2009/07/03 - 2009/07/04
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まさとし 国連加盟国全て訪問済さん
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6/23 東京(1250)~TK051~イスタンブール(1940) AKGUN ISTANBUL
6/24 イスタンブール(845)~TK1457~キエフ(1045) Kiev Lodging Hostel
6/25 キエフ(チェルノブイリ原子力発電所1日ツアー) Kiev Lodging Hostel
6/26 キエフ(837)~キシニョウ HOTEL Zarea
6/27 キシニョウ(1100)~ブカレスト HOTEL CARPATI
6/28 ブカレスト(2121)~ 車中泊
6/29 ~ベオグラード~ 車中泊
6/30 ポドゴリツァ(755)~コトル HOTEL MARIJA
7/1 コトル(858)~バール(1145)~ウルツィニ(1230)~▼~シュコダル~ティラナ ▼Vila Verae
7/2 ティラナ(555)~ポグラデック~スヴェタ・ナウム~オフリド 民宿/オフリド
7/3 オフリド~スコピエ~プリシティナ~ミトロビツァ Hotel Genti
7/4 ミトロビツァ~プリシティナ(1630)~ティラナ Vila Verae
7/5 ティラナ Vila Verae
7/6 ティラナ(1000)~TK1474~イスタンブール(1235) SERES HOTEL
7/7 イスタンブール(1710)~TK50~ 機内
7/8 ~東京(1100)
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スコピエを出て1時間もしないうちにマケドニアの国境に到着した。スタンプを押されその後しばらく走りコソボの国境に到着した。一気に貧乏くさくなるのかと思っていたがそうでもない。アルバニアのような場所を想像していたが、コソボは案外こぎれいな感じだ。ただ駅の施設は老朽化している。
コソボの入国審査官が車内に乗り込んできた。少し緊張するが気さくな感じで印象はよい。またこのあとどのように旅行するのか?スタンプは押しても大丈夫か?などといろいろこちらの都合に配慮してくれる。確かに今後セルビアに行く予定があるならスタンプはないに越したことはない。でも僕はアルバニアに行くだけでセルビアにはもう行かないから問題ないといいスタンプを押してもらうことにした。
ここから国内線扱いの列車になり、アルバニア系の客がたくさん乗ってきた。ここまでガラガラだったのに一気に席が埋まってしまった。コソボ内をしばらく走りある都市に到着した。
何を思ったかここがプリシティナの最寄り駅と間違えて列車を下りてしまった。乗客がみんな降りたのが原因でここが終点だと思ったのだ。最大の要因は向かいに座っていた人がプリシティナの最寄り駅らしき場所への切符を購入しているのが耳に入り、この客もここで降りてしまった。ほぼ全員が降りてしまい周りに誰もいなくなり気が動転してしまった。今までそのままボーと乗っていると乗り過ごすことがあったのでその危機感もあった。 -
間違えて降りた駅で撮影したコソボのディーゼル機関車。「FERIZAJ」駅にて
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下りてみたらとんでもない簡素な駅だ。しかし駅名表示がわかりづらく、ここがどこなのかしばらく把握できなかった。あまりにも駅前が賑やかでハイカラな店が建ち並んでいたのでプリシティナの最寄り駅だと信じて疑わなかった。でも全然違う駅だと気づいた頃には列車は走り去ってしまった。
コソボにはプリシティナ以外にどのような町があるのを知らないし地図もない。この町がどこなのか全くわからない。とにかく北に30分ほど走ればプリシティナがあるとは理解できた。ちなみにここは「FERIZAJ」という街らしい。
しかし最近自分の行動がかなりいい加減になっている。昔はこんな事はなかった。どうも
最近は行き当たりばったり的な部分が多い。旅行のしかたに余裕ができ最悪タクシーで長距離移動もできる。そんな安心感がよりワイルドな旅行を可能にする。その結果がこの有様だ。
突然知らない町にやってくるのも悪くはない。これこそ自由旅行の醍醐味だ。そのおかげで今回はこのあと、意外な展開になったのも事実だ。
かつては周到に準備をして知識を詰め込み、損をしないように下調べして少しでもわからない場所には近づくのを控えていた。間違えた駅で降りるなどあり得なかった。でもそのような安全で閉鎖的な旅行はおもしろみがなく、出会いや発見も少なく現場検証の旅行でしかなかった。それが最近いい加減さが出てきて行動範囲が広がったように思う。 -
幸い間違えて降りた駅の近くにバスターミナルがあり、ここからプリシティナ行きに乗ることができるようだ。値段は2ユーロ。タクシーで行っても10ユーロなのでそれほど遠くはなさそうだ。
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プリシティナに近づくとモダンな道路が整備されヨーロッパ最貧国などとうてい思えない光景が広がっていた。
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ここはやはりアルバニアではなく、先進的なユーゴスラビアだったのだと改めて実感。
そのまま坂を下りプリシティナの町に入った。バスは出発してから45分ほどでプリシティナの町の中心に近いバスターミナルに到着した。
プリスティナのバスターミナルで明日アルバニアへ戻るためティラナ行きを切符を購入することにした。
値段は16ユーロで1ユーロはバスターミナル使用料で10ユーロはアルバニア入国税。そして運賃が5ユーロとなっている。モンテネグロからアルバニアに入ったときと同じ値段だ。ただあのときは1時間半乗っていただけだが、今回は6時間以上乗ることになる。
出発は夕方で深夜には到着するようだ。1日遅らしてもいいが深夜について早朝出発では少ししんどい。
プリスティナのバスターミナルから市内へは歩いて行けるようだ。しかしどこが町の中心部なのか把握できない。ロンプラの地図に自分の位置を当てはめることができない。今日もまた夕方になり雨が降り始めた。雨の中、住宅街の駐車場を彷徨っていたらミニバスの運転手にミトロヴィツァへ行くかと声がかかった。ミトロヴィツァと言えば泣く子も黙るコソボ紛争最大の激戦地だ。ミロシェビッチ大統領が訴追されたのもミトロヴィツァでの虐殺事件が大きく絡んでいる。ミトロヴィツァは今でもNATO軍が駐留しセルビア人とアルバニア系が町を二分してにらみ合っている最前線だ。
プリシティナで宿泊するつもりだったが、ミトロヴィツァまでここから1時間ほどで行けると思うので気が変わった。今夜ミトロヴィツァに行くことにした。列車でプリシティナへ入ったらこのような出来事には至らなかっただろう。とにかくコソボのかなり奥まで入り込めるいいチャンスだ。意外な展開になった。
ミトロヴィツァへのミニバスに同乗していた客の一人は20年前スウェーデンに亡命したアルバニア人でこれから両親の元へ里帰りらしい。今回ハンガリー経由で1ヶ月の滞在だそうだ。家族が無事でこうやって安全にふるさとへ戻れるのはいいことだ。もう一人はドイツに亡命したらしいが英語がわからず詳細はわからない。
それにしてもミトロヴィツァへの道路はかなり交通量が多い。週末だからか。
約50分でミトロヴィツァの分岐点に到着した。もう日は暮れてしまった。このまま道をまっすぐ行くとベオグラードと表示が出ている。今はどう考えても行くのは無理だろう。僕自身もベオグラードからモンテネグロを経てアルバニア、マケドニアとずいぶん遠回りしてきたものだ。ここからベオグラードまでは北へわずか百数十キロだ。
ミトロヴィツァはかなり規模の大きな町で到着したのはもちろんアルバニア人居住地区だ。今夜はミニバスの運転手の紹介でバスターミナル前のホテルに泊ることになった。
でもまさかミトロヴィツァまで来られるとは思わなかった。こんな事なら事前にもっと詳しくこの周辺の情勢を調べてくるべきだった。コソボに関して地図すらなく暗闇の中を手探りで旅行している状態で何もわからない。いろいろ知りたいことがあるが、このチャンスを生かし切れず時間もないことにいらだたしさを感じる。
ホテルのフロントに「明日の朝、列車でプリシティナへ戻ることは可能か?」と聞いたら列車はないとのことだ。しかし昨年のトーマスクックには運行されているようなことが載っている。すると独立してからこの列車はなくなったから今はないとのことだ。確かにこの時刻表は独立後に出版されたが、中の地図にはコソボは存在せずまだセルビアのままになっている。ここの住人がないと言うなら本当にないのだろう。列車で戻るのはあきらめるしかない。幸いホテルの目の前がバスターミナルなので戻るのは便利だ。 -
ミトロヴィツァのマーケット。
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夕食は近くの食堂でコフタを食べることにした。
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アルバニア風のハンバーグでサラダを盛りつけてもらい満足のいく夕食となった。ドリンクをつけて2ユーロ弱と値段は安い。町は夜遅くまで賑やかだ。
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(7月4日)
早朝ホテルから窓の外を見た。土曜日の朝ということで交通量は少なく、歩いている人もまばらだ。 -
こちらはまだバスの姿はないが、バスターミナル。鉄道がないのでアルバニア人側の街の基点になっている。
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ちなみにミトロヴィツァで滞在したホテル。1泊20ユーロだ。
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ミトロヴィツァのモスク。完全にアルバニア人の街になったことでモスクは改装され新しくなっている。
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散歩がてら駅の方まで歩いてみた。
この駅はコソボ独立前まではかろうじてセルビアへ運行される列車が存在した。しかし独立とともに完全に列車は運休してしまった。
でもまた落ち着けばベオグラードとプリシティナの直通列車が運行再開されればいいのだが、現状ではまずあり得ない雰囲気だ。 -
町はずれの鉄道駅はやはり廃止になっているようで線路は錆び付いていた。駅舎内部も閉鎖され入れなくなっている。
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途中NATOによるKFOR(コソボ治安維持部隊)の装甲車の車列と頻繁にすれ違う。のんびりした町だがやはり最前線に来ていることを実感させられ緊張感が走る。
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民族対立の名残といえば廃屋になったセルビア聖教の教会が目についた。まだ放置されてからそれほど時間が経ってなような感じだ。おそらく1年半前の独立宣言とともに放棄されたのだろう。
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周辺にはセルビア人の家屋だったと思われる空き家もあったりする。
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アルバニア人とセルビア人が睨み合うミトロヴィツァの最前線。その場所へタクシーで向かったらすぐに到着した。
セルビア人居住区は少し離れたところにあるのかと思ったら町のド真ん中を流れる川の向こうがそうらしい。橋の手前には検問所がある。 -
これが分断の橋。
橋の向こうは民族、通過、言語、文字あらゆるものが異なる世界だ。 -
橋には有刺鉄線やバリケードが置かれているが、自由に行き来できるようだ。もちろん外国人の僕にとっての話でタクシー運転手は橋を渡りたがらないので、手前で下ろされた。
橋を渡るのはいいがパスポートをホテルに忘れてきた。セルビア人側に入れても戻れなくなると最悪だ。身分を証明する物がないと不利益を被ることがある。
とにかくこの橋の向こうは別の国だと考えなくてはならない。しかも敵対関係の。
ここと同じ状況の場所として思い出すのはボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルだ。あの町も川を挟んでイスラム教徒とクロアチア人が別々の世界をつくり、別々の通貨を使用していた。
怪しいことをしなければ戻って来られなくなることはないだろうと思い橋を渡ってみた。橋の上の交通量は当然のごとく皆無に近い。路面に野良犬が寝そべっていたりする。橋のたもとにはそれぞれの民族の警官が監視している状態だが写真も自由に撮れるし、それほど緊張感は感じられない。 -
橋を渡りきるとセルビア共和国の旗もなびいていた。ここはコソボのセルビア人地区の首都にもなっているが人口は減り続けている。セルビアはまだミトロビツァをコソボだと認めていない。
余っていたセルビア・ディナールが使えるので持ってくるべきだった。 -
対岸のセルビア人居住地は川沿いでマーケットが開かれていた。
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その横にはキリル文字でベオグラード行きの表示を付けたバスが止まってる。横のおじさんはスラブ系だ。このままバスに乗り込みベオグラードに行くのも可能だろう。おそらくセルビアから入国してコソボから出国するのは問題ないような気がする。でもその逆はいろいろ問題が多いかもしれない。でもコソボ入国の際スタンプを押すか聞かれたのはセルビアから出国する場合の配慮だったのかもしれない。
とにかく複雑な場所だ。実際来てみないとどのような状況になっているのかわからない場所だ。それにしてもセルビア人はこんなところに閉じこめられた感じで気の毒としかいいようがない。少数派とはつらいものだ。 -
セルビア人地区側から見たアルバニア人のミトロヴィツァの町並み。
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セルビア人側から見た分断の橋。
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アルバニア人地区に戻り、朝食は昨夜同様コフタの小さいのを食べることにした。コソボではこれしか食べるものがない。
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プリシティナへはバスで戻る。値段はミニバスの半額以下なので安い。本数も多いようで11時前にバスターミナルに行ったらちょうど出発するバスがあるようで乗り込んだ。
ミトロヴィツァは盆地になっているので街を離れるとき全体を見下ろすことができる。こうしてみると戦時中砲撃されやすそうな街だと感じる。 -
プリシティナまでは1時間ほどで到着。
昨日のバスターミナルで下りることになる。プリシティナ滞在は4時間ほどなので荷物をどこかに預かってもらいたい。チケット売り場に聞いたら今日乗るバスのトランクにしまっておいてくれるらしい。明日に案内され荷物を置くことにした。鍵はかけないようで少し心配だが。 -
コソボの首都、プリシティナのバス乗り場は新しい建物だ。
身軽になりプリシティナの町へ出た。 -
まず最初にする事は自分の現在地とロンプラの地図を一致させることだ。しかし昨日同様住宅街を彷徨いさっぱり自分の位置がわからない。
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結局タクシーで町の中心の高級ホテルまで連れて行ってもらうことにした。グランドホテルというプリシティナのランドマーク的なホテルだが、このホテルですらロンプラ(洋書のガイドブック)の地図には載っていない。
ホテルに行ってロンプラの地図を見せ、今どこかフロントの人に聞いてもはっきりしない。地図を見慣れていないのか。レンタカー屋があり地図はないか聞いたらないらしい。
困ったものだ。プリシティナ自体見るものはないので適当に散歩してこのまま自分の居場所を理解せずバスターミナルに戻ってもいいのだが、それはそれで負けたような気分になる。この町の最大の問題点は通り名の表示が出ていないことだ。大通りでもその道が何という名前なのかわからず、お手上げだ。独立して通り名をコソボ風にするつもりがまだ決まっていないのか。
そんな中タクシー運転手に通り名を聞いて何となく自分の現在地が把握できてきた。
駅はプリシティナ中心部の近くにあり、昨日終点まで列車に乗っていたらその駅に到着したのかもしれないが、結局駅からタクシーに乗ることになり、またプリシティナ中心部にはホテルが見あたらず、1泊70ユーロのグランドホテルに泊ることになっていたかもしれない。結局昨日間違えて駅を降りてしまったことが、大きくプラスに作用したと前向きに考えたい。
実際ミトロビツァまで行けてコソボをより多く知ることができた。 -
プリシティナの中心部は歩行者天国になっていて垢抜けしているが、それほど魅力を場所ではない。
中心部ではジュースのキャンペーンが行われていた。のどが渇いていたのでちょうどいい。 -
ジュースをもらいに来ていた少年。
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コソボを歩いていてアメリカの国旗をよく目にする。コソボにとってアメリカは救世主であこがれの存在である。今の世界の流れからしてイスラム国家でここまでアメリカに好意を国は少ないだろう。
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なかでもクリントン元大統領は英雄だ。ベオグラードを空爆したときの大統領だが、それまで国際社会から無視され続けてきたコソボのアルバニア系住民にとっていろんな国から手をさしのべられるきっかけを作ってくれた大統領でもあり当然だろう。その結果が1年半前のコソボ独立だ。至るところでアメリカ国旗とクリントン元大統領のポスターを見るのはそのためだ。
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プリシティナではタイ料理屋があるという情報があった。でももうないのか探し出すことはできず、かわりに中華料理屋を見つけた。
コソボは中国が未だに国家承認していない(自国の少数民族の独立に影響する)ので中国人に対する感情は微妙だと思うが、国家承認した台湾なら話は別だ。 -
値段はそんなに高くなく、今回の旅行で初めて白いご飯にありつけた。
今までたいてい数日に一度は中華料理に足を運んでいたが、2週間以上白米を食べなかったのは初めてだった。 -
プリシティナ中心部のモスク。
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プリシティナのバスターミナルに戻ることにした。バスターミナルで出発は16時30分。コーヒーでも飲みながらのんびり待つことにした。
バスは定刻通り出発。コソボ南部をアルバニア国境に向け走った。夜7時半前後にコソボの出国とアルバニアの入国手続きを通過した。
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