1989/03/16 - 1989/03/21
100位(同エリア923件中)
itaruさん
- itaruさんTOP
- 旅行記320冊
- クチコミ25件
- Q&A回答21件
- 246,528アクセス
- フォロワー48人
サウンド・オブ・ミュージック。当時、映画は未見だったけれども、音楽の授業で歌った「エーデルワイス」が印象深い。その舞台、ザルツブルクは是非訪ねてみたい、とウィーンからザルツブルグへ。さらにザルツブルクからアルプスの街、インスブルックへ。ここでは勢いに任せて人生初のスキーの挑戦。そして今回の旅のハイライト、ロマンティック街道へと進みます
3月6日 SU578 成田→モスクワ
3月7日 モスクワ
3月8日 SU141 モスクワ→プラハ
3月9日 プラハ→ブダペスト(夜行列車)
3月10~11日 ブダペスト
3月12日 ショプロン
3月13~15日 ウィーン
3月16日 ザルツブルク
3月17~18日 インスブルック
3月19日 アウグスブルク
3月20日 ロマンティック街道(ローテンブルク泊)
3月21日 ケルン
3月22~26日 ロンドン
3月27~28日 SU244、SU587 ロンドン→モスクワ→成田
当時の為替レート
1ルーブル=約212円(ソ連)
1コロナ=約13.6円(チェコスロバキア)
1フォリント=約2.5円(ハンガリー)
1シリング=約10円(オーストリア)
1ドイツマルク=約70円(西ドイツ)
1ベルギーフラン=約3.5円(ベルギー)
1ポンド=約225円(英国)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
16日はモーツァルトの生地ザルツブルクへ。ウィーンからICで3時間半ほど。予定では9時の列車に乗ってお昼頃にザルツブルクに到着して午後からのサウンド・オブ・ミュージックの現地ツアーに申し込む。ツアーまでの合間にランチ、のつもりでいたのだけれど、寝坊してしまいました。ついでにチェックアウトの際、料金でのトラブル(値引きする、しない)もあってウィーン出発は1時間遅れ。長閑な車窓を眺めながら、気持ちはちょっと焦り気味
-
駅の手荷物預かりにバックパックを預け、急いでミラベル広場へ。すぐに歩き方にも載っていたパノラマツアーを発見、というよりも客引きしていた。240シリング(2400円)払ってツアーに出発です
-
レジデンツ広場から見上げるホーエンザルツブルク城塞。ですが、今回はロケ地巡りがメーンなので次回(1年後)に持ち越しです
ホーエンザルツブルク城塞 城・宮殿
-
モーツァルトが洗礼を受けたという大聖堂
大聖堂 寺院・教会
-
あれっ、ここってツアーで回ったんだっけ
-
ツアーが始まる前の空き時間に寄ったんだっけ、記憶がちょっと曖昧
-
ツアーで巡ったのは映画でトラップ大佐邸となった「シュロス レオポルドスクロン」やヴォルフガング湖などのアルプスの眺望、結婚式の行われたモントゼーの教会といったところ。と言っても、映画未見だったので、どんな場面だったのか分からなかったけど。ツアーに参加すること決めているなら、予習で映画を観ておけばいいのに
-
ツアーは英語なので、映画の込み入った部分の話になるとガイドの説明もなんのこと?状態になってしまう。でも、アルプスの山々の景色が圧倒的に美しく、多少は分からなくても十分に楽しめました。写真の湖は確かヴォルフガング湖だったはず
-
最後は映画の結婚式のロケが行われたモントゼーのシュティフト・プファール教会
-
フラッシュ使わず、フィルム写真で教会内部を撮影するとこんな感じ。夜景モードのないカメラだったので。映画では外観のみで、内部の撮影はされていなかったらしいですが
-
教会前のカフェでコーヒーブレーク。何の気なしに「アイリッシュコーヒー」を注文したら……。ご存じのとおり、これはコーヒーにアイリッシュ・ウィスキーを加えた甘いカクテル。大学生だったので、そんなことも知らず。当時は、ウィスキーなどの強い蒸留酒を飲むことはほとんどなかったので、アルコールの強さにびっくり。まあ、体は温まったけどね。てなことで、3時間半ほどのツアーは終了
-
で、翌17日はアルプス山麓の雄大な山々に囲まれたオーストリア・チロル地方の中心都市インスブルックへ。その間の車窓の美しさに圧倒されました。何しろ神奈川で生まれ育ち、ウィンタースポーツとも縁がなかったので生で雪山というものをほぼ観たことがなかった。目の前に迫ってくるアルプスの山々、その迫力に圧倒されました。長野出身で「雪山は見慣れている」という友人は呆れてましたが
-
1964年と1976年の2度、冬季オリンピックが開催されているウィンタースポーツのメッカ、インスブルック。街の観光案内所で駅近くの宿を案内してもらいます。1泊2人で640シリング(6400円)。今はネット予約が主流ですが、この頃は観光案内所で予算に合ったホテルを探してもらう、ってよくあることでした
-
宿も決まり、落ち着いたと思ったら、時刻は14時過ぎ。サクッと街歩きといきましょう。街の象徴、「黄金の小屋根」は神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が皇妃との結婚を記念して造らせたもので、2,657枚の金箔を貼った銅製のタイルでできている。ちなみに当時の歩き方は歴史的な経緯なんぞ、一言も触れてません。さらっと「街の象徴でもある黄金の屋根はフリードリッヒ通りのつきあたり、旧市街の中心だ」とだけ。ってこともあり、当時は感想は「ふ~ん」とあっさりしたもの
黄金の小屋根(マクシミリアン博物館) モニュメント・記念碑
-
コンパクトな街を思えばちょっと不釣り合かなと思うような王宮。ハプスブルク・オーストリア帝国の歴史を今に伝える王宮はなかなか見ごたえあり。そのほか、チロル民俗博物館などを観て回りました
王宮 城・宮殿
-
さて18日はミュンヘンに移動のはずでしたが、ハンガリーで会ったO女子大のFさんの「スキーもいいよ」の言葉が頭に引っかかっていて……。一度も国内でスキーをやったことがないにもかかわらず、「ヨーロッパでスキーデビューもいいんじゃない」と軽いノリで初スキーに挑戦です。前日に観光案内所でバスとリフトのセット券490シリング(4900円)を購入。で、早朝のバス乗り場、まさかFさんと再会。ほかにも彼女がユースで知り合ったSさん、T大修士のKさんと5人の日本人でスキー場へ。途中、長期滞在の人を拾いながらバスはスキー場へ向かいます。残念ながら、どこのスキー場だったのかは覚えていないけれど、レンタルスキーを150シリング(1500円)で借りたら、さあ初スキー。と思ったら、思わぬ落とし穴。何とスキーセンター隣接のリフトはTバーでした。スキーをやったことがある人は分かるかと思いますが、初心者にTバーはハードルが高いです。泣きたくなりました。斜面も「初心者が滑るにはきつい」とのことで、散々でした。この時は、まさか自分がウィンターシーズンにはスキー場通いになるとは思いもしませんでしたが
-
スキーで悪戦苦闘した翌19日は5カ国目の西ドイツ!に入国します。って、ここまでは東側諸国が絡んでいたから、厳格な国境審査があったのだけれども西側間ということもあって、オーストリア・西ドイツの出入国審査はあっさりしたもの。というか、係員がやってきて日本の赤いパスポートを見たら、それで終わり。パスポートの中身すら確認しない緩い審査に唖然としながらアウグスブルクに到着しました
アグスブルク市庁舎 建造物
-
で、ドイツについたので両替をしないと、と思ったのですが、日曜日で駅の両替所まで閉まっている。ATMのキャッシングも一般的ではなかったし、どこでドイツマルクを手に入れたら……。幸い、ドイツマルク建てのTCを持っていたので、宿でTCを現金化できたので助かりました。で、街歩き。ローマ帝国初代皇帝の名前を冠した歴史ある街。ルネッサンス期に建てられた市庁舎や14世紀創建の大聖堂など中世の雰囲気に浸ります
アウグスブルク大聖堂 寺院・教会
-
市庁舎広場から東に向かう一画にあるのがフッゲライ( Fuggerei)。富豪のフッガー家が貧しい人々のために建てた住宅。今も現役のこの家、当時の歩き方によると家賃は1年間でたったの2ドイツマルク(140円)とのこと
フッゲライ 建造物
-
一際目立つ高い塔はペルラッハ塔。当時の歩き方には説明ありません
ペルラッハ塔 建造物
-
メーンストリートともいうべきマキシミリアン通りの先にあるのは聖ウルリヒ&アフラ教会。歴史ある街を堪能したこの日、夕食を食べたレストランではユーゴスラビアからやってきた老夫婦にドイツ語で話しかけられました。私にドイツ語力がなく、ほんの少し単語のやり取りをしただけで会話は続かなかったけれど、中欧でのドイツ語の通用度を実感したものです。ドイツ語をもっと勉強しないと、とこの時だけは思ったのでした
聖ウルリヒ&アフラ教会 寺院・教会
-
20日はロマンティック街道を走るユーレイルパスが利用できたヨーロッパバスでネルトリンゲン、ディンケルスビュールを経由してローテンブルクを目指します
マルクト広場 (ディンケルスビュール) 広場・公園
-
この時、アウグスブルクの駅でミュンヘンからやってくるバスを待つのは日本人ばかり。日本人以外の乗客は見たところ1人だけみたい(この頃は近隣の国の人が自由旅行するなんてなかった)。しかもバスに乗っていたガイドさんが渡してくれたディンケルスビュールのパンフレットは日本語。どれだけ多くの日本人(特に学生)がこの時期、ロマンティック街道を訪れていたのだろうか、って突っ込みたくなります
セグリンガー門 建造物
-
ところでロマンティック街道といえば、フュッセンのノイシュバンシュタイン城が浮かびますが、当時のヨーロッパバスがフュッセンを走るのは5月半ばから。フュッセンを回るには1日余計に時間がかかってしまう。効率性を優先してパスしたんだけど、観光客が少なかったこの頃に訪れておけばよかった、と今では少し後悔しています
-
途中で立ち寄った街の一つネルトリンゲンは15分の小休止のみ。ほんのわずかな時間の滞在だった上、写真も撮っていなかったので印象がほぼないです。一方、1時間40分ほど滞在したディンケルスビュールは小さな街だけれども、赤レンガ色の切妻の屋根が印象深いところでした
-
戦争による破壊もなかったそうで中世的な雰囲気がそこかしこに漂っています
-
街を囲む城壁は登ることはできなかったけれど、周りの景色に溶け込み
-
ヨーロッパ、おとぎの世界を旅しているような気分にもなってくる
-
そしてローテンブルクには15時過ぎに到着。ある意味、この旅のハイライトとなる街です。何はともあれ、マルクト広場に面する市庁舎へ
ローテンブルク市庁舎 建造物
-
市庁舎の塔は高さ60m。197段の階段を登って眺めるローテンブルクの街並み。まさに中世にタイムスリップしたような気分になってくる。鳴り響く教会の鐘が街の雰囲気にぴったりマッチしていて、ヨーロッパに来ているんだという実感がわいてくる
-
旧市街をぐるっと囲む城壁。ここをゆっくり歩いて歴史を刻んだ街並みを堪能しましょう。せっかくなので、と撮ったはずの記念の1枚。カメラのストラップが映り込んでいる。フィルム写真でありがちな失敗です
ローテンブルク城壁 史跡・遺跡
-
夕暮れ時のローテンブルク
-
城壁の外には広がる長閑な光景
-
そろそろ日が沈みます
-
中世の城壁歩きを
-
堪能したら
-
絵はがき大のエッチングを売るお店で土産を購入。日本人が多く訪れるからか、店内には日本語表記があちらこちらに。ヨーロッパを旅している東洋人は日本人、って時代でした
-
ところでローテンブルグの宿、「ツインをお願いします」と言ったはずなのに用意されていた部屋にはダブルベッド一つ。「えっ」と友人と顔を見合わせたっけ。どうしようと思ったけれど、面倒くさくてそのまま泊まってしまったのは、今では笑い話です
レーダー門 建造物
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- salsaladyさん 2020/04/24 12:29:40
- 良き想い出ですね~
- ☆1989年!平成元年ですか~30年ちょっと前も数百年前の建造物は同じ位置に平然と同じ顔で存在して。。。中欧の姿が変わらないことが新鮮です。
☆コロナが来ようと第三次大戦(此は困るけど)が起ころうと変わらぬ佇まいで人類を見続ける石の建物を感謝の意で見上げました。私も!
☆地球は一つだから、突然変異が起こると一蓮托生の時代~Take care of yourself !
- itaruさん からの返信 2020/04/25 01:12:53
- RE: 良き想い出ですね?
- salsaladyさん
コメントありがとうございます。
当時のプラハは観光客もそう多くなく、世界的なチェーン店もありませでした。
その分、自らのペースで旅ができたことを覚えています。
世界的に旅ができない今の状況が一日も早く元に戻るといいですね。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
ロマンチック街道周辺(ドイツ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 初海外はソ連・東欧からロマンティック街道を通ってロンドンへ
2
38