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浦賀の街を西浦賀から歩きました。<br />浦賀コミュニティーセンター別館で基礎知識を得て、そこで頂いた地図とスマホのグーグルマップを頼りに初めての街をシニア夫婦2人で歩きました。<br />拙い自分たちの歴史の知識とつながることが多かったり、先ほど知ったばかりの歴史的事実が確認できたり、ココならではの鏝絵のすばらしさに感心したり。。。<br />西浦賀の街を廻り終えた私達は、渡し船で東浦賀に渡りました。<br />東浦賀を散策開始!

県内旅行で北鎌倉から観音崎、浦賀、城ヶ島へと三浦半島をぐるり。⑥面白かった浦賀の街の散策その3

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2020/11/06 - 2020/11/07

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nichi

nichiさん

浦賀の街を西浦賀から歩きました。
浦賀コミュニティーセンター別館で基礎知識を得て、そこで頂いた地図とスマホのグーグルマップを頼りに初めての街をシニア夫婦2人で歩きました。
拙い自分たちの歴史の知識とつながることが多かったり、先ほど知ったばかりの歴史的事実が確認できたり、ココならではの鏝絵のすばらしさに感心したり。。。
西浦賀の街を廻り終えた私達は、渡し船で東浦賀に渡りました。
東浦賀を散策開始!

旅行の満足度
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
旅行の手配内容
個別手配

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  • 観音崎京急ホテルで頂いた資料です。

    観音崎京急ホテルで頂いた資料です。

  • この地図を頼りに、これまでスマホのグーグルマップを見ながら西浦賀を歩いてきました。

    この地図を頼りに、これまでスマホのグーグルマップを見ながら西浦賀を歩いてきました。

  • 西浦賀を歩き終え、運河沿いに出ました。<br /><br />「西浦賀みなと緑地プロムナード」<br />と言うところです。

    西浦賀を歩き終え、運河沿いに出ました。

    「西浦賀みなと緑地プロムナード」
    と言うところです。

  • 浦賀港引揚記念の碑<br /><br />第二次世界大戦直後、在外日本人生存者は660万人以上いたと言われています。<br />帰還者受け入れは舞鶴、呉、下関、博多、佐世保など日本海側がほとんどでしたが、ココ浦賀でも56万人が帰還しています。<br />中部太平洋や南方諸地域からの帰還者が多かったようです。<br /><br />その第1便となった氷川丸は、南方諸島のミレイ島から2486人の陸海軍人を満載してココ浦賀に入港しました。<br />1945年10月のことでした。<br />この氷川丸は、客船としての任務を終え、今は我が街横浜に停泊中です。

    浦賀港引揚記念の碑

    第二次世界大戦直後、在外日本人生存者は660万人以上いたと言われています。
    帰還者受け入れは舞鶴、呉、下関、博多、佐世保など日本海側がほとんどでしたが、ココ浦賀でも56万人が帰還しています。
    中部太平洋や南方諸地域からの帰還者が多かったようです。

    その第1便となった氷川丸は、南方諸島のミレイ島から2486人の陸海軍人を満載してココ浦賀に入港しました。
    1945年10月のことでした。
    この氷川丸は、客船としての任務を終え、今は我が街横浜に停泊中です。

  • 運河に突き出した桟橋が見えます。

    運河に突き出した桟橋が見えます。

  • 釣り人がいる桟橋が通称「陸軍桟橋」です。<br />南方から引き揚げてきた方々が日本上陸した桟橋です。

    釣り人がいる桟橋が通称「陸軍桟橋」です。
    南方から引き揚げてきた方々が日本上陸した桟橋です。

  • 船番所跡<br />浦賀奉行所の出先機関であった船番所がココにあったんですね。<br />浦賀コミュニティーセンター別館で説明書と模型を見てきたのでイメージが湧きます。<br /><br />「入り鉄砲出女」を取り締まる海の関所ですね。

    船番所跡
    浦賀奉行所の出先機関であった船番所がココにあったんですね。
    浦賀コミュニティーセンター別館で説明書と模型を見てきたのでイメージが湧きます。

    「入り鉄砲出女」を取り締まる海の関所ですね。

  • ココに船番所があったんですね。

    ココに船番所があったんですね。

  • 山側を振り返ると先ほど登った愛宕山が見えました。

    山側を振り返ると先ほど登った愛宕山が見えました。

  • 対岸から小さな船がやってきました。

    対岸から小さな船がやってきました。

  • 「浦賀の私し」です。<br />渡し船に乗って浦賀湾を東浦賀に渡ることにしました。

    「浦賀の私し」です。
    渡し船に乗って浦賀湾を東浦賀に渡ることにしました。

  • 乗船料は<br />大人200円<br />小中学生100円<br />自転車50円<br />12時から13時は昼休み。

    乗船料は
    大人200円
    小中学生100円
    自転車50円
    12時から13時は昼休み。

  • 桟橋に船がいないときはボタンを押すと対岸からやってくるようです。

    桟橋に船がいないときはボタンを押すと対岸からやってくるようです。

  • さあ乗ってみましょう。

    さあ乗ってみましょう。

  • 愛宕丸と言う小さな船で、定員は13名。<br /><br />乗船料200円×2名分は船内でお支払いします。

    愛宕丸と言う小さな船で、定員は13名。

    乗船料200円×2名分は船内でお支払いします。

  • 私達2人が乗り込んで乗船料200円×2名をお支払いするとすぐに出航しました。

    私達2人が乗り込んで乗船料200円×2名をお支払いするとすぐに出航しました。

  • 西浦賀を離れます。

    西浦賀を離れます。

  • 真っすぐ対岸の東浦賀に向かっています。

    真っすぐ対岸の東浦賀に向かっています。

  • そもそもこの渡し船は、浦賀に奉行所が置かれてまもない享保10年(1725年)ごろからあるようです。<br />浦賀湾は、陸地に深く切り込んだ形であることから、江戸時代の東西浦賀村分村後の陸上交通は大変不便でした。<br /><br />渡船の航路は「浦賀海道」と名付けられ、全国でも珍しい水上の市道(2073号線)です。<br />この船は公道ならぬ公海道なんですね。

    そもそもこの渡し船は、浦賀に奉行所が置かれてまもない享保10年(1725年)ごろからあるようです。
    浦賀湾は、陸地に深く切り込んだ形であることから、江戸時代の東西浦賀村分村後の陸上交通は大変不便でした。

    渡船の航路は「浦賀海道」と名付けられ、全国でも珍しい水上の市道(2073号線)です。
    この船は公道ならぬ公海道なんですね。

  • 南を見ると広い東京湾方面が見えます。<br />遠くに見える山並みは千葉の房総半島です。

    南を見ると広い東京湾方面が見えます。
    遠くに見える山並みは千葉の房総半島です。

  • 北側は浦賀湾の奥です。

    北側は浦賀湾の奥です。

  • 叶神社(西叶神社)が見えます。<br />先ほど伺った神社です。<br />運河近くにも鳥居があったんですね。

    叶神社(西叶神社)が見えます。
    先ほど伺った神社です。
    運河近くにも鳥居があったんですね。

  • 浦賀湾の奥深く、ドッグまで見えます。

    浦賀湾の奥深く、ドッグまで見えます。

  • 乗船後約3分で東浦賀に到着です。

    乗船後約3分で東浦賀に到着です。

  • 下船後、西浦賀を振り返ります。

    下船後、西浦賀を振り返ります。

  • 小高い山が愛宕山です。

    小高い山が愛宕山です。

  • 叶神社(西叶神社)が山の中腹に見えます。

    叶神社(西叶神社)が山の中腹に見えます。

  • 3分で渡って機きた浦賀湾です。

    3分で渡って機きた浦賀湾です。

  • 渡船場<br />の説明書き<br /><br />渡船(渡し船)の歴史は古く、渡船を修復する際、周辺の村も東西の浦賀村と応分の協力をしていたようです。<br />当時の船頭の生活は、東西浦賀村の一軒あたり米六合で支えられていました。<br />

    渡船場
    の説明書き

    渡船(渡し船)の歴史は古く、渡船を修復する際、周辺の村も東西の浦賀村と応分の協力をしていたようです。
    当時の船頭の生活は、東西浦賀村の一軒あたり米六合で支えられていました。

  • 吉田松陰は黒船を見るために浦賀を訪れ、ココで佐久間象山に会っています。<br />ペリー来航時に吉田松陰が師である佐久間象山に会っていたのは覚えていましたが、それは浦賀だったんですね。<br />知らなかった~~~

    吉田松陰は黒船を見るために浦賀を訪れ、ココで佐久間象山に会っています。
    ペリー来航時に吉田松陰が師である佐久間象山に会っていたのは覚えていましたが、それは浦賀だったんですね。
    知らなかった~~~

  • 徳田屋と言う旅館があった場所です。<br />ココに吉田松陰は連泊し、佐久間象山に会っています。<br /><br />この徳田屋には、安藤広重や木戸孝允(桂小五郎)も宿泊いしていたんですね。<br /><br />この徳田屋は、関東大震災1923年(大正12年)で倒壊し、姿を消しました。<br />残念。。。。。

    徳田屋と言う旅館があった場所です。
    ココに吉田松陰は連泊し、佐久間象山に会っています。

    この徳田屋には、安藤広重や木戸孝允(桂小五郎)も宿泊いしていたんですね。

    この徳田屋は、関東大震災1923年(大正12年)で倒壊し、姿を消しました。
    残念。。。。。

  • 明治43年の徳田屋です。

    明治43年の徳田屋です。

  • 東浦賀から南を見るとこんな感じ。<br />東京湾方面です。

    東浦賀から南を見るとこんな感じ。
    東京湾方面です。

  • 南に数分歩くと東叶神社が現われました。

    南に数分歩くと東叶神社が現われました。

  • 浦賀の湾を挟んで東西の叶神社が向き合い合っています。

    浦賀の湾を挟んで東西の叶神社が向き合い合っています。

  • こちらは東浦賀ですので東浦賀神社です。

    こちらは東浦賀ですので東浦賀神社です。

  • さあ参拝しましょう。

    さあ参拝しましょう。

  • 家内が、<br />「左右の狛犬が両方とも口が閉じてるね?」<br />と言ったことにハッとしました。<br />つまり阿吽の吽ですよね?

    家内が、
    「左右の狛犬が両方とも口が閉じてるね?」
    と言ったことにハッとしました。
    つまり阿吽の吽ですよね?

  • 家内は思わずその場でスマホでググりました。<br /><br />で判ったことが、叶神社は東西で一対なんですね。<br />西叶神社の狛犬は左右共に口をあいている阿吽の阿!<br />失敗した~~~<br />さっき西叶神社に行った時、狛犬見なかった~~~<br />夫婦で撮った写真を見直しましたが、西叶神社で撮った写真に狛犬は写っていませんでした。<br />残念。。。。。<br /><br />でもこの事実、面白いっすね~~~

    家内は思わずその場でスマホでググりました。

    で判ったことが、叶神社は東西で一対なんですね。
    西叶神社の狛犬は左右共に口をあいている阿吽の阿!
    失敗した~~~
    さっき西叶神社に行った時、狛犬見なかった~~~
    夫婦で撮った写真を見直しましたが、西叶神社で撮った写真に狛犬は写っていませんでした。
    残念。。。。。

    でもこの事実、面白いっすね~~~

  • 巨大なソテツ

    巨大なソテツ

  • 源頼朝が源氏再興の際、伊豆から移植奉納したソテツ???<br />本当かいな???

    源頼朝が源氏再興の際、伊豆から移植奉納したソテツ???
    本当かいな???

  • 更に家内がスマホでググって判ったことが。。。<br /><br />二つの神社のそれぞれのお守りが揃うと一つのお守り”になる?<br />はぁ?<br />マジッすか?

    更に家内がスマホでググって判ったことが。。。

    二つの神社のそれぞれのお守りが揃うと一つのお守り”になる?
    はぁ?
    マジッすか?

  • お守りには、東西の叶神社それぞれ勾玉が入っているのですが、西の勾玉を東のお守り袋に入れることによって、初めて縁結びのお守りとしてのご利益が授与されるとのことです。<br /><br />ふ~~~ん。

    お守りには、東西の叶神社それぞれ勾玉が入っているのですが、西の勾玉を東のお守り袋に入れることによって、初めて縁結びのお守りとしてのご利益が授与されるとのことです。

    ふ~~~ん。

  • ココは何?

    ココは何?

  • 身代り弁天御神徳<br /><br />て何?<br /><br />ご祭神は厳島媛命<br />神秘な岩窟内に祀られる厳島神社は元々海上交通の安全と戦の勝運を司る神として尊崇されています。<br />何かあった時、弁天様が現われて、身代わりとなられ災禍からお守り下さったという多くの事例があり、 この様な御神徳が三浦半島を始め近郷近在の方々の篤い信仰を集めているんだそうです。

    身代り弁天御神徳

    て何?

    ご祭神は厳島媛命
    神秘な岩窟内に祀られる厳島神社は元々海上交通の安全と戦の勝運を司る神として尊崇されています。
    何かあった時、弁天様が現われて、身代わりとなられ災禍からお守り下さったという多くの事例があり、 この様な御神徳が三浦半島を始め近郷近在の方々の篤い信仰を集めているんだそうです。

  • 岩窟内の身代り弁天御神徳

    岩窟内の身代り弁天御神徳

  • この水は何?

    この水は何?

  • 「勝海舟断食修行の折使用の井戸」<br />から汲み上げている水です。

    「勝海舟断食修行の折使用の井戸」
    から汲み上げている水です。

  • この水を硬貨に流し、その硬貨を常に身に着けることで開運と金運のご利益があるんだとか、、、<br />ふ~ん。。。。。

    この水を硬貨に流し、その硬貨を常に身に着けることで開運と金運のご利益があるんだとか、、、
    ふ~ん。。。。。

  • これが勝海舟断食の折に使用した井戸です。<br /><br />咸臨丸が修理される間断食をしました。<br />勝海舟が咸臨丸で無事にアメリカに渡れるようにとの願いを込めての断食でした。<br />その間はこの井戸の水しか口にしなかったようです。

    これが勝海舟断食の折に使用した井戸です。

    咸臨丸が修理される間断食をしました。
    勝海舟が咸臨丸で無事にアメリカに渡れるようにとの願いを込めての断食でした。
    その間はこの井戸の水しか口にしなかったようです。

  • 東叶神社をあとにします。

    東叶神社をあとにします。

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