2020/02/14 - 2020/02/14
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ちふゆさん
2020年2月14日(金)。朝9時前のフライトでジャマイカ(Jamaica)の首都キングストン(Kingstone)からドミニカ共和国(Republica Dominicana)へ向かう。利用したのはインターカリビアンエアウェイズ(interCaribbean Airways)。イギリス領タークスカイコス諸島(Turks and Caicos Islands)のプロビデンシアレス島(Providenciales)に拠点を置く旅客航空会社。1991年にチャーターサービスを提供するインターアイランドエアウェイズ(InterIsland Airways)として設立。2003年に定期便を就航し、エアタークス&カイコス(Air Turks&Caicos)に社名を変更し、さらに2013年に現在の社名となった。14機を保有し、タークスカイコス諸島を中心にカリブ海の島々、14ヶ国、23の空港を結ぶほか、ジャマイカではキングストンとモンテゴベイ(Montego Bay)を結ぶ国内線も運行している。
出発時刻の30分前になってもエプロン(Apron)に機材がないので、本当にオンタイムなのか心配になったが、25分前にやっとやって来た。折り返し便ではないので、大丈夫だとは思ったけれど。初めてノーマン・マンレー国際空港(Norman Manley International Airport)の10番ゲートを利用したけど、11番と共通の小さなゲートでゲート番号の表示もないし、出発時刻の15分くらい前に行っても誰もいないし、本当にここでいいのかと不安になる。5分前に出る予定のタークスカイコスに飛ぶ便の乗客の方もいるが彼らも同じ気持ちのようで、でもここでいいのかと私に聞くのは止めて欲しい。私が聞きたかったわ。目的地のサントドミンゴ(Santo Domingo)には直行便も週4便はあるが、金曜日は1ストップ便になり、タークスカイコス経由でも飛べるので、行き先だけだと同じ方も結構いた。まあ、時刻表上は私の乗る便の方が5分後に出て、5分先に着くのでその方がいいと思うけど、ただ機材が私の乗る方はプロペラ機で、タークスカイコス経由はジェット機なので、その方がいい人もいるだろう。
そう、私の取っては久しぶりのプロペラ機、エンブラエルEMB120(Embraer EMB120 Brasilia)。ブラジルの航空機メーカーのエンブラエル(Embraer)が開発した双発ターボプロップ旅客機(Twin-Turboprop Commuter Airliner)。愛称に付いているブラジリア(Brasilia)はブラジルの首都から来ている。最大乗客数は30人で、かなりコンパクト。1985年初就航で、2001年までに354機が製造され、ブラジル空軍などブラジルで約1/3が使われているほか、カリブ海地域を含む南北アメリカ、ヨーロッパ、さらにはアジアパシフィックでも利用されている。ただし、日本の航空会社は利用していない。
先にタークスカイコスの搭乗が行われ、続いて5分ほど前になって搭乗開始。もちろん自分で歩いて。まあ、乗客は5人だったので、すぐに搭乗完了。搭乗券には座席4Cとあったが(下の写真1)、5列目から後ろの好きなところに座れと云われる。重さのバランスの関係らしい。昔の日本で乗ったプロペラ機の時には体重測られた時もあったが、それはなかった。定刻より5分ほど遅れて9時頃、それでも5分先発のはずのタークスカイコス便の前に動き出し、飛び立つ。キングストン港(Kingston Harbour)の奥でカリブ海(Caribbean Sea)とを分ける陸繋砂州(Tombolo)のパリサデス(Palisadoes)を見下ろし、ジャマイカ島を北に横断し、バフベイ(Buff Bay)辺りで再びカリブ海に抜けると30分ほどでキューバ(Cuba)島が見えて来る。
予定の9:56より10分ほど早く経由地のアントニオ・マセオ空港(Aeropuerto Internacional Antonio Maceo y Grajales)に到着。キューバ東部にあるキューバ第2の都市サンティアーゴ・デ・クーバ(Santiago de Cuba)の7㎞南にある国際空港。4000mと1300mの2本の滑走路を持ち、キューバ独立軍の副司令官アントニオ・マセオ・グラハレス(Jose Antonio Maceo y Grajales)の名を冠している。ちなみにジャマイカとキューバには時差はないので、現地時間も変わらない。
サンティアーゴ・デ・クーバは1522年から1589年までスペイン植民地キューバの首都であり、また、1898年の米西戦争(Spanish-American War)でサンチャゴ・デ・キューバ海戦(Battle of Santiago de Cuba)の港湾封鎖の舞台になったところで、この海戦を観戦した武官の中に日本海軍の秋山真之(さねゆき)がおり、日露戦争にこの戦訓報告が活かされたことは、司馬遼太郎の「坂の上の雲」で有名。この話読んだし、モックンのドラマもしっかり見たので、分かる、分かる。着陸前に湾の入口がよく見えたが、確かにこの湾口を塞がれると致命的だよな。まあ、実際には封鎖自体は失敗したのではあるが。
この空港で、便名は変わるが機材は一緒で、乗って来た5人のうち3人はここで降りたが、私ともう一人は機内でそのまま再出発を待つ。私の席から荷物の運び出しや積み込みの様子がよく見え、私のキャリーバッグが外に出されているのが見え、ちゃんともう一度積んでくれと祈る(下の写真2)。大丈夫だった。新たに10人余りが乗り込んできて、定刻10:25に少し遅れて出発。
ここからはキューバ島の東端の南のカリブ海を東南東方向に飛び、45分ほどでハイチ共和国(Republique d'Haiti)のゴナーブ島(Ile de la Gonave)が見えて来て、西から東に横切る。険しい地形の不毛の島だそうで、緑の少ないそういう感じに見える。この島を過ぎると目的地のあるイスパニョーラ島(La Espanola)。西側の約1/3がハイチで、飛行機はちょうど首都のポルトープランス(Port-au-Prince)の上空を通過する。ハイチは中南米の最貧国で、治安も最悪と云われる国なので行きたくもない国、さらに長年に渡る乱伐で山は禿山だらけと聞いていた通り、首都の北側の山々にはほとんど緑は見えない。ポルトープランスを過ぎて5分ほどで、ソマートル池(Etang Saumatre)と云う元々は海峡部であった汽水湖を横切るが、この湖自体はハイチに属するが、北東岸の真ん中辺りはドミニカ共和国になる。アルバムの写真では右半分の湖岸がドミニカ共和国で、そういう目で見てると、心なしか緑が多いような気がする。
ドミニカ共和国(Republica Dominicana)はカリブ海(Mar Caribe)の東、小アンティル諸島(Lesser Antilles)にあるドミニカ国(Commonwealth of Dominica)と区別するため共和国を付けてあるいは省略してドミ共と呼ばれる。首都はサントドミンゴ(Santo Domingo)。漢字表記では土弥尼加共和国。国名は聖ドミニコ(Santo Domingo de Guzman)から派生している。元々は聖ドミニコに敬意を表して入植地がサントドミンゴと名付けられ、スペイン人ハイチ共和国(Republica del Haiti Espanol)として独立した時期を除くと、国名もサントドミンゴだったのだが、1865年のスペインからの最終的な独立時に、住民たちがドミニカーノ(Dominicano)と呼ばれていたことから現在の名称に定まった。因みにドミニカ国の方も起源は同じだが、15世紀末にやって来たスペイン人たちが、自分たちが入植した日が祝日にあたり、スペイン語で聖なる安息日は「サントドミンゴ」と呼ばれていたことから来ている。
国土面積約4万8500平方㎞で九州に高知県を合わせたくらいの広さ。カリブ海地域の真ん中に位置するカリブ海ではキューバ島に次ぐ大きさのイスパニョーラ島の東部3分の2を占め、島の名前は、先住民には島の西のハイチ共和国の国名の由来のアイティ(Haiti)などと呼ばれていたが、スペイン人により「スペインの島(La Isla Espanola)」と名付けられ、それがラテン語化されて現在の島名となった。東側にはモナ海峡(Canal de la Mona)を隔ててプエルトリコ(Puerto Rico)がある。またハイチの西にはウィンドワード海峡(Windward Passage)を隔ててキューバ、ジャマイカ海峡(Jamaica Channel)を隔ててジャマイカがある。
キューバ島からジャマイカ島、プエルトリコ島と併せて西インド諸島(Indias Occidentales)の一部の大アンティル諸島(Antillas Mayores)を形成する。ちなみに西インド諸島の名はコロンブス(Cristoforo Colombo)一行が1492年にこの地域の島に初上陸した時にインド(当時はインド以東のアジアを意味していた)に到達したと誤解したことに由来している。また、アンティルはヨーロッパ中世の地図に描かれたカナリア諸島(Islas Canarias)とアジアの間にあるとされた空想上の列島で、古いラテン語で(アジアの)前の島を意味するアンティリア(Antilia)の複数形。北側は大西洋(Oceano Atlantico)のバミューダトライアングル(Bermuda Triangle)となり、南側は南米大陸までの間のカリブ海が広がる。
中西部にカリブ地域で一番高い標高3098mのドゥアルテ峰(Pico Duarte)のある中央山脈(Cordillera Central)が走り、その北、東にも別の山脈があり、南西部は山が多く、東部は平原地帯となっている。亜熱帯の熱帯海洋性気候で、1年を通して気温は高いがが、湿度が比較的低く、過ごし易い。12月から4月が乾季で、暑さは和らぎ、晴天が多くなり観光に適している。雨季の7月から10月にはハリケーンに襲われることがある。
人口は1000万人を越える。黒人と白人の混血のムラート(Mulato)が3/4を占め、残りは白人と黒人になるが、白人の比率の方が少し高い。公用語はスペイン語だが、ベースがこの国への移民の多かったアンダルシア(Andalucia)方言で、絶滅させられた先住民タイノ族(Taino)の言葉や奴隷として連れて来られたアフリカ系黒人の言葉の影響を強く受けており、千鳥じゃないが、クセが強いらしい。また、フランス語系のハイチクレオール語(Kreyol Ayisyen)を話す人も1割以上いる。宗教はローマカトリック(Ecclesia Catholica)がほとんどと云われる。
紀元前4000年からタイノ族が南米大陸から渡来して住んでいたが、1492年にコロンブス一行が上陸し、1496年には新大陸初のスペイン植民地となり、100万から300万人いたとされる先住民は、酷使され、またヨーロッパから持ち込まれた病気で10年余りで絶滅させられた。その後サトウキビのプランテーションが導入され、労働力として多くのアフリカ系黒人が奴隷として現在のコンゴ(Congo)やナイジェリア(Nigeria)、ベナン(Benin)などから連れて来られた。
17世紀半ばの英西戦争(Anglo-Spanish War)でイングランドに攻められ、撃退したものの、手薄になった島の西部をフランス人海賊に占拠され、1697年のライスワイク平和条約(Treaty of Ryswick)により、島の西側(現在のハイチ)はフランス領サン=ドマング(Saint-Domingue)となった。余談だが、この時サントドミンゴ攻略に失敗したイングランド軍がそれならばと侵攻したのがジャマイカ。で、その後さらに、フランス革命戦争(Guerres de la Revolution francaise)のバーゼルの和約(Peace of Basel)により、1795年に全島フランス領となる。そして1804年、ハイチ革命(Revolution haitienne)が成功し、ハイチとしてフランスから独立を果たした。
しかし、その状態も長くは続かず、1815年、ナポレオン戦争(Guerres Napoleoniennes)でナポレオン(Napoleon Bonaparte)がエルベ島へ追放された後のパリ条約(Treaty of Paris)で東側はスペイン領に戻る。1821年、ラテンアメリカで進められていた解放戦争の中でこの国もいったんスペイン人ハイチ共和国として独立を果たすが、翌22年にはハイチ軍により占領される。この状態は20年余り続くが、1844年にドミニカ共和国としてハイチから独立。しかし、ハイチとの戦争は続き、疲弊した政府は1861年にスペインに併合を申し入れ、スペイン領に戻る。1865年、ハイチ人と結んだドミニカ人自由派による独立戦争の結果、スペインからの独立を果たすが、ハイチとの争いは続き、今度はアメリカへの併合も二度に渡り申し入れるが、合衆国上院に拒否された。そして、1875年になってようやくハイチとの平和条約が結ばれ独立国家としての道を歩むことになった。
ただ20世紀に入っても政情は安定せず、第一次大戦中の1916年にはドイツ帝国(Deutsches Kaiserreich)の介入を防ぐためにアメリカ軍が軍事占領し、米軍支配下で債務を返済し、経済基盤や政治を改善し大規模農業を導入し、強力で統一された警察や国軍を作った。米軍は1924年に撤退するが、この時に設置された国家警察隊上がりのラファエル・トルヒーヨ(Rafael Leonidas Trujillo Molina)が1930年に軍を使って大統領選挙に勝利し、31年間にわたり独裁政治をしいた。この間、1937年にはハイチ人皆殺しを指示し、1日で17,000人から35,000人が殺され、1959年には革命直後のキューバから上陸したドミニカ人革命ゲリラ部隊が殲滅された。1961年、トルヒーヨが暗殺され、翌年32年振りの大統領選挙が行われたが、依然政情は不安定で、1965年にはドミニカ内戦(Guerra Civil Dominicana)が起こり、米軍の介入を招いた。内戦後も80年代半ばまでは不安定な状況が続いたが、経済状態も徐々に回復し、21世紀に入って比較的安定している。
大統領を元首とする立憲君主制国家で、現在の大統領は2012年に就任して4年任期の2期目を務めるダニーロ・メディーナ(Danilo Medina)大統領。議会は上院と下院の二院制で、任期は4年。共に直接選挙により選ばれる。軍隊は志願制で、陸海空軍を持ち併せて5万6千人ほど。大統領が最高指揮権を持つ。
外交は対米重視でEUとの協調関係維持。カリブ諸国連合(ACS)と中米統合機構(SICA)の加盟国で、カリブ共同体(CARICOM)のオブザーバー。隣国ハイチとは1994年以降、相互に緊密化を模索しているが、19世紀までは圧倒的に豊かな国であったハイチは今や世界の極貧国のひとつとなり、ドミ共への不法移民問題が大きな課題となっている。2017年のGDP成長率は4.6%。主要産業は観光、農業、鉱業、繊維加工、医療用品製造、コールセンターなどで、主要輸出品はフェロニッケル、金、銀などの鉱物、輸血用器具、葉巻、電流遮断機、カカオ、綿布など。電圧とプラグは基本的には日本と同じ。
通貨はドミニカペソ(Dominican Peso)。通貨コードはDOPで通貨記号がRD$。1US$が約53RD$で、1RD$は約2円(2020年2月現在)。国旗は1966年にハイチの国旗をもとにして制定されたもの。赤は独立のために流された血を、青は平和を、白の十字は汚れのない精神を表す。中央に国章が配され、その国章の上部のリボンには国の標語「神、祖国、自由(Dios, Patria, Libertad)」が、下部のリボンには国名(Republica Dominicana)が記されている。民間用途ではこの国章を配置しない。車は左ハンドル右側通行。日本車が多いが、アメリカ仕様と云うか㎞表示なので、南アメリカ仕様かな。
野球が圧倒的に人気のスポーツ。世界屈指の野球大国であり、事実上の国技。アメリカのMLBで多くの選手が活躍。MLB歴代9位の通算609本塁打のサミー・ソーサ(Sammy Sosa)は英雄的存在であり、ボストン・レッドソックス(Boston Red Sox)などで活躍したペドロ・マルティネス(Pedro Martinez)は地上最高の投手と呼ばれる。日本でも数多くの選手がプレーしており、特に広島東洋カープはカープアカデミー(Academia de Beisbol Hiroshima Toyo Carp)を設置しており、多くの選手が海を渡っている。96年に20歳でカープに入団したアルフォンソ・ソリアーノ(Alfonso Soriano)はその後MLBで2000本安打、400本塁打を記録し、盗塁王1回を取り、オールスターゲームのMVPにも1回選ばれている。また、2013年の第3回ワールドベースボールクラシック(WBC)のチャンピオン国である。その他のスポーツではオリンピックでは陸上とボクシングでメダル3つ(うち金2)を獲得、バレーボールは女子が世界ランキング10位、男子は27位。
日本とは1934年に外交関係樹立。第二次世界大戦で一時中断したが、1957年に互いに大使館を設立している。ドミ共に取って日本はフランス、アメリカ、スペイン、韓国に次ぐ5番目の援助国。20世紀初頭から移民も行われており、現在の日系人は約800人。在留邦人は800人近くいる。JICAから協力隊は数多く派遣されているが、同期隊員はいない。日本より13時間遅れで、サマータイムは採用していない。飛んできたキューバやジャマイカより1時間進んでいる。
すっかり国の説明が長くなったが、ほぼ定刻13:05にラスアメリカス国際空港(Aeropuerto Internacional de Las Americas)に着陸。この空港は、ドミニカ共和国の首都サントドミンゴの空の玄関口で、正式名は「ラスアメリカス国際空港ホセ・フランシスコ・ペーニャ・ゴメス(Aeropuerto Internacional Las Americas- Jose Francisco Pena Gomez)」、IATAコード:SDQ。サントドミンゴ中心部から東に約20㎞のプンタカセード(Punta Cauceda)に位置し、3300m級滑走路1本を持つ。国内では東海岸にあるプンタカナ国際空港(Aeropuerto Internacional Punta Cana)に次ぐ空港で、2015年のデータでは年間350万人の乗客を処理している(日本だと2018年、10位の仙台空港が年間360万人)。
1959年にプンタカセード国際空港(Aeropuerto Internacional de Punta Caucedo)として開港。トルヒーヨ独裁時代にはトルヒーヨ将軍国際空港(Aeropuerto Internacional General Trujillo)と呼ばれた。1969年に南北アメリカへの玄関口としてラスアメリカス国際空港に改名され、1998年に20世紀の最も著名なドミ共の政治家の一人で、特に貧しい大衆の間で高い人気を持っていたJ.F.ペーニャ・ゴメス(Jose Francisco Pena Gomez)が亡くなると、彼に敬意を表して名前が付けられることが決まり、2002年に正式には現在名に改称された。日本でも関西地区の3空港を運営し、世界では46空港を運営するフランスに本拠を置くヴァンシエアポート(VINCI Airports)が運営しており、構内では無料Wifiが利用できる。
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サントドミンゴに向かうが続く。
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