2018/12/01 - 2018/12/15
7位(同エリア41件中)
さいたまさん
この旅行記のスケジュール
2018/12/07
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チュンポーンから国道4号線を、カォファーチーのクラ地峡横断鉄道の施設に向かい、ソンテウで移動します。
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国道4号線のクラブリの市街を経て、カオファーチーのクラ地峡横断鉄道の施設に向かいます。
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カォファーチーのクラ地峡横断鉄道の施設に着きました。
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カオファーチーの戦争記念施設の中のクラ地峡横断鉄道の施設を確認します。
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カオファーチーのクラ地峡横断鉄道の施設を調査します。
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カオファーチーのクラ地峡横断鉄道の機関車の様子を見て廻ります。
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カオファーチーのクラ地峡横断鉄道の記念館の建物を確認します。
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カオファーチーのクラ地峡横断鉄道の跡の渡し場を確認します。
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国道4号線を南下し、ラノーンに向かいます。
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ラノーンの市内に到着しました。
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ラノーンのバス会社を確認します。
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ラノーンのオールド・マーケットに向かいます。
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ラノーンの入出国管理事務所に向かいます。
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ラノーンの入出国管理事務所で、コータウンへの入出国管理の状況を確認します。
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ラノーンの国道4号線の東側のバスターミナルに向かいます。
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ラノーンの高速バスターミナルで、バンコクへのバスを探します。
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バンコクに向かい、高速バスで移動します。
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この旅行記スケジュールを元に
マレー半島を東西に横断するクラ地峡横断鉄道の跡をたどってきました。(後編)
英国は、インドからビルマの方向に植民地の領域を拡大するばかりでなく、シンガポールとペナン・マラッカを拠点として、マレ半島を北の方向に、逐次、侵食していく動きを続けていました。
また、フランスも、清国との戦いに勝利した後、ラオスとカンボジアに植民地を拡大し、タイに対しても、メコン川流域周辺を掌中に収めることに成功しました。
その中で、英国及びフランスは、クラ地峡の狭隘地域に、運河の開削や鉄道の敷設を、タイに提案していました。タイは、自国の領域内への列強からの提案に対し、警戒の念を持ち、独立国として地位の確保に努力を続けていきました。
今回、フランス語によるクラ地峡への運河開削の提案に関する資料を、初めて、目にしました。
英国の鉄道や運河に係る提案については、承知していましたが、フランスによるフランス語での運河開削の提案について、承知できたのは、大変興味深いものがあります。
このような中で、日本軍によるクラ地峡横断鉄道の建設は、タイが、フランスに奪取されたカンボジア4州の失地を回復に際する日本への恩義の念と無関係ではないものと、推察しています。
現在では、クラ地峡横断鉄道の跡は、あまり残っていませんが、ラノーンの北側のカオファーチーには、第2次世界大戦の歴史を示す場所として、クラ地峡横断鉄道に係る施設があります。
その施設は、広い広場の中央に、当時、使用されていた機関車と同じ型の機関車が置かれています。
また、機関車の西側には、大きな記念館のような建物があります。
クラ地峡横断鉄道は、90kmにも及ぶ線路区間を、半年余りで完成させるという建設速度をもって、建設が進められました。
線路の経路は、ほぼ国道4号線沿いになっていました。
現在は、カオファーチーの施設を除いて、残っているものは、ありません。線路等は、シンガポールやマラッカ等の戦略的優越の支障になることを懸念する英軍により撤去されています。
クラ地峡横断鉄道は、まさに、幻の鉄道となってしまった感があります。
写真は、ラノーン市場のソンテウです。
タイの各地を廻りましたが、どこの地でも目にすることの無かった独特の形のソンテウです。
とても珍しかったので、印象深く、記憶に残ってます。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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泰緬鉄道の輸送機能を補完するため、クラ地峡横断鉄道が建設されました。
泰緬鉄道とともに、ビルマへの物資を輸送するため、マレー半島最狭部のクラ地峡を東西に横断する鉄道が実現しました。
クラ地峡の場所を示す建物(施設)がクラブリの南のカオファーチーにあります。 -
クラ地峡横断鉄道は、チュンポンで、タイ国鉄の南線から分岐し、アンダマン海のカオファーチーまでの区間です。
カオファーチーから、船舶での海上輸送により、ビルマまで向かいます。
アンダマン海の海上輸送は、英国海軍の潜水艦の攻撃に対して、脆弱性を有していましたので、輸送効率が上がらなかったのかもしれません。 -
クラ地峡横断鉄道の最終駅は、タイとミャンマーの国境であるクラブリー川の東側にあります。
終点駅は、国境であるクラブリー川に合流する支流の北側河岸にあります。
支流の河川は、国道4号線の橋梁の西側で、タイとミャンマーの国境となっているクラブリー川と合流します。 -
カオファーチーのクラ地峡横断鉄道の終着駅の様子を描いた絵です。
クラ地峡横断鉄道の最終駅の周辺には、多数の鉄道施設が建設されていたようです。 -
カオファーチーのクラ地峡横断鉄道の施設の様子を記載した図面です。
国境河川へ流れ込む支流の北岸に建設されています。 -
カオファーチーにあるクラ地峡横断鉄道の最終駅への入口の様子です。
国道4号線から撮影しています。 -
クラ地峡横断鉄道の最終駅への入口の標識です。
History park of world war Ban Khaofachi との説明があります。 -
カオファーチーの最終駅の入口付近の様子です。
停留所らしき施設の前に標識があります。 -
入口から入っていくと、奥に、蒸気機関車と記念館があります。
付帯する鉄道駅関連のような施設としては、他に、船舶輸送に載せ替える波止場のような施設があります。
写真中央の広場に、機関車が置かれています。 -
機関車の周囲には、建物が建設されていて、機関車を収めてあります。
機関車の前には、記念碑が置かれています。
クラ地峡横断鉄道の最終駅との表示かもしれません。 -
機関車の前に置かれている記念碑です。
表示は、タイ語になっています。 -
機関車の後部の様子です。
左側の奥に、記念館が見えます。 -
記念館の入口から機関車を見ています。
機関車の奥に、支流の河川が見えます。 -
機関車を、東側(国道4号線側)から見た写真です。
機関車の保存状態は、悪くありません。
手入れがなされているようです。 -
機関車の後部と南側の河川の様子です。
船舶輸送への施設なのでしょうか、渡し場の桟橋のようなものが確認できます。 -
機関車の前部と記念館を撮影した写真です。
全体として、きれいな施設です。 -
機関車の様子です。
線路は、機関車の下のみで、前後には、見られません。 -
機関車の後部です。
なぜかわかりませんが、機関車の横にカヌーが置かれています。 -
機関車の前に、説明のための案内板が置かれています。
タイ語の表記になっています。 -
機関車の前に置かれている案内板です。
タイ語による記述の紹介になっています。 -
機関車の東側(国道4号線側)には、記念館が建てられています。
大きく、きれいな記念館です。
記念館だと、勝手に思っているのですが、解説や案内がないので、詳しいことは判りません。 -
記念館の内部の様子です。
展示とか解説がありません。これから設置されるのか、すでに撤収されているのか、全くわかりませんが、展示物がなく、がらんとしています。 -
記念館(勝手に、そう思っているのですが。)の内部を、ガラス越しに見ています。
がらんとしています。何もありません。 -
この建物の入口の標識には、History park of world war Ban Khaofachiとありました。
History park of world war とすると、広場のみで、建物は、違うのかもしれません。
調べてみたいと思っています。 -
History park of world war Ban Khaofachi という施設が、どのような範囲になっているか、判りませんが、一応の施設が並んでいます。
国道4号線沿いでもありますし、観光地に近いこともあり、設計によっては、有意義な施設になるものと考えられます。 -
記念館の屋上の屋根の部分です。
空気取り入れ口になっているものと想像しています。 -
クラ地峡横断鉄道の最終駅に連接している河川です。
国境河川と合流した後、アンダマン海を経て、当時のビルマのラングーン港に向かうことになります。
支流とはいえ、かなりの大河です。
水深を知ることが大事ですが、今回は、把握できませんでした。 -
タイとミャンマーの国境をなす河川に流れ込む支流の流れと船着き場の様子です。
支流とはいえ、豊かな水量をもっている流れです。
クラ地峡横断鉄道の最終駅から、船舶輸送のため、船舶への積載替えをする必要があります。
昔の青函連絡船のように、鉄道線路と輸送船舶との連接施設が必要と考えられます。
この渡し場は、観光用の感じがします。 -
波止場から下流を見ています。
国道4号線の橋梁が見えます。
国境河川は、更に、その奥になるのでしょう。 -
波止場から、支流の川上方向を見ています。
クラ地峡横断鉄道の輸送量は、日量300トン程度ですので、大型船舶の必要性は、多くないと考えられます。
豊かな水量ですので、水深がどの程度か調べる必要がありますが、輸送船舶の達着には問題なさそうな感じです。 -
クラ地峡横断鉄道の最終駅の広場入り口付近に建てられている案内板です。
出来れば、History park of world war Ban Khaofachi としての英語の解説が欲しいところです。 -
2551という数字が見えます。
仏歴とするならば、西暦2008年になります。
クラ地峡横断鉄道の完成は、1943年ですので、仏歴では、1943+543=5486年になりますので、History park of world war Ban Khaofachi の施設が出来た年なのかもしれません。 -
カオファーチーの施設の入口に立てられている標識です。
カオファーチーの施設の周辺は、History park of world war Ban Khaofachiであるばかりでなく 、自然保護の地域なのかもしれません。 -
フランスによるタイ(当時のシャム)への運河に係る提案資料です。
フランス語によるクラ運河構想の提案資料が残っていました。
フランスが、タイにクラ運河の開削を提案したのでしょう。
英国も、同様に、タイに提案していた経緯があります。
いずれも、タイが、提案の真意について警戒したため、実現に至らなかったようです。 -
フランスは、かって、口実を付けて、武力でタイ(当時のシャム)の領土の割譲を要求し、メコン川沿いの領土やカンボジア北西部を奪い取った歴史があります。当時の絵を通じ、その歴史を窺い知ることが出来ます。
絵には、シャムの国旗が降ろされ、フランス国旗が掲揚され、フランス軍が、フランス国旗に敬礼している様子が描かれています。
(シャムの港町トラートが、フランス軍により占領された際の絵です。) -
19世紀末から20世紀初頭にかけて、フランスは、ベトナム、ラオスそしてカンボジアの広大な土地を植民地として、拡大していきました。
シャムは、領土を割譲しつつ、なんとか独立を守ろうと努力しました。
マレー半島では、英国による植民地の拡大が続き、シャムのクラ半島の領域が、英国の植民地となってしまいました。 -
カオファーチーのクラ地峡横断鉄道の跡地を後にして、ラノーンに向かいます。
また、ソンテウに乗ります。
ソンテウは、気が楽です。
バスやバイタク等の他の交通機関が来ませんでしたので、ソンテウを利用したまでですが。 -
カオファーチーのクラ地峡横断鉄道の施設から国道4号線に入り、橋梁を渡り始める段階です。
川は、国境河川に合流する流れです。 -
国道4号線の橋梁を渡ります。
クラ地峡横断鉄道の支流は、この先で、国境河川と合流し、アンダマン海にそそぎます。
ビルマまでの船舶輸送の始まりです。 -
ソンテウから国道4号線の橋梁と支流の流れを見ています。
これからラノーンへの道を南下します。 -
ラノーンの市街地に入ってきました。
ソンテウが多いです。
バスは、あまり利用されていないのか、見かけません。 -
ラノーンのオールド市場の前のソンテウです。
ラノーンの市内は、広いので、いろいろな方向にソンテウが走っています。
それぞれのソンテウの向かう目的地を、外見から判断するのは、難しいです。
ひたすら聞きまくりました。 -
ラノーンのソンテウは、やや派手です。
原色が鮮やかに、特色を出しています。
マニラのジプニーの派手さまでは、行かないようですが。 -
このソンテウは、乗客の集まりが少ないせいか、なかなか出発しません。
乗客が集まるまで、まだ待つのでしょうか。
せっかちな日本人は、イライラすることでしょう。 -
ミャンマー領のコータウン(昔は、ビクトリア・ポイントと呼ばれていました。)に向かうフェリーが出る波止場です。
タイの出入国管理事務所が入っている地区です。 -
タイの出入国管理事務所の窓口です。
Departureとありますので、出国時の窓口です。 -
ラノーンで利用したソンテウの後部座席の様子です。
タイの他で見かけるソンテウよりも、大きめかと思います。
料金は、他より30バーツと高いです。 -
ソンテウの中には、中に、もう一列の座席を設置しているソンテウもありました。
乗車人員数が増えて、満杯になるまで待たされるのは、いやです。
運転手が、適宜、判断しているようです。 -
ラノーンで見かけるソンテウは、皆、派手です。
屋根にも、荷物を載せるようになっています。
梯子まで付いています。 -
ラノーン市内で見かけた青色のソンテウです。
市場の前の道路で、客待ちをしていました。 -
ラノーン市内の市場の前の通りです。
車の流れの向きと駐車している車の向きから判断すると、この通りは、一方通行のようです。 -
ラノーンの市内の様子です。
道路沿いの店舗に、バイタクの運転手が入っていきます。
店舗の庇が見えますが、かなり年季が入っています。 -
雨上がりのラノーンの市内の様子です。
モトバイクが数台と小型のソンテウが駐車しています。
ソンテウは、小さい車体ですので、乗車人数が少ないのかもしれません。
あまり見かけないサイズです。 -
ラノーン市内の道路沿いに駐車しているソンテウです。
ラノーン市内でも、南側の地区の様子です。
この周辺の街並みは、市場の周辺とは異なり、静かな環境のようです。 -
寺院なのでしょうか、それとも広い住宅なのでしょうか。
緑の木々に囲まれた街の一角の様子です。
静かな環境の感じがします。
派手なソンテウが、一台、駐車しています。 -
バンコクへ向かう高速バスの会社の待合室です。
昼間は、高速バスの発着が少なく、閑散としています。
夜間は、便数が多いようです。
明るく、きれいな待合室です。 -
高速バスの発着が少ないため、受付カウンターは、無人となっています。
バンコクに向かう高速バスは、夜間に出発するとのことです。
また、ラノーンより南部に向かうバスも少ないようです。 -
最初に訪れバス会社の南側の山沿いに、別の高速バスの発着ターミナルがありました。
数社の高速バスが、乗り入れていて、規模も大きなバスターミナルです。
複数の高速バス会社が入っている関係で、バスの便数も多く、発着間隔も短くなっています。 -
大きなバスターミナルですので、案内板も充実しています。
市内の主要施設の案内板です。
海岸地区と東側の山沿い地区と、分かれています。 -
バンコク行きのバスに乗りました。
バス経路の道路では、拡幅工事が実施されていました。
雨の合間に、重機が動いていました。 -
雨が多いので、路肩が弱くなっています。
土手を、ある程度広げてから、コンクリートで固めるのでしょう。
工事は、またまだ続くのでしょう。 -
国道4号線は、マレー半島の西側海岸沿いを走っています。
東側の海岸沿いは、国道41号線となっています。
国道4号線と国道41号線とを結ぶ道路は、山岳地内を東西に走っています。 -
国道41号線や山間部の道路は、道路工事の優先順位が、異なっているのかもしれません。
工事の進み方がやや遅れ気味なのかもしれません。
各法面の工事が、またまだの感じがします。 -
バスが走行している幹線道路沿いに、チュラロンコーン5世王の銅像が建てられていました。
背の高い銅像が、台座の上に立てられています。
台座には、5世王を顕彰する碑文が付けられているようです。 -
King Chulalongkorn initials craved on a stone inscriptin とあります。
チュラロンコーン5世王の頭文字が、顕彰碑の碑文に刻されているのでしょう。
チュラロンコーン5世王は、チャクリー王朝の王の中で、最も優れた国王だと崇拝の的になっている国王のようです。 -
幹線道路沿いのチュラロンコーン5世王の銅像の周辺には、軍のチェックポイントが設けられています。
対向車線を走る乗用車を止め、検問しているようです。
国王の像の警護のためなのでしょうか、無言のうちにも、プレッシャーを感じさせるものがあります。 -
高速バスは、バンコクに向かって進んでいます。
現国王のワチラロンコーン10世王の肖像画が掲げられています。 -
現国王のワチラロンコーン10世王の肖像画が掲げられています。
タイの国王の正規の服装の他、各軍種の制服姿の肖像画も描かれています。
皇太子時代は、空軍大将でしたから、空軍の制服姿が多かったのですが、国王になると、それぞれの軍の制服を着用している姿が見られます。
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