2020/07/29 - 2020/08/01
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xiaomaiさん
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台中、彰化、鹿港の旅行記。現地入りし初めて今回の旅が城隍爺に導かれたものであったことを知った。酷暑の中での旅となったが、非常に心に残る旅となった。
2日目:
(彰化)
彰邑城隍廟、孔廟、抗日保台史蹟館、南天宮十八層地獄、八卦山、扇形車庫
(鹿港)
丁家古厝、九曲巷、摸乳巷、龍山寺、鹿港民族文物館、老街、敕建天后宮、鹿港天后宮、鹿港城隍廟
城隍爺:https://ja.wikipedia.org/wiki/城隍廟
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前日に買った洪瑞珍のサンドイッチ(オリジナル)
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前日に買った洪瑞珍のサンドイッチ(チーズ)
有名店のものだけど、自分が好きなタイプではなかった。 -
8時35分台中発の各駅停車で彰化へ向かう。車内が混み合っていて驚いた。
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9時前に彰化に到着。各駅停車で台中からたったの22分。
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彰化銀行は1905年にこの地で産声を上げた。本部は台北(実質的な運営本部)と台中(企業としての登記住所)にあり、設立当初の本店は、今は彰化支店となっている。
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食べようと思っていた猫鼠麺、この日は休業日だった。
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猫鼠麺の近くにある「阿璋肉圓」。肉圓は彰化の名物グルメで、この店のファンは多い。
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50年以上営業している老舗。来店した政治家や芸能人などの写真が店内に飾られている。
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客席数は彰化では多い方。画像のスペース以外にも、道路を挟んでもう一ヶ所ある。
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この店の肉圓は、皮が厚めで強い弾力がある。これはこれでおいしい。この店を目指してくる人が多いのが理解できる。
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龍骨髄スープ。豚の骨髄が入ったスープ。あっさりしたスープに豚の骨髄、卵、枸杞が入っている。これも美味。
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「阿璋肉圓」の斜向かいにも「正彰化肉圓」。彰化は肉圓の激戦区。この街にいったい何軒の店があるのだろう。
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中央公路、中華路、和平路が交わる円環。
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1724年創建された観音菩薩の開化寺。痘公痘婆という天然痘を治す神も祀られていて、女性は美貌と縁結びを願うらしい。日本時代に道路拡張のため、山川門が壊され、戦時中も空襲を受けている。1985年第3級古跡に指定された。
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開化寺のすぐ近くに彰邑城隍廟がある。行ってみると、多くの人が集まり、何かの準備をしている。
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後方でも神様の身なりを整えていた。
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すぐにその神が城隍爺であることに気づいた。煤払いをしているのかと思っていたら......
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ポスターで城隍爺の巡察が行われることを知った。実施日は訪れた日の翌日。運悪く1日早く来てしまったと思いながら、ネットで調べると、なんと24年ぶりの巡察であることがわかった。
巡察自体は子年に行われることになっている。ただし、城隍爺に巡察をなさるかどうかを聖杯を投げることによりお伺いしなければならず、県知事がこれを行う。1996年に阮剛猛知事がお伺いをしたところ、実施するとのお告げを受けた。その後、2008年に卓伯源知事が尋ねたときは、実施しないことになった。2020年は王美惠知事が城隍爺にご意向を尋ねたところ、巡察されるとのご指示。12年に1度しかない巡察の実施は、知事一人のお伺いで決まってしまうから、知事が受けるプレッシャーは大きいに違いない。
今回、城隍爺の巡察を見逃したら、次は12年後、あるいは24年後、36年後になる可能性すらある。当然のこと、翌日、翌々日も彰化を訪れることに決めた。城隍爺の巡察があることは、この日、たまたま彰邑城隍廟を訪れたときに知り、城隍爺がお導きくださったという以外には考えられなかった。 -
神様がお乗りになるお輿
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巡察は人が輿を担いで行う日と、車に神をお乗せして行う日がある。この車は後者の用途で使われるのかもしれない。
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古い石柱
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街中に城隍爺の巡察を歓迎する飾りが多いことに気づいた。翌日また来ることを城隍爺にお知らせし、彰邑城隍廟を後にした。
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孔廟の前にある、日本時代に建てられた銀宮戲院は、現在衣装品チェーン店になっている。
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1926年創建の孔廟。正門は閉ざされ、両脇の丸いところから入る。地位が高い人物か科挙合格者しか、中央の門は使えないのだろう。
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都市計画実施のため、1906年に礼門などが破壊された。その後も植民地政府は何度か孔廟を解体しようとしたけれど、地元民の強烈な反対に遭っている。その後、地元市民の力で大成門などが再建されたことを考えれば、人々が孔廟をどれだけ大切にしているかがわかる。
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大成殿
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大成殿には孔子の位牌。
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台中の孔廟同様、彰化の孔廟の屋根にも走獣は置かれていない。ハトらしきものはあるが、単なる装飾品かと思われる。
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講習ができるスペース
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崇聖祀には孔子の先祖や先聖、先儒の位牌が安置されている。
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以前の様子。建築方法は漳州派らしい。台南や台中の孔廟が府学制度に則ったもので、大成殿を取り囲むように、大成門、崇聖祀および東西の廡が繋がる四方院であるのに対し、彰化の孔廟は県学制度に則り、それぞれが独立している。
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現在の彰化孔廟。
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八卦山の山門
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1895八卦山抗日保台史蹟館
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1894年に日清戦争が起こり、その翌年に乙未戦争。
https://ja.wikipedia.org/wiki/乙未戦争 -
1895八卦山抗日保台史蹟館右の階段を上っていくと、彰化神社の跡地がある。
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入館は無料。
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抗日烈士である呉湯興(呉は母方の姓で、湯は婿養子となった父の姓)。国子監の入試に合格し、科挙制度の郷試受験資格を得た生員(秀才)。苗栗出身で丘逢甲の推挙を受け、抗日運動のリーダーとなるも、37歳の若さで彰化八卦山にて戦没。
日本では一般的な歴史の授業で教わらないけれど、日清戦争後の下関条約で台湾などが日本に割譲された際、台湾人による強い抵抗があった。大日本帝国に対抗して建国された台湾民主国は半年もしないうちに瓦解し、台湾民主国総統の逃亡を受け、日本は台湾平定を宣言した。大日本帝国指揮官であった近衛師団長能久親王は、その宣言の3週間前に台南で病死している。 -
この史跡館は中国語による文字展示が主。
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ただ、防空壕を使って展示をしているところもある。それを見るのはおもしろい。
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防空壕内の階段を上り切ると、出口があるのだけれど、封鎖されていて、来た道を戻る。
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戦いに備え、油を保管しておいた場所。
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1930年10月に竣工した彰化武徳殿。役人と警察官の柔道及び剣道の訓練の場として建設された。戦後は彰化忠烈祠となったが、2007年に県指定の古跡となった。現在は、レストランになっている。
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彰化武徳殿の隣にある節孝祠は、武徳殿より古い1888年の建造。台湾で唯一の崇祀節女孝婦の祠。個人所有となっていて、内部見学はできない。
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1971年創建の南天宮。齊天大聖(孫悟空)と東嶽大帝(五岳の一つである東岳泰山の神)を祀る。
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人々に悪事を働かなぬよう警告せよとのお告げを夢で受けた結果、設けられた「南天宮十八層地獄巡り」。入場料は50元(2020年7月)。
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奈落橋。ただの橋ではない......。ご自身で体験されたし。
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悪事を働く役人は手足の爪を剥がし、墓荒らしをした者には心臓に石で穴を開け、娼婦館を設けた者には蛇に噛まれる刑を与える。
説明の大意を記載(以下同様) -
毒を売った者、山を放火した者は火炙りに処し、高利貸しをしたり、人を騙したり、他人の善行の邪魔をした者は永劫に体を削り取る刑に処する。
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法を悪用した者、借金を返済しない者、強姦殺人を働く者は、胸を掻き開き、はらわたを引き出す刑罰が与えられる。
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親孝行をせぬ者には刀の山の刑。
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物価を釣り上げたり、他者の貧しさを笑ったり、財産を得るために人の命を狙ったりした者は、頭と足を切断する。
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姦通した者には、重石に苦しむ罰を与える。
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舅姑に仕えぬ者には籠蒸し。
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嘘つきや天地を罵る者には鋸地獄。
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人に悪事をなさしめた者は煮えたぎった油地獄。
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勝手にタバコや酒を販売した者はその体を車で轢き、人を争わせた者はその舌を引き抜く。
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兄弟不和、好色の輩は獣や鶏として転生させる。
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3階は......
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お化け屋敷そのもの。
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最後に、鈴を鳴らして収驚してくれる。収驚というのは、驚いたりショックを受けたりして抜けてしまった魂を戻すこと。
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孫悟空も南天宮がお祀りしている神。蜘蛛の巣に囚われた三蔵を救おうとしているところ。
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色恋にボケボケな八戒。
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南天宮の屋根
人は見ていなくても、神様はご覧になっている。身を正して生きなければいけない。 -
公園路一段237巷の坂道を大量の汗を流しながらひたすら上がり、八卦山へ。画像にあるのは、八卦山配水センターの貯水建造物。
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せっかくの施設なのに、水が流れていなくて残念。
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八卦山天空歩道で八卦山大佛寺へ向かう。
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八卦山大佛寺、八卦塔が目の前に。
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こちらが八卦山大仏。
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海抜74mのところにおわします釈迦牟尼。高さは23mで、本来、内部観覧ができるんだけど、新型コロナウィルス対策のためか、公開休止中。
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九龍池広場
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九龍池広場を挟んで、彰化の街が見渡せる橋がある。
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頼和(1894-1943)は彰化出身の医者でもあり作家でもある人物。日本時代、日本語で作品を書くことを拒み、漢文で民族精神を高揚する詩を多く書いた。そのため、「台湾文学の父」と呼ばれる。
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銀橋人工滝。夏なのだから、勢いよく水を流して欲しい......。
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滝から流れ落ちた水が流れていくはずなんだけど......。
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これだけのものを造ったのに、水を流さないのでは宝の持ち腐れ。
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これが銀橋。いくら待っても、タカラジェンヌは現れない。
宝塚劇場には「銀橋」なるものがある。それはオーケストラピットの前方(客席側)に設けたエプロンステージのこと。早く新型コロナウィルスが終息し、以前のように普通に舞台が観られることを祈念。 -
犬のエチケット袋。台北のとはデザインが異なる。
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1996年に竣工した古月民俗館。台湾民俗文物に関する展示がなされている。でも......
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開館していなかった。
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街中の所々に年代物の建築物。
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北門口肉圓
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次々とやってくる客。
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店先で調理するのは他店と同様。
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肉圓。皮がパリパリでおいしかった。ひき肉ではなく、肉の塊が入っている。
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龍骨髄スープ。長めの豚の骨髄が入っている。
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彰化で最後に向かうのは扇形車庫。民生路は車は線路の地下を潜れるけれど、歩行者はどうしたらいいのか......。
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そのまままっすぐ行くと、「車庫はこっちだよ」の看板。
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地下道があった。
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扇形車庫到着。開場前から多くの人がいた。
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子供の頃、電車の車掌になりたかった自分には魅力ある場所。
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1922年に建造された扇型車庫。長距離を走った列車がここで整備される。
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この中央部の回転盤に列車を載せて回すところが見たいけれど、安全性の面からそれは困難。
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台湾の扇型車庫は彰化の他に、台北、新竹、嘉義、高雄、高雄港にもあったけれど、現存するのは彰化のものだけ。
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彰化の扇型車庫も1995年に撤去される方針を台湾鉄道が出したが、地元民と鉄道ファンの努力で残されることになった。
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今でも現役の扇型車庫だけれど、将来彰化駅は高架式になる予定で、そうなった場合は、この施設は完全に歴史遺産となる。
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解体されるよりはいいけれど、使ってこその価値があるから、単なる展示物になってしまうのはとても惜しく感じる。
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2022年に開設100周年を迎える。ぜひ、その時までは現役でいて欲しい。
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蒸気機関車
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後ろ髪を惹かれる思いで後にした。
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彰化観光が思いの外、順調に進み、まだ13時半前だったから、バスで鹿港へ行くことにした。
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乗車率は30%ぐらい。観光客よりも地元民の足になっている感じだった。
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30分強で鹿港に到着。
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「一府二鹿三艋舺」
この言葉は清時代の台湾の政治経済の中心地が南から北へ移っていた開墾史を表す。一府というのは台湾府城(台南)で、二鹿は鹿港、三艋舺は台北萬華を指す。つまり、鹿港は台湾発展史の中で非常に重要な位置を占めていたことがわかる。 -
まず、向かったのは丁家古厝。入り口だけを見ると、大きそうに見えないんだけど、実は縦に非常に長い造りになっている。
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入ってすぐのところにある階段。2階スペースは広くない。どのような使われ方をしたのだろう?解説員がいれば尋ねられるのだけれど、それらしい人はいなかった。
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ここは言うなればレセプションか?
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さらに進んでいくと......
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中庭があり、さらに次の建物に進む。
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入り口のところに「進士」とある。つまり、この家から科挙合格者を出したということ。
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輿が展示されていた。龍鳳呈祥とあるから新婚者用だ。
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こちらは媒婆用だと思われる。二人(二家)の間を取り持つ役を担う媒婆は、尊敬を受けるほど高い地位を有していた。
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奥まで行くと、この部屋にたどり着いた。先祖を祀る最重要空間。
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以前使用されていた家具が展示されている。監視カメラはあるのだろうけれど、職員が一人もいなくていいのかと気になった。
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80年ほど前の天井扇風機
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井戸
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裏門
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厨房
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ミシン
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進士合格ともなれば、家格は非常に高くなる。
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進士は今で言えば、超高級官僚。
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鹿港は長い歴史を有する故、町の至る所に歴史を感じさせるものがある。
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十宜楼。廈門と台湾の間で最大量の商いをしていた慶昌号の建物。十宜というのは「琴、棋、詩、酒、絵、花、月、博打、煙草、茶」のことで、風流な人々が集っていたことを表す。
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いつまでも残して欲しい建物。
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クネクネした細い道が続く九曲巷
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修繕したのか、それとも昔の工法で新たに作ったのかはわからないけれど、九曲巷にある住宅らしくていい。
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落花生と菱角が売られていた。
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車1台がなんとか通れる細さの道である「車圍巷」。
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1815年創建の鹿港大將爺威靈廟。1937年に都市計画実行のため解体されたが、戦後、寄付金が集められ、1948年に再建された。
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陰陽道に通じる大将爺を主とし、富の神である北斗七宮夫人や財運の神である福徳正神などが祀られている。
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鹿港でもっとも有名なスポットの1つである摸乳巷。
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1人が通れるほどの細さで、すれ違うときは相手の乳房に触れてしまうほど狭い裏通りという意味で「摸乳巷」。
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実際には、うまく避ければ、相手の体に触れずにすれ違える。台湾に来て間もない頃(1997年)に一度来ている。当時は画像にある赤いブロック塀はなかったようにおもう。
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1647年創建の龍山寺
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龍山寺は台湾各地に存在するが、鹿港のものがもっとも完全な姿で残っている。
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1647年に泉安龍山寺の觀音像を大事に携え、泉州三邑から台湾に移民してきた人々がいて、現在の大有街に庵を結びお祀りしていた。その後、1786年に純真璞禪師が現在の位置にお移しした。
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1859年製造の鐘。
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1897年、仏教布教士であった佐々木一道が龍山寺の後殿を借用し、浄土真宗本願寺派の布教所を設立するとともに、日本語の教授もした。
1904年に龍山寺は本願寺派になり、正殿に阿弥陀仏をお祀りし、観音像は後殿にお移しした。ところが、1921年後殿で火災が起こり、観音像は大きな被害を受けた。
戦後、1961年に新たに作成した観音像を正殿に祀り、日本の阿弥陀仏を後殿に安置した。 -
鹿港は天后宮がもっとも有名な廟だけれど、龍山寺もぜひ訪れたい場所。
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中山路と三民路交差点に建つ歴史ある建造物
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安平巷と忠孝路交差点に建つ古い建造物
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1810年ごろ創建の復興宮。願いを叶えてくださるとして、信者の絶えない廟だったが、1895年に火災で焼失。その後、信者が持ち回りで自宅で韋府王爺をお祀りしていた。1970年代になり、再建しようとの声が上がり、1981年に現在の廟が竣工した。
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鹿港民俗文物館。なんでここにこのおじさんはいるのだろうと思っていたら、入場券のモギリ役だった。
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この建物は、鹿港の名家である辜氏の邸宅だった。辜氏は中国福建省から台湾に移民し、日本時代を通じて繁栄した台湾5大家族の1つ。今でも、台湾の経済界に大きな影響力を有している。
辜顯榮は日本が植民地統治のために台湾入りしたときに出迎えをし、その後、政府とつながり大勢力を有する契機を作った。その息子である振甫は、台湾証券取引所の初代理事長や海峡交流基金会(台湾の対中交渉窓口機関)の初代理事長を努めた。辜顯榮の孫である濂松は生前、中国信託銀行董事長をしていて、夫人は東京育ち。濂松の長男は東呉大学で日本語を専攻した仲諒氏。相手の家格の問題で身内から結婚を大反対されるも、家を出てまで愛を貫いた(後に身内から認められた)。野球をこよなく愛し、中華民国野球協会の理事長を務めている。 -
1913年から6年を費やし建造され、大きな会議室を有し、皇族、政府高官、台湾名士が訪れていた。当時、最高級の生活用品や芸術品がおかれ、まさに鹿港の繁栄を象徴をする場所だった。
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2代目の辜振甫まではこの館に居住していた。建物で最も重要な部屋は今でも、辜氏の先祖を祀る部屋となっている(その部屋はガラス越しの見学ができるのみ)。
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欧州のちょっとした城のような感じ。
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館内内部の撮影が禁止されているため、残念ながら、この旅行記にアップできる画像がない。
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重厚な建物以外、生活用品や芸術品も見応えがある。鹿港に行ったら、絶対外せない見学スポット。場所は既述した丁家古厝の裏門のすぐ近く。自分はそれに気づかず、遠回りをしてしまった。
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中山路と民族路が交わるところにあるのが長源医院跡。
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開業したのは、許読(1901-1994)。鹿港公学校(台湾人が学ぶ小学校)卒業後、台中中学(現在の名門台中第一高校)に第1期生として入学し首席で卒業。さらに、台北医学専門学校(現在の台湾大学医学部)で学んだ。医学学士号取得後、新竹病院に勤めたのち、帰郷し内科、小児科医として開業。
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建物は三進二院になっていて、第1進は薬局、診察室、外科室がある。第2進は神明庁(神棚を安置する部屋)と長輩(家でもっとも世代が上の人)の部屋(現在はダイニングルーム)。第3進は台所と倉庫。築100年近くになるが、非常によい保存状態。
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2階へと続く急な階段。
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許読氏は写真撮影を趣味とされ、その子息である許蒼澤氏(1930-2006)は父の影響を受け、写真家となり、1960年代に日本のコンテストで何度も受賞をされている。許読氏の孫にあたる許正園氏は台中栄総病院胸腔内科長をなさっている(2020年8月現在)。
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長源医院跡の斜向かいにある玉珍斎。
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玉珍斎の向かいにある古いビル。1階は喫茶店になっている。
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鹿港の老街で見つけた現役の井戸
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趣のある隘門
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土産店の商品の上で寝ている猫
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画像に写っている女の子のように座って撮影している人が多くいた。
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老街にあった店
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長い造りになっていて、一番奥に仏壇。
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まさに老街の雰囲気。
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1928年に建てられた鹿港公会堂。当時の鹿港の人口は36000人ほど。その人々が集まって会議をするために建造された。戦後は中山堂と改称され、国民党の事務所として使われた。2010年以降、鹿港文芸館として使用されている。
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媽祖を祀るために1788年に建てられた敕建天后宮(新祖宮)。台湾で唯一乾隆帝の命で官費建造された媽祖廟。
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皇帝の命による建造であるため、入るにあたり、文武官は馬から降りなければならなかった。
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媽祖の両脇に祀られている「金將軍千里眼」と「柳將軍順風耳」が清朝の正式官服を着用しているのも、皇帝の命による建造であるため(画像には写っていない)。
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民生路に広がる土産店や食堂
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明朝萬暦年間の1591年に建造された鹿港天后宮。上述の敕建天后宮は皇帝の命で建てられたものの、歴史はこちらの方がずっと古く、鹿港に住む人々の信仰の中心となっている。
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1923年には辜顯榮の建議で14年をかけて大掛かりな修築が行われた。
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老若男女、多くの信者のお参りが絶えない。2019年に国定の古跡に認定された。
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鹿港天后宮には、玉皇大帝、文昌帝、太歳星君、月下老人などもお祀りされている。
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鹿港を代表する場所だと言える。
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城隍廟の前の飾り付け
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台湾全土で祀られる城隍爺。城隍爺というのはいわば職名で、各地の城隍爺は同じ人物が神格化されたものではない。
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台中へ戻る前にスターバックスで休憩。
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鹿港にはこの1店舗のみ。
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店内の様子
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鹿港店限定販売のマグカップ
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店舗の形がデザインされている。これは2代目で、発売されてまだ間がないと店員が言っていた。でも、欲しいと思わなかった。これまで、スタバでマグカップを買ったのは成都のパンダデザインのものだけ。
「シャンシャン四川省新居の下見ツアー(6)友人宅訪問など」
https://4travel.jp/travelogue/11488250 -
鹿港バスターミナル
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彰化までバスに乗って、電車に乗り換えて台中へ戻る方法もあるけれど、台中まで直接行くバスがあるからそれを利用。
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木曜夕方の乗車率は高くなかった。
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2時間強で台中に到着し、ホテル近くの鍋料理店「芳華火鍋公司」で夕食。
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お一人様霜降牛鍋。肉の量が多くて満足。
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ホテルへの道にある靴屋さん。店の前で夜遅くまで靴の修理をしていた。
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洪瑞珍は遅い時間に通りかかっても、サンドイッチがたくさん並んでいた。
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前日の晩にも食べた東東芋圓へ。
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イートインスペース
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この日はパイナップルが入っているものを注文。さっぱりしていておいしかった。
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20時半にホテル帰着。
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ほぼ12時間をかけた、台中~彰化~鹿港~台中の旅。とても充実した日になった。画像はホテルエントランス。
(続)
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