2000/03/02 - 2000/03/03
13位(同エリア13件中)
まさとしさん
ダカールから帰国の途へ。経由地ギニアで機材トラブル。1泊することになった。
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12時半にコナクリに到着した。ターミナルビルはそれなりに立派だ。空港内にエアコンは効いていたが空気は悪い。一時間のトランジットののち飛行機に戻った。そして全員席に着き出発するのかなと思っていたら(フランス語のみで意味不明だったが)放送が流れた。どうもエンジントラブルが起こったらしく、再び飛行機から降りなくてはならないらしい。しばらくするとエンジンが止まり機内のエアコンも止まり汗がだらだら出てきた。とりあえず荷物をまとめて機外へ出るしかないようだ。再びトランジットルームに戻り待機。説明がないので状況が全く把握できない。一時間以上待たされ今日の出発は無理だと知らされた。出発は明日。今夜のホテルは用意してくれるらしいが困ったものだ。今回は帰国を急ぐ必要もないので、滅多にできない経験だとひらきなおろう。
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ダカールからは僕以外に三人の日本人が搭乗していた。そしてここコナクリからも三人の日本人が加わった。全員で7人の日本人がいることになる。空港はいろいろ混乱しているらしくホテルへの車が手配されたのは夕方5時だ。それまで何も食べることができず、ビーナッツで空腹を紛らわすことにした。
やがて空港からワゴン車に乗せられコナクリの中心部へ向かった。
ギニア共和国。オスマン・サンコンの出身国でもある。旧フランス植民地の中で唯一セーファーフラン(西アフリカ統一通貨)を使用しない独特の国。突然訪問の機会がやってきたのはすこしうれしい。ここもイスラム教の国らしく巨大なモスクが見える。 -
はたしてどこに連れて行かれるのだろうか。そのときノボテルの看板が目に入った。この一ヶ月安宿ばかりで高級ホテルとは無縁だった。少し期待がふくらむ。
ワゴン車はコナクリの中心部を通り過ぎ、海に面した広い敷地にある建物の前に到着した。そこは「ノボテル・コナクリ」。期待が現実となった。 -
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到着した客はフロントで順次名前を登録し、部屋のキーを受け取った。さすがに空港から大量の客が押し寄せたのでフロントはパニック状態だ。サービスはおろそかだが無料なので文句を言うのはやめよう。基本的にアフリカの高級ホテルでサービスを期待するのはやめたほうがいい。バマコでひどい目にあった。
とりあえず今夜は豪華な空間でリラックスだ。
部屋の窓の外には大西洋が広がる。 -
客室。
それにしても夕食の情報が全然来ない。本来なら部屋に連絡が来るはずなのだが。仕方ないのでホテルで両替し、ホテルの外へ買い出しに行くことにした。パスポートをフロントに預けているのであまり遠出はできない。そもそも今回のギニア入国はビザもないのでどのような扱いなのか把握していない。ギニアは賄賂大国だ。警官に捕まってパスポート不携帯などと知られたらどんな目に遭うかわかったのもではない。トラブルはご免だ。
結局この日夕食を食べたのは9時頃だった。チキンとフレンチポテト。サラダもつけることにした。支払いはすべてアエロフロートだ。もっと注文しておけばよかったと後悔した。結局よくわからない1日はこれで終わった。1ヶ月ぶりのバスタブに体を浮かべ、CNNをみて就寝。
翌朝朝食の連絡を待っていても仕方ないのでこちらから食堂に様子を見に行くことにした。そのままレストランに入ることができるらしい。朝食はバイキングを期待していた。しかしアエロフロートの客は2階の質素な専用レストランに案内された。パンとオレンジジュース、コーヒーとパイナップル。食べた気がしなかったが、オレンジジュースは本当の生搾りであまりのうまさに目が覚めた。
出発はいつになるのかわからないが、しばらくコナクリの街を散歩することにした。しかしやけに警官や兵士の姿が多くあまり遠出はできなかった。
9時前になったら出発のめどがついたようでフロントでチェックアウトすることになった。キーを返し、レシートにサインをした。レシートに書かれた金額は100$弱だった。 -
ホテルが用意したワゴン車で空港へと向かった。2台で向かったのだが、もう一台の方がパンクして立ち往生。でも予備のタイヤがあるらしくすくに取り替えることができた。
空港に到着。X線の検査も受けず出発ロビーに通された。これではハイジャックも用意だ。
その後パスポートが返され飛行機に乗ることになった。 -
駐機場にはアエロフロートの同機種が2機停まっていた。手前にあるのは昨日ダカールからここまで利用した飛行機だ。そして向こうにある機体は昨日急遽モスクワから呼びよせ、今朝到着したばかりの飛行機だ。今日我々はこの飛行機でモスクワへ戻ることになる。コナクリには機体を修理できる技術者がいないようで故障すると面倒だ。
12時に離陸。今度こそモスクワに行けそうだ。結局モスクワに到着したのは現地時間の深夜2時だった。
1ヶ月ぶりにモスクワ・シェレメチボ2空港に戻ってきた。アフリカから戻ってくると実に洗練された最新設備を誇る空港に思える。3月初旬のモスクワはそれほど寒くなく、氷が張っているがせいぜいマイナス5度くらいだろう。
それはさておきセネガルからの便が大幅に遅れてしまい乗り継ぎの便は存在しない。これからどうなるのだろうか。
どうやら出発は1日遅れの東京行きを確保してくれるようでそれまで過ごすホテルを用意してくれるらしい。ホテルに案内されたのは午前4時。出発は今夜の19時だ。12時間以上ホテルに滞在することになる。
連れて行かれたホテルは再びノボテル。
「ノボテル・シェレメチボ2」。普通に宿泊すれば300$はする超高級ホテルだ。しかしアエロフロートの客の部屋は乗り継ぎ客も利用するトランジットフロアーだ。ここは12000円で日本で予約できる。噂には聞いていたが、まさに監禁状態のホテルだ。ホテルの外に出られないどころかフロントのある1階にも行けない。通路には監視カメラがセットされすごいセキュリティーだ。とにかく出発の2時間前までフロアから出られないようだ。 -
トランジットルームだからといって部屋が劣っているわけではない。300$の部屋とは差はあると思うが12000円のトランジットホテルとしては値段相応で設備はしっかりしている。
NHKも久々に視聴した。
朝9時朝食の準備ができたと電話が入った。エレベータ前に集合して係員に連れて行かれた先は1階の会議室のような場所だ。ここで朝食をとることになった。ユースホステル並に質素でパン3枚と紅茶だけだ。無料とはいえ頭にきた。おまけに食べている間も監視が付き勝手な行動はできない。囚人になった気分だ。食べ終わったら再び客室(牢獄)のあるフロアへ引率された。まぁ出発直前まで部屋でごろごろできるは楽だけど。
昼過ぎまた電話があり、昼食の準備ができたとのこと。昼食はチキンのフライとスープ、サラダと紅茶。量は少ないが味はなかなか行ける。一応高級ホテルのシェフが作っただけのことはある。 -
部屋に戻りた退屈な時間が過ぎていった。窓の外にはターミナルビルと航空機。
最終的に16時に出発の準備をしてくれ連絡が入った。いよいよ空港へのバスが出るらしい。東京行きの搭乗券を受け取り、やっと帰国だ。終わってみればアエロフロートにはいい経験をさせてもらったと感謝。
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