが、溝の側面や敷石に塼が使用されているのが見えます。
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所々に水がたまっていますが、どうしても土壌から水が染み出てきてしまうそうで、それによるカビや苔などの対策も大変なのだとか。遺跡や歴史的建造物を構成する土や石などは、多孔質体と呼ばれ多くの場合内部に水を含み、遺跡の劣化に大きく関わっているので苦労も多いことでしょうね。
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屋外では、遺構に盛土をした上に塼積基壇と柱の一部を復原していました。
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遺構展示館を出たら、お次はお隣にあった推定宮内省に向かいます。
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瓦葺で朱色の門をくぐりましょう。門に繋がる築地塀は版築でできているため横線が見えますね。
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土壁と柵に囲まれた敷地に入ると、いくつかの復原棟と基礎が見えました。発掘調査の結果、奈良時代の間にも何度も建て替えられている事が判明しているそうで、こちらは奈良時代後半の宮内省の姿を再現したものとなっているとか。
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推定宮内省は現在の宮内庁と同様、天皇家の身の回りに関わる業務を行う役所だと考えられています。檜皮葺の建築は複数棟が復原されており、内部の土間にはかつての役人の執務で用いられたと推定されている椅子や正倉院宝物である多足机を復原したもの、木簡を置いた棚厨子なども再現され、当時時の様子が分かりやすくなっていました。ちなみに木簡を使う役人は刀で木簡を削って訂正などをしていたため、刀筆の吏ともよはれていたんだそうです。
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日差しが強いので中に入って一休み。日陰に入るだけで暑さが和らぎます。
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一息つけたので正殿の敷地を歩いてみました。
最も大きな建築であった瓦葺の正殿については復元されておらず、礎石のみが置かれている状況となっています。とはいえ、基礎の大きさからするとかなり大きい柱が立っていたということがと分かりますね。きっと立派な建物が立っていたことでしょう。 -
再度、朱色の門をくぐって外に出ます。
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門を出たところにある広場。
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広場には平城京と羅生門がある辺りまでの地図が描かれていました。朱雀大路を挟んで東西南北に幾筋もの大通りがあり、条坊制がなされていたのがよくわかります。こう見ると大きな都だったことが分かりますね。
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ここで一旦、駐車場に戻って車に乗り込み、次の場所に移動します。
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東院庭園近くの駐車場に車を目的地まで停め歩きます。
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建部門は門が閉まっていますね。
かつて皇太子の宮殿などもあった東院エリアの正門として機能していた正門で構造と部材寸法などは法隆寺東大門にならって復原されたそうです。 -
日本庭園の原型とされる東院庭園に到着。
入口から入ります。日本庭園の原型 by su3さん東院庭園 公園・植物園
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こちらの建物も復原建物ですが、本来は庭園とは関係ない建物なんだとか。エントランスおよび管理施設として構造体を古代建築として復原しつつ、内部では鉄骨やガラスなどの新建材を多用し、復原部分と現代的昨日空間が一見して区別できるようにしてありました。
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どちらから入ろうかな。
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横を見ると開け放した門が見えますね。
この門は何のためにあったんだろう。 -
かつて平城宮は正方形と考えられていましたが、1967年に平城宮東張出し部の南東隅に大きな庭園の遺跡が発見されました。発掘調査を継続した結果、東院庭園は東西80m×南北100mの敷地の中央に複雑な形の汀線をもつ洲浜敷の池を設け、その周囲にはいくつもの建物を配していたことがほぼあきらかになりました。庭園地形の整備でも地下に残っている遺構を傷つけないように、土盛による保護を行っているそうです。
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東院庭園には様々な植物が植えられています。池の堆積土から採取した植物遺体を分析した結果、奈良時代後半の東院庭園には主にアカマツ、ヒノキ、ウメ、モモ、センダン、アラカシ、ヤナギ、サクラ、ツバキ、ツツジなどの樹木が植えられていたことが分かりました。成果を中心に、万葉集や懐風藻などにみられる庭園植裁の記録も参考にして樹種を選んだそうです。
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称徳天皇はこの地に東院玉殿を建て、宴会や儀式を催しました。最近では、光仁天皇の楊梅宮はもとより、聖武天皇の南苑もこの場所を中心として営まれていたとする説もあるそうです。
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東西棟建物内ののベンチで一休みしましょうか。
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横に見えた景色は中々に良いです。
反橋を渡って東屋の方に向かいましょうか。 -
この反橋は南北橋です。歩くと意外と反りを感じる橋は、平橋とほぼ同じ桁行総長ですが、平橋が4分割したのに対して5分割とし、柱間隔を狭くし、さらに中央3間の方が両端2間より広いことから、橋の曲折にあわせて柱を立てたと考えられたため反橋として復原したそうです。
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橋からは池の西岸中央にある東院庭園の正殿で、宴会や儀式の際に中心となったと考えられている中央建物と東岸に繋がる平橋がよく見えますね。
中央建物の間取りは、法隆寺伝法堂前身建物とよく似ていることから、原則として部材寸法や構造形式は、これにしたがって復原しています。さらに、南東の柱であったことから、平等院鳳凰堂などの面取り部材を用いた古代の現存建物を参照し、部材のほとんどに面取を施しているそうです。だから建物下の柱が八角形ぽかったのか。 -
反橋を振り返れば先ほどベンチで休んだ北東建物がみえます。池の北に建つ「亭」のような施設と考え、東西の妻面のみが壁で南北は吹き放しの形で復原したそうです。
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金色の鳳凰を頂いた東屋は平等院鳳凰堂味がありますね。
こちらにもベンチがあり、登れないようなっていますが、2階への梯子もかけられていました。 -
東院庭園の池は前期と後期の2時期に分けることができ、前期の池は汀沿いの池底に大きな玉石を帯状に敷きつめていましたが、後期の池では池底から岸にかけて前面に小礫を敷き詰めた浅い池となっていたそうです。池の形も前期の単純な逆L字形から、後期にはいくつもの入り江や出島をもつものに作り直されており、池の北岸には築山石組が新たにつくられました。奈良時代中頃の池のつくり替えにともない、建物も何度か建て替えられました。奈良時代を通じて少なくとも6回、大がかりに建物の建て替えや配置換えを行ったそうです。
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東院庭園をでて駐車場まで歩きます。
版築でできた壁…これだけ作るのにどのくらいの時間がかかっているんでしょう。 -
お次は平城宮跡資料館へ。
入口すぐのインフォメーションルームでは、クイズに答えるとプレゼントがもらえる企画が開催されていたので、記入用紙を貰ってから展示室に入りました。平城宮跡資料館 美術館・博物館
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ガイダンスコーナーでは、現在の遺構展示館のそばにあった排水路での様子が時代毎のジオラマがずらり。平城宮跡を解体した。時代の人々から、長い年月を経て、現代人が同じ場所で作業している様子をこうした形で見るのは面白いですね。発掘に使っている道具なども展示してあり、地道な作業で発掘は行われているんだなとも実感しました。
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官衙復原展示コーナーに入ると第一次大極殿のジオラマ。
この模型は1996年の研究成果をもとにしたもので、南門・東西楼の屋根の形など、現在の研究成果とは異なるそうです。 -
平城宮大内裏跡坪割之図。
平城宮跡研究の先駆者である藤堂藩士の北浦定政は、古記録との照合、精査な踏査を行い、地名と畦畔から平城宮を含めた京域の復原図を作成しました。これが平城宮大内裏跡坪割図で、のちに棚田嘉十郎が作製した平城京大内裏敷地図は、これを一般向けに書き改めたものになります。
図上には、黒地や黒線は北浦が踏査した当時の状況を示し、赤字や赤線は平城京の範囲や地割や道路の名前などが復原明記されていました。 -
推定宮内省でみた机と椅子。
調度品などは出土品や正倉院宝物などをもとに復原しているそうです。 -
役所で使っていた道具たち。
机上の算木が木くずに見えてしまって、どこに算木があるのだろうとちょっと探してしまいました。 -
平城京で働く人々と使っていた道具たち。
兵士、役人、女官etc…たくさんの方々がこの地にいたんですよね。役人に階級は30段階に分けられていて服装を見ればどの階級かわかるようになっていたそうです。奥にある盾は隼人の盾。隼人は南九州の人々で、宮門の警備についていました。儀式の際はこの盾と槍を持って門前に整列し、独特の発声法で邪気を払ったとされています。 -
お次は宮殿復原展示コーナー。
平城宮で暮らした奈良時代のセレブの暮らしぶりが分かるコーナーです。板張りの床に絨毯を敷き、屏風や衝立や几帳などで部屋を区切って生活していたようですね。こちらにある調度品は正倉院宝物中で天皇家に関係すると思われるものを復原して展示しているそうです。 -
寝室には御床というベッドが使われていました。正倉院には聖武天皇が使われた御床がありますね。この御床の上に畳を敷いてその上に敷布団と掛け布団を敷いていたそうです。
奥の屏風は正倉院にある屏風3帖を復原したものだそうです。手前には櫛、簪、鏡などの生活用品もありました。 -
手前は居間で、奥には書斎。
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居間に置いてあるものは琴や囲碁盤や盤双六など。現在でも見ることができるものもありますね。ただし双六はバックギャモンが起源と言われており、丁度この頃日本にも入ってきたばかりだったはずなので、現代の双六の感じとはちょっと違います。
奥には正倉院にある鳥毛立女屏風のレプリカ。創られた当時はヤマドリの羽を貼っていたと言われています。 -
羊の硯や贄の木簡や琴柱なども展示されていました。ちなみに琴柱は想像に難くはないのですが、庶民の家からは出土しないそうです。
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食卓では檜方木という小型の机に漆の椀に入れられた食事が並べられています。皇族や貴族といった身分の高い人たちは金属や漆の椀を使用していたそうです。こちらも漆の椀を使っていますし身分の高い方々の食事でしょうが、食事の内容もかなり豪華ですね。この頃の庶民は土師器や須恵器などの土器を使用し、米と塩と一品程度の食事をしていました。
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遺物展示コーナー。
大陸からの影響を多大に受けていた奈良時代。青磁や白磁、土器といったもの黄・青・緑の釉薬を使った唐三彩などに影響を受け、奈良三彩という素焼きの壺の表面に白土を化粧塗りしたのち、2種類の釉をかけて焼くことで、緑や黄色がまだらに発色する技法なども開発されました。唐の工人の直接的な技術指導はなく、お手本にする唐三彩と、必要な知識だけを大陸から持ち帰り、日本の職人達が独自に開発したようです。こちらはそれらの出土品。 -
こちらはまじないの道具がずらり。人形、鳥形、馬形などのさまざまな形代、人面墨書土器、疫病退散を祈る呪符木簡、土製の土馬などと、奈良時代後半の遺構から見つかった宮殿建設時に埋められた地鎮具とみられる皿と貨幣の束も展示されていました。
ちなみに奈良時代後半には、汚染された食器をまとめて処分したとみられる痕跡や、感染防止のため、それまでの大皿食器ではなく小型食器を使う風習が定着した可能性が示唆される出土品などもあるといいます。疫病に関してはまじないで穢れを祓うだけでの解決でなく、その他でもいろいろ頑張っていたんでしょうね。
まじないとはちょっと違いますが、奈良時代の人々が食べていたであろうハシバミ、モモ、クルミ、ウリ、ヒョウタン、ヤマモモといった植物の種も展示してありました。その横には便。周りに散らばっている木の棒は籌木と呼ばれる、当時のトイレットペーパーと一緒に展示してありました。お隣の種はここから出てきたと…有り得るな。 -
食器、箸、貯蔵用の容器、窯などの食膳具がありました。平城宮内では約7000人の役人が働いており、彼らの食事を用意する役所もあったそうです。社員食堂のようなものですね。
サラッとお金も置いてありましたが、この時代の役所のごはんはどういう形で提供されていたんでしょうか。まだそれほど貨幣経済が発展している時代ではないので気になるところです。
お隣には奈良時代の人々が遊びに使われていた、こま、さいころ、操り人形や木トンボなどの玩具が展示されていました。木トンボなどは竹トンボの原型なんでしょうが、意外と古い歴史がある玩具なんですね。 -
こちらは建築時に使用した道具や部材。
ちなみに建材などは再利用されて別の場所に使われるなどされていました。そういえば塼も再利用したものを塼積官衙に使っていたという話がありますね。 -
研究室コーナーでは、木簡の研究室、木器・金属器の研究室、土器の研究室、瓦の研究室の紹介をしていました。木簡の研究室の展示では、こんなことまで書いてあるという木簡もいくつか見ることができて笑ってしまいました。奈良の人たちは現代の人たちとそれほど変わらないかもね。あと、気の靴がかなり大きくて履いて歩くのが大変だっただろうなと思いました。
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それぞれの研究室ごとに調査研究成果や新たな知見を公開する黒板があったりするのですが、それがなかなか面白かったです。研究所に関するトピックス欄もあってこういう展示発表もいいなと思いました。
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模型展示コーナーと考古科学コーナー。
考古科学コーナーでは年輪による年代測定方法や光を利用した分析などが実験装置や実物と共にわかりやく展示されていました。 -
高御座の10分の1模型。2010年の平城宮第一次大極殿の復原に先立って制作されたものだそうです。模型コーナーには平城宮東区の東朝集堂を移築した、唐招提寺講堂が朝集堂、創建期の講堂、鎌倉時代の改修後の講堂といった変遷をたどりつつそれら3つを10分の1模型にしてありました。
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企画展示室に足を運んでみましょう。
こちらでは毎回面白い企画展示がなされていて、なんと無料で冊子ももらえてしまうのです。この冊子の馴染みやすさと意外とクオリテ―が高いので、もらえるとついつい読み込んでしまったりするんですよね。 -
今回の企画展示は「ならのみやこのしょくぶつえん-土の中の花鳥風月-」
出土したタネや花粉、遺跡から出土する木簡、土器や瓦などの考古遺物、そして万葉集などを手掛かりに、平城宮・京にどういった植物が生育していたのか、奈良の都の人々がどういった生活をしていたのかを紹介していく企画です。 -
平城京には、植物園のような場所がいくつかありました。
1つ目は平城宮やそのまわりにあった苑と呼ばれた庭。いろいろな植物が植えられ、一部は畑や薬草園としても使われていたそうです。徊池司という役所が、管理の一部をしていたと考えられています。
2つ目は大貴族の屋敷ある庭。薗という菜園も各地にもっていて、そこからいろんな作物が運ばれていたそうです。
3つ目は寺の花畑。寺では仏へのお供え物やさまざまな儀式などにたくさんの花が必要でした。このため花苑とよばれる花畑があり、そこでたくさんの草花が育てられていたそうです。 -
さて順に見ていきましょうか。
まず最初にあった植物は松。松は冬でも青々とした 葉をつけています。そのため、天から神様が下りてくる木と考えられ、目出度い木とされていました。手前の真っ黒な松ぼっくりの横にある木簡には、平城宮の北にあった広大な松林苑の草刈りを17人でおこなったことが書かれています。
その奥にあるのは仏教と深いつながりがある蓮華。奈良時代には蓮の花は池だけでなく、寺や宮殿、役所、貴族の屋敷など、大きな建物の屋根の軒先にも、丸い瓦の花模様として咲いていました。蓮の花は土器に描かれたりもしたようです。 -
蓮華があるということは蓮の葉もありますよね。
夏の宴会などでは蓮の葉を皿のかわりにして盛り付けることが多かったみたいです。5月は青い柏の葉、夏はハスの葉、その他の季節には干した柏などが使われたとか。皿としてだけでなく、蓮の葉のちまきのように料理に使もわれています。蓮の実ご飯などもあって蓮はかなり活用されていたようです。 -
お次は瓜に葡萄に紅花。
瓜は暑い中、皇后宮を守る兵士の喉を潤すために食べられていたという木簡の記述もあります。水分量が多い瓜は大切な夏の食べ物だったんでしょうね。
葡萄は海獣葡萄鏡などのような鏡にも見られる植物です。遺跡からもヤマブドウやノブドウなどの小ぶりな実の種が出てくるそうで、食べるよりも、布をそめる染料として使われることが多かったとか。
紅花は布を染める染料として活用されていました。山形で見た紅花畑のようにこの時代でもたくさん栽培されていたんでしょうね。 -
平城京の発掘調査では見つかっていませんが柳、槐、萩などもあったようです。
柳は大伴家持がよんだ歌から、平城京の大路に植えられていたと考えられています。鳥取県の古代の道路の遺跡からは、街路樹のヤナギがそのままみつかっているそうです。
槐も柳と同じ様に街路樹として植えられていたと考えられています。街路樹として植えられていた槐の花は、都の各地から薬の材料として届けられていたそうです。
萩は万葉集で多くよまれている花なので、奈良時代には身近な植物だったと考えられていますが、花粉などはみつかってないとか。 -
平城宮で役所が集まっていた地区のひとつである東方官衛地区から、大きなごみ捨て穴が見つかり、ここで見つかった植物のタネや花粉から、このゴミ捨て穴が埋まった当時の日当たりがよくて乾燥した環境であったことがわかったそうです。
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菜園で育てられていた植物。
園池司から食用の植物が運ばれたことがわかる木簡には青菜を中心とした7種類の植物が記されています。7種の植物は、蕪の葉、フユアオイの葉、大根の葉、冬瓜、蓼、オホツチ、ギシギシ。オホツチはいまのニガナかノゲシのようなものだそとか。ギシギシは根が緩下剤や皮膚病の薬になるほか、葉を開く前の若芽は食用になるそうでオカジュンサイとも呼ばれています。 -
先ほど訪れた東院庭園。
東院庭園は、奈良時代に楊梅宮とよばれていたことからヤマモモ(楊梅)を植えているそうです。 -
こちらは花や鳥が描かれた出土品が展示されており、出土したものの中には鳥は何羽いる?というクイズがなされていました。一生懸命、数えましたとも。
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部屋の中央には柳、梅、ヤマモモ、ツツジ、紅葉、葡萄などが展示されていてその周りにあるベンチから眺めることができるようになっていました。
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こちらで初めにインフォメーションルームで渡された用紙に回答を記入して、係の方に渡すと缶バッチがもらえました。欲しかった絵柄で満足。
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思っていた以上に展示内容が良くて楽しめました。
平城宮跡資料館を出た頃はお腹ペコペコ。 -
平城京を後にした頃は、お昼ごはんの時間を大きく過ぎていました。
まだランチをやっていて高速道路に近いお店…ということでカフェエンメへ。もちもちパスタ by su3さんカフェ・エンメ グルメ・レストラン
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サラダの中には生のカボチャ。
生カボチャはとてもおいしいんですよね。 -
前回訪れた時にとりこになったもちもち生パスタ麺。
お腹が空きまくっていたのとラージサイズも同じ値段ということでたくさんいただきました。やっぱり麺がとてもおいしい。 -
デザートのバニラアイス。
ひんやりアイスが嬉しい。 -
お腹も満たされたので帰りましょうかと車を走らせていた大和高原名阪国道から見えた道の駅針テラスへ寄ってみます。
大きな道の駅 by su3さん道の駅 奈良市針テラス情報館(針T R S内) 道の駅
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「ようこそ」というより「またおこしください」な我々でも歓迎していただけますかね。
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中に入るとお土産がずらり。
奈良の特産物や地元の野菜や果物などもあって思わずいろいろ買ってしまいますね。 -
高速道路を下りて直ぐのところにあるのもあって、そこそこ人がいますが、かなり大きい施設だからかがらんとした店舗もいくつか。はり温泉ランドという天然温泉のあるカプセルホテルもありました。
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何だかおしゃれなカフェがあるぞ。
KUSHITANI CAFE 針テラスというオートバイウェアのクシタニが展開するカフェでした。オートバイウェア経営のお洒落カフェ by su3さんクシタニカフェ 針テラス グルメ・レストラン
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針テラスを出て高速道路で移動中、そういえば御在所サービスエリアにはアレがあると話題になり、トイレ休憩もかねて立ち寄ることにしました。
EXPASA御在所 道の駅
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お目当てはできたて赤福!
赤福茶屋 EXPASA御在所店 グルメ・レストラン
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天理での昼食が遅かったため、赤福氷の気分にはならず赤福盆を注文。
程よい甘さのあんこと柔らかな餅がたまりません。
赤福餅で一服した後は、途中で激しい雷雨もありましたがのんびり車を走らせて帰路に着きました。
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