1999/09/17 - 1999/09/25
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Tagucyanさん
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コロナの影響で、夏休みの家族旅行がボツ。
でも、休みは取ってあって時間があるので、昔出かけた海外旅行記をガンガン作成してます。
今回が4回目の海外にして初めての1人旅、しかも行き先はロシアです。
新潟空港から飛行機に乗って出国し、その後イルクーツク、モスクワ、サンクトペテルブルクと巡ってきました。
サンクトペテルブルクからは、再びモスクワに戻ります。
ただ、移動にはこだわりたい(笑) 今度乗るのは、当時「ロシア版新幹線」と言われていたЭР-200(エル200)と呼ばれる電車です。電車の型式がそのまま列車名になっていました。
この区間では現在もっと速い列車が運転されていまして、この列車はその1世代前。
でも、他の列車に比べると大幅に所要時間が短いのでした。
そもそも、往路は夜行列車で寝ているうちに移動してしまいましたので、復路はこの列車からじっくりと景色を見たのでした。
翌日の夜、いよいよ帰国。なのですが、これがまたいろいろありましてねえ・・・
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【その3】からのつづき
サンクトペテルブルクには、まるまる2日とちょっと滞在した。
滞在3日目の午前中、モスクワに戻るべく、市内のモスコフスキー駅へ。
このような大都市では、ターミナルとなる駅がいくつもあって、行き先の名前が駅名になっているのが通例となっている。 -
ロシア滞在中は、時々お巡りさんに呼び止められて、パスポートチェックがあった。
ここでまた呼び止められ、チェックを受けた。たしかこれで3回目。
しかも、この時は金属探知器のチェックまであった。当然、荷物の中にはいろんな物が入っていて、探知機に反応する物もある。お巡りさんとしては、中身チェックをしたくてもこんな駅の構内で開けろとも言えず、こっちへ来いという。
連れて行かれたのは構内の地下にあるお巡りさんの詰め所。すぐそこには本物の牢屋があり、実際に捕まった人が中にいてど迫力である。まあ、ここなら開けろと言えるわな。
中身をチェックして、特に問題がないとわかると、ようやくパスポートを返してくれた。そのあとは、なぜか関係ない雑談タイム。最後は「have a nice trip!」とか言って構内まで送ってくれた。
あの時は、なぜか腹が据わって「ドンとこい」という気持ちになってましたね。いい経験をしました。 -
駅の発車案内。
これから乗るのは一番上、「ЭР-200(エル200)」号。
電車の形式がそのまま列車名になっている。
サンクトペテルブルクからモスクワまでは、ほぼ東京大阪間と同じ距離。そこを、多くの列車が8時間半ほどかけて走行するのに対して、この列車は約5時間で走行していた。 -
思いっきり逆光ですが、これが「ЭР-200(エル200)」号。
そもそも、この手の長距離列車としては珍しい「電車」である。
現在は、ドイツのICEをベースとした「サプサン号」という列車が、同区間を3時間半で走行している。
それにしても「東側」のデザインですよね。
逆に現在のサプサン号はICEのイメージそのままですが(笑) -
では、乗り込みましょう。
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ちなみにこれがチケット。
モスクワのホテルのインツーリストで、往路の「赤い矢号」のチケットと一緒に受け取っていた。
よく見ると、「3号車」の「39番」と書いてあります。 -
私が乗った3号車。(モスクワ到着時に撮影)
真ん中の通路を挟んで、進行方向に向かって左側が全席前向き、右側が全席後ろ向きの固定座席だった。
スピードを売りにする列車だけに、走行中は客室の入口上部に常時スピード表示がされていた。 -
そして私が指定された「39番」。
幸い、前向きの席でした。 -
サンクトペテルブルクを出発。
貯木場かなにかが見える。 -
ロシアでは鉄道も日本と逆で右側通行。
こちら側の席だったので、対向列車も見れた。 -
車内販売がやってきた。
昼食を購入。 -
幅の広い川。
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原野。やっぱりロシアの車窓と言えばこういうイメージですよね。
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でも、以外と集落も多い。
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駅も結構ある。
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列車は常時時速180kmくらいのスピードで走っていた。
車内にスピード表示があるのでよくわかる。 -
さて、車内の探訪に出かけてみた。
この列車は10両編成で、両端の1号車と10号車はビュッフェになっていた。
気分転換にコーヒーを注文して飲んでみる。
残りの8両は、同じ座席配置の客室だった。 -
対向のホームに、まもなく列車が来るのかな。
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また原野。
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途中、大きな湖のほとりを走った。
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ここも郊外の駅という感じ。
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だんだん、大きな町に近づいているような雰囲気になってきた。
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やや大きめの駅を通過して、
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サンクトペテルブルクから約5時間。
終点のモスクワ・レニングラードスキー駅に到着した。レニングラード駅 鉄道系(地下鉄・モノレールなど)
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その辺の人に、全景と一緒にとってもらおうと思ったら、意思が伝わらず(笑)
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ということで、再度全景を撮りました。
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約3日ぶりのモスクワ。
ホテルまでの順路も覚えていた。
チェックイン後、赤の広場に面したグムデパート2階のカフェで夕食をとった。グム百貨店 百貨店・デパート
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明日の午後、いよいよ帰国となる。
最後のモスクワ、というかロシアの夜。
ライトアップされた赤の広場を、名残惜しくいつまでもブラブラしていた。 -
8日目。いよいよ滞在最終日。
今日は特に予定を決めていません。ひたすら街の中をブラブラします。
まずは地下鉄に乗って出かけた。
地下鉄ベルロースカヤ駅。ここも他と変わらず宮殿のような建物。 -
その駅の近くにあるベラルーシスキー駅。
ワルシャワやベルリン方面への国際列車が発着する駅。
結局駅巡りかい(笑)ベラルーシ駅 鉄道系(地下鉄・モノレールなど)
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さて、モスクワではもっぱら地下鉄で移動してばかりいたので、それ以外の乗り物にも乗ってみることにした。
まずは路面電車。適当に乗って、適当なところに行ってみた(笑) -
ちなみに、これがモスクワでの路面電車のチケット。
トロリーバスと兼用。
車内にいる車掌がシート状になっているチケットを1枚ずつ切り取って客に渡すのだが、ここでは切手のようなミシン目が入っていてうまくちぎっていた。 -
路面電車の車内から。
この時はホント、来た電車に適当に乗って終点まで行ってみようと思っていた。 -
ガンガン進みます。
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車内の様子。
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沿道にあったマクドナルド。
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終点まで行って、そのまま折返しに乗った。
折り返し点の停留所で、前に並んでいた人に地図を見せて「ここはどのへんですか」と聞いた記憶がある。
その人(たしかおじさん)は親切に教えてくれたけど、内心なんでそんなこと聞くの、とか思ったかも知れない(笑) -
ひきつづき、トロリーバスにも乗ってみた。
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この時は系統図を見て、赤の広場の近くを通る系統に乗った。
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昼食は最後なので、すっかり通い慣れたアホートヌイリャトのフードコートにて。
特にバイキング形式の店をよく利用した。これは、いろいろ並んでいる食べ物の中から「これを何百グラム」というように店員にとってもらい、最後に100グラムいくらで精算するもので、言葉に不自由でも食べたいものが食べられる便利なシステムだった。アホートヌィ・リャト ショッピングセンター
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食後、また街の中をブラブラ。
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最後に、工業技術博物館というところに寄ってみた。
工業技術博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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これは何かのプラント?
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昔の電算機ですね。
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オーディオ製品の歴史っぽい展示。
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電気関係の展示。
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これは昔の写真機。
この他にもいろいろあったけど、結構面白かった。 -
繁華街のアルパート通り。
ここの本屋に立ち寄り、地図とかいろいろ買い込んだ。
日本を紹介したガイドブックとかあったら面白いんだけどなあ、と探してみたけど、なかった。 -
夕方近く。
いよいよ帰国するため、空港に向かう。
当時シェレメチェボ空港へは地元の路線バスしか通じておらず、おとなしくインツーリストの車に乗って空港へ。
往路は昼間だったのでスイスイだったが、復路は夕方だったので車の流れが悪かった。 -
ちなみに今は空港まで電車で行けます。
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シェレメチェボ国際空港の当時国際線専用だった第2ターミナル。
モスクワにはもう一つ、ドモジェドヴォ空港という国際空港がある。 -
復路は成田に帰ります。
当時、モスクワから成田はほぼアエロフロートが独占していて、1日3便もフライトがあった。
これは日本からヨーロッパ各地(またはその逆)へ行くにはモスクワ経由のアエロフロートが一番安かったからで、当時バックパック系の人たちを中心に需要が多かった。 -
私の乗る便はそのうち一番遅い、20:05発。滞在時間をできるだけ長く取りたかったから、というのが理由。
搭乗手続きをする6番カウンターの入口には、すでに30人くらいの列ができていた。みんな日本人の団体さんだった。 -
たぶん搭乗手続きが始まるのを待っている時の写真。
この空港では搭乗手続きの前に税関の検査があった。しかしその団体さんのすぐ後ろにいたために、検査員は申告書を受け取るだけで、フリーパスであった。
その先にチェックインカウンターがあって、私の前の人はみんな団体カウンターへ行き、個人客用カウンターは私が1番乗りとなった。したがって希望の席がなんなく手に入った。
その後出国審査。 -
免税店で買い物をしたりしたあと、搭乗口へ。
あれが乗る飛行機かな・・・ と思ったらどこかに行ってしまった。
時間がたつにつれ、どうも機体にトラブルがあって出発が遅れるらしいという情報が伝わってきた。場内放送でなく、口コミで伝わってくるところがロシアらしい。そのうち、搭乗口も変更になったという情報が来て、移動を始めた。このころ、ようやくそれらしい放送があった。 -
搭乗口はいつの間にか12番に、出発時間も約2時間遅れて22時に変更になっていた。
21:30頃、搭乗開始。しかもバスによる搭乗だった。
それから1時間ほどして、やっと出発。滑走路のところまで行く。が、しばらくしてまた戻る。またトラブルが発生した模様。外を見ると、整備員の人が来て、エンジンを開けてなにやら作業をしていた。
整備に2時間近くかかって、ようやく動き出し、日付が変わった0:50離陸。
実に5時間近い遅れ。 -
離陸1時間後、時刻はすでに深夜2時近いのだが、なんと機内食が出た。
なんだかんだで全部食べたあと、寝る。 -
この飛行機はエアバスのA310だった。
指定してもらった座席はエコノミーの一番前、座席の前が2m以上あって、寝るのには最高の席だった。
となりの席は、ウクライナから日本に留学するというアレクサンドルという兄ちゃんで、気さくに話しかけてきて、起きているうちはずっとしゃべっていた。 -
成田空港に着陸するちょっと前。
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モスクワから約10時間のフライトで、成田空港に着陸。
定刻より5時間遅れ。 -
税関検査を通過し、到着ロビーに出てきたところ。
定刻なら10:40着だったのに、この時点でもう夕方4時半になっていた。 -
初めての海外ひとり旅、でも何とかなるぞという手応えはあった。
まあ、飛行機遅れのトラブルとかも旅のうちということで。
いずれにしても、これで8泊9日のロシア旅行はおしまいです。
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旅行記グループ
1999年9月 初めての1人海外・ロシアへ
この旅行記へのコメント (4)
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- ケロケロマニアさん 2021/05/07 12:12:25
- エリツィン時代末期の貴重な二都の風景
- こんにちは。
引き続き、コメント失礼いたします。
1999年のロシア、良いですね~。
旅行記の文章の流れも素晴らしいですね。各所でソ連臭が感じられるのもまたこの時代ならでは、といった感じで…。
実は私は、1996年夏のロシア滞在の際に、ちょっとした尋問を受けたことがあり、覆面の大男二人がかりで目隠しをされて、場所もわからないように”尋問所”に連行されたことがあるんです。
この恐怖体験がトラウマとなり、結局その後しばらくはロシアに行くことが出来ず、再訪を果たしたのは2017年のことでしたので、21年間ものブランクがあるんです。
なので、Tagucyanさんの最初のご訪問から3年後のロシア旅、というのは、経年的なロシアの変化を見届ける上で、非常に貴重な”歴史資料”だとも感じました。あの時代のロシアって、デノミを経て少しずつ”資本主義国”としての自信をつけ始めていて、私も噂では特にモスクワとSPの二都へと重点投資をして、少しでも西側に近づくぞという気概を見せていた頃だったと思います。
旅の最初のイルクーツクの風景がまた、二都の風景とは異なる、やはりまだ経済的な混乱が何となく感じられるのも良いアングルですね。
モスクワで体験されたちょっとした恐怖体験も、私には他人事には感じられず、ドキドキしながら読んでしまいました。トラウマとなるほどの大事には至らずに、本当に良かったです…。
国内線搭乗時の”自由席”的な感覚、あれも凄く共感しました。私もカムチャッカからハバロフスクに戻る際の国内線で、指定された席に何の罪悪感もない感じで先客の方が座られていたことに驚かされました。あの時代は、国内線と国際線との雰囲気の差も大きかったように感じますが、今はどうなんでしょうかねぇ~、またロシアに行きたくなってしまいました…。
それにしても、脂っこいピロシキをスプライトで潤した、とか、そんな細かいことまでメモされているとは凄いですね。私は大雑把な性格なので、当時のことを旅行記にしようにも、写真もないし物品も紛失してしまって何もできません。当時の自分に、未来の旅行記を作成するための訓告を与えてみたいものです…。
長くなってしまい、申し訳ございませんでした…。
ケロケロマニア
- Tagucyanさん からの返信 2021/05/08 00:55:50
- RE: 今思えば貴重ですが、もっと撮っておけばよかったとも思います。
ケロケロマニアさま
22年も前の回顧旅行記にコメントありがとうございます。私自身は、これ以降ロシアに行ってないんです。そもそも所帯を持ってしまってから海外に出ておりませんで・・・
ですので、あのときまだソ連臭のあったロシアの街がどのように変わったのか、興味があるところではあります。
長男が中学、高校と進学のタイミングで沖縄の離島に出かけていたので、大学進学時は海外行きたいねえと話していたのですが、コロナでボツ。コロナが収まったら行こうと家族で話していて、そのたびに「ウラジオストク! ウラジオストク!」と発言しております(笑)
ケロケロマニアさんが受けた尋問というのもすごい経験ですね。ほとんど「拉致」じゃないですか。私の場合、旅行中に町の中を歩いていて3回も4回もおまわりさんからパスポートチェックを受けて「うっとうしいなあ」と思っていたんです。特にあのサンクトペテルブルクの駅構内では金属探知機が登場して、そりゃあカバンの中にいろいろ入っているから反応しますよね。でもおまわりさんは駅構内でカバンを開けろとも言えず、連れて行かれたのがおまわりさんの詰め所。本物の牢屋がありましてね。日本でも見たことないのに。でもあのときも肝が据わって、むしろ興味深いものが見られたなあ、という感じでした。
飛行機の座席に指定されたとおり座らないというのは、今でもあるのでしょうか。あのあと、別の共産圏の国でも経験したので、あの頃はそれが普通だったのかも知れませんね。
デジカメになってしまった今は、むしろ「写真自体がメモだ」という感じでメモをとらないのですが、あの頃はフィルムでしたから、やみくもに写真は撮れず、その代わり熱心にメモを残していました。イルクーツクのソ連時代の雰囲気を残す空港の内部など、もっと撮っておけばよかったと思うものもたくさんあります。今になってそれをこういう形で旅行記にするとは思ってもみなかったですからね。当時は「ブログ」という言葉自体がなかったような気がします。
こちらも長文になってしまいました。
今後ともよろしくお願いいたします。
---
Tagucyan
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- Akrさん 2020/08/26 08:50:25
- 色々見習いたい
- Tagucyanさま
おはようございます。Akrでございます。
いやあ、凄い。初めての海外ひとり旅でパスポートチェックされるだけでもビビっちゃうのに地下の牢屋みたいな場所へ連れて行かれるなんて。私なら帰国が絶望になります(笑)それで腹が座っちゃうなんて。
エル200。予想通りの東側の乗り物ですねえ。
外観もさることながら、車内もいかにも東側という感じがぷんぷんしますね。それも10両中2両がビュッフェとか。日本みたく駅ナカやコンビニが発達していないのであれば長距離列車には供食設備は必要かもしれませんね。昔の日本がそうでしたから。いまもビュッフェはあるのでしょうか?
そしてモスクワでのディレイの様子。
案内放送もなく口コミで伝わるとか私なら泣きたくなります(笑)そして搭乗後も滑走路まで行って引き返し、目の前でエンジン開けて整備とか・・・
「降ろしてくれ」って言っちゃいそうです。色々、心配性なものでこういう事態になったら飛行中にエンジン止まったらとか考えて食事も喉を通らないでしょう。
それなのに、飯食って隣りの外国人とお話ししてる・・・
色々見習うべき所がある旅行記でした。
メンタルの弱いAkr。
- Tagucyanさん からの返信 2020/08/27 00:04:08
- 性格的な問題かも知れませんね
Akrさま
こんばんは
ロシアの街角でパスポートチェックにあったときには、正直「ウザいなあ」という感じでしたが、駅地下のお巡りさんの控え室に連れて行かれたときには、今思うとなぜか興味本位というか、表現に語弊がありますけど面白いものが見られそうだというワクワク感みたいなのがありましてね(笑)
日本でも見たことのないホンモノの牢屋を見れたのはいい経験でしたね。
エル200。車内の東側の雰囲気、何でかと考えたときに、あのカーテンのような気がします。普通のカーテンの他に、窓の真ん中らへんから垂れ下がっているもう1つのカーテン。あとは、野暮ったい内装ですか(笑)
かつて日本にもあった食堂車やビュッフェ車は編成の真ん中にありましたけど、あの列車は両端にありましたね。日本は駅のコンビニとかが充実しすぎている上に列車の運転時間もぶつ切れで短くなっているので淘汰されてしまいましたが、ロシアとかだとまだまだ需要があるんじゃないですかね。
最後の飛行機遅れも、もうあとは帰るだけだからどうでもいいやという感じでしたね。いま考えると、あの状態で10時間も無事に飛べるのかい、と心配になる場面でもあったはずなのに、なぜかその点は何も思わなかったよなあと思います(笑)
まあ、最終的には「ジタバタしても始まらねえや」と考えてしまうのが、楽しむ秘訣なのかも知れませんね。
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自分ではメンタル強いという自覚があんまりないTagucyan
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