2020/07/29 - 2020/08/01
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xiaomaiさん
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台中、彰化、鹿港の旅行記。現地入りし初めて今回の旅が城隍爺に導かれたものであったことを知った。酷暑の中での旅となったが、非常に心に残る旅となった。
※ 城隍爺関連の記事は「城隍爺に導かれた台中、彰化、鹿港の旅(2)」から
1日目:
一徳洋楼、台湾香蕉新楽園、孔廟、台中放送局、台中公園、台中市第四信用合作社、宮原眼科、一中夜市
城隍爺:https://ja.wikipedia.org/wiki/城隍廟
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台湾鉄道プユマ号で台中へ。
プユマ号についは→
https://4travel.jp/travelogue/11633813 -
2時間弱の乗車で台中に到着。現在の高架式駅舎は3代目で、2012年から4年を費やし完成。
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以前使用されていたホームと線路
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台中駅のモニュメントと第2代台中駅。
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初代台中「停車場」は木造建築で、1905年に設立された。煉瓦造りの第2代は1919年に完成し、1923年に裕仁東宮が台中へご視察においでになった際、駅で民衆から歓迎を受けている。1941年に発生した大地震および第二次世界大戦の空襲により、大きな損害を受けた。また、1995年、駅舎とホームが内政部から古跡指定されるも、1992年の921大地震で再度大被害を被り、補修と安全のための補強が行われた。
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駅の前にある中欣商務精品飯店(Butler Hotel)。夜間になると線路などがライトアップされる。
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まず向かったのは宿泊する1969 Blue Skyホテル。台中駅から徒歩10分。
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エントランスの扉がけっこう重い。
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エントランスを入って左手にあるスーツケースを使ったインテリア。
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エレベーターは2機。停留している階を示す文字盤がいい味を出している。
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レセプションで荷物を預け、早速散策へ。
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1階にはサンドイッチが看板商品である洪瑞珍。
http://www.22268127.com -
1909年に建設された建物。現在は全安堂台灣台中太陽餅博物館となっていて、2階が喫茶店になっているほか、太陽餅を試作することもできる。台中の名産である太陽餅は1949年に阿明師と呼ばれる魏清海氏により発明された。
この建築物は、日本時代は薬局で、日本製の薬品の代理販売の他、製薬業も営んでいた。台北駐日経済文化代表処代表(大使に相当)を務めた許世楷氏の夫人であり、児童文学者である盧千恵女史の生家でもある。お二人が知り合ったのは日本留学時代で(許氏が早大で、夫人がICU)、台湾独立と民主化のための運動をしていたことにより、中華民国政府からパスポートを没収されていた時期もあった。 -
台中駅からバスに乗車。
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台中駅と名のつくバス停は多いので、要注意。
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北屯で下車。台北でいつも使っているEasy Cardだと10km以下の乗車は無料。
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まずやってきたのは、一徳洋楼。
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ここは林懋陽の故居で1924~1930年の建造。林懋陽の祖父は政商で、非常に裕福な地元の名士だった。
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バロック式を取り入れた三合院建築。
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以前は内部見学もできていたようだ。
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後方に日本式家屋。
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内部を覗いてみた。
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こちらはこの場所の名称になっている、半円形のバルコニーを持つ一徳洋楼。以前、内部は喫茶店になっていて、円形部分も利用できたようだ。
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北屯路を南下。双十路と三民路の間にある居酒屋「港町十三番町」。
https://www.youtube.com/watch?v=rDMuUnz2dhw -
双十路と興進路が交わるところにある香蕉新楽園(バナナ・パラダイス)。
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一時休業していたけれど、経営者が代わり、2020年7月25日に再オープン。
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この子が入り口でお出迎え。
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時代を感じさせる展示物。
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ここは博物館や遊園地などではなく、レストラン。
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100元以上の消費をしなければいけない(良心的な最低消費額設定)。喉が乾いていたから、レモン冬瓜茶を注文。
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他に客がいなかったから、飲み物が来るまで店内見物。
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どのぐらい前の車だろう?
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こういうのを見て懐かしいと思う年齢ではないけれど、見ていて楽しかった。
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映画館
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床屋
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こういうところは多くの人で賑わっている方が雰囲気がいい。
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むか~しの薬
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おじさんがひょっこり現れて、バイクに跨り、走り去るような気がした。
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さっぱりした口当たりのレモン冬瓜茶
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飲み切った後、映画館の内部へ入ってみた。チケット売り場の内側に展示されていたチケット。
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階段を上がる。
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舞台のある宴会場。
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ブリキのおもちゃの展示
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うちにもあったような気がする。
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行ったのは昼前だったけれど、夜のほうが雰囲気がさらによくなるかもしれない。
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店外には電車も。
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内部は宇宙空間のようにリメイクされていた。この車両には以前使われていたトイレも保存されている。
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次に向かったのは孔廟。台湾全土に孔廟はあるけれど、台中のは比較的新しく、以前この地にあった空軍子弟小学校の教職員寮が他所に移設されたのちの1976年に創建された。建設にあたっては国会議員顔欽賢氏から経済的援助を受けた(15000坪の土地を売却して得た資金の提供)。
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幅27m、奥行き19m、高さ17.53mの大成殿
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金箔が施された孔子の位牌「大成至聖先師孔子」が安置されている。
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北京の紫禁城と似た感じもあるけれど、屋根に取り付けられる走獣(龍、鳳、獅子、天馬、海馬、狻猊、押魚、獬豸、鬥牛)はない。
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孔子を祀る大成殿の後方にある崇聖祀。
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孔子の兄、顔子の父、孔子の子、曾子の父、孟子の父などの位牌が並べられている。中国古来から続く宗族倫理制度に基づき、こうした先聖、先賢、先儒の父祖の位牌が祀られている。
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大成殿の両脇にある東西の廡(母屋の両脇にある建物)。
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内部には先賢と先儒の位牌が祀られているほか、研修室、視聴展覧室が設けられている。
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入学試験受験者の願いが書かれている紙が多くかけられている。
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大成門へと続く全長58mの甬道。
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半円形の池(泮池)にかかる碧水橋。古代、状元(科挙首席合格者)が孔子を祀る時、池に浮かぶ水草をとり、冠につけていた(遊泮と呼ばれる行為)。
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高さ11.95mのれい星門。この門を通れるのは、古代の皇帝と状元のみで、現在は国家元首だけ。
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正門であるれい星門に向かって右手に建つ「徳侔天地」牌坊。
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正門であるれい星門に向かって左手に建つ「道貫古今」牌坊。ともに孔子の偉業を讃えている。
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孔廟の南側にあるのは台中放送局。
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1935年に建造され、5月11日から放送が開始された。第二次世界大戦後は政府が接収し、中國廣播公司台中廣播電台となり、1998年に台中市役所に移設された。現在は展示場や喫茶店として利用されている。
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エントランス
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棟上げ式で使用された木牌
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2階へ続く階段(立ち入り禁止)
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石灯籠
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「大正7年6月18日創建」
「昭和5年12月28日建之」
大正年間に作成され、昭和になってここに設置された。台中神社にあったものがここに移されたのでないかという説もある。 -
放送局の左手側面
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双十路と電台街が交わるところにある国立台湾体育運動大学学生運動実習センターの1階にコンビニ。
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1つ上の画像の右手透明部分は、コンビニのイートインスペースになっている。
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育才北路にあったトトロ専門店。
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中友デパートにある誠品書局。誠品は創設当時からおしゃれさを前面に出した店舗運営をしてきているけれど、ここが最たるものかもしれない。
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台中市立第一高級中学。台北市立建国高級中学、国立台南第一高級中学、高雄市立高級中学と並び、台湾を代表する名門男子校。4校全てが日本時代の創設。
日本時代、第一は日本人子弟が学び、第二が日台共学の学校であったが、台中第一は当時台湾人が学ぶ学校だった。日本同化に危機感を覚え、台湾人教育を重視していた林獻堂などが設立した私立中学がその前身で、のちに校舎を建てる潤沢な資金を提供し、台湾人を入学主対象とするという条件を政府に認めさせた上で公立中学となった。
ちなみに名門女子校は、台北市立第一女子高級中学、台中市立女子高級中学、国立台南女子高級中学、高雄市立女子高級中学。こちらも全て日本時代の創建。
男女ともに台南だけが国立になっている。台南第一高級中学の卒業生である友人にその理由を尋ねたら、彼が在学時代していた頃は台湾省立で、現在国立であるのは手続き上の問題か、一筋縄でいかない問題があるからかもしれないとの回答を受けた。 -
台中第一高級中学のすぐ近くにある宮原武熊宅邸。宮原武熊というのは、鹿児島出身の眼科医にして、日本時代の台中地区有力者。
1933年に建造され、1階は日本式の木造建築で、2階は煉瓦造りの洋式建築。台中州協議員も務めた宮原武熊が台湾中部の人々と東亜共栄協会を成立させ、その活動のために建てられた可能性もあるという説もある。 -
戦後は台中市長公邸などとして使用され、現在はコーヒーショップやレストランとして利用されている。
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台南公園と同様に、台中公園にも老木が多く見られる。画像の樹木は高さ9.4m、幹の太さ1.93m。ガジュマル(正榕)という表示があったものの、台南で多く見られるものとは形状が異なる。
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台中公園の一角に日本時代の遺構がある。
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1912年に落成した県社台中神社の跡。
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参道
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後ろの馬と狛犬は日本統治時代のもの。
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子犬を抱いているから雌。
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清水真一氏の奉献
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明治36年11月25日に渡台されたようだ。自分が台湾にやってきた94年前で、台湾生活の大先輩。左側はおそらくこれを建てた期日だと思うけれど、読み取れない。
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神社があったところには孔子像。なお、台座は児玉源太郎総統の銅像が置かれていた時のものを続けて使用している。
神殿は8坪で拜殿は15坪ほどだった。祀られていたのは、大國魂命、大己貴命、少彦名命、北白川宮能久親王。 -
呉鸞旂公館の更楼(正門門樓)
呉鸞旂は彰化出身で、800甲(約800ヘクタール、大阪市鶴見区の面積と同程度)の土地を有し、彰化銀行の役員や台湾拓殖株式会社(台湾工業化と南進政策の推進を目指す国策会社)の取締役会長を務めていた。 -
呉鸞旂公館が取り壊される前に、この門楼は1983年に台中公園内に移築された。
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立ち入り禁止と書いてなかったら、2階に上りたかった。
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台湾燈会吉羊康泰主燈
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1935年に台中放送局が公園内に建てた放送台。1960年まで使用されていた。
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リス発見。鳩に攻撃を仕掛けるところではない。互いに関せずという関係だった。
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ダブル・リス
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2011年3月11日に起こった東日本大地震に対し、支援をしてくれた台湾に対し深く感謝し敬意を払うために、チャーター機で125名の日本人が訪台し、梅と桜を植えたとの説明があった。125名とは誰?
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台中神社が解体されたのち、鳥居が探し出され、公園内の元あったところに展示されるようになった。
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日月湖ではボートが楽しめる。
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日月湖に浮かぶ湖心亭。
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1908年、台中公園が台湾縦貫鉄道開通の祝賀会場となった際に、閑院宮載仁親王の休憩所として建設された。
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閑院宮載仁親王もご覧になられたであろう景観。
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湖心亭へと架けられた中山橋
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公園路側入口
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連宗ビル
1905年に彰化で生まれた、人権派弁護士である林連宗を記念して建てられたビル。林連宗は、台中一中を経て、日本の中央大学を卒業後、弁護士となって台中で開業し、のちに台中州弁護士協会の会長も務めた。戦後は台湾省議会参議院議員などにもなったが、1947年の228事件発生後、その処理委員会に参加するも、陳儀行政長官に不法組織とみなされて、会は解散させられ、その後行方不明になった(政府に抹殺された可能性大)。林連宗の娘である林信貞は、まだ戒厳令下であった1977年に台中公園の近くにビルを建設し、父を記念するために連宗ビルと命名した。 -
日本時代の建築物で、彰化商業銀行本部になっている(実質的には台北に中枢機関があり、台中本部は企業登記住所)。その名の通り、1905年に彰化で設立されたけれど、1910年に本部が台中に移された。日本時代に台湾人が創設した銀行。
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内部も昔の様子が残っている。
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彰化銀行のイメージカラーは黄色。でも、この歴史あるビルには合わないような気がする。
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台中市第四信用合作社。名称は金融機関だけれど、アイスクリームで有名な店。経営母体は宮原眼科と同じ日出企業。
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平日であるにもかかわらず、大繁盛。
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古い建物を大事に使用している。
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アイスクリームのフレーバーは非常に多く、メニューを見ると、チョコレートは16種、中国茶系は14種、フルーツ系は15種。でも、店頭にないものも少なくない。注文したかったキャラメルりんごはなかった。
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甘いおいしさにアリも寄ってくる。
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アイスクリーム1種につき、クッキーや蜂蜜などのトッピングを1つ選べる。
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アイスクリーム2種(海塩キャラメル、龍眼蜜チーズ)をサンデーで注文。抹茶味の小さいサイズのアイスが追加されたほか、カットフルーツと蝶々のパイ(ビスケット?)も盛られた。相当の量だったけど、完食。
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ここではワッフルも食べられる。
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2階席
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これは何をイメージしているのだろう?
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トイレにあったハンドソープとハンドクリームには「宮原」という記載。オリジナルか?
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1899年に創建され、1996年に改修された中山緑橋。
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緑川
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台中を訪れる観光客のほとんどがやってくる宮原眼科。
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有名なのはアイスクリーム
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でも、宮原眼科はイートインスペースがなく、店外で立って食べる人が多い。
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こちらは宮原眼科ショップの入り口。
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店内に入ってすぐの光景。
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意外な内部構造に驚く。
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この階段で記念撮影をする人が多い。
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こういうオシャレさは台湾では台中が一番。
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ハリーポッターの魔法の学校のよう。
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屋上庭園。最上階へは行けない。
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2階には高級レストラン。
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「宮原眼科」という名称は、元々ここが宮原武熊という人物が開いた眼科医院であったことに由来する。
宮原武熊は鹿児島県出身で、愛知医学校卒業後、鹿児島川辺で開業。のちに東京帝大で眼科治療を専攻し、さらに、ミュンヘン大学とウィーン大学で医学を研鑽。ミュンヘン大学と東京大学で医学博士号を取得している。
1925年7月から翌年3月まで台南病院の医長となり、一度日本へ戻り東京で開業。1927年8月台中で眼科を開業し、1936年には台中州会議員となり、1943年に台中州医師会長、1945年には台中商業専修学校第二代校長に就任。このように、幅広く活躍した人物で、台中で名の知れた名士だった。 -
現在、宮原眼科の建物は、食品販売と飲食業を手がける日出企業が使用している。画像はCDに似せたケースのお菓子。
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レコードに真似たお菓子の包装。
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アイスクリームをサンデーバージョンにグレードアップしたときに使われるトッピングの蝶々はここで購入可。
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宮原眼科のアイスクリーム販売店がガラス越しに見える。
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手前の方に数種類のチョコレートフレーバー。
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店内の装飾も凝っている。店内の景観をバックに写真を撮り続けていたカップルがいた。
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キャンディー
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この熊もアイスクリームのトッピングに使用されている。
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チーズケーキ。価格の設定が高めだけれど、味はいいように思えた。
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茶葉
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修理工事を何度も重ねて、大事に維持されている。
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台湾の大都市には必ず電子製品を扱う店が集まる地域がある。
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あまり人通りは多くなかった。
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16時前にホテルへ戻ってきた。
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8階
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806号室
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客室内部
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カーテンを開けると、前面ガラス窓。
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この手のコーヒーマシンは最近よく見かける。
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トイレ
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シャワー
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歯ブラシなど
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プッシュフォン式電話
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牛のように見えるけど、自転車のサドルを使用。
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こちらは水道管かな。
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タバコを吸う人は共用バルコニーで。
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18時半ごろ、食事をとりに外へ。とりあえずホテル近くの第二市場へ行ってみた。
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市場はやはり朝に来ないと......。
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18時半でこれは当然。
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食事するところは何店舗か空いていたけど、食指動かず。
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旧台中市役所
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旧台中州庁
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合作金庫銀行 台中支店
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結局、30分ほど歩いて一中夜市まで行ってしまった。台中第一高級中学の近くにあるからこの名称。
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一中夜市は人が多い上、暑かった。特に食べたいものもなかったから、中友デパートのフードコートへ行き、焼肉丼。この日は朝早く起き、汗をだらだら流しながら歩いた。翌日もそうなる予定だったから、ガッツリ食べた。
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デパート前からバス乗車。
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きれいな車内。やはりバスは楽ちん。
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宿泊しているホテルの近くにスイーツで有名な店がある。
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東東芋圓
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これで50元は安い。テイクアウトし、ホテルで食べた。
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翌日の朝食にしようと、1971年創業の洪瑞珍でサンドイッチ購入。サンドイッチは店主が研究に研究を重ねて1981年に生み出した商品で、この店の看板商品となっている。
(続)
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