2026/02/05 - 2026/02/05
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スネフェルさん
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藤森神社にやってきました。
伏見城跡とは反対のエリアに位置する藤森神社ですが、伏見というエリア故か、その縁起は1800年ほど前までさかのぼる由緒正しい神社です。
とはいえ、京都地区の中で、清水寺や伏見稲荷大社の様に外人を引き付ける神社ではなく、ほとんどは日本人であるため、静かに参拝することができました。
下調べをせずに訪問したのですが、神功皇后にゆかりのある神社とあって、気持ちがアガりました(笑)
神功皇后の三韓征伐のあと、この地に戦旗を立てたのが、その起こりだとか。
そのためか、「勝ち」にゆかりがあったり、菖蒲の節句(端午の節句)発祥の地であったり、軍事力として特別視された馬にゆかりがあったりと、とかく、古代日本の「戦」にゆかりがあった神社である痕跡がそこかしこに残っています。
ちなみに、神功皇后が執政をしたのは、201年から269年の約70年。
200~201年のいずれかの時期に応神天皇を出産しているので、出産が16歳としても86歳までは生きていた、ということになるので、当時の医療事情を考えると「神功皇后の実在が疑われる」というのはリーズナブルだと思います。
ちなみに、神功皇后の子、応神天皇は270年に即位し、310年の40年間在位したとされているので、御年110歳!
絶対にありえない(笑)
とはいえ、70年国家元首不在の国を切り盛りした女傑ゆかりの神社であることに間違いはありません。
歴代皇族の崇拝を集めていたようで、舎人親王(日本書紀編纂者)の碑や、八幡宮、大将軍社なども境内にはありました。
元寇で命を落とした蒙古兵の碑もあり、戦と縁の深い神社です。
「勝ち」にゆかりがあるのも納得です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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出発はJR藤森駅
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坂を下ります。
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京都教育大学に到着
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キャンパスの中を抜けて藤森神社に向かいます。
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キャンパスの西門を抜けた先に藤森神社の北側の入り口(駐車場)があります。
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ここには歩兵連隊(第16師団第9連隊)本部があったようです
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説明文によると10万人(!)を超える兵隊が苦楽を共にした、とありました。
10万となると連隊規模ではなく、師団規模です。
恐らく、延べ人数でしょう。
ちなみに、京都歩兵連隊はレイテ島で全滅(戦死率96.7%)しています。 -
藤森神社の西門
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学問と勝運と馬の神社のようです
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菖蒲の節句(端午の節句の別名)の発祥地でもあるようです
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藤森神社の碑
下がり藤に一の字の紋ですね。
藤原氏に縁があるようです。
縁起を調べるとに、三韓征伐から凱旋した神功皇后が山城国深草の里の藤森に纛旗(とうき = いくさ旗)を立て、兵具を納め、塚を作り、祭祀を行ったことが藤森神社の始まりのようです。
三韓征伐は伝説ではありますが、3-4世紀とされているので、縁起に従えば1800年以上の歴史のある神社、ということになります。 -
西側の参道
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境内に到着
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説明はありませんが、なにやら神々しいエリアが。
パワースポットかな? -
舎人親王の碑
没後、崇道尽敬皇帝の諡号が贈られた日本書紀の編纂者です。
古代日本で、文化の面で功績を残した偉人ですね。 -
舞台。
巫女舞が奉納される場でしょうか -
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神功皇后御旗塚、とあります。
纛旗(とうき = いくさ旗)を立てた場所、のようです。
神功皇后摂政3年(203年)のことなので、ほぼ伝説ですね -
不二の水。
地元の方が水を汲んでいました。 -
神鎧像。
かなり新しい像ですね。 -
神鎧像の説明文。
菖蒲節句に飾られ、神が宿るとされた武者人形を象徴したもの、との事。 -
社殿後ろ側にある八幡宮
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社殿後ろ側にある大将軍社
大将軍神は方位神(厄除けの神様)らしいです -
大将軍社の説明文
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菖蒲の節句発祥の地の像
なんでこのポーズ? -
特に銘は有りませんが、神馬または軍馬でしょうか
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午年ということもあり、大きい絵馬がありました。
語呂が良いですね。 -
絵馬社
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さて、西門方面に向かい、駅に戻ります。
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こちらは別の絵馬。
絵馬社の西側にありました。
馬の躍動感と飛び立つ鶴。
縁起がよさそうです -
南門側の参道を駅方面に歩いているとぽつんと佇む碑を発見
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かすれてよく読めませんでしたが、かろうじて蒙古塚、との字が読めます。
元寇で襲来し、異国の地で命を散らした蒙古兵を祀っている塚のようです。
蒙古兵といっても当時の状況から、半分以上は朝鮮兵でしょうが・・・
元寇って、実のところ、蒙古に媚びた朝鮮王が、蒙古への「媚び」のために起こした、朝鮮による蒙古兵を借りた日本侵略ですからね。
時間が無いから仕方ないとはいえ、学校の歴史教育の場ではきちんと背景も教えて欲しいものです。 -
別の碑もありました。
焼塩屋権兵衛の碑とあります。 -
近づいてみます。
かなり立派な碑です。 -
焼塩屋権兵衛はこの地を治めた伏見奉行の横暴を江戸表に出向いて直訴した人物だったようです。
直訴は成功し、寺社奉行での吟味の結果、伏見奉行は改易。
直訴人は「お構いなし(無罪)」の評決がでたものの、その時、焼塩屋権兵衛を含む直訴人7人は全て獄死していた、とのこと。
命を懸けて、この地の人を守った人。
確かに義人です。 -
南門側の鳥居
午年のため、お馬さんアピールがスゴイ -
南門側の神社の碑
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