2020/11/06 - 2020/11/07
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nichiさん
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浦賀の街に初めて訪れ、徒歩で歩きまわりました。
浦賀コミュニティーセンター分館での展示が詳しくて面白くてかなりの時間を費やした後、西浦賀から歩き始めました。
細長い浦賀湾を挟んで西浦賀と東浦賀に分かれています。
浦賀コミュニティーセンター分館で学んだ知識を基に、浦賀の街を西浦賀から歩きました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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浦賀コミュニティーセンター分館を出て、南に歩きます。
こちら側は西浦賀です。
つまり細長い浦賀湾の西側です。 -
今歩いているこの道は。浦賀道と言う道で、幕府と浦賀奉行所を結ぶ重要な連絡道だったようです。
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ペリーの黒船来航の際、大勢の武士や見物人がこの浦賀道を通ったんですね~
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西叶神社にやってきました。
元来は叶神社ですが、東叶神社があるため、区別の為に西叶神社と呼ばれているようです。
何故か門前に少人数のマスコミの方々。
誰か著名人が近くにいるのかな? -
京都神護寺の文覚上人が源氏の再興を祈願して石清水八幡宮を勧請して造られた神社です。
叶神社
変わった名前だな~と思っていたら、文覚上人が当時の平家の横暴ぶりに憤って平家の滅亡を願い、その願いが叶ったことにより「叶明神」の称号が与えられ、叶神社となったようです。
平家滅亡の願いが叶ったから叶神社ね~~~ -
社殿です。
1842年(天保13年)に再建されました。
水野忠邦が天保の改革を行った頃ですね。 -
見事な彫刻。
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この彫刻を施したのが、千葉の安房の代表的彫刻師、後藤利兵衛義光です。
この叶神社の彫刻は、彼の生涯を通しての最高作云われ、彼の出世作となっています。
これは花鳥彫刻。
見事ですね~ -
この美しい彫刻をじっくり拝見します。
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龍の彫刻。
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象の彫刻も。
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拝殿前から街を見下ろします。
奥の緑は対岸の東浦賀です。 -
拝殿を横から。。。
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1692年(元禄5年)江戸幕府の行政政策によって、浦賀は東西の村に分けられました。
対岸の東側の村も同じご信徳を仰ぎたいということで分霊祭祀、東叶神社が生まれました。
後ほど対岸の東叶神社にも訪れました。 -
浦賀道をさらに南へ。
東福寺にやってきました。 -
曹洞宗延命山東福寺です。
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長い階段を登って山門をくぐると、
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また階段。
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歴代の浦賀奉行が就任すると必ず参拝に訪れていた東福寺です。
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この階段、長い!!
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やっと本堂。
この本堂の鏝絵を拝見します。 -
これは鶴の鏝絵。
浦賀の街には江戸時代に造られた多くの鏝絵が残っています。
壁や床、土塀などを仕上げる左官職人がたくさんいた浦賀。
明治初期の段階で浦賀には19軒あったそうです。
この左官職人が使う道具が鏝。
この鏝で壁画などに浮き彫り細工を施していたものを鏝絵と言います。
東西の浦賀村に多くの鏝絵が残っており、この後、多くの鏝絵を見て回りました。
まるで彫刻のようですね。 -
龍の鏝絵
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浪に亀の鏝絵
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唐獅子の鏝絵
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迦陵頻伽の鏝絵
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江戸時代中期の画家 酒井抱一 の作品「亀」
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観音様
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本堂の前から西浦賀の街を見下ろします。
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浦賀道をさらに南に歩いていると、ゴミ置き場の表記に目が留まりました。
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常福寺・参道
この橋は浦賀奉行の交代の際渡ったと云われる石橋です。 -
下を見ると石橋。
この橋のことですね。
ではこの橋を渡って常福寺に向かいましょう。 -
老舗和菓子屋さんもある浦賀の街です。
古からある街の象徴ですね。 -
常福寺に到着。
急階段を登ります。 -
1469年~86年に創建された常福寺。
室町足利時代に開創された歴史のあるお寺です。
奉行所が浦賀に移されてから、幕府の本陣の役割を果たしていたそうです。 -
常福寺本堂。
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脇厨子は見ることできず。
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浦賀道をさらに南に。
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古い蔵が残っていました。
浦賀は、干鰯をはじめとする多くの品物を全国に売りさばく街として賑わい、今での東西の浦賀に残っている15棟前後の蔵に昔の名残を見ることができます。
干鰯でこの浦賀が潤ったことは、先ほど寄った浦賀コミュニティーセンター分館で知りました。 -
古き良き石倉です。
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ココにもお蔵が2棟。
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次の目的地である愛宕山公園の入口までやってきました。
頭の上には「浦賀園」のプレート。 -
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この階段を登って愛宕山を登ります。
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階段の途中から浦賀湾が見えました。
対岸は東浦賀です。 -
さらに階段を登ります。
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愛宕山の頂上近くまでやってきました。
そこにこのような説明書きがありました。
1860年(安政7年)幕府は日米通商友好条約批准書交換のため、米軍艦ポーハタン号で新見豊前守正興を代表とする使節団をワシントンに送ることにしました。
幕府は万が一の事故に備えて、軍艦奉行木村摂津守を指揮官に、勝麟太郎以下90名の日本人乗組員で運航する咸臨丸を従わせることにしました。
咸臨丸はココ浦賀で2日間航海準備を行い、浦賀港を出港。
39日後、無事にサンフランシスコに入港し、大任を果たしています。 -
隣に咸臨丸出航の碑がありました。
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碑の裏側には乗組員の名前。
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奉行従者として福沢諭吉の名前が見えます。
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何か説明書きがあります。
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浦賀の誇りである中島三郎助の説明書きです。
中島三郎助のことはココ浦賀に来るまで知りませんでした。
しかし、浦賀コミュニティーセンター分館で詳しく知りました。 -
中島三郎助招魂碑です。
明治24年に建てられました。
篆額は戊辰戦争を一緒に戦った榎本武明の筆です。 -
榎本武明の筆と言われても文字が見えない。
と言うか文字が見えても達筆すぎて読めないと思います。 -
海が見えます。
これは浦賀湾ではなく外海ですね。 -
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与謝野夫妻の文学碑もありました。
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与謝野鉄幹、晶子夫妻が観音崎、浦賀、久里浜を吟行した際に詠んだものです。
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この碑の文字は達筆ですが私達夫婦でも読めました。
黒船を 怖れし世など なきごとし 浦賀に見るは すべて黒船 寛
春寒し 造船所こそ 悲しけれ 浦賀の町に 黒き鞘懸く 晶子
奥様の与謝野晶子の俳句、格好いいですね。
俳句ブームの今、夏井いつき先生の感想を聞きたい!! -
さあ愛宕山を降りましょう。
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浦賀湾が見えます。
対岸は東浦賀です。 -
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下まで降りて来ました。
さらに南に進みます。 -
この辺りを蛇畠と言うそうです。
この辺りには通り沿いに畑があったそうですが、幅が狭くて長く続くその畑の形が蛇のようであったので、この名前が付いたようです。 -
蛇畠街町内会館がありました。
今でも町名で残っているんですね。 -
次の目的地である浦賀奉行所の跡地までやってきました。
そもそも浦賀に奉行所があったことすら知りませんでした。
浦賀コミュニティーセンター分館でその存在を知り、出来た経緯を知り、模型を見て、その後に訪れた神社仏閣でこの奉行所の存在感を知って、この跡地にやってきました。 -
よって少し感慨深いものがあります。
敷地は東西86m、南北75mの広さ。
最盛期の奉行所には、与力10騎・同心50人の役人たちが勤めていました。 -
石垣は当時の物。
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江戸の街がドンドン発展し、江戸に入ってくる物資が増え、下田の奉行所だけでは統制できなくなり、幕府は1720年(享保5年)浦賀に奉行所を設置しました。
徳川吉宗の時代ですね。 -
中には入れませんが、遺構であるお濠沿いを歩きます。
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当時の様子を偲びました。
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川間町内会館にやってきました。
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この町内会館にもこの浦賀の誇りである鏝絵がありました。
松竹梅に鶴亀ですね。
先ほど東福寺でも拝見した鏝絵。
左官職人が使う鏝で壁画などに浮き彫り細工を施していたものです。この後、東浦賀でもこの鏝絵を拝見しました。
まるで彫刻のようですね。 -
二階切妻壁に鳳凰が双翼を大きく広げて飛翔する姿が鏝絵で表現されています。
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この辺りの地名は川間と言うのですが、西浦賀5丁目から6丁目当たりです。
今の平作川周辺が埋め立てられる前、その平作川と浦賀湾の一部が入り江として陸地の奥まで川のように見えた部分との間の土地が川間町。
この奥に奉行所があった訳です。 -
西浦賀4丁目であるこの辺りは浜町。
先ほどの川間町の隣です。
この辺りには漁を生業とする多くの方が住んだエリアです。 -
その浜町にある、為朝神社にやってきました。
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お邪魔します。
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祭神は源実朝。
源為朝は源頼朝の父の弟の次男で、鎌倉幕府第3代征夷大将軍。 -
1800年(寛政12年)浜町の漁民が、海に漂流していた木像を引き上げ、地蔵堂に安置し祈願をすると、その功が多かったそうです。
その木造は源為朝の像であったといいます。
昔はこのような言い伝えが多いですね~~ -
この浜町に伝承されている「虎踊り」は、浦賀奉行所の開設にあたって、伊豆下田から伝えられたもので、県の民俗文化財に指定されています。
毎年6月の為朝神社の祭礼に奉納されています。 -
実朝神社の目の前にあったのが、
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浜町町内会館であり、浦賀虎踊り保存会
行政上は西浦賀4丁目ですが、地元では浜町なんでしょうね。 -
西浦賀の街を歩き回りました。
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