2000/02/09 - 2000/02/13
16位(同エリア37件中)
まさとし 国連加盟国全て訪問済さん
- まさとし 国連加盟国全て訪問済さんTOP
- 旅行記737冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 456,800アクセス
- フォロワー82人
この地域は日本人にとってなじみが薄く未だにこれといった日本語のガイドブックは発行されていない。頼れるのは英語版の「ロンリープラネット」だけだ。しかしこのロンリープラネットも長い間改訂版が出版されず、古い本が洋書屋に並び、最新の情報を手に入れる事は難しい状態だった。そんな中1999年になってロンリープラネットが「WEST AFRICA」の改訂版が出版された。それによって僕は妙にこの地域を意識するようになった。そして行きたくなった。そんな中旅行人のガイドブック「アフリカ」も出版されると言うことを知りいてもたってもいられなくなってきた。
-
コートジボアールの国境に到着したのは朝4時過ぎだ。ここで出国のスタンプが押された。列車がブルキナファソの国境に移動したのは1時間後。ブルキナファソの入国スタンプが押され、駅を出発したのは9時前のことだった。
-
途中の駅にて
-
二等車両は混雑している。
-
列車は走り続けた。前にいたフランス語しか喋れないブルキナファソ人と仲良くなり、一緒に食事をしたりして、今回の旅で初めて言葉の壁はそんなに高くないなと実感した。
-
列車は走る続ける。
-
ブルキナファソ第二の都市。ボボ・デュラソの駅。駅舎がこの地域独特のモスクをイメージされている。
-
列車に乗り、二度目の夕日。日が暮れ涼しくなってきた。ワガドゥグ駅に着いたものの駅舎の外にはすぐに出られないようになっていた。全員列車を降りるまで駅舎の中で待たされた。柵が解放されたのは30分後のことだった。出迎えの人でごった返している。タクシー運転手も声をかけてきた。しかし僕は歩いて宿を探すことにした。街へ出たものの暗くてとても歩きにくい。でもなんとかこの街で一番安い宿を見つけることが出来た。ここには日本人が3人泊まっていた。今回の旅行で日本人の旅行者に会うのは初めてだ。これから(マリなど)北上すると日本人に会う確率も高くなるかもしれない。
-
ある日の夜、日本人3人とビールでも飲みに行くことにした。彼らは共に日本を出て1年以上がたち、1人は中南米そしてスペインからサハラ南下(1年半)、もう一組はスリランカからインド・東アフリカそしてスペインからサハラ南下(2年半)。そして彼らはセネガルからマリを通ってここブルキナファソにやってきた。今日の昼にも日本人の2人組に会い、その人たちはセネガルから来てこれからバスでガーナへ向かうと言っていた。ここブルキナファソ共和国は地理的にも西アフリカの中心でいろいろな国から旅行者が集まってくる。何もないが治安は良いし、人も他の西アフリカ(フランス語圏)に比べれば穏やかなので居心地はいい。アフリカの新たな(ダラダラする旅行者が滞在する)沈没国になる予感がする。
-
ブルキナファソの首都ワガドゥグは今発展まっただ中だ。西アフリカでは英語圏のガーナが建設ラッシュだったが、フランス語圏の中では間違いなくワガドゥグが輝いている。新市街には外資を誘致しようと小綺麗な街がすでに完成して活気がでつつある。この風景を見て西アフリカもまんざらではないと思ってしまった。
しかし印象のよかったワガドゥグで路上強盗に遭いパスポートを失った。それにより横断のルートが少し変わることになった。
西アフリカの内陸国「ブルキナファソ」の首都ワガドゥグ。コートジボアールから列車で北上し、はるばるやってきた。フランス語圏の中では好印象の国だった。しかしこの街を出発し、隣国マリヘ移動しようとした日の朝だった。
まだ夜明け前の6:30。宿から約1キロ離れたバスターミナルへ歩いて向かった。
ひとりの男が僕のあとをつけていたようで、気がついた時には男が後ろからナイフを突きつけてきた。そして持っていた僕のウエストバッグを強引に奪おうとした。しかしウエストバッグはたすき掛けにしていたのですぐに奪い取ることは出来ない。犯人は何か怒鳴っていたがわけが分からない。こっちも荷物を盗られないようにいろいろ考えてしまった。一番危険なパターンだ。しかし犯人はしびれを切らしてバッグのひもを切断してそのまま逃走してしまった。いわゆる路上強盗。回りには誰も人がいなかった。そんなこと今さら気づいても後の祭りだ。手元にはカバンのひもだけが残った。
盗まれた物はパスポート、イエローカード、カメラ、ロンリープラネット(ガイドブック)。パスポートは1月13日に新しく作ったばかりの新品だ。そしてイエローカードを失ったことで今後、移動が不自由になる。カメラは高級コンパクトカメラ「コンタックス」。そしてガイドブックを失ったのは痛い。日本語のガイドブック「旅行人」は盗られずにすんだが、あれだけでは不十分だ。しかしガイドブックなどどうでもよい。今まで海外旅行を6年やってきたが、今回最悪の事態になってしまった。それは「日本大使館のない国でのパスポート紛失」という問題だ。どう対処していいのか見当もつかない。前例も聞いたことがない。途方に暮れてしまった。
とりあえず、どうしようもないのでもと来た道を歩いて宿へ戻った。こんな事になってしまった以上、当分この宿の世話になりそうだ。これから何をすべきなのか、とりあえず警察届けがないと話にならないと思い、警察に行くことにした。歩いて中央警察に出向いた。しかし英語をまともに話せる警官はおらず門前払いだった。警察の受付は大使館に行けと一点張りだ。しかしこの国に日本大使館はない。「コートジボアール大使館が兼轄している」と言うと、「それじゃあそこに行け」と言われた。とりあえずここにいたのでは話が進まない。とはいえコートジボアール大使館に行ったところで再び門前払いになるのは目に見えている。この地域で絶大な力を持っているフランス大使館に助けを求めてみよう。
フランス大使館は8:30から営業が始まり、受付へと向かった。受付はフランス人。ワケを説明したが結局フランス大使館が何か助けてくれるわけはない。ここでもまずコートジボアール大使館へ行くことを進められた。そしてコートジボアール大使館で渡航書を作ってもらい、それを持って飛行機で移動するしかないらしい。アドバイスありがとう。
最後にコートジボアール大使館へ向かった。しかしというか予想通り警察証明がなのでまったく相手にされなかった。そもそもこの国ではフランス語を話せない人間は厄介者として位置づけられているようだ。結局、午前中ずっと走り回ったにもかかわらず結果はゼロ。宿に戻ろう。
この国には日本大使館はないが、唯一の救いは日本人旅行者が案外多いということだ。僕の泊まっているワガドゥグ最安値の宿には他に3人の日本人が泊まっている。彼らはみんな筋金入りの貧乏旅行者で僕よりは多くの知識を持っているだろう。彼らと同じ宿に泊まっていたのでそれだけでも心強い。今まで数々のトラブルに巻き込まれてきたが、今まで全て自分自身で解決することが出来た。だが今回はまったく解決のすべが見つからない。人には頼りたくないが、どうしようもない壁がとうとう僕の前に立ちはだかった。
宿に戻り、3人の日本人相談することにした。しかし日本大使館のない国でのパスポート紛失は前例はなく、誰も対処方法は知らなかった。日本企業もろくに進出していないこの国で一体どこに助けを求めればいいのだろうか。その時、一人が「JICA(国際協力事業団)に助けてもらった人がいるのを聞いたことがある」と言った。もしかしたらこの国にもJICAが活動しているかもしれない。とりあえず彼らも一緒について来てもらうことにし、観光案内所に向かうことにした。案内所の場所はすぐに見つかり、オフィスのおやじに「JICA」の事務所はないか聞いてみた。しかしわからないとのことだ。その時横にイエローページ(電話帳)が置いてあるのが目に入った。とりあえず調べてみることにした。すると「J.I.C.A.」という文字が目に入った。本当に日本のJICAなのか少し不安だったが電話番号を控えて急いで電話のあるビジネスセンターへ走った。
電話を掛けた。「ボンジュ、ジュ・スィ・ジャポネス。ドゥー・ユー・スピーク・イングリシュ」。いったい相手は何国人が出るのだろうか。すると「もしもし」と言う返事が返ってきた。日本人だった。安心感から一気に緊張が解けてしまった。救われた気分だった。
結果としてJICAはまだ活動しておらず、1999年4月にスタートする予定で現在は調査や準備をしている段階らしい。電話の相手は日本政府から派遣されたGさんという方の奥さんだった。電話をした30分後にはブルキナファソに駐在しているそのGさんという方に会うことができ、話は進んだ。待ち合わせ場所に選んだのは「ホテル・インディペンデンス」。そこでいろいろ事情を説明し、JICAの調整員をしているFさんという方を紹介された。Fさんのおかげで僕は救われた。一時は「一生この国から出れないのではないか」とさえ思ったが、その事がずいぶん昔のことに思えてきた。
しかしこれからパスポート受取までの道のりは容易ではない。方法は二通りある。
1.兼轄している国にある日本大使館から職員(日本人でなくても構わない)に被害者のいる場所に来てもらう。その際パスポート再発給申請書を持ってきてもらい、それに記入し各種書類を職員に提出する。職員に一度日本大使館に帰って再発行手続きをしてもらう。そして後日再発給されたパスポートを持参した職員に再度来てもらう。そしてパスポートを受け取って無事旅行を続けることができる。職員の渡航費はもちろん被害者負担(5万円以内の場合は保険がおりる)
2.兼轄している国にある日本大使館まで移動するため、その国にある大使館で渡航書を発行してもらい移動する。(パスポートなき国境越え)
もちろん後者も方法がベストだがそれはコートジボアール大使館次第だ。
Fさんの話ではこの国で強盗にあった日本人は2人目とのことだ。旅行者としては僕が初めてらしい。ブルキナファソは周辺国に比べて確かに治安が良い国といわれていた。しかしコートジボアールで2カ月前(12月末)に起こったクーデターがいろいろ影響していたようだ。クーデターの際、反乱軍によって刑務所の壁が破壊された。それによって中にいた囚人が大脱走し、周辺国にも逃亡してしまったらしい。つまりコートジボアールに接しているブルキナファソ、マリやガーナなどにも犯罪者が逃れてきているというわけだ。確かにコートジボアールのクーデターは僕自身も今回の旅で最大の難点だと思っていた。しかしコートジボアール国内は平穏を保っていたので次第に気が緩んでいたのだ。
まさか思わぬ形でその被害にあってしまうとは思っていなかった。まさか周辺諸国まで影響しているとは。早速Fさんと行動を共にすることになった。移動はFさんの公用車を使わせてもらうことになった。まず警察へ向かい盗難証明書を作ってもらうことになった。フランス語が出来ると、こうも対応が違うものなのだろうか。今朝いたイヤな警官がいい人に見えた。紙に必要事項を書き、証明書は午後4時に受け取れるらしい。その間にコートジボアール大使館へ向かった。しかし3時まで昼休みなので出直すことになった。一度宿に戻り、旅行者3人を誘い、昼御飯を食べることになった。Fさんおすすめの店でネズミのシチューを食べさせてもらった。最近は屋台でしか食べてないので少し落ち着かなかったが、実に洗練された味で満足。
午後3時、再びコートジボアール大使館へ向かった。もしここで渡航書が発行されるのならアビジャンの日本大使館でパスポートを再発給してもらいそのまま旅行を続けることが可能だ。とりあえずFさんに交渉してもらうことになった。やはりここでもフランス語が喋れると対応がまったく違うようだ。結果として渡航書が発給されることになった。写真2枚と3300円、基本的には観光ビザの取得と変わらない。とりあえず写真を取りに宿へ戻り、その足で警察へ盗難証明を受取に向かった。そしてアビジャンまでの飛行機の空席状況も確認し仮予約をしておくことにした。ビザの受取は月曜日なので火曜日の8:00発。一番安いのはブルキナ航空で11797円だった。
盗難証明を持って再びコートジボアール大使館へ出向いた。そして写真とビザ代を提出した。本来ビザの受取は翌日午後3時以降となっているが、15分ほど待ちその場でビザがおりた。しかし手渡されたのは盗難証明書の裏にコートジボアールのビザが押してあるただの紙切れだった。写真も付いていない。これがいわゆる「コートジボアールへも渡航書」だが、本当にこれで出入国審査を通過できるのか、かなり不安になってきたが、他にどうする事もできない。
とにかく全てが自分の考えていた最良の方法で事が進んだ。フランス語が出来る出来ないでここまで対応が違うとは。
今日一日でやるべき事は全て終わった。驚異的な早さだった。これも全てFさんのおかげだ。丸一日僕のために時間を裂いていただいてなんとお礼を言って良いのか。神様、仏様、F様といった感じだ。一生忘れることの出来ない人が新たに1人増えた。
もういつでもブルキナファソを出発できる状態になった。とりあえずアビジャンで月曜日の朝から行動を開始できるように日曜日のうちにコートジボアール入りしたい。そんなわけで日曜日のブルキナ航空を予約することにした。航空券の受け取りは明日の午前中。とりあえず明日の土曜日はここブルキナファソでのんびりしよう。夜は世話になった日本人3人と近くの屋台へ33円のぶっかけご飯を食べに行くことにした。安い。
嵐のような一日だった翌日は土曜日。今日すべきことは航空券の受け取りだけだ。とりあえず9時に旅行代理店に向かった。しかし航空券はまだ届いてないので10時半以降に来てくれとのことだ。それまで電話局に行って保険会社に保険の条件(パスポート再発給待ちの間の滞在費支給)について質問しようと思ったがコレクトコールが使えなかったのでやめた。モスクやマルシェをぶらっとし、再び旅行代理店に向かった。しばらく待たされたが11時には航空券を受け取ることが出来た。
夕食は同じ宿の旅行者のNさんが雑炊を作ってくれた。午後は何もすることがなく洗濯をし、旅行者同士で雑談をしながら時間は過ぎていった。夕食もNさんがカレーを作ってくれた。今日は夜ビールを飲みに行っただけでほとんど金を使わなかった。自炊はもちろん割り勘で1人あたり29円/2食は安い。
朝7時宿を出た。2日前の朝6時に宿を出て強盗に遭ってしまったが、その時はまだ薄暗かった。でも1時間遅い今はもう明るい。でもまた強盗に遭うのはいやなのでタクシーで空港へ向かった。実際空港までの距離は中心部から2キロもないので歩いていけるのだ。速やかにこの国を離れたい。
ワガドゥグ国際空港はアフリカの首都の空港としてはまだましな気がする。コトヌーよりは大きい空港だ。しかしここも空調はない。今回の移動における最大の問題点はパスポートがないことだ。唯一僕の身分を証明してくれるものは盗難証明の裏にコートジボアールのビザが押してある紙切れだけだ。これがいわゆるコートジボアールへの渡航書だ。写真も付いてない頼りないものだ。もし入国管理官がフランス語しかわからずもめたら最悪だ。そんな不安からも空港には早めに来てしまった。
出発の2時間前である7:30からチェックインが始まった。空港の中に入り搭乗券の受取までは何の問題もなくスムーズに進んだ。ブルキナ航空はコンピューター化されていないので手書きの搭乗券が手渡された。そのままイミグレーションへ向かった。ここさえ通過し、コートジボアールに着いてしまえばもうこっちのものだ。とにかく最後の難関だ。
イミグレーションで搭乗券と盗難証明書を差し出した。入国管理官は「これでは行けない」と言いだした。相手は多少英語を理解できたようだが、こちらからややこしい会話をしてしまうと相手が面倒くさがって相手にされない可能性があるので短く簡単な単語だけ並べ、説明することにした。「日本大使館はこの国にない」「コートジボアールに行かなくてはならない」「これがコートジボアールへの特別ビザだ」といい盗難証明書の裏に押されたスタンプ(ビザ)を見せた。相手は少し考えてから盗難証明書に出国のスタンプを押し「行っていい」と言った。かなりヒヤヒヤしてしまった。もうこれ以上Fさんを頼るわけにはいかないし、なんとかなってよかった。すごい経験だがこういうことは人の話を聞くだけで十分だ。
9:30発のブルキナ航空。機材はフォッカー28で一応ジェット機を使用していた。途中ボボ・デュラッソを経由、そしてアビジャンに向かった。途中飲み物とサンドウィッチ、バナナの干物が出た。アフリカの航空会社にしてはまともなサービスだった。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2000年 西アフリカ横断
-
前の旅行記
2000年 西アフリカ横断-D(コートジボアール編)
2000/02/06~
コートジボワール
-
次の旅行記
2000年 西アフリカ横断-F(コートジボアール編) /旅券再発給
2000/02/13~
アビジャン
-
2000年 西アフリカ横断-A(ベナン編)
2000/01/26~
コトヌー
-
2000年 西アフリカ横断-B(トーゴ編)
2000/01/30~
ロメ
-
2000年 西アフリカ横断-C(ガーナ編)
2000/02/01~
ガーナ
-
2000年 西アフリカ横断-D(コートジボアール編)
2000/02/06~
コートジボワール
-
2000年 西アフリカ横断-E(ブルキナファソ編) / 日本大使館のない国での旅券紛失
2000/02/09~
ブルキナファソ
-
2000年 西アフリカ横断-F(コートジボアール編) /旅券再発給
2000/02/13~
アビジャン
-
2000年 西アフリカ横断-G(マリ編)
2000/02/18~
マリ
-
2000年 西アフリカ横断-H(セネガル編)
2000/02/24~
セネガル
-
2000年 西アフリカ横断-I(ガンビア編)
2000/02/26~
バンジュール
-
2000年 西アフリカ横断-J(セネガル編)
2000/02/29~
ダカール
-
2000年 西アフリカ横断-K(ギニア編)/機材トラブルでコナクリ滞在 、帰国の途へ
2000/03/02~
コナクリ
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
ブルキナファソ の人気ホテル
ブルキナファソで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ブルキナファソ最安
926円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
旅行記グループ 2000年 西アフリカ横断
0
9