2000/02/06 - 2000/02/08
26位(同エリア39件中)
まさとしさん
この地域は日本人にとってなじみが薄く未だにこれといった日本語のガイドブックは発行されていない。頼れるのは英語版の「ロンリープラネット」だけだ。しかしこのロンリープラネットも長い間改訂版が出版されず、古い本が洋書屋に並び、最新の情報を手に入れる事は難しい状態だった。そんな中1999年になってロンリープラネットが「WEST AFRICA」の改訂版が出版された。それによって僕は妙にこの地域を意識するようになった。そして行きたくなった。そんな中旅行人のガイドブック「アフリカ」も出版されると言うことを知りいてもたってもいられなくなってきた。
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エルボからコートジボアール国境まで歩かなくてはならない。ガーナの出国はスムーズだった。入国審査官に「次はいつガーナに来るんだ」と質問され「分からない」と言うと「何だガーナは嫌いなのか?」とほのぼのとした雰囲気の中、気分良く通過。そして約500メートル歩いた。
そしていよいよコートジボアール入国だと思いながら入国審査官にパスポートを差し出した。するといきなり役人が「5000F(1000円)出せ」とワイロを要求してきた。相手は「とにかく出せ」とほとんど脅しに近い状態だった。とりあえず冷静に対応するしかない。「それは何に使われるのか?ビザ取得時にも同じぐらいの額を支払ったのにどういうことか説明してくれ。レシートは出せるのか?」相手はとにかく出せとまだ言っているが、事務所の奥に入っていった。でもパスポートにスタンプを押してくれている。そして手続きをはじめた。あきらめたのだろうか。パスポート返却時さらにもめると思ったが、すんなりパスポートを返してくれそれ以上言い寄ってこなかった。まったくスタンプを押される前のワイロ要求ほど心臓に悪いものはない。コートジボアール旅行、先が思いやられる。
ガーナから無事コートジボアール入国。コートジボアールは12月末のクーデターで政変が起こり、不安定な状態が続いているかもしれないが、誰も騒いでないので問題ないだろう。国境からまずアボワッソまで向かうことにした。1時間強の道のりに検問所が10カ所以上あり、そのたびにパスポートチェックや荷物検査があって、時間がかかって仕方ない。でもワイロ要求はなく一安心。中には50メートルも走っていないのにまた検問があったりする。いい加減にしてくれ。
アボワッソに到着したのは午後2時。すぐにアビジャン行きのバスに乗り込むことが出来た。 -
アビジャン行きのバスは今までの窮屈な交通機関と違い、座席に荷物を置いて足も伸ばせるほど車内にゆとりがあり、今回の旅で一番楽な移動となった。
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西アフリカでもっとも経済発展しているといわれるコートジボアール。幹線道路沿いにはショッピングセンターなどもあり、西アフリカ屈指の近代都市と言われるだけのことはあるが、期待したほどではなかった。トレッシュビルの街は他の西アフリカの都市同様、路地は舗装されていないし埃っぽい。人々の生活もあまり衛生的ではない。
「HOTEL LE SUCCES」という宿に泊まることにした。場所的にもそんなに不便ではない。しかし着いた時、水が出なかった。アビジャンでも断水か。 -
ホテルの屋上からはアビジャンの新市街、プラトーの高層ビル群が見渡せる。僕が滞在しているトレッシュビルは平屋ばかりだ。
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アビジャンに入ってまた人々の表情が冷たくなった。ガーナ人はあんなにフレンドリーだったのになぜフランス語圏に変わっただけでこうも変わってしまうのだろうか。本来ガーナもコートジボアールも民族的にたいした違いはないと思うのだが。
宿に荷物を置き、市場や駅周辺、桟橋などトレッシュビルの下町を散歩してみることにした。ラグーンを挟んで対岸にはプラトーの高層ビル群が見える。目が覚めるほどの風景ではなかった。ビルは遠くからでも老朽化が進んでいるのがよくわかる。 -
コートジボアールの経済の中心地であるアビジャンは首都ではなくなったものの、今でも西アフリカ経済の中心地だ。かつては象牙貿易が盛んに行われていたが、独立後コーヒーやカカオの輸出により経済発展をとげた。その結晶はプラトーの高層ビル群という形で残っている。しかし現在はその経済も行き詰まっていて昨年末のクーデターにつながってしまった。治安は良くない。
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坂の多い街と古い高層ビル群はなんとなくヨハネスブルグに似ている。西アフリカのニューヨークと言っても路上には物乞いやゴミの山。高層ビルがあること以外他の西アフリカ諸国とまったくかわりはない。
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スーツを着た黒人サラリーマンが案外多いのはこの街の特徴かもしれない。ちょうど昼休みということで食堂以外全ての店が閉まっている。プラトーでは12時から15時まで商店は休みらしい。
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アビジャンの夜。ホテルの屋上からプラトーの夜景を眺める。
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ブルキナファソのワガドゥグへの移動だが、僕はファーストクラスのチケットを買った。車両の位置は先頭の二両だった。クシェット(簡易寝台)かと思っていたがオープンサロンの座席車両で全席自由席だった。予約できないわけだ。無理して昨日チケットを買う必要はなかった。シート配置は1+2列とかなりゆったりしている。
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車内に日本人がいた。今回の旅で出会った初めての日本人だった。しかし彼らは旅行ではなくテレビの取材で来ているらしい。テレビ朝日の「世界の車窓」の撮影できているらしく、ここに来る前、セネガルとマリの国際列車の撮影もしてきたそうだ。車内の10席分を占拠してそこには高価な撮影機材が積まれていた。日本人スタッフ5人、現地ガイド2人、そして武装したボティーガード1人の計8人。そこだけ違う世界が広がっていた。テレビカメラや液晶モニターなどアフリカ人がそれらの最先端のグッズを見てどう思っているのだろうか。それだけ高価な物を持っていたらボディーガードも必要になってくるだろう。しかし彼らは仕事という事もあり、列車に乗っている間ほとんど席に着く間もなく走り回っていた。
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途中の駅にて
「世界の車窓」は毎日放送されているが、わずか2分の番組だ。1つの場所を何週間かかけて進んでいく長寿番組で僕自身、意識して見たことはないが、誰でも知っている番組の一つだ。僕はこの番組の撮影は同じ場所を行ったり来たり何往復かしてそれらを編集し番組が完成するもんだと思っていた。しかし彼らはたった一度、しかも片道だけで全てを撮り終えてしまうらしく、それには驚かされてしまった。まさに失敗の許されない世界だ。彼らはコートジボアール最北端の街で降りていった。そこから待機している車でアビジャンへ戻るらしい。
「世界の車窓」の撮影陣は列車を降りていったが、僕の列車の旅はまだ半分しか過ぎていない。一体いつになったらワガドゥグに着くのだろうか。コートジボアールの国境に到着したのは朝4時過ぎだ。ここで出国のスタンプが押された。列車がブルキナファソの国境に移動したのは1時間後。ブルキナファソの入国スタンプが押され、駅を出発したのは9時前のことだった。
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