1989/03/06 - 1989/03/09
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itaruさん
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自由に海外を歩いて旅行する。海外には行きたいけれど、行くなら旅行社が主催するパックしかないのかな、と思っていた時に届いたのが「地球の歩き方(DST)」からのダイレクトメール。格安航空券とユースホステルを使って海外を自由に旅しませんか、そんな誘いに心動かされた。自由に旅行ができるんだって。今となっては、当たり前のことですが、全く考えてもいなかった。
それならヨーロッパを自分のペースで観てまわりたい。とはいえ、1人で旅すのは心細い。海外に興味がありそうな友人に声をかけ、説明会を聞くなどして計画を練って、大学2年の春休みに初海外に行くことに
3月6日 SU578 成田→モスクワ
3月7日 モスクワ
3月8日 SU141 モスクワ→プラハ
3月9日 プラハ→ブダペスト(夜行列車)
3月10~11日 ブダペスト
3月12日 ショプロン
3月13~15日 ウィーン
3月16日 ザルツブルク
3月17~18日 インスブルック
3月19日 アウグスブルク
3月20日 ロマンティック街道(ローテンブルク泊)
3月21日 ケルン
3月22~26日 ロンドン
3月27~28日 SU244、SU587 ロンドン→モスクワ→成田
当時の為替レート
1ルーブル=約212円(ソ連)
1コロナ=約13.6円(チェコスロバキア)
1フォリント=約2.5円(ハンガリー)
1シリング=約10円(オーストリア)
1ドイツマルク=約70円(西ドイツ)
1ベルギーフラン=約3.5円(ベルギー)
1ポンド=約225円(英国)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道 徒歩 飛行機
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
何時から、どのくらいの期間、どんなルートで旅するのか。初めての経験にワクワクって感じで、構想を練りました。当然、学生なんでチケット代の安い航空会社を選びたい。オフシーズンとはいえ、まだまだ航空券は高かった。その中で目を引いたのがアエロフロートを使った日ソ旅行社(現ロシア旅行社)のプラン。モスクワ2泊と東欧1泊のホテル付プラン。まだベルリンの壁も崩壊していない時代、社会主義の国の様子を見てみるのは面白い。友人を説得して、ソ連、東ドイツ、チェコ、ハンガリーを通ってオーストリアへ抜け、最後は英国を目指す、という23日間の旅程を考えました。プラン通りなら、壁に隔てられたドイツを観ることができたのですが、残念ながらベルリンのホテルが満室。東ドイツを飛ばしてモスクワからチェコに直接飛びました。後から考えるともったいなかったな
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写真は撮っていませんが、この頃日本に就航していたアエロフロートは当然ながらソ連製の旅客機イリューシン62M。座席配置は3-3のナローボディーで、映画をはじめエンターテイメント設備など一切なし。騒音もかなりのもので、機内もうるさかったのを覚えています。最もこれまで国内線すら乗ったことがなかったので、こんなものかと思っただけ。混雑のためにモスクワ上空でしばらく旋回していた時も着陸って時間がかかるんだなあ、なんて呑気に考えてました。で、無表情なソ連の入国審査官のプレッシャーを感じつつ、入国を果たしたらホテルに向かわなければ。この頃のソ連の旅行って移動手段とホテルは必須って話だったので、ホテルの送迎も当然のことながらついていると思ったいたんだけど、バウチャーに記載されていたのはホテルだけ。空港のインツーリスト(国営旅行会社、当時はここが海外からの旅行客を取り扱っていた)に聞くと、「タクシーで行きなさい」
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確かに空港から出ると「Taxi」って声がかかってくる。白タク? 正規のタクシーは? 空港の外はカオス状態で良く分からない。実質、1日だけの観光のために「歩き方」のソ連編を買うのは学生なので勿体ない、と旅行社が送ってきたモスクワの観光ガイド小冊子しか持っていないので、公共交通手段があるのかも分からない。「How much」と聞いてくるドライバー、相場も分からずにいると「15dollar」。良く分からないけど、そんなに高くないし、まあいいか。少し不安もあったけど、何事もなくホテルに到着。ホテル「コスモス」はソ連らしい、各階にジェジェールナヤという管理人(監視者?)のおばちゃんがいる大型ホテルでした
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で、空港に戻るタクシーも用意しなきゃ。ホテルのインツーリストで空港への送迎の手配を頼むと、23.1ルーブルってこと。当時の公定レートは1ルーブル約212円だから、4800円というところ。かなり高い? まだ旅初心者だったんで、闇両替とかリサーチもしていなかったので分からなかったのですが、日常品等の物資不足が西側にも伝わっていた当時のソ連。ドルに対する需要はかなりのものがあったんでしょう。それにしても15ドルは安かった。ソ連崩壊後には軽く100ドルを越えていたようだし
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2泊するとはいえ、夜遅く到着して朝早くに出発するのでモスクワ観光に使えるのは実質1日だけ。早速街歩きを始めましょう。3月上旬とはいえ、雪景色のモスクワ。地下鉄に乗って赤の広場に向かいます
スパスカヤ塔 モニュメント・記念碑
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TVでしか観たことがなかった赤の広場。テンションあがります。当時はゴルバチョフによるペレストロイカが進行中とはいえ、バリバリの社会主義国のリーダー、ソ連の中心ともいえる場所です。オフシーズンだからというのもあるけれど、観光客で賑わうなんてことはありません。やはりここは入っておこうと訪問したレーニン廟も兵士に守られ、ピリピリとまではいわないけれど緊張感に包まれていました
赤の広場 広場・公園
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しかし、ガイドブックを持たなかったのは失敗でした。今以上に街中では英語が通じないソ連時代のモスクワ。どこかに行こうと思っても情報が全然手に入らない。リサーチ不足でした。結局、赤の広場周辺の散策だけに終わってしまった実質初の海外1日目。クレムリンにも入らなかったし。もったいなかったなあ
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3月8日、モスクワのシェレメチェボ国際空港から9時20分発のSU141便でチェコのプラハへ。この便はイリューシンとともにソ連時代の代表的な機材ツポレフ154。今となっては懐かしい機材です。さて当時は東側の国だったチェコスロバキア。観光するためにはVISAが必要になります。ただ、旅行会社任せだったソ連の様にバウチャーの用意など煩雑な手続きは不要なので、こちらは自力で取得しました。広尾の大使館に出向いて4600円で無時、VISAをゲット
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特に問題なくチェコに入国。そうそう、当時のチェコには強制両替なるものがあって、一日あたり確か30ドイツマルク。もちろん米ドルでOKなんですが、東欧はドイツマルクが有利という話だったのでドイツマルクのTCを用意してたんです。さてどうやって、市内に出るかですが、歩き方の東ヨーロッパ編には空港から市内への交通手段が書かれていない。どうしようか、と思っていたら日本人のグループがバスに乗り込んでいる。どうやら、プラハの街に向かうバスらしい。じゃあ、このバスに乗ろう。しばらくすると「ヨーロッパ」というイメージにピッタリの街並み目に入ってくる。密かに感動しながら車窓を眺めていたものです
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順調にバスが進む、と思ったら途中のバス停で日本人のグループが降りた。どうやら地下鉄の駅らしい。まだまだ手作り感満載だった歩き方は地下鉄のことは一言も触れていない。でも、地下鉄の方が路線も分かりやすくて現在地の把握もできるのでは? そう思ってバスから慌てて降りて、地下鉄でプラハの中心部を目指す。この日はあいにくの雨。とりあえずホテルを目指そうか
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15世紀に建てられた火薬塔。残念ながら露光が足りずに残念な1枚になっている。デジカメだったら、確認して取り直しするところですが、現像するまで分からないから
火薬塔 (火薬門) 建造物
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この旅ではプラハまではホテルがアレンジ済み。ホテルベルベデーレでは2食付(halfboard)ってことだったんだけど、夕食分のリミットがえらく低く設定されていたらしくてチェックアウト時に追加料金を支払うことに!
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まあ気を取り直してプラハ観光に繰り出そう。トラムに乗って旧市街へ移動して、火薬塔から旧市庁舎方面へ。天気は曇りだけれども雨は上がってくれて助かった
プラハ旧市庁舎 建造物
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旧市街広場に立つのはヤン・フスの像。世界史で習ったっけ
旧市街広場 広場・公園
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2つの尖塔が鮮やかなティン教会は1365年の創建
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旧市街で一番人気が天文時計。毎時0分に死神や12使徒の姿が現れるからくり時計
天文時計 建造物
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字間ともなれば、結構な人が集まってくる。とはいえ、当時は観光客がホントに少なくて、記念の写真がなかなか撮れないなんてことはありませんでした。ところで、記念写真を撮っている友人、バックパック背負ってます。実はチェックアウト後も荷物を預かってもらえる、という当たり前のことに気がつかず、重い荷物を背負いながら一日中街を散策していました。若いからこそでしょうか
天文時計 建造物
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プラハで一番賑わっていたのはやはりカレル橋。多くの人々が行き交い、記念写真を撮ったり、露天を見物したり。橋の様子をもう少し写真に撮っておけば良かった
カレル橋 建造物
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そういえば、この橋で売られていたのがプラハを描いた水彩画。50コロナ(700円ほど)で購入したっけ。初めて買った海外のお土産。しばらく実家で飾っていたけれど、どこにしまってあるんだろうか
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カレル橋を渡ったらプラハ城へ。重い荷物を持って坂道を歩くのはさすがに大変。でプラハ城から眺める旧市街。天気が良ければもっと素晴らしかったのに、って思うのは贅沢な悩みかな
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プラハ城の中でもひときわ目立つのが聖ヴィート大聖堂。中のステンドグラスが素晴らしかったのだけれども、当時は建物内の写真ってほとんど撮ってない。1枚くらい撮っておけばよかった
聖ヴィート大聖堂 寺院・教会
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プラハ城を後にして昼食を撮ってから訪れたのがユダヤ人地区。プラハは欧州で最初で最大のユダヤ人居住区ゲットーが誕生したとされる街。第2次世界大戦では多くの人が犠牲にもなった。そんな地区を迷いつつぷらぷら歩く。ここ旧ユダヤ人墓地は1439年から1787年までに亡くなった人が眠る場所。ユダヤ人への差別が色濃く残る時代、ここに眠る人たちはどんな人生を送っていたのだろうか
旧ユダヤ人墓地 建造物
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プラハの街中を流れるヴルタヴァ川。もっとも日本人としてはドイツ語読みのモルダウ川の方が有名ですね。チェコの作曲家スメタナの交響詩「わが祖国」の2曲目「モルダウ」は日本人にもなじみの曲
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もうすぐ夕暮れ時、脳内でスメタナの名曲を再生しながら
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夕暮れの国立博物館へ。開館時間を過ぎていたので外観だけ一望したらプラハ本駅に向かいます
国立博物館本館 博物館・美術館・ギャラリー
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プラハからハンガリーのブダペストは夜行列車で。今ではチェコとスロバキアの2カ国に分かれているので国境通過も2度になるけれど、当時はまだチェコスロバキア。国境通過は1度だけ。もちろん国境ではしっかり出入国審査があり、たたき起こされましたけど。チケットそのものは前日に駅で購入。面白いものでチェコ国内分は現地通貨の100コロナ、国境からは外貨の6.5ドルで払ったこと。写真は当時のチケット。硬券が乗車券で書き込んである紙のチケットは寝台(クシェット)のもの。紙の乗車券、良くみるとチェコ語、ロシア語のほかにドイツ語で書かれている。当時の東欧の情勢を考えると興味深いです
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旅行記グループ
初海外はソ連・東欧からロマンティック街道を通ってロンドンへ
この旅行記へのコメント (2)
-
- shushu tany さん 2020/04/27 13:08:10
- 楽しく読ませていただきました。
- itaru様
突然、コメントさせていただきまして申し訳ありません。
旅行記を拝見し、本当に楽しく読ませていただきましたので、思わず書かせていただきました。
社会主義時代のソ連やチェコを旅されたとのこと、羨ましく思いながらも楽しく読ませていただきました。
私は20代半ばころ、なんとなく旧社会主義の国に興味を持ち、2004年の夏にロシア、2004年の冬と2013年の夏にチェコを旅行していますが、社会主義時代はこんな感じだったのか、と興味深く読ませていただきました。
2004年当時でも、ロシアはまだ社会主義時代の制度や習慣の名残が色濃い時代で、モスクワの空港の建物を一歩出たカオスっぷりや、タクシーの値段のよくわからなさ、ホテルの各階に一人いる管理人のおばちゃんなど、1989年と似た状況もまだあったんだなあ、と読ませていただきました。(同時に行ったアゼルバイジャン、グルジアも同じような状況でした)
逆に、チェコは2004年時点ですでにほぼ完全に”西側”といった雰囲気で、ある意味少しがっかりした記憶もあり、1989年から2004年で大分変わったのかなとも思いました。
以上、単なる感想で申し訳ありませんでした。
これからも楽しみに読ませていただきたいと思います。
- itaruさん からの返信 2020/04/28 00:50:51
- Re: 楽しく読ませていただきました。
- shushutanyさん
コメントありがとうございます。
1989年はソ連末期でしたが、まだまだ社会主義的なものが色濃く残っていた時代でした。その一方で物不足からドルの需要が高まっていった時期だと思います。白タクが言い値ながらも15ドルと格安だったのも、人々がドルを求めたからだと思います。当時は「ベリョースカ」という外貨ショップがあり、物不足のソ連でも外貨があれば、庶民も並ばずに商品を手に入れることができました。翌年にモスクワにマクドナルド1号店がオープン、ルーブルで購入できることもあり長蛇の列ができたとニュースでやっていたのも覚えています。
チェコは出入国の管理は厳しく、強制両替などもありましたが、ソ連に比べれば物資も揃っていて、西側からの観光客もそれなりにいて、ある程度は洗練されていた印象があります。ビザの不要なユーゴスラビア、複数政党制に踏み出したハンガリー、鎖国のアルバニア、チャウチェスク独裁のルーマニアと東欧の国々は各国それぞれ、置かれている状況は異なり、雰囲気もだいぶ違いました。
これからもよろしくお願いします。
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