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有名な女性誌 &quot;an an&quot; 主催の格安ツアーで<br />7月7日から 16日までパリに 10日間。<br />パリは 74年、76年に続いて3回目になる。<br /><br />写真は、すべて本物の人骨です。<br />つまり有名なカタコンブ。 ウィキによると<br />地下 20m の場所にあり全長は 1.7キロほど、<br />意外と人気スポットらしく<br />2008年の入場者は約 24万人だとか…<br />しかし当時の日本では まだまだマイナーで、<br />訪れた日本人は多くはなかっただろう。<br />下水とかカタコンブとか (映画館も?) <br />暗い場所が好きなんですかね…<br />お天道様をまともに見れない裏街道専門?<br /><br />

1977年 パリ 男だけど "an・an" のツアーに 3/4 :次は左岸、ここは地獄の一丁目

8いいね!

1977/07/07 - 1977/07/16

7606位(同エリア15798件中)

旅行記グループ 1977年パリ

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51

milouchat

milouchatさん

有名な女性誌 "an an" 主催の格安ツアーで
7月7日から 16日までパリに 10日間。
パリは 74年、76年に続いて3回目になる。

写真は、すべて本物の人骨です。
つまり有名なカタコンブ。 ウィキによると
地下 20m の場所にあり全長は 1.7キロほど、
意外と人気スポットらしく
2008年の入場者は約 24万人だとか…
しかし当時の日本では まだまだマイナーで、
訪れた日本人は多くはなかっただろう。
下水とかカタコンブとか (映画館も?)
暗い場所が好きなんですかね…
お天道様をまともに見れない裏街道専門?

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通
4.5
同行者
友人
交通手段
高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)

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  • さて、これは滅多に見れない珍しい光景です。<br />向こうに見えるのは右岸のルーブル美術館、<br />つまり右岸と左岸を繋ぐ Pont des Arts だが、<br />得意の(?)障害物越しの撮影ではなく、この年から<br />補修工事に入り通行禁止になったのです!<br />Pont des Arts はパリ唯一の木張り (かつ最初の鉄骨の)橋で<br />好きな橋だったが誰が始めたのか錠前をぶら下げることで<br />有名になってしまった…<br />この橋も『素晴らしき放浪者』など多くの映画に登場する

    イチオシ

    さて、これは滅多に見れない珍しい光景です。
    向こうに見えるのは右岸のルーブル美術館、
    つまり右岸と左岸を繋ぐ Pont des Arts だが、
    得意の(?)障害物越しの撮影ではなく、この年から
    補修工事に入り通行禁止になったのです!
    Pont des Arts はパリ唯一の木張り (かつ最初の鉄骨の)橋で
    好きな橋だったが誰が始めたのか錠前をぶら下げることで
    有名になってしまった…
    この橋も『素晴らしき放浪者』など多くの映画に登場する

  • Pont des Arts は芸術橋という名前だが、渡って少し<br />南に行くと Rue des Beaux Arts と言う通りがある。<br />その突き当たりにグランゼコールの1つ、国立高等美術学校 <br />l&#39;École nationale supérieure des Beaux-Arts がある

    Pont des Arts は芸術橋という名前だが、渡って少し
    南に行くと Rue des Beaux Arts と言う通りがある。
    その突き当たりにグランゼコールの1つ、国立高等美術学校
    l'École nationale supérieure des Beaux-Arts がある

  • その正面、なぜか首にロープが巻き付けてある。<br />そして SV では顔にボカシが、人間でもないのに?<br />そう言えば SV で理由不明のボカシが多々あるね…

    その正面、なぜか首にロープが巻き付けてある。
    そして SV では顔にボカシが、人間でもないのに?
    そう言えば SV で理由不明のボカシが多々あるね…

  • その Rue des Beaux Arts には<br />Librairie le minotaure という<br />映画専門の書店があった。<br />パリに映画専門書店はたくさんあったが<br />この 1948年オープンのミノトールは別格で、<br />一度 来たいと思っていた (現在は同名の画廊になっている)。<br />店主は映画のことなら何でも知っていると言われるほど<br />博識の Roger Cornaille 氏だが、彼自身が元々は<br />作家、出版者、イラストレーターでもあり<br />シュール・レアリズム関係の専門書店としてスタートした。<br />フランス語 Wiki によると彼は pataphysicien ともあるが<br />パタフィジックスとは、アルフレッド・ジャリの造語で<br />形而上学、空想科学を超えた哲学とのこと。<br />ちなみに、この年に映画を見た記録がなく何本見たか不明だが、<br />同行のT嬢と一緒に『カー・ウォッシュ』を見たことだけは間違いない

    その Rue des Beaux Arts には
    Librairie le minotaure という
    映画専門の書店があった。
    パリに映画専門書店はたくさんあったが
    この 1948年オープンのミノトールは別格で、
    一度 来たいと思っていた (現在は同名の画廊になっている)。
    店主は映画のことなら何でも知っていると言われるほど
    博識の Roger Cornaille 氏だが、彼自身が元々は
    作家、出版者、イラストレーターでもあり
    シュール・レアリズム関係の専門書店としてスタートした。
    フランス語 Wiki によると彼は pataphysicien ともあるが
    パタフィジックスとは、アルフレッド・ジャリの造語で
    形而上学、空想科学を超えた哲学とのこと。
    ちなみに、この年に映画を見た記録がなく何本見たか不明だが、
    同行のT嬢と一緒に『カー・ウォッシュ』を見たことだけは間違いない

  • そのアルフレッド・ジャリの 「L&#39; amour en visites」<br />上演中の小劇場。 22:30(50?)分スタートとは さすがですね。<br />よく見ると劇場名が Théâtre des 400 coups で<br />『大人は判ってくれない』の原題。<br />住所はパンテオンの近く 74 rue du Cardinal Lemoine<br />SV を見るとヘミングウェイのプラークが付いている。<br />ヘミングウェイがパリで最初に住んだ場所とのこと

    そのアルフレッド・ジャリの 「L' amour en visites」
    上演中の小劇場。 22:30(50?)分スタートとは さすがですね。
    よく見ると劇場名が Théâtre des 400 coups で
    『大人は判ってくれない』の原題。
    住所はパンテオンの近く 74 rue du Cardinal Lemoine
    SV を見るとヘミングウェイのプラークが付いている。
    ヘミングウェイがパリで最初に住んだ場所とのこと

  • ヘミングウェイと言えば Shakespear And Company 。<br />と言ってもこれは 1962年に襲名(?)した2代目。<br />店には何度か入ったことがあるが、この年には…

    ヘミングウェイと言えば Shakespear And Company 。
    と言ってもこれは 1962年に襲名(?)した2代目。
    店には何度か入ったことがあるが、この年には…

  • 店の前を歩いていたら、突然<br />店主のホイットマン氏に腕をつかまれ<br />横の階段を上がれという。 4階ぐらいの部屋に<br />7,8人の人が集まり歓談している (やはり英語中心)。<br />自分でコーヒーを入れ 30分ほど話に加わった帰りの<br />記念撮影。 当時 63歳のホイットマン氏…

    店の前を歩いていたら、突然
    店主のホイットマン氏に腕をつかまれ
    横の階段を上がれという。 4階ぐらいの部屋に
    7,8人の人が集まり歓談している (やはり英語中心)。
    自分でコーヒーを入れ 30分ほど話に加わった帰りの
    記念撮影。 当時 63歳のホイットマン氏…

  • これは 10年ほど前の新聞に載った写真だが<br />さすがにホイットマン氏も年老いた。 そして…<br />2011年暮れ、98歳の誕生日の2日後に他界している

    これは 10年ほど前の新聞に載った写真だが
    さすがにホイットマン氏も年老いた。 そして…
    2011年暮れ、98歳の誕生日の2日後に他界している

  • ウィキによればベッドが 13あり<br />4万人が泊まったとか。 要するに<br />初代にならい、金のないアメリカ人の<br />芸術家などの援助を長年続けてきた。<br />そんな店だから置いてある本を黙って<br />持ち帰ってもOK?<br />『ビフォア・サンセット』冒頭のサイン会はこの店で、<br />『ミッドナイト・イン・パリ』にも出てくる

    ウィキによればベッドが 13あり
    4万人が泊まったとか。 要するに
    初代にならい、金のないアメリカ人の
    芸術家などの援助を長年続けてきた。
    そんな店だから置いてある本を黙って
    持ち帰ってもOK?
    『ビフォア・サンセット』冒頭のサイン会はこの店で、
    『ミッドナイト・イン・パリ』にも出てくる

  • Shakespear And Company の角を右に曲がると<br />『個人教授』に出てくる かの有名な (って、ごく一部で)、<br />Hôtel Esmeralda がある。<br />ノートルダムがよく見える立地から非常に人気が高く、<br />一度泊まりたいと思っているが、いつも満室で実現せず

    Shakespear And Company の角を右に曲がると
    『個人教授』に出てくる かの有名な (って、ごく一部で)、
    Hôtel Esmeralda がある。
    ノートルダムがよく見える立地から非常に人気が高く、
    一度泊まりたいと思っているが、いつも満室で実現せず

  • ナタリー・ドロンが顔を出すのは<br />2階の左端の部屋

    ナタリー・ドロンが顔を出すのは
    2階の左端の部屋

  • エスメラルダの斜め向かいにある<br />サン・ジュリアン・ル・ポーヴル教会の入口だが…<br />扉の上がアーチになっている。<br />しかし現在の入り口は四角で右の方に<br />壁を塗り込めたアーチがある!<br />昔は入り口が違ったのだろうか…<br />SV では入れず確認できない<br />

    エスメラルダの斜め向かいにある
    サン・ジュリアン・ル・ポーヴル教会の入口だが…
    扉の上がアーチになっている。
    しかし現在の入り口は四角で右の方に
    壁を塗り込めたアーチがある!
    昔は入り口が違ったのだろうか…
    SV では入れず確認できない

  • すぐ南のサン・ジェルマン大通りまで下がると<br />クリュニー博物館のあるローマ時代の浴場跡がある。<br />檻にいるのはライオン?<br />動物園じゃないけど…

    すぐ南のサン・ジェルマン大通りまで下がると
    クリュニー博物館のあるローマ時代の浴場跡がある。
    檻にいるのはライオン?
    動物園じゃないけど…

  • ローマ時代の遺跡と言えば、元はコロセウムのような<br />円形闘技場だったらしい Arènes de Lutèce が少し南、<br />パンテオンの東に残っている<br />

    ローマ時代の遺跡と言えば、元はコロセウムのような
    円形闘技場だったらしい Arènes de Lutèce が少し南、
    パンテオンの東に残っている

  • 建物は残ってないので、<br />ただの広場にしか見えないかも…

    建物は残ってないので、
    ただの広場にしか見えないかも…

  • 一応 パンテオンも… 南側です。<br />SV を見ると現在は建物周りが柵で囲われているが、<br />当時は駐車スペースだったようだ

    一応 パンテオンも… 南側です。
    SV を見ると現在は建物周りが柵で囲われているが、
    当時は駐車スペースだったようだ

  • パンテオン正面の通り Rue Souflot と<br />Rue Saint-Jaques 角のカフェ(現 La Crêperie)に<br />写真は店内からなので入ったようだ。<br />向かいは 有名書店の Larousse だが<br />現在は銀行の CIC になっている。<br />ちなみに map で見つけたが<br />CIC と同じ建物裏には Why Not Productions がある。<br />例えば『わたしは、ダニエル・ブレイク』などの製作会社

    パンテオン正面の通り Rue Souflot と
    Rue Saint-Jaques 角のカフェ(現 La Crêperie)に
    写真は店内からなので入ったようだ。
    向かいは 有名書店の Larousse だが
    現在は銀行の CIC になっている。
    ちなみに map で見つけたが
    CIC と同じ建物裏には Why Not Productions がある。
    例えば『わたしは、ダニエル・ブレイク』などの製作会社

  • 左はパンテオン。 右の塔はパリ最高の名門校<br />Lycée Henri IV の元修道院だった鐘楼 (La tour Clovis)。<br />ということは、撮影場所はパンテオンとリュテスの間、<br />Place Emmanuel Lévinas あたり。<br />ちなみに『個人教授』のオリヴィエ (ヴェルレー)は<br />リセ・アンリIVの生徒なのでパンテオンが何度も映り<br />右の鐘楼も見える

    左はパンテオン。 右の塔はパリ最高の名門校
    Lycée Henri IV の元修道院だった鐘楼 (La tour Clovis)。
    ということは、撮影場所はパンテオンとリュテスの間、
    Place Emmanuel Lévinas あたり。
    ちなみに『個人教授』のオリヴィエ (ヴェルレー)は
    リセ・アンリIVの生徒なのでパンテオンが何度も映り
    右の鐘楼も見える

  • 今からは想像も出来ない、さらに南に行った<br />ムフタール街の風景。 奥に Jazz Music という<br />垂れ幕があり 28日から音楽祭があるようだ。<br />右端の壊しかけ(?)木造に人形が見える

    今からは想像も出来ない、さらに南に行った
    ムフタール街の風景。 奥に Jazz Music という
    垂れ幕があり 28日から音楽祭があるようだ。
    右端の壊しかけ(?)木造に人形が見える

  • 73番地にあった Théâtre Le Troglodyteという<br />小劇場だが、まさに取り壊し寸前で<br />翌 1978年に活動を停止している。<br />現在は Bibliothèque Mohammed Arkoun に

    73番地にあった Théâtre Le Troglodyteという
    小劇場だが、まさに取り壊し寸前で
    翌 1978年に活動を停止している。
    現在は Bibliothèque Mohammed Arkoun に

  • 少し南の 83番地あたりから北向き、<br />現 La Crète の前あたり。<br />隣の店に同じようなランプが付いている

    少し南の 83番地あたりから北向き、
    現 La Crète の前あたり。
    隣の店に同じようなランプが付いている

  • 反対側を見ると左の薬局は今もある。<br />向かい奥の建物はそのままだが、 当然<br />手前の低い部分は建て替えられている。<br />面白いのは写真では低い建物と<br />隣の建物の間には道路があるが<br />現在は道路の上にも建物があり<br />アーケード(トンネル?) になり車が走っているが、<br />Rue Jean Calvin という道路標示は残してある

    反対側を見ると左の薬局は今もある。
    向かい奥の建物はそのままだが、 当然
    手前の低い部分は建て替えられている。
    面白いのは写真では低い建物と
    隣の建物の間には道路があるが
    現在は道路の上にも建物があり
    アーケード(トンネル?) になり車が走っているが、
    Rue Jean Calvin という道路標示は残してある

  • 恐らくこれもムフタールだろう…<br />とにかくパリも変わらないようで<br />どんどん変わっている。<br />半世紀近く前だものね…

    恐らくこれもムフタールだろう…
    とにかくパリも変わらないようで
    どんどん変わっている。
    半世紀近く前だものね…

  • さて、今度は西に向かって歩くと<br />リュクサンブール宮殿の広い広い庭園。<br />1974年の1か月は毎日のように通り、<br />写真左の人のように椅子を並べ何度も日向ぼっこした<br />(係員に起きろと注意されたこともある)

    さて、今度は西に向かって歩くと
    リュクサンブール宮殿の広い広い庭園。
    1974年の1か月は毎日のように通り、
    写真左の人のように椅子を並べ何度も日向ぼっこした
    (係員に起きろと注意されたこともある)

  • リュクサンブール庭園内のキオスク。<br />キオスクと行っても駅の売店じゃなく<br />公園などに設置され、演奏会などが行われる場所<br />『サウンド・オブ・ミュージック』を思い出す

    リュクサンブール庭園内のキオスク。
    キオスクと行っても駅の売店じゃなく
    公園などに設置され、演奏会などが行われる場所
    『サウンド・オブ・ミュージック』を思い出す

  • ペタンクの競技場、は大げさだが<br />四角い柵で球が止まるようになっていて<br />同時に複数のグループが遊べる

    ペタンクの競技場、は大げさだが
    四角い柵で球が止まるようになっていて
    同時に複数のグループが遊べる

  • 庭園内には Théâtre du Luxembourg という<br />ギニョール (人形劇) の劇場もある。<br />パリ唯一の人形劇専門劇場でイタリア広場に<br />1916年からあったものが 1933年に移転された。<br />基本的に子供向けの芝居中心。<br />ただしグランド・ギニョールとなると恐怖・残酷劇になる

    庭園内には Théâtre du Luxembourg という
    ギニョール (人形劇) の劇場もある。
    パリ唯一の人形劇専門劇場でイタリア広場に
    1916年からあったものが 1933年に移転された。
    基本的に子供向けの芝居中心。
    ただしグランド・ギニョールとなると恐怖・残酷劇になる

  • ★これは 1974年の Pariscop 演劇案内にある<br /> Grand Guignol の広告。 <br />クリシーの L&#39;Europeen という劇場で<br />恐怖・残酷が売りだが &quot;Rires et Frissons&quot; (笑いと戦慄) と<br />あるようにコミカルな側面もあるようだ。<br />想像はつくが見たことはないので分からないが…<br />左ページ上には『カミーユ・クローデル』などの<br />マドレーヌ・ロバンソンと『流血の絆』などの<br />ロジェ・アナンの芝居もある。<br />どちらも夜の9時開演、大人の国ですね…

    ★これは 1974年の Pariscop 演劇案内にある
    Grand Guignol の広告。
    クリシーの L'Europeen という劇場で
    恐怖・残酷が売りだが "Rires et Frissons" (笑いと戦慄) と
    あるようにコミカルな側面もあるようだ。
    想像はつくが見たことはないので分からないが…
    左ページ上には『カミーユ・クローデル』などの
    マドレーヌ・ロバンソンと『流血の絆』などの
    ロジェ・アナンの芝居もある。
    どちらも夜の9時開演、大人の国ですね…

  • こちらも、恐怖というほどでもないがカタコンブの入口。<br />意外や人気スポットらしく来てみると 20人ぐらいは並んでいた

    こちらも、恐怖というほどでもないがカタコンブの入口。
    意外や人気スポットらしく来てみると 20人ぐらいは並んでいた

  • 狭い通路を進むと

    狭い通路を進むと

  • Quartier de Cazerne と壁に彫られた<br />ミニチュアの建物のようなものがある。<br />詳細は分からないが、ここは 18世紀後半は採石場で、<br />マジョルカ島の隣、ミノルカ島の Maó の刑務所にいた<br />Décure という元兵隊が昼休みに風景を思い出しながら<br />5年掛けて彫り上げた。 ほかにも複数の彫刻があるが<br />彼は落盤事故で命を落とした…

    Quartier de Cazerne と壁に彫られた
    ミニチュアの建物のようなものがある。
    詳細は分からないが、ここは 18世紀後半は採石場で、
    マジョルカ島の隣、ミノルカ島の Maó の刑務所にいた
    Décure という元兵隊が昼休みに風景を思い出しながら
    5年掛けて彫り上げた。 ほかにも複数の彫刻があるが
    彼は落盤事故で命を落とした…

  • そして ここが &quot;地獄の1丁目&quot;<br />上には &quot;Arrête! C&#39;est ici l&#39;empire de la Mort&quot; <br />止まれ! ここは死者の帝国、とある

    そして ここが "地獄の1丁目"
    上には "Arrête! C'est ici l'empire de la Mort"
    止まれ! ここは死者の帝国、とある

  • 今の形となった 1810年付けの<br />カタコンブの説明が書かれている。<br />詳細はウィキで…

    今の形となった 1810年付けの
    カタコンブの説明が書かれている。
    詳細はウィキで…

  • 壁は全部ドクロの素敵なインテリア

    壁は全部ドクロの素敵なインテリア

  • 地獄めぐりの出口は入口と別で離れていることを<br />知らなかったから一瞬驚いた。<br />関係ないが外国の映画館は入口と出口が違う場合も多く、<br />とんでもない場所に出ることもある。<br />別に構わないが、映画のハシゴをする人間には不便

    地獄めぐりの出口は入口と別で離れていることを
    知らなかったから一瞬驚いた。
    関係ないが外国の映画館は入口と出口が違う場合も多く、
    とんでもない場所に出ることもある。
    別に構わないが、映画のハシゴをする人間には不便

  • カタコンブのチケット、料金は5フラン

    カタコンブのチケット、料金は5フラン

  • カタコンブ出口近く、<br />Rue Montbrun と Passage Monbrun の角。<br />建物がキレイにはなったが、ほぼ同じ

    カタコンブ出口近く、
    Rue Montbrun と Passage Monbrun の角。
    建物がキレイにはなったが、ほぼ同じ

  • カタコンブの少し南。<br />大きくBNP (パリ国立銀行、現 BNP Paibas ) とある。<br />現在も同じ Rue Remy-Dumoncel と<br />Av. du Général Leclerc  の角にある 。<br />1階は改装されているが、左の木の扉などは同じ

    カタコンブの少し南。
    大きくBNP (パリ国立銀行、現 BNP Paibas ) とある。
    現在も同じ Rue Remy-Dumoncel と
    Av. du Général Leclerc の角にある 。
    1階は改装されているが、左の木の扉などは同じ

  • Av. du Général Leclerc を下がった<br />Victor Et Héléne Basch 広場にある教会は<br />1872年に完成した Saint-Pierre de Montrouge 。<br />遠くに見えるのは Tour Montparnasse

    Av. du Général Leclerc を下がった
    Victor Et Héléne Basch 広場にある教会は
    1872年に完成した Saint-Pierre de Montrouge 。
    遠くに見えるのは Tour Montparnasse

  • 教会の真正面 Av. du Général Leclerc 南向き

    教会の真正面 Av. du Général Leclerc 南向き

  • 教会の裏側でマルシェが開かれていた

    教会の裏側でマルシェが開かれていた

  • 教会の東側 Rue Bezout の角。<br />SVを見ると、右の大看板は 2014年9月までは<br />40年以上経っても同じだったが 2015年6月には<br />違う絵になっている (現在は落書きだらけ)

    教会の東側 Rue Bezout の角。
    SVを見ると、右の大看板は 2014年9月までは
    40年以上経っても同じだったが 2015年6月には
    違う絵になっている (現在は落書きだらけ)

  • 左看板の隣はカゴなどを飾った雑貨店で<br />現在は花屋に、その左にある<br />Chevaline (馬肉) Vollailles (鶏肉) の店は<br />商店ではなくなっている

    左看板の隣はカゴなどを飾った雑貨店で
    現在は花屋に、その左にある
    Chevaline (馬肉) Vollailles (鶏肉) の店は
    商店ではなくなっている

  • 右大看板の角店に宗教画のような絵が見える。<br />現在は Poisonfins になっているが絵は残っている

    右大看板の角店に宗教画のような絵が見える。
    現在は Poisonfins になっているが絵は残っている

  • 肉屋の店内だろうか、同じような秤がある

    肉屋の店内だろうか、同じような秤がある

  • 左の建物は 2008年では La Ruche d&#39;Alesia<br />というバイオ食品の店 、2010年は Mercerie Noemie で、<br />2014年以降は biocoop と何度も替わっている

    左の建物は 2008年では La Ruche d'Alesia
    というバイオ食品の店 、2010年は Mercerie Noemie で、
    2014年以降は biocoop と何度も替わっている

  • 屋台の花屋だがピンクの花の積み方が変わっていて面白い

    屋台の花屋だがピンクの花の積み方が変わっていて面白い

  • Bd.Raspail と Rue du Cherche-Midi (正午を探す) という<br />変な名前の通りの角にあるカフェ Le Raspail 。<br />右が Rue du Cherche-Midi 。<br />SV を見ると向かいには<br />EHESS (École des hautes études en sciences sociales ) という<br />周りの風景に馴染まない新しい建物が出来ている。<br />EHESS とは人文・社会科学系分野に特化した大学院大学とのこと

    Bd.Raspail と Rue du Cherche-Midi (正午を探す) という
    変な名前の通りの角にあるカフェ Le Raspail 。
    右が Rue du Cherche-Midi 。
    SV を見ると向かいには
    EHESS (École des hautes études en sciences sociales ) という
    周りの風景に馴染まない新しい建物が出来ている。
    EHESS とは人文・社会科学系分野に特化した大学院大学とのこと

  • ★これは 93年の旅行記に載せた写真だが<br />その Rue du Cherche-Midi を Rue de Sèvre の交差点まで進むと<br />César Baldaccini 作のケンタウルス像があるのだが…<br />検索すると、例えばパリナビなどでは銅像はミシェル・ドブレ広場にある。<br />しかし僕の持っている区分地図に、その地名がない。<br />変だなと map を見ると、まず銅像があるのは<br />Rue du Cherche-Midi と Rue de Sèvre の交わるところで、<br />広場とは言いがたいが、10メートル足らず東には<br />Rue de Sèvre、 Rue du Four、 Rue de Vieux Colombier、<br />そして Place Michel Debré の 4つが交わる交差点がある。<br />つまり Place Michel Debré というのは広場の名前ではなく<br />広場という名の道路名、 そして Place Michel Debré は、<br />わずか 20メートルほどの Rue de  Grenel の所で<br />Rue du Dragon と名前が変わる。<br />(後にハード・コアのゲイ・ポルノを見た映画館や<br />アメリカ文化センターがあった通り)<br />そこで僕の区分地図で Rue du Dragon を見ると、<br />やはり終わりは先の交差点の 56 Rue du Four だ!!<br />つまり Rue du Dragon の最後 20メートルほどを<br />区切って新しく Place Michel Debré と付け直していた。<br />気になりフランス Wiki を見ると…<br />この広場 (交差点?)は 15世紀からあり、<br />最初は carrefour de la Croix Rouge、その後<br />carrefour du Four や carrefour du Bonnet Rouge 、<br />carrefour du Jeu de Boule などと変わったが、結局<br />carrefour de la Croix Rouge に落ち着いた。<br />(ちなみに carrefour とは交差点や十字路の意味で広場ではない)<br />そして 2005年に Place Michel-Debré になったようだが、現在も<br />carrefour de la Croix-Rouge という道路標示も残されている。<br />つまりミシェル・ドブレ広場というのは正確ではない。<br />と知ったところで何の役にも立たない余談でした…

    ★これは 93年の旅行記に載せた写真だが
    その Rue du Cherche-Midi を Rue de Sèvre の交差点まで進むと
    César Baldaccini 作のケンタウルス像があるのだが…
    検索すると、例えばパリナビなどでは銅像はミシェル・ドブレ広場にある。
    しかし僕の持っている区分地図に、その地名がない。
    変だなと map を見ると、まず銅像があるのは
    Rue du Cherche-Midi と Rue de Sèvre の交わるところで、
    広場とは言いがたいが、10メートル足らず東には
    Rue de Sèvre、 Rue du Four、 Rue de Vieux Colombier、
    そして Place Michel Debré の 4つが交わる交差点がある。
    つまり Place Michel Debré というのは広場の名前ではなく
    広場という名の道路名、 そして Place Michel Debré は、
    わずか 20メートルほどの Rue de Grenel の所で
    Rue du Dragon と名前が変わる。
    (後にハード・コアのゲイ・ポルノを見た映画館や
    アメリカ文化センターがあった通り)
    そこで僕の区分地図で Rue du Dragon を見ると、
    やはり終わりは先の交差点の 56 Rue du Four だ!!
    つまり Rue du Dragon の最後 20メートルほどを
    区切って新しく Place Michel Debré と付け直していた。
    気になりフランス Wiki を見ると…
    この広場 (交差点?)は 15世紀からあり、
    最初は carrefour de la Croix Rouge、その後
    carrefour du Four や carrefour du Bonnet Rouge 、
    carrefour du Jeu de Boule などと変わったが、結局
    carrefour de la Croix Rouge に落ち着いた。
    (ちなみに carrefour とは交差点や十字路の意味で広場ではない)
    そして 2005年に Place Michel-Debré になったようだが、現在も
    carrefour de la Croix-Rouge という道路標示も残されている。
    つまりミシェル・ドブレ広場というのは正確ではない。
    と知ったところで何の役にも立たない余談でした…

  • そして次は Rue du Four と Rue de Renne の角に<br />今もある昔の Bureaux No.は 110 の郵便局。<br />レンヌ通り側からの写真だが外壁のデザインは現在と違う<br />

    そして次は Rue du Four と Rue de Renne の角に
    今もある昔の Bureaux No.は 110 の郵便局。
    レンヌ通り側からの写真だが外壁のデザインは現在と違う

  • かすかな記憶ではサンジェルマン大通りから<br />少し入った裏通りに Le Brise Miche というカフェがあった。<br />Miche と付くからサン・ミッシェルあたりかなと思ったが…<br />調べると同名の店は現在 ボーブールの<br />ストラヴィンスキー公園の、名前はズバリそのものの<br />10 Rue Brisemiche にあるし、以前は 273 Av.Daumesnil にも<br />あったようだが記憶と一致しない。<br />この年かは分からないが、このテーブル席に<br />女性と座ったこともあるが誰と一緒だったか不明

    かすかな記憶ではサンジェルマン大通りから
    少し入った裏通りに Le Brise Miche というカフェがあった。
    Miche と付くからサン・ミッシェルあたりかなと思ったが…
    調べると同名の店は現在 ボーブールの
    ストラヴィンスキー公園の、名前はズバリそのものの
    10 Rue Brisemiche にあるし、以前は 273 Av.Daumesnil にも
    あったようだが記憶と一致しない。
    この年かは分からないが、このテーブル席に
    女性と座ったこともあるが誰と一緒だったか不明

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