2020/11/16 - 2020/11/16
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ドクターキムルさん
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鎌倉宮カントリーテニスクラブの前を通って永福寺跡(https://4travel.jp/travelogue/11576050)に入る。見回してみても紅葉はまだまだだ。銀杏の木の黄葉も見られない。
ここ鎌倉市内では戦後に造成された今泉台、住友常盤住宅、兼松琵琶住宅の団地の片側しか歩道がないメイン道路のその歩道側に植えられた銀杏並木の若木を除くと、昭和初期に通称「獅子舞谷(ししまいがやつ)」(17本)と天園(15本)に植えられた32本の銀杏の木があるぐらいで、他は寺社か寺社跡ぐらいと思っていたのだが、こうした大寺院跡でもその例外になってしまうことになる。
草刈りの途中で休憩していた職員は「門の前に2本、銀杏の木がある。」という。しかし、平成の終わりか令和になってから植えたような苗木に毛が生えたような銀杏の木を探した訳ではない。空に聳えるような大木を探しているのだ。
こうした大寺院跡の永福寺跡に銀杏はなかったのか?あるいは、発掘時に銀杏の切り株は出土しなかったのか?
永福寺跡に銀杏はなかったとしたら、その後に創建された建長寺や円覚寺などの大寺院にも銀杏の木がなくても不思議ではないか。
(表紙写真は永福寺跡)
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永福寺は薬師堂、釈迦堂、阿弥陀堂の三堂が並ぶ大寺院であった。中心伽藍は中央の釈迦堂で二階堂(https://4travel.jp/travelogue/11642808)とも呼ばれた。
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永福寺が建立された寺域を鎌倉市教育委員会の福田は「二つ の谷(西ヶ 谷、杉ヶ 谷)の 合流地点 がその中心」(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgarden1993/1998/6/1998_6_42/_pdf)としており、「亀ヶ淵」がその中心であったことに気が付いていない。この程度であるから世界遺産に落選する理由が理解できる。
源頼朝は生前に鎌倉の鶴亀を鶴岡八幡宮の地「鶴」と永福寺の「亀」(亀ヶ淵)に新に設定しているのだ。 -
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整備前の名残のススキ。
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ここに2本の銀杏の木。植えて年数はない。
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「国指定史跡 永福寺跡 案内図」。
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永福寺は薬師堂、釈迦堂、阿弥陀堂の三堂が並ぶ大寺院であった。中心伽藍は中央の釈迦堂で二階堂とも呼ばれた。亀ヶ淵に建てられた。現在は二階堂字三堂などに地名が変更してしまっている。
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