2020/11/14 - 2020/11/14
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たびたびさん
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二日目の今日は、朝一番で白虎隊の飯盛山に寄って、その足で一気に磐梯高原から裏磐梯の五色沼に向かいます。会津若松に来て、飯盛山は必須ですけど、この季節に気分が晴れ晴れするのはやっぱり五色沼。かなり昔に歩きましたが、その鮮やかなブルーは忘れられない。妹にもやっぱりこれはぜひ見せないとなと思っていました。その後は、猪苗代の野口英世記念館から、今夜の宿、東山温泉へ。その間、史跡慧日寺跡や保科正之の墓、戸ノ口原古戦場などこれまで気になっていたところもちょこちょこ織り交ぜて、結局、またしてもいつものような盛りだくさんの一日となった感じです。
ところで、改めてですが、会津若松と聞いて頭に浮かぶのは戊辰戦争最大の戦い会津戦争であり、白虎隊の悲劇ですよね。江戸城が無血開城されたことで、新政府軍の最大の敵は自ずと会津藩となる。しかし、本来、徳川幕府への忠義心と尊皇の精神を併せ持ちながら、純粋な思いで京都所司代の重責を果たそうとした松平容保からすれば、この結末は残念無念。もともと困難な役割だったことは覚悟のうえとはいえ、容易に納得できるものではないでしょう。せめて時代の流れに取り残されたと自らの不運を嘆いたかどうか。どうしても割り切れない思いに苛まれたことだけは確かだと思います。
幕末の騒乱の時代には様々なドラマがあったわけですが、これらをどう理解するかはいろんな切り口があるでしょう。ただ、私が特に重く考えさせられるのは、突如として現れた激情的な気運のこと。ひたすら新たな時代への希望を膨らませ自らの死をもってそれに殉じようとする気運は、日本の歴史においていったいなんだったのか?
始まりは黒船来航。いきなり矢面に立たされた幕府は諸外国にいかに対処するかで苦境に立たされます。江戸を始め海防は弱点だらけだし、大国の清がアヘン戦争で敗れ列強の浸食を受けていた情報もかなり正確に把握していました。しかし、幕府の方針が定まらないことで、情報を持たない朝廷や有力大名、それにとどまらず一般庶民にまで一気に動揺が広がることとなる。巷で頼山陽の日本外史が熱心に読まれたり、時を置いて水戸学の尊王攘夷の思想が圧倒的な影響を与えたことにも象徴されていると思うのですが、上から下まで不安とともに日本はどうあるべきかに飢えていて、その同じ空気が充満していく時代だったのだと思います。
黒船来航に衝撃を受けた幕末の思想家、佐久間象山、横井小楠、橋本左内、吉田松陰らも徳川幕府や体制への働きかけを画策しますが、考える道筋はそれぞれ。列強の軍事や技術力への着目の仕方も異なるし、開国か攘夷か。公武合体か倒幕か。国策を論じながらも、危機意識という一点でしか一致はしていない。今思えば右往左往と言ってもいいかもしれません。
しかし、衆目の一致する方向が見えない中にあっても、維新の志士たちは新たな時代への希望とともに新たな時代のために殉じようとする気持ちだけを先鋭化させていく。それは、とにもかくにも混沌とした現状を打開するのは新たな時代のために殉じる自らの死そのものであるという激情的な気運。禁門の変で散った久坂玄瑞も功山寺の挙兵を決断した高杉晋作もその行動は、この気運を抜きには理解できないものだし、”我が胸の燃ゆる思ひにくらぶれば煙はうすし桜島山”も同じ臭いを感じます。
もちろん、それが明治維新に向かう原動力となったのは間違いない事実なのですが、天狗党と諸生党が激しく内部抗争を繰り返した水戸藩の回天神社、幕末の雄藩においても長州藩の下関桜山神社や薩摩藩の南洲墓地を拝見するとまさに死屍累々。激情的な気運のもと、新しい時代を生むためにいかに多くの命が犠牲になったかに気付かされることになるんですね。ちなみに、会津戦争の戦死者は、その戦争が原因でも時間を置いて亡くなった人もいるのではっきりしないところはあるのですが、2,400人くらい。少年兵や婦女子も含まれるので、胸が痛む数字です。これが西南戦争の場合だと薩摩軍6,800名、官軍6,400名が亡くなっていて、規模はまったく違う数。この両軍合わせての約1万3千人というのは、戊辰戦争全体の戦死者数に匹敵します。薩摩藩は幕末から戊辰戦争の中で常に勝者だったはずなのですが、最終的にはもっともというか突出して多くの犠牲者を出してしまったことになりますね。
で、ここからが少し私の持論というか推測なのですが、前述の幕末に芽生えた死を厭わない激情的な気運は、戊辰戦争だけではなく、西南戦争から、もしかするとその後の日清戦争や日露戦争、泥沼の日中戦争や太平洋戦争まで形を変えながら続いて、それもエスカレートしまったのではないか。世界史的には帝国主義という中で位置づけられる戦争であっても、戦い方においてはそればかりではない日本独自の要素を含んでいるような気がするのです。それは何か明確な目標を達成するためということ以上に、死を厭わず命を投げ出して殉ずる行為自体に価値を置くような気運であり、言い換えれば、死を軽く見ることを当たり前とする考え方。例えば、マレーの虎と呼ばれた山下司令官のシンガポール攻略も太平洋戦争で最悪と言われる牟田口中将のインパール作戦も根っこは同じものだったような気がするのです。そして、もしかしたら、そのルーツは日本の悠久の歴史や日本人のDNAの問題にも関係するものではなかったのかという疑問。司馬遼太郎は日本の暗黒時代は日本の歴史の中では突然変異的な時代であり、憲法には縛られないとする統帥権が暴走の引き金を引いたのではないかと持論を述べていますが、私はちょっと違うのではないかという感じ。戦後、長く平和主義の道を歩んできた日本ですが、いずれにしても、その答えはまだ出ていないのではないか。そんな風に思います。
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今日から二日間はレンタカーの旅。
いきなりですが、早朝の飯盛山です。まだ、だあれもいませんね。 -
ただ、飯盛山スロープコンベアは動き出していて、今回はこれで上がります。飯盛山はそんなに険しい山でもないし歩いても十分登れるんですが、せっかくなので。
確かに楽ですよね。かなり楽。そして、途中、八重の桜の登場人物のプロマイドが次々現れて、それもなかなかいい。なに気に楽しませてもらいました。 -
紅葉もほぼ盛りかな。
この石段を上がったところが -
白虎隊の墓。亡くなった19士の墓石が横一直線に並んでいます。
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その向かいに建つのが会津藩殉難烈婦の碑。
この碑は、会津藩戊辰戦役で自刃又は戦死した婦女子二百余名の霊を弔うため地元の篤志家によって建てられた顕彰碑。娘子隊を率いた中野竹子、自刃した城代家老西郷頼母の妻西郷千重子などの悲劇を生んだ会津戦争。冒頭にも触れましたが、戦闘による死者2,400人と比較しても婦女子の犠牲者はかなり多い。厳しい歴史の事実だと思います。 -
白虎隊士自刃の地は、飯盛山の一番奥。
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鶴ヶ城が遠くに見える場所で、白虎隊はここから鶴ヶ城を見て、炎上しているものと思い込んだと言います。
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そんなに遠くに見えるわけでもないのに、炎上と見たというのですから、実際に炎上はしていないにせよ、よほどの激しい放火に包まれていたのだと思います。傍らに建つ城を眺める隊士の像も痛々しく感じられました。
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そこから、飯盛山を別ルートで帰ります。
さざえ堂は、名前の通りに上り下りの回廊が二重のらせんになった構造。外観も、平面六角形の三層構造という、ちょっと異様な感じです。入口からすぐに傾斜した回廊を登っていくのですが、回廊に階段はなくても平坦ではなく、妙に歩きにくい。周囲にお札がたくさん貼り付けてあったり、見所もあるようですが、とにかく気をつけて歩くのが精一杯といった感じ。
一生懸命歩いて、そのまま、それが下りの帰り道になって出てしまう。意外にあっけないような印象です。 -
さざえ堂の隣りが宇賀神堂。会津藩三代藩主松平正容が宇賀神を勧請し弁財天像を神像として建立した神社ですが、
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イチオシ
この中には、白虎隊19士の木像が安置されていて、のぞくとお堂いっぱいにこっちを向いて並んでいます。なぜか、像はフランス流の洋服姿ですが、そんなに違和感はないと思います。
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そこからさらに下がって、戸ノ口堰洞穴です。
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猪苗代湖の水を会津藩に引くために作られたものですが、戊辰戦争の際、戸ノ口原での戦いに敗れた白虎隊士20名が、鶴ケ城の安否を確かめるためにこの洞穴を通って飯盛山に出たという場所。とうとうと流れる水量はかなりのもの。抜け道となったにしても、困難な道だったと思われます。
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傍らに建つ戸ノ口堰水神社。
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周囲は、さらさらと勢いよく水が流れる水路に、銀杏の黄色の紅葉が盛り。こちらも白虎隊を偲ぶことのできるリアルな一角です。
これで、飯盛山は終了。ここから、市街を離れて磐梯山に向かいます。 -
道の駅 ばんだいに到着。
ここは、磐梯山の南側。磐梯高原の入口といったところですね。磐梯山のなだらかな山裾が猪苗代湖の方に下って行く地形にはスキー場や牧場なんかもあって、あちこち開発が進んでいるよう。高原の秋の色づきがいい感じです。 -
敷地内は芝生がきれいに整備されていて、磐梯山を含めた視界も広い。明るくてスカッと開放感のある道の駅ですね。
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こちらのショップは開いていましたが、産直コーナー方は開くのが少し遅めかな。そこはちょっと気になりました。
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で、これまでずっと気になっていた史跡慧日寺跡にも寄ってみます。
芝生で整備された丘陵地。その中に朱塗りの金堂や中門が復元されて、もっと荒れた場所かと思っていましたが、意外や意外。 -
平安の浄土でも思わせる雰囲気を感じます。
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イチオシ
この金堂には入ることができて、
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金の如来像。
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1200年の歴史を持つ仏教の聖地であることをまたさらに強く感じます。
ただ、慧日寺の意味は徳一と最澄の仏教論争。そのことが最澄の考えを深めた面もあると言われていて、その辺りの知識がないと少し感動は弱いかもしれませんけどそれはあとで。 -
これは隣りの敷地なんですが、仁王門から
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乗丹坊の墓へ。
史跡慧日寺跡金堂 中門のエリアから、奥に向かって右手の方に少し離れた場所。小さな橋を渡って、すぐのお堂に入ったところです。なんでもない宝筐院型のお墓がぽつんと建っていて、それが乗丹坊の墓。
乗丹坊というのは、平安末期、慧日寺の僧兵の頭だった人物。源義仲追討に助力して、信濃に兵を進めるのですが、敗死。以降、慧日寺は衰退していったと伝わります。 -
で、慧日寺跡から慧日寺資料館に回りましたが、少し離れた場所ですね。駐車場に車を停めて公園のような場所を抜けた先。予想もしないような立派な建物が現れて、正直、ちょっと唖然としました。
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先ほど少し触れましたが、慧日寺の意義は徳一と最澄の仏教論争。これは日本の仏教史にとってもとても重要な1ページです。
最澄はそれまでの奈良の仏教、南都六宗を体系化するとともに、法華経を最上位とする天台宗を開いて、真の大乗仏教こそ天台宗であると唱えました。いきなりのその挑戦的な姿勢は当然奈良の仏教界との軋轢を生みましたが、教義についてはむしろ慧日寺の徳一との論争で深化して行くことになる。例えば、大乗仏教がすべての人が救われると説くのであれば、なぜ、僧は厳しい修業をしなければならないのかといった基本的な論点はその後の日本仏教の発展にも大いに寄与することとなったものでした。
私はその辺りをどう解説してあるかに興味があったのですが、解説の中心はむしろ慧日寺の山岳仏教との関わりの深さとか。ただ、それでは、日本の仏教の歴史に与えた慧日寺や徳一の意義の重要性は語れない。建物はこれだけ立派なんですが、少し残念に思いました。 -
続いては土津神社。磐梯山の山麓といった場所に構える神社で、会津藩初代藩主、保科正之を祀ります。
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駐車場も広いし、
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境内が二段になっていて、
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順々に上がっていくのが公園みたいな感じですね。
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正之がこの地を気に入り、自らの墓所と定めたと伝わっていて、会津にとってはやっぱり特別な場所なんだろうと思います。
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で、保科正之の墓は、土津神社の奥の院的な場所。土津神社の本殿の先に方向を示す標識があって、それに気が付いて訪ねることにしました。視界は開けた山道。細いまっすぐな道がけっこう延々と続きます。
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イチオシ
ちなみに、保科正之は、徳川家康の孫で3代将軍、徳川家光の異母弟。
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名君の誉れもあって家光にかわいがられ、山形藩から移封。東北の要である会津藩23万石の初代藩主となった人物です。家光は、嫡男の座を巡って確執のあった弟の忠長を切腹させているし、そうした寂しい事件も正之をかわいがった背景にあるのかもしれませんけどね。
いずれにしても幕末の会津藩の運命を見たら何と思ったことか。想像に余りあるものがあると思います。 -
磐梯高原からまたしばらく走って、裏磐梯へ入ります。
さっそくあるのは、秋元湖。裏磐梯の湖だと小野川湖、桧原湖と並んで大きな湖なのですが、湖畔に出るまでの道はかなり分かりにくいです。それにあまり整備されている感じがなくて、見晴しもイマイチかな。湖の中に小さな島がいくつかあるのはちょっと印象に残りました。 -
五色沼に向かう前にここらでランチ。
水峰はソースかつ丼が名物みたいで、それを注文している人も多かったのですが、 -
ソースかつ丼は晩飯に予定しているので、生姜焼き定食をいただきました。
厚い肉の切れがドーンと乗って、ボリュームがありますね。しゃきっとした味わいで体が元気になったような気分。なかなかいいお店です。 -
五色沼自然探勝路の入口に建つ裏磐梯ビジターセンターです。
ここに駐車して、毘沙門沼を皮切りに柳沼を目指すという段取りです。 -
その前に、館内の展示も一通り拝見。
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湖沼に棲む魚や周辺に自生する草花とかは意外に種類が豊富なんですね。美しい展示なので見やすいと思います。
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さあ、五色沼自然探勝路を進みましょう。探勝路沿いには、20~30の湖沼があるというのですが、まあ見どころはだいたい分かっていますからね。
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あれ、すぐに見えてきたのはレストハウス五色沼ですか。
こっちに駐車すればよかったのかな。事前の情報にはありませんでしたね。
まあ、それはそれとして。。 -
売店を抜けて。
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最初に目にする沼は、この毘沙門沼。少し緑がかった鮮やかな青はけっこうインパクトがあって、五色沼のいきなりのハイライトという感じですよね。
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イチオシ
沼ではボートも楽しめて、
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それも美しい景色のアクセントになっていると思います。
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ここから柳沼を目指すんですが、約4キロの道のり。
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あんまりここで時間を使うことはできません。
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ただ、毘沙門池は大きいので、
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見えたり隠れたり。
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何度かその美しい姿を拝むことができますので、慌てることはありませんよ~
このちょっとした峠のようなところから眺めるのが最後ですけどね。 -
毘沙門沼の次に目標となるのが赤沼です。
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毘沙門沼に比べると、この沼はかなり小さくて。それも木立の向こう側なので視界は少し悪いです。
名前は赤沼ですが、緑がかった薄い色かな。赤ではないと思います。 -
渓流を過ぎて、
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今度は深泥沼。赤沼と同じくこれも規模は小さいです。全体としては、透明感のある緑色なんですが、一部泥がむき出したところがあって赤茶色になっているので、深泥の名前なんでしょう。その特徴があるので分かりやすいです。
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そして、この神秘的な青の沼は弁天沼。五色沼自然探勝路のちょうど中間辺りかな。
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始めに毘沙門沼を見るとその美しさにちょっと感動しますが、それよりさらに美しいのがこの弁天沼ですよね。
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イチオシ
同じ青色でも、こちらはまじりっけなしのコバルトブルー。
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自然の色とは思えないくらいの鮮やかさ。
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規模もそれなりにあるし、衝撃的な美しさだと思います。
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イチオシ
これこそ私が妹に見せたかった沼。記憶の通りの美しさは健在でした。たびたびさん、面目躍如という感じですね。
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続いては、青沼。比較的小さな沼で、
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名前の通り、青い色をした沼ですが、やっぱりさっきの弁天沼のコバルトブルーを見てしまうと感動が少なくなるのは否めません。
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で、ちょっと脇に入った先が
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瑠璃沼。五色沼自然探勝路でいうと弁天沼と青沼の間なんですが、探勝路からは直接見えないので、うっかりしていると見逃してしまいます。
脇道の先に展望台があって、その上から眺めると毘沙門沼のような緑がかった濃い青色。バックに磐梯山が見えているのが格好いいと思います。 -
五色沼自然探勝路の終点、柳沼です。まあ、柳沼の方にも大型のバスが停まれる駐車場があるので、こっちから歩くというのもありなんでしょうがあんまりこっちから歩く人は多くないような気がします。
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柳沼は比較的大きな規模で、探勝路から見下ろすような形になります。深い沼なんでしょうか、水の色もそんな感じ。なので、どうかするとため池みたいな雰囲気もあって、気分はあんまり出ないかもしれません。
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さあ、これでおしまい。元来た道を帰ります。
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イチオシ
五色沼から車に戻って、桧原湖へも寄ってみましょう。
こちらは、南北約18km、東西約1km、湖岸周37㎞と裏磐梯地域最大の湖。五色沼を見てからこの湖を眺めると大海原を見ているような感じに見えますよね。遊覧船もあるし、足こぎのボートも。湖畔には施設も整っているので、ここにくるとちょっとほっとした感じになりますね。 -
裏磐梯にもちょっとした文化施設がいくつかあって。磐梯山噴火記念館は、敷地も広いし大きな建物。
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磐梯山の爆発を模した映画も拝見しましたが、迫力ある映像に見ている足元が揺れる演出。ここまでされるとけっこう驚きます。
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これまで磐梯山に火山のイメージはありませんでしたが、その爆発で五色沼とか裏磐梯の湖沼群ができた説明とか。
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過去の爆発の歴史も残っているとか、意外に新鮮な情報でした。
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もう一つの諸橋近代美術館は、国道沿い。
広い敷地の奥に、西洋のお城のような建物が見えたので、建物だけでも拝見しようと寄ってみました。建物も確かに素晴らしいのですが、周囲は美しいお堀も含めて芝生の公園風にきれいに整備されていて、散歩している人の影も。これは外観や敷地を見るだけでも価値ありの施設だと思います。 -
イチオシ
裏磐梯から、猪苗代の方に帰ってきました。
道の駅 猪苗代は、猪苗代湖のすぐ北側。ただ、猪苗代湖は少し遠いので、眺めとしては磐梯山を望む方が素晴らしいですね。 -
施設もかなり大きい方だと思います。
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お土産にするようなお菓子とか
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何でもかんでも大量に揃っています。
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そして、ここでの目玉はやっぱり野口英世記念館ですよね。猪苗代湖の北側、国道沿いの開けた場所なんですが、このエリアはここだけじゃなくて、会津民俗館や世界のガラス館、その他食堂なんかも集まっていて、猪苗代の中心といった賑わいを感じます。
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さて、記念館の方ですが、想像していたよりかなり立派。
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野口英世の生家を丸ごと展示しているのもちょっと度肝を抜かれましたが、
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学費を地元の篤志家から出してもらったという話から想像したイメージと違って、英世の生家は割と大きくてそこまで貧乏だった感じはしない。まあ、これならごく普通の家だったんじゃないでしょうか。
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あー、これは火傷の負った際のシーンですけど、
まあ実際の出来事なので。。 -
英世の少年時代のものも
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それなりに残っていて展示されていましたが、
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地元の関係ある人たちを細かく紹介したりすることで、英世の功績や人となりを紹介しようとするのは好感が持てますね。
それに、お母さんが有名ですが、お父さんもいなかったわけではないことは今回初めて知りました。 -
あと、奥さんは外国人。
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意外に身長が低くて小さい人だった。
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こんなところも、新しい発見だったかなと思います。
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イチオシ
続いては、世界のガラス館。野口英世記念館の国道を挟んだ向かい側です。
建物は大きいし、展示品も途方もない数。 -
入ってすぐにあるベネチアの街の模型とかこれだけのものを見るとけっこう感動ものですね。
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ほか見どころとしては、一階を彩る大型のシャンデリア。
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一階は基本、ショップなんですが
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二階のショーケースに並んだイタリア製のガラス製品。
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いわゆるムラノの製品だと思いますが、
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相当のコレクションではないかと思います。
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ここから、今夜の宿、東山温泉に向かいます。
すぐに猪苗代湖が見えてきましたよ。湖は、福島県のほぼ中央。磐梯山の南に位置し、周囲は49km。日本で四番目に大きな湖なんですね。明治に入ってから、この水を利用することができるようになった郡山はそれでやっと開発が進むことになる。そういう関係も、知るとまた感慨深いものがあるでしょう。
国道からは遮るものなく、広々した湖の様子がよく見えます。 -
清水屋は、強清水の隣りにある蕎麦屋さん。この辺りでは名物のお店です。
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事前に電話を掛けると「そばは時間が過ぎてもうやっていない。ただ、天ぷらは夕方までやってます。」ということで、その天ぷらを目当てに訪ねた次第です。
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天ぷらは、
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にしん、いか、まんじゅう。一通り買ってみましたが、それぞれなるほどの味わい。まんじゅうも餡子がきりッとしていて、けっこう人気だというのがよくわかりました。
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当然、この強清水も拝見します。
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強清水というのは、民謡「会津磐梯山」の中でも唄われている会津の名水。ただ、今はかつての二本松街道のお休み処の流れを汲む清水屋というお蕎麦屋さんの方で有名かもしれません。その清水屋の裏手の方に湧水の小屋があって、今でもかなり元気に水が湧いています。
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強清水の清水屋さんで場所を聞いて、戸ノ口原白虎隊奮戦地跡に向かいます。
清水屋のすぐ裏手の何もない山道をずっと進んだところ。 -
不安になりながらでしたが、峠の切通しのような場所に白虎隊奮戦の地という案内看板を見つけました。白虎隊が西軍と戦う様子が絵に描かれていましたが、多勢に無勢。溝内に身を潜めて戦っている姿が少し哀れでした。
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もう少し行くと戸ノ口原古戦場。急きょ応援を求められた予備軍の白虎隊士二番隊も加わった薩長軍との激戦。ここが主戦場で、さっきのところが白虎隊も持ち場ということかな。いずれにしても、この戦いで敗れて、飯盛山の方に逃げ落ちるという流れです。
公園くらいの広さの場所には石造りの供養塔と「大野原白虎隊奮戦地」の柱が建っています。 -
東山温泉に到着したのはもう日没後。川の両側に開けた温泉街なんですが、これではよく分からないですよね。
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で、晩飯なんですが、これが楽しみにしていたよしのや食堂。
東山温泉の中心部にある名物食堂で、小さな食堂ですが、この日もお客さんが途切れることなくやってきます。 -
イチオシ
いただいたのは当然、看板商品のソースかつ丼。全国にはソースかつ丼をウリにする地域がいくつかあって、福井、長野の駒ヶ根、群馬とか。それぞれにさすがのお店があるのですが、前回、会津若松でいただいた時は、あんまりいい印象がありません。まあ、そういう意味ではリベンジの意味もあるんですけどね。
ところが、ここのソースかつ丼は、ソースがきりッとして切れがいい。それにカツもボリュームがあるし、肉の味わいも深いじゃないですか。いやはやこれは、なかなかのレベル。お蔭さまで会津のソースかつ丼のイメージがぐんとよくなりました。正解でしたね~ -
宿は、月のあかり。
外観とか -
ロビー周りにはそこそこ期待感があったんですが、
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部屋の方はちょっとね。
まあ、値段相応ということでしょう。
ただ、ここの利点は親会社の瀧の湯のお風呂に入れること。これからさっそくそっちの方に行ってみます。 -
で、その途中にあるのが東山温泉足湯処。
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足湯と言ってもかなり立派な施設。ちょっと奥座敷と言った方がいいくらいの風情がありますね。
川を見下ろすロケーションもいいし。夜8時までやっていて、旅館の宿泊客もそれなりにやってきて楽しんでいます。 -
こちらが瀧の湯。
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お風呂はこの奥。広くてきれいな風呂でした。瀧の湯というのは窓の下に滝があってそれを眺められるからですね。自然の滝ではないので眺めの風情という点ではイマイチなんですが、湯につかっていると滝の音がしてまあそれなりの気分は味わえます。
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売店の方で、ついでにいただいたのは
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松本家の羊羹。こちらは、創業文政二年の東山温泉の老舗で、水ようかんが看板商品のようですが、それはなかったので湯の花羊かんです。筒状の包装は、少し剥いた後にするっと抜けてくるのでけっこう食べやすい。意外にあっさり系の羊かんなので、何本でも食べられる感じです。
さて、これで、二日目も終了。明日は大内宿から南会津を回ります。
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