2000/01/26 - 2020/01/30
17位(同エリア23件中)
まさとしさん
この地域は日本人にとってなじみが薄く未だにこれといった日本語のガイドブックは発行されていない。頼れるのは英語版の「ロンリープラネット」だけだ。しかしこのロンリープラネットも長い間改訂版が出版されず、古い本が洋書屋に並び、最新の情報を手に入れる事は難しい状態だった。そんな中1999年になってロンリープラネットが「WEST AFRICA」の改訂版が出版された。それによって僕は妙にこの地域を意識するようになった。そして行きたくなった。そんな中旅行人のガイドブック「アフリカ」も出版されると言うことを知りいてもたってもいられなくなってきた。
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出発の2ヶ月前、航空券を買うことにした。航空会社は迷わずアエロフロートにした。というよりアエロフロート以外の選択枠がない。とにかく値段の安さだけが魅力だ。コトヌー(ベナン共和国)へ入りダカール(セネガル)から帰ってくる。これと同じようなルート設定はヨーロッパ経由のサベナベルギー航空(現在倒産)でも可能だったが、値段が25万円ととても手が出ない。ちなみにアエロフロートロシア航空は\89000だ。ただし週1便。所要時間の長さと往路モスクワでの1泊など条件は厳しい。しかし他に選択の余地はないのでアエロフロート以外考えることは出来ない。
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アエロフロートの客の大部分は東京を出発する時点でアフリカ系が目立った。僕が利用するガーナ・ベナン便と共にセネガル・ギニア便も同じ木曜日出発なので集中するのも無理はないだろう。モスクワまではエアバスA310なので比較的楽な移動だがその先が心配だ。機内食はかなりボリュームがあり、サービスもそんなに悪くはない。日本路線は競争が激しいからアエロフロートも結構無理をしているのだろう。
モスクワに到着したのは10時間後、現地時間の夕方だ。外の気温はマイナス19度。人間の活動する場所ではない気がする。
ロシアの玄関口モスクワ・シェレメチボ国際空港。予想以上に立派で免税店も充実していて種類も豊富だ。床で寝ている人がたくさんいるので、予想通りトランジットホテルは必要なかったようだ。
トランジットの場合食事だけはタダで付いてくるらしい。しかしこの夕食、給食のようなアルミの皿にビーフカレーとライス。そしてサラダとコーラ。はっきり言ってマズすぎる。しかしタダなので文句を言うのはやめよう。とりあえず腹は満たされた。
7:05発のマルタ、アクラ経由コトヌー行き。機材は旧ソ連製ツポレフ154型機。旧ソ連製の飛行機に乗るのは初めてだ。通路を挟んで三人掛けの機内はかなり老朽化が進んでいる。オーディオなど有るはずもなく、リクライニングもぐらぐらだ。
マイナス30度の早朝のモスクワ。出発前、翼が凍っているらしく、解凍剤のような液体を翼に吹きかけていた。本当にちゃんと飛ぶのか心配になってきた。離陸後こんなボロい飛行機から信じられないほどまともな機内食が出た。チキンと魚が選べボリュームも満点だ。
アエロフロートの欠点は機材と客層のガラの悪さだ。着陸の際、機体が完全にとまっていない状態でまだ滑走路を走っているのに、ほとんどの客が立ち上がり荷物を出そうとする。また禁煙席にも関わらず平気な顔でたばこを吸うレバノン人のおやじもいる。紙コップをそこら中に散らかし、でかい声で立ち話をする黒人など。スチュワーデスもそれらを気にしていないようで何も言わない。機内の秩序は乱れまくっている。やりたい放題だ。アフリカの飛行機は空飛ぶ乗り合いバスだと誰かが言っていたが、まさにその通りだ。こう考えるとアジアや中南米の航空会社はかなりしっかりしていると改めて感心。
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途中マルタのバレッタを経由。地中海のさわやかな気候だ。ここで何人かの客が降りていった。その後サハラ砂漠上空を通過、ガーナのアクラ空港に寄港した。
写真はアクラに立ち寄ったアエロフロート機。目的地のコトヌーに到着したのはモスクワを出てから12時間後の現地時間17時のことだった。
共和国のコトヌー。ターミナルビルは小さくエアコンも効いていない簡素な建物だ。ヨーロッパからの直行便が比較的多いのでもっと立派な空港かと思っていたが予想が外れた。イエローカードを見せターミナル内で入国審査を受けた。ビザは持っているので手続きは早い。
税関を抜け到着ロビーに出た。タクシー運転手が声をかけてくる。この国のことがまったく分からないので少し怖い。この国は比較的人が良いとの噂だがどこまで信用して良いのだろうか。 -
とりあえず空港の外へ歩き出すことにした。すると一台のバイクタクシーが追いかけてきた。このバイクで行くことに決めた。空港から中心部までの海岸線の道路は舗装され快適だった。ココナッツの木、夕暮れ時の湿った空気が案外心地良い。南国へ来たなと実感。しかし中心部に近づくにつれ排気ガスと砂埃がひどく、空気の悪さはワースト水準だ。車よりバイクが多いところが東南アジア的だがやはり黒人ばかりなのでアフリカだ。僕の存在がかなり目立つらしく、全員こちらを見ている。しかしそれは仕方ない。
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HOTEL BABO。1泊600円弱。ファンなしだがシャワー付きだ。ベランダからの景色はなかなかすばらしい。この宿に決定だ。
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ホテルのベランダからはコトヌーの街を眺めることができる。ほとんどが未舗装だ。
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コトヌーの街角にて。
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コトヌー中心部。バイクが入り乱れるところがベトナムっぽい。
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コトヌーの青空市場。はっきり言ってこの街に見所はない。
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世界遺産・アボメーの王宮へ行くことにした。コトヌーからアボメーまでの距離は約100キロだが2時間半もかかった。道路は完全舗装で快適だったのだが。アボメーは有名な観光地とはいえ、予想通りの僻地だ。とりあえず昼食を食べたかったが、食堂すら見つからず、バイクタクシーで10分くらい走ったところにある食堂に連れていってもらった。しかし米やパンはなく、ウガリ(トウモロコシの粉を蒸したもの)とチキンカレー。お世辞にも美味いとは言えない。
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アボメーの王宮。ここはヨーロッパへ奴隷を売却することで17世紀から18世紀にかけて栄えたダイホー王国の都だった場所だ。今は宮殿だったところが博物館として保存されている。
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中心地に市場があり、人々の表情も明るく活気がある。しかし写真を撮ると相変わらず金を要求される。困った国だ。
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コトヌーの商店で店番をしていた少年。
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コトヌーの宿で知り合ったシェラレオネ人のスタンレーとその女友達。西アフリカを旅しているとリベリア人など難民らしき人と知り合うことが多いが、彼らに難民という雰囲気はない。
トーゴのロメに乗り合いタクシーで移動することになった。しかし客は一向に現れない。1時間待っても他の客は誰一人として現れなかった。もし12時まで待っても誰も来なかったら1台貸し切って出発しよう。さらに30分ぐらい待っていると突然客が集まりだしたらしく、そのタクシーに便乗させてもらい、出発することになった。しかし荷物代で揉めた。
アフリカ人はいつも金、金、金、まったく。でもこの考えは先進国の汚い考えなのかもしれない。アフリカ人は金を得るために必死で正直なのかもしれない。しかしこちらもできるだけ金は払わないように必死になっているつもりだ。西アフリカではアジアと違ってタクシーなどで交渉した額があとで変わることはほとんどない。しかしはっきりと金額提示して「金をくれ」と言い、ワイロを要求してくるのはインドと同じだ。
11時にコトヌーを出発した。しかしトーゴに行けるのが確実になったわけではない。本当に国境でビザは取れるのだろうか。今回の旅で最初の山場がいきなり立ちはだかった。1時間強で国境に到着。車は荷物を積んだまま先に行ってしまった。もし入国できなかったらどうするんだ。
ベナンの出国手続きは遅い。英語のできるトーゴ人が通訳してくれ、何とかスタンプが押された。とりあえずベナン出国。しかし役人が2000F(330円)を要求してきた。「理解できない。レシートは発行できるのか。日本のベナン大使館は出国時、金はいらないと言っていたぞ」ごねていたら相手は観念した。ざまぁみろ。しかし通訳してくれていたトーゴ人が時間がかかりすぎだと怒り出して先に行ってしまった。何なんだ一体。
さてトーゴビザはもらえるのだろうか。早くしないと荷物が心配だ。しば らくして印紙が用意され正規のトーゴビザが発行されるらしく申請書を書かされた。そして手続きが始まった。とりあえず一安心。手数料は10000F(1650円)で写真は不要。1週間ビザがおりた。トーゴの役人はベナンより信用できそうだ。タクシーの運転手が迎えに来ていて遅いと文句を言って怒っている。僕はビザが取れた喜びもあり、運転手に1000F(165円)握らせ、機嫌を直すように言った。それによって運転手の機嫌が急に良くなり、味方につけることに成功した。実に単純な奴らだ。何事もすべて金で解決する。アフリカでは常識だ。いちいち気分が悪いと言っていられない。
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