2020/01/30 - 2020/01/30
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ちびのぱぱさん
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宮本武蔵といえば、なんと言っても佐々木小次郎との巌流島の戦いかな。
吉岡一門との死闘や、鎖鎌の宍戸梅軒のような個性的なライバルもいますし、ヒロインのお通や、又八といった脇役陣も盛り上げている。
おっと、吉川文学が生んだ最高のキャラクター、お杉おばばを忘れてはいけない。
この人は、物語のキーパーソンのような気がします。
つまり、だいたい吉川英治の小説が、世間の宮本武蔵のイメージを作り上げているわけです。
そして、実にいろんな役者さんが宮本武蔵を演じてますね。
個人的には今の市川海老蔵さんが演じた03年の大河ドラマが気に入っています。
ところが、熊本が宮本武蔵と深い繋がりがあるらしい。
もう一度、吉川英治の「宮本武蔵」をいっき読みしてみましたが、熊本の事はぜんぜん出てこない。
実際の人物像が気になっていろいろググってみましたが、調べれば調べるほど実像が掴みづらい。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー
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-
小説では、お杉ばばの策略で宮本武蔵を召し抱え損なった小倉藩主の細川忠利が、佐々木小次郎を召し抱えたことになっています。
そして、巌流島の決戦になる。
その後、熊本藩に国替えになった細川忠利は、50代半ばになった宮本武蔵を召し抱えたんですね。
武蔵はそのまま死ぬまで熊本で過ごしました。
なんだか、映画やドラマの主人公でしかなかった宮本武蔵が急に生々しくなってきた。 -
細川忠利は、自らも剣の使い手で、武芸者の武蔵を厚遇したみたいです。
お気に入りの山鹿温泉で接待したり、立派な屋敷を備えたり。
山鹿温泉のさくら湯の前に、武蔵の銅像が建っています。
年も近く、武蔵が二つ年上。
50を過ぎた老人(当時としては)の茶飲み友達みたいなもんだったのだろうか。
岩流佐々木小次郎の話をつまみに一杯やったのだろうか。
直木三十五が書いたものの中で、熊本で武蔵が、ある人と巌流島の合戦に話しがおよび、そういえば、佐々木小次郎の切っ先がおでこを切ったそうですね、と話題を向けられると、武蔵はろうそくの火を額に近づけ、そんな傷があるかどうかよく見て下さいと相手に額を近づけたという逸話を紹介しています。 -
この熊本城の立派な城壁から少し行ったあたりに武蔵の旧居跡があります。
だいたい、少年たちは強いものに憧れます。
子供時代は、ブルースリーとならんで絶対的なヒーローだったなあ。
その人がおじいちゃんになってこの辺りに住んでいたのか。 -
武蔵が使っていた井戸も残っているらしい。
なんだかぴんと来ない。 -
らしい、というのは行かなかったということです。
この井戸は、熊本城の井戸です。
行こうと思っていた矢先に、市電の電気系統が故障したとかいって動かなくなって、こっちの気分もすっかり萎えてしまった。
ヒーローはヒーローのままで、そっとしておいた方がよいのかも。 -
さて、レンタカーで県道1号線で玉名方面に向かう途中に「霊巖洞」のサインが目に入りました。
サインは目に入らんだろう、ちっちきち。
霊岩洞というのは、宮本武蔵が五輪書を著したと言われる洞窟。
やっぱり見ておくか……。
県道から左方向に道を進むと、このあたり山に城壁のように石垣が積んである。 -
車を駐めて確かめたら、みかん畑でした。
-
霊巖洞の駐車場には、頭でっかちの宮本武蔵が座禅を組んでいました。
武蔵はずいぶん頭がでかかったんだなあ。
これはずいぶんイメージと違うぞ。
なんたって、わたしのイメージは市川海老蔵ですからね。
キムタクがやったのも見ました。
これはなんか、ダルマ入道みたいだ。 -
駐車場のわきに降り口があります。
恐る恐る降りて行く。 -
そこから山道を歩いて降りてゆくと寺がありました。
無人に思えた寺の前を過ぎると、動物園のゲートのような回転式の入口があって、その脇の小屋に作務衣姿の男性が。
その小さな窓口で200円也を払うと、中に入れてもらえました。 -
苔むした小径を進むと、斜面には五百羅漢。
これは武蔵の時代より後のものです。 -
朝の天気予報では曇りと雨のはずでしたが、燦々と木漏れ日が降り注ぐ。
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五百羅漢というのは全部顔も表情も違うので、だれかに似ているなあと見入ってしまう。
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しばらく山道を進みます。
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頭が落ちちゃったものもあって、タイのアユタヤ遺跡を思い出す。
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作った人は結構遊び心があったのではないか。
斜面に並んだ様子は、一乗寺下り松の吉岡一門との戦いで、武蔵を取り囲んだ道場門下生みたいだなあ。 -
最後に長い階段を下りると
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それらしいものが見えてくる。
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二十段ほどの石段を登る。
霊巌洞 自然・景勝地
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内部は30畳敷きくらいでしょうか。
格子の奥は、それほどの奥行きはない。 -
宮本武蔵は、なんでこんなところで執筆に励んだのだろう。
吉川英治の「随筆 宮本武蔵」の中には、晩年の武蔵がこの辺りを気に入ってしょっちゅう訪れていた事が記されています。
吉川英治は、小説を書いて創作活動を行ったあとに、宮本武蔵が正しく理解される事を願って「随筆 宮本武蔵」を書いています。
その中で、確認できる事実は少ないものの、巖流佐々木小次郎を倒した後、二十年以上足跡を追えない時期があると述べ、武蔵が常に求道者であり続けた証拠としています。
生涯妻子を持たず、仕官した後もこのような洞窟で思索にふけった事がその証拠だと言っています。
その時記した「五輪書」には求道者としての心構えや、技術的な事もあれこれ書いているらしい。
真剣で斬り合う場合の技術的な論考も生々しく取り上げられているようです。
だれが一番強いのか。
今の時代なら、野球やサッカーやオリンピックもあるし、殺し合いをしなくても雌雄を決する事もできる訳ですが、かの時代は戦国時代が終わったばかり。
そこで活躍し損なった腕自慢が、白黒をつけるのにこういう事になったのかなあ。 -
中国から来た僧が彫った「霊巖洞」の文字が天井に刻まれています。
拡大して目を凝らすと分かります。
武蔵の時代よりずっと昔に彫られたものなので、武蔵が筆に詰まって天を仰ぐと目に入ったはずです。
天井は目には入らんだろう、ちっちきち。 -
どうだった?
帰りに、そう尋ねられたような気がしました。
よく分かりませんでした。
武蔵は、この洞窟で倒れているところを家中の者に発見され、家に運ばれたもののそのまま帰らぬ人となり、62才の波乱に満ちた生涯を閉じました。
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