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2020/2/17(月)、今回の旅4日目、クルーズ船では初めての朝。この日停泊するのは米領ヴァージン諸島(U.S. Virgin Islands=USVI)。プエルトリコ(Perto Rico)から東に約120㎞、カリブ海(Caribbean Sea)の東、小アンティル諸島(Lesser Antilles)にある米国保護領(Unincorporated and Organized Territory)で、正式にはVirgin Islands of the United States。首都はセントトーマス島(Saint Thomas)のシャーロットアマリー(Charlotte Amalie)。国名はヴァージン諸島にあることから来ており、その名はコロンブス(Cristoforo Colombo)が最初に発見した際、人間によって汚されていない自然なままの姿を、当時の西欧で広く崇敬されていた聖ウルスラと1万1千人の乙女の殉教伝説(Saint Ursula and the 11,000 Virgins)と結びつけて命名したもの。<br /><br />ヴァージン諸島の西側の50を越える島々で構成され、合わせた国土面積は約350平方m。人が住み、観光客が訪れるような島は、セントトーマス島の他はセントクロイ島(Saint Croix)とセントジョン島(Saint John)の2島のみ。<br /><br />ヴァージン諸島は小アンティル諸島の一番北西の端にある島々で、小アンティル諸島は大アンティル諸島(Greater Antilles)と併せてカリブ海を囲むアンティル諸島(Antilles)を構成しているが、小アンティル諸島もさらに北部のリーワード諸島(Leeward Islands)、南部のウィンドワード諸島(Windward Islands)と南西部のリーワードアンティル諸島(Leeward Antilles)の3つに分けられ、ヴァージン諸島はリーワード諸島の一部になる。リーワードは風下を意味し、この海域で東から西へと吹く貿易風の風下側にあたることから命名された。ただし、英語圏以外では、アンティル諸島は3つではなく、風上と風下の2グループに分けられ、リーワード諸島とウィンドワード諸島は合わせて風上の島々と呼ばれ、リーワードアンティル諸島が風下の島々と呼ばれている。なお、アンティル諸島はさらにバハマ諸島(Lucayan Archipelago)と併せて西インド諸島(West Indies)となる。西インド諸島とアンティルの名前の由来については今回の旅で最初に訪れたドミニカ共和国の項を参照のこと。<br />https://4travel.jp/travelogue/11604363<br /><br />まとめると、英語圏での呼び方だが、西インド諸島>アンティル諸島>小アンティル諸島>リーワード諸島>ヴァージン諸島>米領ヴァージン諸島となる。北側は大西洋(Atlantic Ocean)で、南側がカリブ海。年間を通じて平均気温の変化は少なく、雨季や乾季の差もほとんどない。たいていは朝と夕方にスコールがある程度。ただし、9月から11月にはハリケーンに襲来されることがある。人口は全部で10万人余りで、奴隷として連れて来られたアフリカ系黒人の子孫が3/4を占める。白人が約15%。公用語は英語だが、プエルトリコやデンマークの訛りが強い。1/4の人は英語を話せず、スペイン語やフランス語などを母国語としている。ほとんどの人がキリスト教だが、宗派は様々。<br /><br />石器時代から狩猟採集民のグアナハタベイ族(Guanahatabey)が住んでいたと考えれているが痕跡は残ってない。紀元前後の数百年の間に南米大陸からアラワク族(Arawak)が渡来し、彼らの作った洞窟壁画や岩石彫刻が島に残されている。13世紀に入り同じく南米大陸からカリブ族(Caribs)が侵入し、アラワク族は数千人にまで激減させられた。1493年にコロンブス一行がセントクロイ島に到達、セントトーマス島とセントジョン島にも上陸している。その後、1625年になってヨーロッパ各国からの入植が始まり、アラワク族は死に絶え、わずかなカリブ族のみ生き残る。そしてほとんどの入植者も島を去った。<br /><br />1666年に新大陸進出を新たに狙うデンマークがセントトーマス島とセントジョン島の領有権を得、アフリカから奴隷を連れて来てプランテーション経営を行う。1733年には奴隷反乱がおきるが、フランスの助けを得てこれを押さえきり、さらにセントクロイ島をフランスから買収し、デンマーク領西インド諸島(Dansk Vestindien)とした。1848年には当時の総督により奴隷解放が宣言された。<br /><br />第1次大戦が勃発し、米国がドイツ軍に対するパナマ運河(Panama Canal)防衛拠点とするため、1917年にデンマークから2,500万US$で購入し、米国未編入領域(Uunincorporated Area)になった。その後、1932年に米国市民権と自治政府およびその投票権を得た。<br /><br />住民は米国国籍を保有し、本土への渡航や就職は自由であるが、大統領および連邦議会議員選挙の投票権はない。合衆国下院に本会議での採決権を持たない任期2年の代表者(Resident Commissioner)を1人送り出せる。米国内務省の所管下で知事・議会・裁判所が政治を分担している。知事は1970年以降は公選で、任期4年。現在の知事は19年に就任したアルバート・ブライアン(Albert Bryan)氏。議会は一院制で15議席。議員は公選で任期2年。裁判は三審制。裁判官は知事が任命し、任期は10年。独自の軍事組織は持たず、米軍基地もないが、約1000人の州兵部隊(Virgin Islands National Guard)がある。外交権はない。2018年のGDP成長率は1.5%。主要産業は観光がGDPの60%を占める。電圧とプラグは基本的に日本と同じ。<br /><br />セントトーマス島にシリル・E・キング空港(Cyril E. King Airport)、セントクロイ島にヘンリー・E・ロールセン空港(Henry E. Rohlsen Airport)の2つの国際空港があり、全米各地やプエルトリコのサンファン(San Juan)、カリブ海諸国などと結ばれている。<br /><br />通貨は米国ドル。国旗は1921年に採択されたもので、米国の紋章を単純化したものに、バージン諸島を表すVとIの字を配置。ワシが持っている月桂樹は、平和への強い欲求を、3本の矢は、ヴァージン諸島の主要な島である3つの島を表している。プエルトリコと同じく日本より13時間遅れで、サマータイムは採用していない。<br /><br />停泊するセントトーマス島(Saint Thomas)は米領ヴァージン諸島の中心地となる島。火山性で、最高峰は474mのクラウン山(Crown Mountain)。面積は82平方km、人口は約48,000人。島の名前はコロンブス一行が上陸した時に命名した名前の英語読み。新約聖書に登場するイエスの使徒の一人トマス(Thomas the Apostle)に由来している。1666年から1917年までデンマークの植民地だったため現在でも建造物などデンマークの面影が残る。<br /><br />窓がないので、朝になっても全く外の明るさが分からない部屋だが、6時半には目が覚める。メインダイニングの朝食は7時からなので、10階のビュッフェに上がると、すでに港に接岸している。まずはトーストやハム、チーズなどで朝食(下の写真)。窓の外にはセントトーマスクルーズ船ターミナル(St. Thomas Cruise Ship Port)からのシャーロットアマリーの港と町の景色が絵葉書のように広がり、素晴らしい。<br /><br />このクルーズ船ターミナルは町の中心部から約3㎞東のヘイブンサイト(Havensight)にある。同時に3隻のクルーズ船が停泊できるが、それ以上が重なった時には町の反対側のクラウン湾(Crown Bay)にある新しいターミナルに停泊する。ここにも2隻が停泊できる。ヘイブンサイトエリアには大型ショッピングモールや飲食店もある。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3919408181462510&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />いよいよ上陸するが、続く

米領ヴァージン諸島(U.S. Virgin Islands)

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2020/02/17 - 2020/02/17

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ちふゆ

ちふゆさん

2020/2/17(月)、今回の旅4日目、クルーズ船では初めての朝。この日停泊するのは米領ヴァージン諸島(U.S. Virgin Islands=USVI)。プエルトリコ(Perto Rico)から東に約120㎞、カリブ海(Caribbean Sea)の東、小アンティル諸島(Lesser Antilles)にある米国保護領(Unincorporated and Organized Territory)で、正式にはVirgin Islands of the United States。首都はセントトーマス島(Saint Thomas)のシャーロットアマリー(Charlotte Amalie)。国名はヴァージン諸島にあることから来ており、その名はコロンブス(Cristoforo Colombo)が最初に発見した際、人間によって汚されていない自然なままの姿を、当時の西欧で広く崇敬されていた聖ウルスラと1万1千人の乙女の殉教伝説(Saint Ursula and the 11,000 Virgins)と結びつけて命名したもの。

ヴァージン諸島の西側の50を越える島々で構成され、合わせた国土面積は約350平方m。人が住み、観光客が訪れるような島は、セントトーマス島の他はセントクロイ島(Saint Croix)とセントジョン島(Saint John)の2島のみ。

ヴァージン諸島は小アンティル諸島の一番北西の端にある島々で、小アンティル諸島は大アンティル諸島(Greater Antilles)と併せてカリブ海を囲むアンティル諸島(Antilles)を構成しているが、小アンティル諸島もさらに北部のリーワード諸島(Leeward Islands)、南部のウィンドワード諸島(Windward Islands)と南西部のリーワードアンティル諸島(Leeward Antilles)の3つに分けられ、ヴァージン諸島はリーワード諸島の一部になる。リーワードは風下を意味し、この海域で東から西へと吹く貿易風の風下側にあたることから命名された。ただし、英語圏以外では、アンティル諸島は3つではなく、風上と風下の2グループに分けられ、リーワード諸島とウィンドワード諸島は合わせて風上の島々と呼ばれ、リーワードアンティル諸島が風下の島々と呼ばれている。なお、アンティル諸島はさらにバハマ諸島(Lucayan Archipelago)と併せて西インド諸島(West Indies)となる。西インド諸島とアンティルの名前の由来については今回の旅で最初に訪れたドミニカ共和国の項を参照のこと。
https://4travel.jp/travelogue/11604363

まとめると、英語圏での呼び方だが、西インド諸島>アンティル諸島>小アンティル諸島>リーワード諸島>ヴァージン諸島>米領ヴァージン諸島となる。北側は大西洋(Atlantic Ocean)で、南側がカリブ海。年間を通じて平均気温の変化は少なく、雨季や乾季の差もほとんどない。たいていは朝と夕方にスコールがある程度。ただし、9月から11月にはハリケーンに襲来されることがある。人口は全部で10万人余りで、奴隷として連れて来られたアフリカ系黒人の子孫が3/4を占める。白人が約15%。公用語は英語だが、プエルトリコやデンマークの訛りが強い。1/4の人は英語を話せず、スペイン語やフランス語などを母国語としている。ほとんどの人がキリスト教だが、宗派は様々。

石器時代から狩猟採集民のグアナハタベイ族(Guanahatabey)が住んでいたと考えれているが痕跡は残ってない。紀元前後の数百年の間に南米大陸からアラワク族(Arawak)が渡来し、彼らの作った洞窟壁画や岩石彫刻が島に残されている。13世紀に入り同じく南米大陸からカリブ族(Caribs)が侵入し、アラワク族は数千人にまで激減させられた。1493年にコロンブス一行がセントクロイ島に到達、セントトーマス島とセントジョン島にも上陸している。その後、1625年になってヨーロッパ各国からの入植が始まり、アラワク族は死に絶え、わずかなカリブ族のみ生き残る。そしてほとんどの入植者も島を去った。

1666年に新大陸進出を新たに狙うデンマークがセントトーマス島とセントジョン島の領有権を得、アフリカから奴隷を連れて来てプランテーション経営を行う。1733年には奴隷反乱がおきるが、フランスの助けを得てこれを押さえきり、さらにセントクロイ島をフランスから買収し、デンマーク領西インド諸島(Dansk Vestindien)とした。1848年には当時の総督により奴隷解放が宣言された。

第1次大戦が勃発し、米国がドイツ軍に対するパナマ運河(Panama Canal)防衛拠点とするため、1917年にデンマークから2,500万US$で購入し、米国未編入領域(Uunincorporated Area)になった。その後、1932年に米国市民権と自治政府およびその投票権を得た。

住民は米国国籍を保有し、本土への渡航や就職は自由であるが、大統領および連邦議会議員選挙の投票権はない。合衆国下院に本会議での採決権を持たない任期2年の代表者(Resident Commissioner)を1人送り出せる。米国内務省の所管下で知事・議会・裁判所が政治を分担している。知事は1970年以降は公選で、任期4年。現在の知事は19年に就任したアルバート・ブライアン(Albert Bryan)氏。議会は一院制で15議席。議員は公選で任期2年。裁判は三審制。裁判官は知事が任命し、任期は10年。独自の軍事組織は持たず、米軍基地もないが、約1000人の州兵部隊(Virgin Islands National Guard)がある。外交権はない。2018年のGDP成長率は1.5%。主要産業は観光がGDPの60%を占める。電圧とプラグは基本的に日本と同じ。

セントトーマス島にシリル・E・キング空港(Cyril E. King Airport)、セントクロイ島にヘンリー・E・ロールセン空港(Henry E. Rohlsen Airport)の2つの国際空港があり、全米各地やプエルトリコのサンファン(San Juan)、カリブ海諸国などと結ばれている。

通貨は米国ドル。国旗は1921年に採択されたもので、米国の紋章を単純化したものに、バージン諸島を表すVとIの字を配置。ワシが持っている月桂樹は、平和への強い欲求を、3本の矢は、ヴァージン諸島の主要な島である3つの島を表している。プエルトリコと同じく日本より13時間遅れで、サマータイムは採用していない。

停泊するセントトーマス島(Saint Thomas)は米領ヴァージン諸島の中心地となる島。火山性で、最高峰は474mのクラウン山(Crown Mountain)。面積は82平方km、人口は約48,000人。島の名前はコロンブス一行が上陸した時に命名した名前の英語読み。新約聖書に登場するイエスの使徒の一人トマス(Thomas the Apostle)に由来している。1666年から1917年までデンマークの植民地だったため現在でも建造物などデンマークの面影が残る。

窓がないので、朝になっても全く外の明るさが分からない部屋だが、6時半には目が覚める。メインダイニングの朝食は7時からなので、10階のビュッフェに上がると、すでに港に接岸している。まずはトーストやハム、チーズなどで朝食(下の写真)。窓の外にはセントトーマスクルーズ船ターミナル(St. Thomas Cruise Ship Port)からのシャーロットアマリーの港と町の景色が絵葉書のように広がり、素晴らしい。

このクルーズ船ターミナルは町の中心部から約3㎞東のヘイブンサイト(Havensight)にある。同時に3隻のクルーズ船が停泊できるが、それ以上が重なった時には町の反対側のクラウン湾(Crown Bay)にある新しいターミナルに停泊する。ここにも2隻が停泊できる。ヘイブンサイトエリアには大型ショッピングモールや飲食店もある。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3919408181462510&type=1&l=223fe1adec


いよいよ上陸するが、続く

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