1977/07/07 - 1977/07/16
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milouchatさん
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有名な女性雑誌 "an・an" に格安主催旅行の広告が出ていた。
女性限定とは書いてないが、一応 電話で確認すると男性でもOK、
とのことなので映画サークルの友人女性と参加 (もちろん部屋は別)。
ツアーはパリのみと、パリ・ローマ両方に行く選択肢があり
彼女はローマにも行き、僕はもちろんパリだけ。
ほとんどの人はローマに行ったが、やはり
パリに残った女性と親しくなった…
(彼女とは帰国後も彼女が結婚するまで付き合いがあった)
ホテルはサン・ラザール駅前の高級ホテル Concorde St.Lazare
(現 Hilton Paris Opéra)。[ただし写真は 1986年に撮ったもの]
今の格安ツアーのホテルは不便なパリ周辺部の
3つ星の下ぐらいが多いが、昔はパリ中心部の
4つ星クラスも珍しくはなかった。
ちなみに、このホテルは 1889年に Grand Hôtel Terminus
としてオープン、1972年に Concorde Saint-Lazare 、それから
Concorde Opéra Paris になり 2013年にヒルトン・グループに入り
2015年から現在の Hilton Paris Opéra になった。
『ゴダールの探偵』の大部分は、このホテルが舞台。
(今頃気づいたが77年7月7日、4カードだ!)
なお僕の旅行記は 2018年から過去に向かって
作り出したので、最近の旅行記は何十年も前の旅行になる。
しかし、写真を見ても最近のデジカメのように
日時、機種により撮影場所まで分かるものでもなく、
日記でも付けてない限り、1日目はどこに行き…
といった形での旅行記を書くことはできない。
だから相変わらず時系列は無視して、
map で調べ、場所が特定できるもの中心に大きく
右岸・左岸など地域別に分けることにしている
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
PR
-
と言うことで、まずはサン・ラザール駅の正面から。
『男と女』のラストで駆け上がる今はない大階段が見える。
ちなみに一番上、屋根の上にあるのは電光ニュースの装置。
今と違い車は階段のすぐ前に駐車できたんですね… -
★参考までに 2002年の写真では
もちろん電光掲示板は消え大階段もなくなっている。
そして表に GARE SAINT-LAZARE という駅名表示が出現! -
ホテル窓からホテルと駅を繋ぐ
Passerelle de l'Impératrice が見えるから
部屋は裏(駅) 側だったようだ -
反対の東側
-
サン・ラザール駅コンコース。
驚くほど現在とは違っている -
ホームのある左手。 ホームの左側が
ヴェルサイユなど近郊に向かう
Banlieu のホームで
右側がノルマンディなど遠くに向かう
長距離の Grande Ligne -
よく印象派の絵に描かれたホーム。
ちなみにパリの国鉄駅で唯一国内線しかない駅 -
駅前のバス停 (の1つ) の自動券売機。
向こうに見える建物は駅の南
Rue de Rome と Rue de la Pépinière の角 -
バス停の表示は非常に分かりやすい。
ゾーンの区別もわかる -
その当時の必需品!?
バスの路線図です。1974年の初海外で1ヶ月パリにいたから
少しは土地勘もあり、移動はメトロも使うが急がない限り
外の見えるバス中心だった。今ならスマホで地図だけでなく
ナヴィまでやってくれるが当時は紙の地図しかない。
当然メトロやバスの路線図はメトロの駅などで無料で貰える。
左2つはパリ 20区内のバス、右端は郊外路線のバス。
写真のように 1978年から小型 (ほぼハガキ大) になり
持ち運びが楽に、ただし広げると 3x5倍で、
逆に大きくなり見やすくなった -
広げた一部だが、(すでに知っている人も多いだろうが)
バスの路線番号を見るとサン・ラザール駅発は 20番台、
東駅 30番台、北駅 40番台、モンパルナス駅 90番台中心だと分かる。
つまり街を歩いていて走るバスの番号を見れば、
例えばホテルがモンパルナスだとして、番号が 90番台なら
ああ、あれに乗れば帰れるな、と目安が付く。
地図には主要道路の通り名も書いてあるので便利。
もちろん裏面には主要な教会、病院、区役所、記念碑などの住所、
メトロ最寄り駅など、さらに夜間バス (1時間1本だが朝まで走る) の
ルート図など各種情報が載っている。
今でも配布しているのか分からないが… -
探したら最後に行った 2006年に入手したものが見つかった。
再びサイズは大きくなり、パリ 20区 (左) とイル・ド・フランス
(ドゴール空港やヴェルサイユまで含む広範囲) の、
メトロ、RER、バスなどが一緒になっている -
もう1つの必需品が区分地図。
周知のようにパリの すべての道路には名前が付けられ、
1つとして同じものはない。
(ただし、例えばサン・ジャックの場合 Rue St.Jacques 以外に、
Bourvard St.J…、Place St.J…、Villa St.J… など下が同名は複数ある)
番地の付け方も規則的なのでパリでは基本的に住所が分かれば
必ず到達できるので、逆に地理に詳しくないタクシー運転手も多い。
(ロンドンは統一性に欠け運転手には高度な知識が必要で試験が難しい)
写真は "一家に一冊" と言われていた ルコント社の
区分地図で左から 78年、90年代、2000年代に買ったもの。
これがまた優れもので詳細に説明したくなるが、我慢して?
日本の区分地図との大きな違いを1つだけ… -
例えば真ん中の場合、区分地図なのに
全部で 330ページのうち地図は最後の両開き
20ページしかない (挟んだ部分)。 だって 20区の分だけだから…
(上の右端の本はルコント版ではないが 29 Plans
と 20区以外の郊外の地図も 29ページある)
残りは、 当然まずは ABC順の道路名が 135ページあり、
例えば Rue St.Jacques の欄に書いてあるのは…
5、St-Jacques 、N12、St-Séverin 3、bd Port-Royal 86、Maub.-Mut.。
その意味は 5区、通りの名 (Rue のみ省略)、地図内の格子、
Rue St-Séverin 3番地から bd Port-Royal 86番地までを繋ぐ道路、
メトロ最寄り駅は Maubert-Mutualité と読む。
残りのページは主要な劇場・映画館・キャバレー・教会・美術館・学校、
区役所・病院・警察・郵便局・百貨店・プールなどなどのリスト、
さらにバスの路線番号ごとの系統図・全停留所 (これは非常に便利)。
日本の区分地図は順序が逆で、まず各区、主要ターミナルなどの地図
そして (ものにより) 索引としての町名、主要施設などだが大部分が地図。
例えば手元にある昭文社文庫版東京区分都市図 1996年版の場合
全 156ページのうち地図が148、それ以外は8ページしかない!!
まあパリ 20区の面積は 86.99km2 、山手線の内側だけで 63km2、
東京都となると 2193.96km2 と圧倒的に狭いパリではあるが
考え方が大きく異なる… -
さて本線に戻って、駅繋がりで
Boulevard de Denain から見た北駅正面 -
北駅の正面。パリ祭関連で何かのパレードが
あったが、手前の女性がバトンを
駐車中の車にぶつけてしまい "ごめんね" と車に!
謝まっている微妙ないい表情。
2人右の女性が笑っている -
次はメトロの駅。 3号線の Sentier
-
向かいホームに電車が入ってきた。
ちなみに 多分多くの人が経験しているだろうが
右側通行なので電車は左から近づいてくる。
電車の音がするとパリでは無意識に左を見るので
1週間もいると日本に帰っても、しばらくは左を見てしまう -
78年の旅行記にも載せたが
黄色い車輌は1等、青いのは2等。
僕が乗るのは東の Gallieni 行き -
次は観光客は避けるべきとされる地区、
Barbès-Rochechouart 駅のホーム。
高架なので2号線の西行き、Porte-Dauphine 方面。
上に1ère Classe とあるのが1等車の停車位置。
当然かもしれないが、向こうには人が多いのに
1等の下には誰もいない。 料金は忘れたが
もちろん1等は高い。 僕も乗ったことはないと思う -
(やはり 78年の旅行記にも載せたが)
『シャレード』に登場する古いタイプの
赤い1等車。 同じく Barbès-Rochechouart 駅 -
こちらは古いタイプの灰色の2等車、発車後です。
同じ年でも路線により古い車輌が走っている -
この年は Carte Orange を買っている。
カルト・オランジュとは1週間または1か月の定期券のことで
写真が必要。 周囲がギザギザなのは、いわゆる3分間写真で
出てきたものを手で千切ったから (2009年に廃止され Navigo に移行)。
透明のビニールケースに下の切符を入れるスペースがあり
普通にチケットを改札機に通す。
写真付きだが提示を求められることは1度もなかった。
10日もパリにいないが ゾーン2の1ヶ月定期を買っている。
料金は不明… -
さて東駅近くに天国通り Rue de Paradis がある。
(地獄通り Passage d'Enfer もあり、行ったことがある)
どんな天国かな、と見に行ったら…
右の奥に CHINE (支那) という看板が見えるが、
英語で言えば china (陶器) 、と japan (磁器) で
陶磁器関連の店が並ぶ通り -
実は来た目的は、ここ 22番地を見ることだった。
(現在の SV ではドアなどが赤く塗られている)。
と言っても、別に由緒ある特別な場所でも何でもなく
門を見たかったわけでもない… -
22番地に来たかった理由は…
昔 日本で買ったデミタスのカップに
22 Rue de Paradis とあり地名が面白いし
どんな場所か見たいと思っていて立ち寄った -
その並び 18番地には Choisy-Le-Roi という立派な建物が。
Choisy-Le-Roi は Val-de-Marne 県のコミューン名だが、
ここでは 1805年からある製陶業社のことで
この建物は 1889年に建てられ
1981年に歴史的建造物に指定されたのだが…
不思議なことに 2011年に表の看板が
Le Manoir に差し替えられ、お化け屋敷のような
アトラクション施設になっている。
歴史的建造物なのにいいの? -
少し南に行くとサン=ドニ門がある Rue Saint-Denis 。
『女は女である』始め多くの映画に登場するが、
Sex-Shop が集まり昼間から商売の女性が立っている
お勧めはできないエリアだが服地などの店が集中する場所でもある。
写真にも Tricots や Robes などの看板が見えている -
Rue Sait-Denis を南下すると
シャトレーに出る。 メトロ出口 (の1つ )前に
Messageries という古着屋がある。
(現在は Bagle Place というカフェ)
ここは 1974年のアリアンス・フランセーズで
クラスメートだった S 嬢の家、その後も彼女とは
何度か会っているが家に入ったのは、この時だけ -
彼女の家 (店の2階)。 ミニ・カーが並んでいるが
彼女のコレクションではなく同棲していた彼の趣味。
左の赤い服の女性が一緒に旅行に来た友人Tで
その右は彼女の留守中に親しくなったTT嬢
(浮気じゃないよ!) -
場所は左岸のモンパルナスに飛ぶが、
ここは 1927年オープンの、かって巴里の芸術家たちに
愛され観光客にも有名なブラスリー La Coupole 。
彼女のレバノン人の友人2人も一緒に食事。
ドロンの『パリの灯は遠く』や『ラ・ブーム』など
多くの映画に登場する有名店 -
ところで、これは何でしょう?
クーポールのデミタス・カップです。
僕が気に入ったと言うと、彼女は
側にギャルソンがいるのに
"カバンに入れろ" と言う。 少し驚いたが
彼女がギャルソンにウインクすると横を向いて見ぬ振り。
彼女は常連でギャルソンとも顔馴染みだったよう。
(我が家の猫の足が見えるが気にしないで) -
右岸に戻って、Rue de l'Alcade と
Rue des Mathurins の角から南方向。
右角の店 Le Royal は現在 The Criketer という
カフェ兼 Mayday Inn だが3つほど向こうの建物に
Royal Madeleine というホテルが現在も同じ場所にある。
ちなみに右に見える2人の女性はナスビです。
つまり駐車違反取り締まり警官で昔は制服の色が
ナスビに似ていたので俗に Aubergine (ナスビ) とか
Pervenche (ニチニチ草) とか呼ばれていた -
右端の店は Cerutti 1881。
そうであればマドレーヌ広場の3番地のはずだが
風景は一致しない。 左端にも Madeleine と見えるから
いずれにしろマドレーヌ寺院の近くだろう。
左のアーチの上には Royale という字が見えパサージュに
見えなくもない。 まさに現在 Cerutti の左にはパサージュ
Le Village Royal があるがアーチが2つで違う… -
以下、場所は不明だが右岸のどこか。
右の店名 La souricière 、ロンドンで見た
アガサ・クリスティの芝居の演目でもあるが
"ねずみとり" なんて変な店名。
ドアや窓が白紙か何かで覆われ
閉店のようだが駆除業者だったのか… -
felix potin は Monoprix などと同じ (小型) スーパー。
フランスに、いわゆるコンビニはないが
こういう小さなチェーン店は昔からあった。
felix potin は、その先駆けで 1844年創業の
食料品店がスタートだが 1995年に消滅している。
(Monoprix は1932年から)
フランスでは日曜や夜間の営業は
2015年の規制緩和まで原則禁止だった。
それどころか 70年代まではシエスタで
観光客向け以外の多くの個人の店など昼から夕方まで閉めていた。
レストランの多くも食事時間以外は閉めるか、料理は出さない。
今でこそ時代の変化で社会の形態も変わったが、
昔は子供や働く親も昼は学校や職場から自宅に戻り
家で食事をしたので必然的に昼休みが長く店も閉める -
日用雑貨商という看板だが
確かに雑貨 (ガラクタ?) が並んでいる。
店先に大きな黒猫がいる… -
日本の縁日には何十年も行ったことがないが
射的なんて今でもあるのかな… -
場所は不明だが
いかにも昔の北駅・東駅界隈の感じ -
夏のバカンス時は工事が多い (季節労働者は休まない)。
以下、場所は不明だが昭和のパリ大改造… -
同じ場所少し左。
BACCARAT の入り口は → とあるが、
あのバカラだろうか?
そうなら 79 Rue du Faubourg Saint-Honoré
だが、いくら何でも雰囲気的に違うだろう -
まるで壁紙みたいに残っている、
いや壁紙だったのか、
元の構造がよく分からない -
なぜか僕も工事の手伝い??
彼らはアルジェリア人です -
パリ祭当日か前日か不明だが
警官が大勢出動している -
これも北駅近くだったと思うが
パリ祭前夜祭のテレビ中継の準備中 -
左には舞台も設置されている
-
パリ祭 (革命記念日) 前夜の 13日夜は
各地で前夜祭のパーティがあり
地区により規模は違うがステージが組まれ
バンドが入って朝まで踊る -
僕らが どこの会場に行ったか忘れたが
朝の4時頃まで騒いでいた。
赤い服の女性が親しくなったTT嬢…
多分 パリ祭当日はシャンゼリゼに行ったと思うが
写真がないから寝てたのかも… -
これは 77年パリ祭のチラシだが
9日はパリの 18カ所で 21時から夜明けまでダンスパーティ、
10日は国内各地の案内で同様に 16時から、
13日は 6つの国鉄駅前で 21時から夜明けまで。
(もちろん、これは大規模なものだけで
各カルティエで小規模なパーティもある)
そしてパリ祭当日の 14日は 22:30からシャイヨーで花火大会…
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1977年パリ
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