1967/04/27 - 1969/09/30
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yamada423さん
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明治神宮 外拝殿前の境内 1968年1月1日(昭和43年)
アポロ11号月面着陸 1969年7月20日(昭和44年)
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はじめに
私が写真を撮り始めたのは高校3年のころ(1961年頃)で、高校時代のアルバムを元にまとめたのが下記である。
アーカイブ「高校生活3年間の思い出・記録」ARCHIVE:School life of Urawa High School in early sixties(2011年7月公開)
https://4travel.jp/travelogue/10583150
最も古い記録は高校3年秋の関西地方への修学旅行。
大学時代はオーケストラに所属していたため、いろいろな活動の記録がある。(昭和の記録No.3,No.4公開済み)
また将来はエンジニアを目指して理工系の大学に入り、モータースポーツに強い関心を抱き、各地のレースを見に行って流し撮りのテクニックを身に付けたりもした。
モノクロ(白黒)フィルムは1971年まで使用し、それまでの10年間に撮った写真のネガフィルムはほとんどすべて保管しており、121本(約4200画像)になる。
しかし古いものはフィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)で損傷がひどく、変形や黒点発生で画像の復元が困難なものがある。
平均余命まで10年(平均寿命81.41歳までは5年)を切り、遺品の整理が簡単に済むようにと思い、2019年7月までに全てのモノクロのネガフィルムをスキャナーEPSON GT-F740で電子データ化した。
現代用語:終活(笑い)
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昭和の記録公開について
令和2年になり、新型コロナウィルスの世界的大流行に伴って海外旅行のみならず旅行が難しい状況が続く。とりわけ東京都内への外出自粛を余儀なくされている現状に鑑み、昨年デジタルデータ化したモノクロ写真を元に旅行記に編集して公開することを思いついた。
1968年の九州一周卒業旅行を公開した例はあるが、それ以来の作業になる。
写真の説明資料はほとんど残っておらず、読者に興味を持って見てもらえる作品になるか予想はできないので、とりあえず試しにスタートしてみることにした。(2020年7月)
公開が主な目的ではなく、遺品として廃棄される前に、私自身だけではなく、共に昭和を過ごしてきた人々の記録をこの世に残しておきたいという願望が先に立つ。
もう一つの狙いは「写真を主体にした自分史」をウェブサイトに残すことである。
ここまではシリーズ共通の前文とする。
シリーズ昭和の記録 百選 総集編
https://4travel.jp/travelogue/11651747
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シリーズ昭和の記録No.29 明治神宮、明治百年展示会、アポロ月面着陸
1968.1、1968.12、1969.7.20
シリーズ昭和の記録は最後の段階となり、いくつかの項目を複数まとめて編集した。その1
今回の項目
1. 晴海国際見本市 1967.4.27-5.3(昭和42年)
工作機械、産業機械、輸送機器、建設機械、美容機器など。
2. 明治神宮の初詣 1968.1.1(昭和43年)
3. 明治百年展示会 1968.1(昭和43年)
4. アポロ11号月面着陸テレビ1969.7.20(昭和43年)
5. 平林寺の秋 1969.9(昭和44年)
撮影
CANON FT FL50mm F1.4
NEOPAN SS(FUJI FILM) ASA=ISO 100
ネガフィルムをGT-F740でスキャンした画像の大きさ 約3000×2100
<参考>明治神宮初詣
明治神宮 平成最後の初詣
https://4travel.jp/travelogue/11441612
令和2年 明治神宮初詣+渋谷・浅草
https://4travel.jp/travelogue/11584953
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編集者自己紹介(シリーズ共通)
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/67/06/src_19670641.jpg?1420067275
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 浦和高校同窓会 遺影用Yei !
シニア写真愛好家のyamada423です。
一眼レフの経歴はPENTAX、CANON FT、CANON AE-1P、CONTAX RX、EOS40D、EOS80Dなど50年以上です。
<略歴>
大岡山の工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。
写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かったカーレース(日本グランプリ、CAN-AMなど)に出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。日本グランプリなど、レースの特集は9月中にはイベント毎に編集して投稿する予定です。
月額1~1万3千円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。きちんと返済しました。
1980年頃から欧米主要国の自動車および自動車部品関連企業、研究機関への出張を繰り返し、その間仕事の合間を利用して撮影を続けました。1997年に財団法人へ出向を機会に出張がなくなり、個人旅行のみとなりました。
自動車会社の研究所(29年)と特許庁関連の財団法人工業所有権協力センター(IPCC)で11年、計40年勤務し、2008年3月退職
4トラベル会員登録 2010年5月21日
ホームページ(長期休眠中)自己紹介、随想「設計技術者の心」など掲載。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/
おねがい
50年以上前の写真ですが、なにかお気づきの情報がありましたら掲示板等でお知らせいただければ嬉しいです。
投稿 2020.10.19 10:00
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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1. 晴海国際見本市 1967年4月27日-5月3日(昭和42年)
工作機械、産業機械、輸送機器、建設機械、美容機器など。 -
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人工芝スキーゲレンデ
札幌オリンピックの5年前 -
SW-A型自動倣式木工旋盤
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キューバのブース
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ホバークラフトの模型でしょうか
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KOBE STEEL 神戸製鋼の大型シャベル
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富士製鐵 日本鋼管 川崎製鐵 八幡製鐵
社名が残っている会社はなく、日本製鉄とJFEスチールの2社に集約された。
就職先に富士製鉄も候補の一つだったが、当時の社長(永野重雄氏)が「大型自動車の事故を減らすには運転席を低くして運転手が事故の怖さを感じやすくするのがよい」と発言したのに嫌気をさして自動車会社を選んだ。
財界の重鎮の人の安全を無視した非人間的で思い上がった思想に呆れたものだ。 -
織機でしょうか
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大型バルブ
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今年2020年は明治神宮創建100年の記念の年で、大規模な修復工事が完了しました。
2. 明治神宮の初詣 1968年1月1日(昭和43年)
南参道から大鳥居をくぐって南神門に向かう88度に曲がる枡形あたりです。
人々の服装が現在とは大きく異なり、女性は和服、男性は背広にネクタイ、オーバーコートが目立ちます。
毎年初詣に行きますが、和服姿を見かけることは少ないです。
「明治神宮 平成最後の初詣」
https://4travel.jp/travelogue/11441612 -
枡形から南神門へ向かいます。
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枡形から大鳥居を振り返る。
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日本一を誇る大鳥居
木造の明神鳥居としては日本一の大きさで、高さ12m。柱間9.1m、柱の径1.2m、笠木の長さ17m、重さ13トン
鳥居の中にやぐらの上で警備する警官2人の姿が見えるが、当時はDJポリスではなかった。 -
南神門手前の南玉垣鳥居
明治神宮 南玉垣鳥居(第三鳥居)建替工事
6年の歳月をかけた南玉垣鳥居の建替工事についてご紹介します。
https://www.shimz.co.jp/shazi/topics/t170621.html
施工データ
名 称 明治神宮 南玉垣鳥居 (第三鳥居)建替工事
所在地 東京都渋谷区
設 計 株式会社木内修建築設計事務所
規 模 高さ8.0m 笠木長さ11.4m
構 造 木造(鉄筋コンクリート基礎)
竣 工 2016年10月
鳥居くぐり初め
https://www.youtube.com/watch?v=kdEn4jVqnXg -
南玉垣鳥居
現在の鳥居は平成最後期に建て替えられたので真新しい。
新しい南玉垣鳥居(2020.1.5)
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/64/24/31/src_64243152.jpg?1578451867
写真掲載旅行記 https://4travel.jp/travelogue/11584953 -
臨時に設けられた手水樋
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左は手水舎(てみずしゃ)で参拝の前に口と手を清めるところ
手水舎の作法
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/64/24/31/src_64243150.jpg?1578451867 -
南神門
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南神門から外拝殿(げはいでん)前の境内(内庭)に入る
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外拝殿前で参拝を待つ人々の列
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こうして高い位置から見ても、外拝殿前に大きな賽銭プールは見えません。
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外拝殿の柱の間から本殿が垣間見える。
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このとき(1968年)は創建48年でしたが、1920年の創建100年に向けて大規模な修繕が行われた。
この外拝殿を始め、本殿、南神門、東神門、西神門、回廊などの銅板葺の屋根が葺きかえられた。
銅板の寄付が募られ、1枚3000円で寄進しました。
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/46/95/70/src_46957064.jpg?1485822905
社殿の屋根の葺き替えのために奉納した銅版
大きさは6寸×2尺(約18×60センチ) 厚さ0.3ミリ
写真掲載旅行記https://4travel.jp/travelogue/11203446 -
横断幕を張った2本の松は今はありません。
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初詣の参拝を終え、晴れやかな表情で帰る人々。
画像をクリックすると2倍に拡大します。 -
帰路の大鳥居
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3. 明治百年展示会 1968年1月(昭和43年)
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レコードプレヤー
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ラジオでしょうか
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鎧(よろい)
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和時計
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写音機
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行灯(あんどん)でしょうか
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人力車
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4. アポロ11号月面着陸テレビ1969年7月20日(昭和44年)
名称:アポロ11号(Apollo 11)
小分類:アポロ計画
打ち上げ国名・機関:アメリカ/アメリカ航空宇宙局(NASA)
打ち上げ年月日:1969年7月16日
帰還年月日:1969年7月24日
打ち上げロケット:サターンV
宇宙飛行士:ニール・A・アームストロング/マイケル・コリンズ/エドウィン・E・オルドリン
飛行時間:195時間18分35秒
国際標識番号:1969059A
出典:http://spaceinfo.jaxa.jp/ja/apollo_11.htm -
1969年7月20日、司令船操縦士マイケル・コリンズが月周回軌道上の司令船コロンビアで待機する中、2人の乗り込んだ月着陸船イーグルは司令船から切り離され、1969年7月20日午後4時17分(東部夏時間)、月面に着陸し21時間30分滞在した。米国が着陸計画を終了した1972年12月までに月に到達したのは合計12人、いずれも米国宇宙飛行士である。 Wikipedia
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このとき採集したものかどうかわからないが、1970年に開催された大阪万博のアメリカ館に月の石が展示され、1時間以上並んで見学した。
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表紙写真(下)
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月面着陸 1969.7.20
月面でポーズをとるエドウィン・オルドリン。顔面を覆うバイザーに、写真を撮影したニール・アームストロングが映っている。写真はNASAより。Wikipedia -
5. 平林寺の秋 1969年9月(昭和44年)
このときは秋の風景を求めて雑木林などを散策した。
http://www.heirinji.or.jp/about/keidai.html -
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赤松林
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松林のススキ
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雑木林
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雑木林の熊笹
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平林寺堀(野火止用水)
玉川上水から分水した野火止(のびとめ)用水の一部。これら一連の開削事業は、当時の幕府老中で川越藩主の松平信綱が総奉行を務めました。平林寺周辺の緑道も野火止用水に沿って整備されています
県指定史跡。 -
鐘楼
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戴渓堂(たいけいどう)
日本に書法・篆刻を伝えた独立性易(どくりゅうしょうえき)禅師を祀ります。独立禅師は、隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師と共に第4代将軍徳川家綱謁見のため、長崎から江戸に随行。その際、当時の老中松平信綱は独立禅師を厚遇しました。
出典:http://www.heirinji.or.jp/about/keidai.html
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