2019/02/06 - 2019/02/06
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三峯霧美さん
相模国国府六社巡りを軸に、神社を廻る一日です。
午後は江の島の江島神社へ参拝して、オリジナル御朱印帳を頂きます。
その後は鎌倉へ移動。
鎌倉宮、荏柄天神社を参拝しました。
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14:00 江の島上陸 冷たい雨の平日、駐車場はガラガラです。
青銅の鳥居をくぐって参道を進みます。 -
急に江島神社のオリジナル御朱印帳が気になっての参拝です。
これも神様に呼ばれたのかな。 -
江島神社 朱の鳥居
3年ぶりだね。
モニュメントの前でポージングして写真撮影している女子二人。雨降ってるのに気合が違う。江島神社 寺・神社・教会
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有料エスカレーターもありますが、自力で階段を登ります。
相変わらず、キツイね、二つ目の折り返しのところの大きな手水舎でお清めしましょう。 -
うっしゃ~!登ったぜぃ!!下半身の筋肉が悲鳴を上げてる。
というわけで辺津宮に到着です。
あら~、お参りの行列がないですよ。 -
法案殿の弁天様は調査のために国立博物館に出張中だって。
そういえば、小学生のころ、父がカップルで(アベックと言ってた)江の島に来ると弁天様が嫉妬して、別れることになるって都市伝説を教えてくれた。
小学生に教えることかな(笑) -
八坂神社もお参り。
腰越の神社に祀られていた御神体が津波で流され、江の島の奥で漁師が拾い上げて江の島に祀られたんだそうですよ。
当時は天王社 牛頭天王を祀っていたのでしょね。 -
今回は八坂神社の御朱印を頂きました。書置きです。
蘇民将来 江の島天王社 って書いてありますね。 -
昨年の台風24号(2018年)の被害にあい伐採された「むすびの樹」
大きな銀杏の木でしたが、もろに風をくらったか・・・。江島神社 寺・神社・教会
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オリジナル御朱印帳
葛飾北斎と同じ構図に江の島と赤い鳥居、裏表紙は鯛が跳ねてます。
頂きました!!嬉しい。 -
御朱印も頂きました。
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今回は江島神社のお参りはここだけ。
下りの石段はとんとんと楽勝です。
14:30 お次は海岸沿いを走って鎌倉へ。
江ノ電の鎌倉高校前はすごい人!ほとんど若いアジア圏の外国人観光客です。恐るべしスラムダンク。 -
15:00 鎌倉宮
鎌倉の道は狭いんですよ、町が古いからかなぁ。
信号待ちも先頭はココで待つみたいなローカルルールがあって、帰り道のために覚えておかなくちゃ。
近くの市営有料駐車場に車を停めました。鎌倉宮・鎌倉宮宝物殿 寺・神社・教会
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お参りするなら、敷地内に停めてよかったらしいです。(訪問時のHPには記載がなかった)
神社の創建は1869年、明治天皇は鎌倉幕府を倒した時に功績のあった皇族や武将を主祭神として建武中興十五社を造りました。そのうちの一社です。 -
鳥居の周りに河津桜が咲いています。
雨に濡れて、ピンク色が鮮やかです。
雨はとりあえず止んでますが、いつ降り出してもおかしくないので、傘は手放せません。 -
主祭神 大塔宮 護良親王 おおとうのみや もりながしんのう
後醍醐天皇の皇子です。
ここは皇子がとらえられて幽閉されていた東光寺の跡地。 -
手水舎 周りは桜かな、うっすらと木の先が色づいています。
こんな冷たい雨の日でも、春はちゃんと近づいてきています。 -
拝殿
1869年に明治天皇自ら鎌倉宮と名付け造営を命じました。1873年には行幸されたそうです。 -
拝殿のずっと奥に本殿が見えています。
本殿の左側には南方社があります。持明院南御方を祀るもので、護良親王に付き添い鎌倉で身の回りの世話をした女性です。
親王の間には子供もいました。
ここからお参りして、奥の土牢に行ってみましょう -
本殿が見えています、土牢はその奥。
大塔宮 護良親王は後醍醐天皇の皇子で、1333年、父と共に鎌倉幕府を倒し征夷大将軍になります。
父が寵愛する足利尊氏のことを、いずれ武家として台頭すると懸念して父と対立してしまいます。 -
足利尊氏は護良親王が帝位を狙っていると濡れ衣をきせ、護良親王は帝位を奪うつもりは全くないと父に上奏するも届きませんでした。
1334年 尊氏は皇位簒奪を企てたとして天皇の意を受けて、護良親王を捕らえ征夷大将軍を解任し、身柄を鎌倉に送ります。 -
本殿の奥に石段があって、白い壁が建てられています。
一説には親王は尊氏の討伐の軍を挙げますが、天皇は親王が勝手にやったことだと親王を捕らえて尊氏に引き渡したとも。
鎌倉では尊氏の弟の直義によって、この土牢に幽閉されたそうです。 -
土牢の前にも白い壁。
幽閉されて9カ月後、1335年、御醍醐天皇の親政に不満を持つ北条時行軍が信濃から関東平野を縦断して進軍し、鎌倉を奪還します。
北条氏が前征夷大将軍の護良親王を擁立して鎌倉幕府を復活すると恐れた直義は、鎌倉敗走時に家臣に親王を暗殺させてしまいます。 -
復元された土牢 護良親王が9カ月幽閉されていたそうです。
内部は上段と下段に分かれてて、照明がついているので、内部が見えますが、泥の穴です。
う~ん、ここに9カ月?それも皇子だし、ありえないんじゃ??
付き添いに南方という女官が一人いましたし、牢の御所という記録もあり、土蔵だったのではないかという説もあります。 -
本殿の左奥にある御構廟 護良親王の首が置かれた所。
親王は足利直義の家臣、淵辺義博によって土牢の中で殺害されたのですが、義博が太刀で喉元をさそうとすると、親王は刀を噛み折り、格闘の末に首を取り、土牢を出て月明かりで首を見ると、両眼を見開き、刀を咥えたままで、あまりの形相に恐れをなした義博は首を捨てて逃げたんだそうです。 -
親王の首は理智光寺の住職によって葬られたと伝わります。
その他に、親王の首は南方が鎌倉から持ち去り山梨県都留市で王子を産みますが共に亡くなり、首は石船神社で祀られていたり。
富士市の小室浅間神社の桂の木の下に埋葬されたとか、側女が横浜に持って行ったとか、いろいろな伝説が残っています。 -
宝物殿にある護良親王の木造です。
小さい頃に仏門に入り、10代で天台座主になりましたが、修行はせずに武術の鍛錬ばかりしていたそうです。 -
盃割り舎
1980年頃に造られました。
いわゆる「かわらけ投げ」の派生の厄落とし。 -
かわらけに息を吹きかけて厄を移し、大きな石に投げつけて、厄を落とします。
パリンと割れて、気分爽快。 -
村上社
祭神 贈従三位左馬権頭 村上彦四郎義光公
護良親王の家臣。
吉野落城の際、覚悟を決めて自刃しようとする親王を諫め、親王を逃がし、親王の鎧を身に着け身代わりになり切腹したそうです。 -
2004年に境内のケヤキの大木で造られた「撫で身代わり様」
病気平癒の御利益があります。
念入りにお参りしました。 -
社務所で御朱印を頂きました。
月参りの見開き御朱印でした。 -
かつて神社では鹿の奉納があったそうです。
さて、ここからは歩いて荏柄天神社に向かいます。 -
15:32 荏柄天神社 えがらてんじんしゃ
社号標の隣には木が交差した入り口があり、その先に朱の鳥居。 -
後ろを振り返ると、長い参道が続ています。
300mもある参道で、金沢街道から始まります。そこに一の鳥居があります。 -
伝わるところによれば、1104年、晴れていた空が暗くなり雷雨と共に黒い束帯姿の天神画像が天から降りてきて、それを里人が社殿を立てて祀ったのが始まりです。
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祭神 菅原道真公
1180年鎌倉に幕府を開いた頼朝は、鬼門に位置する神社を崇敬して社殿を造りました。 -
拝殿
この奥に本殿があります。その本殿は1316年に鶴岡八幡宮の若宮として造営されたもので、1624年に移築されました。
重要文化財です。 -
大銀杏
由緒にある天神画像が降りたところで、畏れ多いとそこを踏まないように銀杏を植えたとされているので、樹齢が900年だとか。 -
かっぱ筆塚 1971年造
河童の漫画で有名な清水崑の絵筆を供養した筆塚です。
初代黄桜の河童の絵を描きました。 -
奥に絵筆塚 1989年造
横山隆一が建立しました。
当時の日本漫画家協会に所属していた有志が河童をモチーフにしたキャラクターを描いたものがレリーフとなっています。 -
2代目の黄桜のカッパを書いた小島功、隣は園山俊二など、知ってる作家さんがたくさん。
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手塚治虫さんはアトムかっぱです。
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御朱印を頂きました。
歩いて鎌倉宮脇の駐車場に戻り15:50
もう相模国国府六社巡りの三の宮の比々多神社には間に合いません。伊勢原なので、最後にお参りして帰ろうと思っていたんですが、やっぱり最初の寒川神社のロスタイム30分が影響してますね。
なので、鶴岡八幡宮に行くことにしました。
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