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2020/2/17(月)、朝7時半、米領ヴァージン諸島(U.S. Virgin Islands=USVI)、セントトーマス島(Saint Thomas)のシャーロットアマリー(Charlotte Amalie)、セントトーマスクルーズ船ターミナル(St. Thomas Cruise Ship Port)。今回のクルーズ、この日以外は朝8時に目的地に着港するのだが、この日だけは7時着。<br /><br />8時半のフェリーに乗りたかったので、早めに朝食を食べて下船。5時出港予定なので、4時半前に戻るようにとのこと(下の写真1)。5分ほど歩いてタクシーに乗車(下の写真2)。まずは町のダウンタウンへ。タクシーだと10分も掛からず、固定料金で4US$。アメリカ領だが左側通行。この島は米国が1917年にデンマークから購入したもので、デンマークは現在は右側通行だが当時は左側通行だったため、それが今でも引き継がれている。しかし、走っている車のほとんどはアメリカ仕様の左ハンドル車でなんかおかしい(下の写真3)。でも、USVIの車のナンバープレートはおしゃれ。<br /><br />エマンシペーションガーデン(Emancipation Garden)でタクシーを降りる。ここは1848年に奴隷解放宣言が行われた場所。1935年から69年までセントトーマスコミュニティバンド(St. Thomas Community Band)の楽長を務めたデイビッド・モンサント(David Monsanto)の胸像が建つ。また、1957年に米国バージニア州(Commonwealth of Virginia)から贈られたフィラデルフィア(Philadelphia)にある有名な自由の鐘(Liberty Bell)のレプリカもある。1607年にバージニア州に北米で初めての永続的な植民地を建設した一行144名がイギリスから現地に向かう途中にこの島に3日間滞在したことから350年を記念して贈られたもの。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3919419274794734&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />ガーデンからまず向かったのはエドワード・ブライデンマリーナターミナル(Edward Blyden Marine Terminal)。海岸沿いを西に15分ほど歩いて到着(表紙の写真)。名前に使われているエドワード・ブライデン(Edward Blyden)は19世紀後半から20世紀初頭に活躍したこの島生まれの西アフリカ、リベリア(Liberia)の駐英大使、駐仏大使を務めた外交官で、政治家、教育者、作家。1832年に現在のナイジェリア(Nigeria)から移住した自由黒人(free black)の両親の間に生まれた彼は13歳で牧師となり、18歳からアメリカで学ぼうとしたが、入学を拒否され、リベリアに移住した。その後政治活動に参加し、1869年から71年の間は大統領を補佐したが、政権交代の後に亡命。シエラレオネ(Sierra Leone)解放とリベリアとの連帯に努力したパンアフリカ(Pan-Africanism)運動の先駆的指導者。<br /><br />朝早くからここを目指して来たのは、英領ヴァージン諸島(British Virgin Islands=BVI)へ行ってこようとしたため。BVIはUSVIの東に位置する英国海外領土(British Overseas Territories: BOTs)。国名の由来はUSVIと同じ。ヴァージン諸島の東側の60を越える島々で構成され、合わせた国土面積は約150平方m。<br /><br />人が定住する島は16あり、首都はトルトラ島(Tortola)のロードタウン(Road Town)で、主要な島はトルトラ島の他、ヴァージンゴルダ島(Virgin Gorda)、アネガダ島(Anegada)、ヨストヴァンダイク島(Jost Van Dyke)。人口は全部で3万人余りで、奴隷として連れて来られたアフリカ系黒人の子孫が80%を占める。公用語は英語。ほとんどの人がキリスト教だが、宗派は様々。<br /><br />16世紀までの歴史は米領ヴァージン諸島と同じ。17世紀になってオランダの入植が始まり、スペインとの争いが始まるが、1625年にオランダ領ヴァージン諸島(Nederlandse Maagdeneilanden)となる。しかし、スペインだけでなく、当時現在の米領ヴァージン諸島のセントトーマス島とセントジョン島を支配していたデンマーク、そしてイギリスとの争いが続き、1672年にトルトラ島をイギリスに奪われ、1680年にイギリス領となる。<br /><br />その後、イギリス領リーワード諸島(British Leeward Islands)の一部となり、1958年に西インド諸島連盟(West Indies Federation)の一部として独立国を目指したが、まとまらず1960年に英領ヴァージン諸島として分離、1967年に自治権を得た。近年はサトウキビ農園などの伝統的な農業基盤経済から観光と金融サービスへと多様化し、カリブ海で最も裕福な地域の1つとなっている。<br /><br />このターミナルから約40㎞東にあるトルトラ島のロードタウンを50分で結ぶ高速船が出ており、8時半発に乗って行き、10時50分に戻ってくる予定だったのだが、チケットを購入しようとするとなぜか次の出発は9時半で、戻りは3時半前になるって・・・ 古い情報でなく最新情報をチェックしたはずなのに、何故・・・ BVIの首都ロードタウン、正直大した見どころはないはずなんだけど、今回を逃すと行く機会がない国(独立国ではないが)なので、どうしようかとしばし悩む。<br /><br />でも、そうすると、4時半には船に戻らなければならないので、ここ、シャーロットアマリーを観光できる時間がほとんどなくなる。見どころとしてはこの町の方が遥かに多い、と云うことで新しい国訪問、1ヶ国、断腸の思いで断念。ところで、この時点ではなぜ時間通りに船が走ってないのか分かっていなかったが、実はこの日の観光に大きな影響を与える原因があると、のちに気付くことになるが、その話はまた改めて。<br /><br /><br />シャーロットアマリー観光に続く

英領ヴァージン諸島(British Virgin Islands)

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2020/02/17 - 2020/02/17

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旅行記グループ 米領ヴァージン諸島

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ちふゆ

ちふゆさん

2020/2/17(月)、朝7時半、米領ヴァージン諸島(U.S. Virgin Islands=USVI)、セントトーマス島(Saint Thomas)のシャーロットアマリー(Charlotte Amalie)、セントトーマスクルーズ船ターミナル(St. Thomas Cruise Ship Port)。今回のクルーズ、この日以外は朝8時に目的地に着港するのだが、この日だけは7時着。

8時半のフェリーに乗りたかったので、早めに朝食を食べて下船。5時出港予定なので、4時半前に戻るようにとのこと(下の写真1)。5分ほど歩いてタクシーに乗車(下の写真2)。まずは町のダウンタウンへ。タクシーだと10分も掛からず、固定料金で4US$。アメリカ領だが左側通行。この島は米国が1917年にデンマークから購入したもので、デンマークは現在は右側通行だが当時は左側通行だったため、それが今でも引き継がれている。しかし、走っている車のほとんどはアメリカ仕様の左ハンドル車でなんかおかしい(下の写真3)。でも、USVIの車のナンバープレートはおしゃれ。

エマンシペーションガーデン(Emancipation Garden)でタクシーを降りる。ここは1848年に奴隷解放宣言が行われた場所。1935年から69年までセントトーマスコミュニティバンド(St. Thomas Community Band)の楽長を務めたデイビッド・モンサント(David Monsanto)の胸像が建つ。また、1957年に米国バージニア州(Commonwealth of Virginia)から贈られたフィラデルフィア(Philadelphia)にある有名な自由の鐘(Liberty Bell)のレプリカもある。1607年にバージニア州に北米で初めての永続的な植民地を建設した一行144名がイギリスから現地に向かう途中にこの島に3日間滞在したことから350年を記念して贈られたもの。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3919419274794734&type=1&l=223fe1adec

ガーデンからまず向かったのはエドワード・ブライデンマリーナターミナル(Edward Blyden Marine Terminal)。海岸沿いを西に15分ほど歩いて到着(表紙の写真)。名前に使われているエドワード・ブライデン(Edward Blyden)は19世紀後半から20世紀初頭に活躍したこの島生まれの西アフリカ、リベリア(Liberia)の駐英大使、駐仏大使を務めた外交官で、政治家、教育者、作家。1832年に現在のナイジェリア(Nigeria)から移住した自由黒人(free black)の両親の間に生まれた彼は13歳で牧師となり、18歳からアメリカで学ぼうとしたが、入学を拒否され、リベリアに移住した。その後政治活動に参加し、1869年から71年の間は大統領を補佐したが、政権交代の後に亡命。シエラレオネ(Sierra Leone)解放とリベリアとの連帯に努力したパンアフリカ(Pan-Africanism)運動の先駆的指導者。

朝早くからここを目指して来たのは、英領ヴァージン諸島(British Virgin Islands=BVI)へ行ってこようとしたため。BVIはUSVIの東に位置する英国海外領土(British Overseas Territories: BOTs)。国名の由来はUSVIと同じ。ヴァージン諸島の東側の60を越える島々で構成され、合わせた国土面積は約150平方m。

人が定住する島は16あり、首都はトルトラ島(Tortola)のロードタウン(Road Town)で、主要な島はトルトラ島の他、ヴァージンゴルダ島(Virgin Gorda)、アネガダ島(Anegada)、ヨストヴァンダイク島(Jost Van Dyke)。人口は全部で3万人余りで、奴隷として連れて来られたアフリカ系黒人の子孫が80%を占める。公用語は英語。ほとんどの人がキリスト教だが、宗派は様々。

16世紀までの歴史は米領ヴァージン諸島と同じ。17世紀になってオランダの入植が始まり、スペインとの争いが始まるが、1625年にオランダ領ヴァージン諸島(Nederlandse Maagdeneilanden)となる。しかし、スペインだけでなく、当時現在の米領ヴァージン諸島のセントトーマス島とセントジョン島を支配していたデンマーク、そしてイギリスとの争いが続き、1672年にトルトラ島をイギリスに奪われ、1680年にイギリス領となる。

その後、イギリス領リーワード諸島(British Leeward Islands)の一部となり、1958年に西インド諸島連盟(West Indies Federation)の一部として独立国を目指したが、まとまらず1960年に英領ヴァージン諸島として分離、1967年に自治権を得た。近年はサトウキビ農園などの伝統的な農業基盤経済から観光と金融サービスへと多様化し、カリブ海で最も裕福な地域の1つとなっている。

このターミナルから約40㎞東にあるトルトラ島のロードタウンを50分で結ぶ高速船が出ており、8時半発に乗って行き、10時50分に戻ってくる予定だったのだが、チケットを購入しようとするとなぜか次の出発は9時半で、戻りは3時半前になるって・・・ 古い情報でなく最新情報をチェックしたはずなのに、何故・・・ BVIの首都ロードタウン、正直大した見どころはないはずなんだけど、今回を逃すと行く機会がない国(独立国ではないが)なので、どうしようかとしばし悩む。

でも、そうすると、4時半には船に戻らなければならないので、ここ、シャーロットアマリーを観光できる時間がほとんどなくなる。見どころとしてはこの町の方が遥かに多い、と云うことで新しい国訪問、1ヶ国、断腸の思いで断念。ところで、この時点ではなぜ時間通りに船が走ってないのか分かっていなかったが、実はこの日の観光に大きな影響を与える原因があると、のちに気付くことになるが、その話はまた改めて。


シャーロットアマリー観光に続く

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  • 写真1 クルーズ船から下船

    写真1 クルーズ船から下船

  • 写真2 USVIのタクシー

    写真2 USVIのタクシー

  • 写真3 左ハンドルの左側通行

    写真3 左ハンドルの左側通行

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