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2020/2/17(月)、朝8時半前。気を取り直して観光を開始。シャーロットアマリー(Charlotte Amalie)は米領ヴァージン諸島(U.S. Virgin Islands=USVI)の首都で、人口は18,500人程度。セントトーマス島(Saint Thomas)の南岸の中心部に位置し、この島最大の港湾都市。年間約150万隻のクルーズ観光船が停泊し、多数の免税店が立ち並ぶ。気候は熱帯のサバナ気候。<br /><br />元々はビアホールを意味するタファス(Taphus)と名付けられたが、1691年にデンマーク国王クリスチャン5世(Christian V)の王妃シャルロッテ・アマーリエ(Charlotte Amalie of Hesse-Kassel)にちなんで改名された。シャーロットアマリーは英語発音。<br /><br />かつてはカリブ海の海賊の本拠地のひとつだった。1672年にデンマークの西インド会社(Danish West India Company)によって入植が始まり、1691年にデンマーク領西インド諸島(Dansk Vestindien)の首都に定められた町で、数多くの歴史的建造物が残る歴史の町。1754年に首都はセントクロア島(Saint Croix)のクリスチャンステッド(Christiansted)に移されたが、18世紀後半には自由港として栄え、デンマークでは本国の首都コペンハーゲン(Copenhagen)に次ぐ大きな町となり、1871年に再びデンマーク領西インド諸島の首都となった。市内の多くの通りや場所にはデンマークの名前が残る。市内の歴史的建造物や文化遺産は、セントトーマス歴史トラスト(St. Thomas Historical Trust)によって守られている。<br /><br />1917年に米国領となった後は1931年まで米海軍の支配下に置かれ、第二次大戦中には海軍基地が造られた。1966年まで潜水艦基地もあった。1967年にヴァージン諸島を津波が襲った際に、大きな被害を受けたが、その後リゾート建設が始まり、米国本土からの直行便が観光を増やし、20世紀後半に大きな成長を遂げた。歴史的な建物や家屋の保存と改築が進み、多くの建物が200年前の外観に復元された。<br /><br />まずは、タクシーを降りたエマンシペーションガーデン辺りまで戻るが、来た時は海岸沿いを歩いてきたが、今度は少し内陸部に入ったところを東西に貫くメインストリートを進むことにする。最初のポイントは聖ピーター・アンド・ポール大聖堂(Saints Peter and Paul Cathedral)。1848年に建てられたカソリック(Roman Catholic Church)の大聖堂。1828年にこの場所に建てられた教会が1837年のハリケーン(Hurricane)で破壊された後に再建されたもの。クリーム色の教会はなかなか立派。東側には1926年に開設されたカソリック学校(Saints Peter and Paul Catholic School)が並んでいる。石造りの壁がいい感じ。最初は小学校が開設されたが、現在は高校まである。<br /><br />大聖堂から2ブロック東に歩くとあるのが市場広場(Market Square)。かつてカリブ海で最大の奴隷市場オークションが開催されていた場所で、世界屈指の活気に満ちた市場だった。今では地元の農民や庭師が時々農産物を販売するために集まるのみだそうで、閑散としていて、ちょっと寂しい。広場の真ん中にある屋根付きの場所は通称バンガロー(The Bungalow)と呼ばれており、1900年前後に建てられたものだが、2003年にトラクターが屋根にぶつかって壊れ、2006年に再建された。<br /><br />この市場広場から東の通りはドロニンゲンズゲード(Dronningens Gade=Main Street)と呼ばれ、シャーロットアマリーの文字通りメインストリート(表紙の写真)。両サイドにジュエリー、時計、カメラ、香水などの高級ブランドショップや酒屋、電化製品などが軒を連ねる免税品通り。まだ朝の9時前なので、開店してない店が多かったが、開いてる店もあった(下の写真1)ので、忘れないうちにTシャツを購入。旅先で安いTシャツを買うのが私の趣味。<br /><br />ついで(?)に日本への土産を物色。ここもドミニカ共和国(Republica Dominicana)原産のラリマー(Larimar)の扱いが多いが、それはすでに買ったので違う石を探し、日本では黄水晶とも呼ばれるシトリン(Citrine)のネックレスを購入。Tシャツを買いに入った店なのに、Tシャツ代がおまけのような買物になった。全くこう云うものに詳しくない私にはお得なのかどうかがさっぱり分からん。しかし、このお店、Tシャツがずらりと掲げられてて土産物屋かと思ったら、本職は宝石屋なのね(下の写真2)。こんな店が多くて、さすが免税品通りと呼ばれるだけのことはある。<br /><br />買物を終えて9時過ぎ、免税品通り少し山側に入ったところにあるセントトーマスユダヤ教会(St. Thomas Synagogue, Hebrew Congregation of St. Thomas)へ。1833年に建てられたもので、米国で2番目に古いユダヤ教会。1997年に歴史建造物として登録されている。平屋建てで、入口の中庭の先にゴシック様式のアーチ型の窓を持つギリシャ風寺院がある。寺院の壁はトスカーナ様式のレンガの柱で支えられている。敷地には入れなかったので、門の外から眺めただけ。<br /><br />免税品通りに戻ると別の宝石店の前にいた兄ちゃんに声を掛けられる(下の写真3の紫のシャツの男性)。どこから来たのか聞かれて元は日本からと答えると、店のマネージャーが前に日本に住んでいたとのことで紹介され、しばしお話しする。確か沖縄に住んでたとのこと。きれいな女性だった。<br /><br />で、彼女に教えてもらって少し通りを戻るとあったのがバンクスハウス(Bankhus house)。19世紀後半に活躍したフランスの印象派の画家カミーユ・ピサロ(Camille Pissarro)の生家で、今はカミーユピサロファインアンティークギャラリー(Camille Pisarro Fine Antique Gallery)となっている。開いてなかったし、外からだと普通の家。<br /><br />9時20分頃、最初にタクシーを降りたエマンシペーションガーデン(Emancipation Garden)まで戻ってくる。その時はガーデンから海岸沿いの道に出たが、山側の西の角に立つのが、郵便局(Post Office)。ドロニンゲンズゲードの東端に位置する黄色い大きめの建物。この郵便局は内部の壁にアメリカ人画家のステヴァン・ドハノス(Stevan Dohanos)の大きな一昔前の光景と思われる風景の壁画があることで有名なのだが、なぜか開いてない。<br /><br />ドアに張り紙が(下の写真4)。何? プレジデントデー(Presidents&#39; Day)でお休み? プレジデントデーって何? なんと、祝日だったんだ、この日は。サンノゼ(San Jose)でもシカゴ(Chicago)でもあったはずなのだが、まったく記憶にない。不覚・・・ だから、船の時間が違ってたんだと後で気付く私だった。まあ、分かっててもどうしようもなかったとは思うが・・・<br /><br />郵便局の向かいには3体の半身像が並んでいる(下の写真5)。ロスチャイルド・フランシス(Rothschild Francis)は20世紀前半に活躍した公民権運動の指導者でジャーナリスト。アントニオ・ジャービス(J. Antonio Jarvis)も同時期の詩人であり教育者。地元の新聞社も設立している。エディス・ウィリアムズ(Edith L. Williams)も同時期の教育者。いずれもこの島の出身者。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3919419274794734&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />シャーロットアマリー観光が続く

米領ヴァージン諸島 シャーロットアマリー(Charlotte Amalie, U.S. Virgin Islands)

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2020/02/17 - 2020/02/17

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ちふゆ

ちふゆさん

2020/2/17(月)、朝8時半前。気を取り直して観光を開始。シャーロットアマリー(Charlotte Amalie)は米領ヴァージン諸島(U.S. Virgin Islands=USVI)の首都で、人口は18,500人程度。セントトーマス島(Saint Thomas)の南岸の中心部に位置し、この島最大の港湾都市。年間約150万隻のクルーズ観光船が停泊し、多数の免税店が立ち並ぶ。気候は熱帯のサバナ気候。

元々はビアホールを意味するタファス(Taphus)と名付けられたが、1691年にデンマーク国王クリスチャン5世(Christian V)の王妃シャルロッテ・アマーリエ(Charlotte Amalie of Hesse-Kassel)にちなんで改名された。シャーロットアマリーは英語発音。

かつてはカリブ海の海賊の本拠地のひとつだった。1672年にデンマークの西インド会社(Danish West India Company)によって入植が始まり、1691年にデンマーク領西インド諸島(Dansk Vestindien)の首都に定められた町で、数多くの歴史的建造物が残る歴史の町。1754年に首都はセントクロア島(Saint Croix)のクリスチャンステッド(Christiansted)に移されたが、18世紀後半には自由港として栄え、デンマークでは本国の首都コペンハーゲン(Copenhagen)に次ぐ大きな町となり、1871年に再びデンマーク領西インド諸島の首都となった。市内の多くの通りや場所にはデンマークの名前が残る。市内の歴史的建造物や文化遺産は、セントトーマス歴史トラスト(St. Thomas Historical Trust)によって守られている。

1917年に米国領となった後は1931年まで米海軍の支配下に置かれ、第二次大戦中には海軍基地が造られた。1966年まで潜水艦基地もあった。1967年にヴァージン諸島を津波が襲った際に、大きな被害を受けたが、その後リゾート建設が始まり、米国本土からの直行便が観光を増やし、20世紀後半に大きな成長を遂げた。歴史的な建物や家屋の保存と改築が進み、多くの建物が200年前の外観に復元された。

まずは、タクシーを降りたエマンシペーションガーデン辺りまで戻るが、来た時は海岸沿いを歩いてきたが、今度は少し内陸部に入ったところを東西に貫くメインストリートを進むことにする。最初のポイントは聖ピーター・アンド・ポール大聖堂(Saints Peter and Paul Cathedral)。1848年に建てられたカソリック(Roman Catholic Church)の大聖堂。1828年にこの場所に建てられた教会が1837年のハリケーン(Hurricane)で破壊された後に再建されたもの。クリーム色の教会はなかなか立派。東側には1926年に開設されたカソリック学校(Saints Peter and Paul Catholic School)が並んでいる。石造りの壁がいい感じ。最初は小学校が開設されたが、現在は高校まである。

大聖堂から2ブロック東に歩くとあるのが市場広場(Market Square)。かつてカリブ海で最大の奴隷市場オークションが開催されていた場所で、世界屈指の活気に満ちた市場だった。今では地元の農民や庭師が時々農産物を販売するために集まるのみだそうで、閑散としていて、ちょっと寂しい。広場の真ん中にある屋根付きの場所は通称バンガロー(The Bungalow)と呼ばれており、1900年前後に建てられたものだが、2003年にトラクターが屋根にぶつかって壊れ、2006年に再建された。

この市場広場から東の通りはドロニンゲンズゲード(Dronningens Gade=Main Street)と呼ばれ、シャーロットアマリーの文字通りメインストリート(表紙の写真)。両サイドにジュエリー、時計、カメラ、香水などの高級ブランドショップや酒屋、電化製品などが軒を連ねる免税品通り。まだ朝の9時前なので、開店してない店が多かったが、開いてる店もあった(下の写真1)ので、忘れないうちにTシャツを購入。旅先で安いTシャツを買うのが私の趣味。

ついで(?)に日本への土産を物色。ここもドミニカ共和国(Republica Dominicana)原産のラリマー(Larimar)の扱いが多いが、それはすでに買ったので違う石を探し、日本では黄水晶とも呼ばれるシトリン(Citrine)のネックレスを購入。Tシャツを買いに入った店なのに、Tシャツ代がおまけのような買物になった。全くこう云うものに詳しくない私にはお得なのかどうかがさっぱり分からん。しかし、このお店、Tシャツがずらりと掲げられてて土産物屋かと思ったら、本職は宝石屋なのね(下の写真2)。こんな店が多くて、さすが免税品通りと呼ばれるだけのことはある。

買物を終えて9時過ぎ、免税品通り少し山側に入ったところにあるセントトーマスユダヤ教会(St. Thomas Synagogue, Hebrew Congregation of St. Thomas)へ。1833年に建てられたもので、米国で2番目に古いユダヤ教会。1997年に歴史建造物として登録されている。平屋建てで、入口の中庭の先にゴシック様式のアーチ型の窓を持つギリシャ風寺院がある。寺院の壁はトスカーナ様式のレンガの柱で支えられている。敷地には入れなかったので、門の外から眺めただけ。

免税品通りに戻ると別の宝石店の前にいた兄ちゃんに声を掛けられる(下の写真3の紫のシャツの男性)。どこから来たのか聞かれて元は日本からと答えると、店のマネージャーが前に日本に住んでいたとのことで紹介され、しばしお話しする。確か沖縄に住んでたとのこと。きれいな女性だった。

で、彼女に教えてもらって少し通りを戻るとあったのがバンクスハウス(Bankhus house)。19世紀後半に活躍したフランスの印象派の画家カミーユ・ピサロ(Camille Pissarro)の生家で、今はカミーユピサロファインアンティークギャラリー(Camille Pisarro Fine Antique Gallery)となっている。開いてなかったし、外からだと普通の家。

9時20分頃、最初にタクシーを降りたエマンシペーションガーデン(Emancipation Garden)まで戻ってくる。その時はガーデンから海岸沿いの道に出たが、山側の西の角に立つのが、郵便局(Post Office)。ドロニンゲンズゲードの東端に位置する黄色い大きめの建物。この郵便局は内部の壁にアメリカ人画家のステヴァン・ドハノス(Stevan Dohanos)の大きな一昔前の光景と思われる風景の壁画があることで有名なのだが、なぜか開いてない。

ドアに張り紙が(下の写真4)。何? プレジデントデー(Presidents' Day)でお休み? プレジデントデーって何? なんと、祝日だったんだ、この日は。サンノゼ(San Jose)でもシカゴ(Chicago)でもあったはずなのだが、まったく記憶にない。不覚・・・ だから、船の時間が違ってたんだと後で気付く私だった。まあ、分かっててもどうしようもなかったとは思うが・・・

郵便局の向かいには3体の半身像が並んでいる(下の写真5)。ロスチャイルド・フランシス(Rothschild Francis)は20世紀前半に活躍した公民権運動の指導者でジャーナリスト。アントニオ・ジャービス(J. Antonio Jarvis)も同時期の詩人であり教育者。地元の新聞社も設立している。エディス・ウィリアムズ(Edith L. Williams)も同時期の教育者。いずれもこの島の出身者。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3919419274794734&type=1&l=223fe1adec


シャーロットアマリー観光が続く

  • 写真1 免税品通りで9時前から開いてた店

    写真1 免税品通りで9時前から開いてた店

  • 写真2 店の内部

    写真2 店の内部

  • 写真3 日本に住んでた女性マネージャーと話した宝石店

    写真3 日本に住んでた女性マネージャーと話した宝石店

  • 写真4 郵便局の貼り紙

    写真4 郵便局の貼り紙

  • 写真5 郵便局前の銅像

    写真5 郵便局前の銅像

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