2019/10/30 - 2019/10/30
41位(同エリア292件中)
万歩計さん
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ご近所のハイキング仲間と5年前から近くをハイキングしています。今回はその19回目で、笠置から柳生の里を回り笠置に戻る回遊コースを歩きました。
前半の見どころは木津川から布目川にいたる川沿いの散策コース。木津川の上流にあたるこの一帯は夏はキャンプ、カヌー、ラフティング、釣りなどのアウトドアが楽しめる人気の場所です。意外に距離が長く勾配もありましたが、気持ちのいいハイキング道でした。
後半は柳生の里から笠置寺を巡る歴史の道。柳生は素朴な山里の中に、剣豪たちの息づかいを感じる凛とした空気がありました。笠置寺は京の都を追われた後醍醐天皇がこの寺に逃れた場所です。この寺にこもった宮方と鎌倉幕府軍の攻防は一か月におよび、ついには全山が焼失し天皇は囚われの身となりました。愛読書「私本太平記」の場面を思い起こしながら見学しました。
今日の行程は5時間半、2.4万歩。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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JR大和路線で終点の加茂駅へ。加茂から大阪の間は直通快速電車がありますが、ここから先は単線の非電化区間。
加茂駅 (京都府) 駅
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ワンマンの2両連結で車内ものんびり。こんな列車に乗ると旅情を感じますが、
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次の笠置で下車。ひと駅とはいえ風景がぐっと変わります。
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9:48 笠置駅。ここでガイドマップをもらいました。
笠置駅 駅
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今日のコースは木津川に沿って「銀の帯」から支流の「布目川散策コース」へ。そのまま柳生の里へ行って「史の道」を笠置寺へ。再び笠置駅に戻る回遊コースです。
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駅前に何やら合戦のオブジェ。
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太平記「元弘の乱、笠置合戦」の様子を表しています。太平記は万歩計の愛読書の一つ。解説は後で笠置寺の見学の折に。
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9:50 ウォーキング開始。笠置町のメインストリートを進み突き当りを左折し、時計回りで柳生から笠置山を通って戻ってきます。
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笠置町は京都府の最南端で奈良県と接しています。古くは奈良東大寺の寺領で多くの人が笠置寺詣でをしましたが、今は静かな山里です。
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木津川に出ると美しい橋が架かっています。同行のH氏は多くの橋梁設計に携わってきた元エンジニアです。
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しばらくは木津川の河川敷を歩きます。夏場は絶好のテント場で、今日も何張りかのテントが見えました。
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道は河川敷から上って関西本線の線路沿いへ。
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川の中に大小の岩が。梅雨明けの夏場は水量も豊富で、若者がカヌーやラフティングを楽しむ場所です。
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対岸の中腹に何やら建物が。
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宿泊施設の廃墟。周囲の木々に半分が呑み込まれている。
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そろそろ下りの列車が通過する時刻。ベストショットを撮るべく場所を選びながら歩きます。
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ガタガタと音を立てて走る列車を間近に撮影。
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小さな布目川発電所。水は地中管を通ってきます。後で取水口を見ました。
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この辺りから木津川の川幅が急に狭くなり、渓流の様相を呈してきます。
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京都の自然二百選に選ばれています。
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清々しい音を立てて瀬を走る水。
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岩の中に穴状のくぼみが見えます。
注意深く見ないとわからない by 万歩計さん布目川の甌穴群(ぽっとほーる) 自然・景勝地
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これはポットホールと呼ばれるもので、川底の窪みに渦巻流が生じ、落ち込んだ小石が回転して川底を削ってできた穴です。
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木津川から支流の布目川に沿った遊歩道へ。
布目川自然公園 公園・植物園
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あと3週間くらい後なら紅葉の渓谷美が見れるはず。
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この道は土地の人の生活の道でもあり、随所にカーブミラーがあります。車一台がやっとの狭い道。
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11:20 布目ダムの取水口に到着。ここで小休止。
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ウォーキング再開。取水口の上流は川幅が少し広がり水量も豊富。
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左へ行くと梅の名所月ヶ瀬、右へ曲がって柳生の方向へ。
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途中にあった白壁蔵造りの建物は水利施設場。
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杉林の中の上り坂
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11:50 柳生の里に到着。柳生に来るのは約20年ぶりで、その時は奈良から柳生街道(滝坂の道)を歩いてきました。
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柳生の里は江戸時代初期の剣豪柳生一族の出生地で、狭い集落にゆかりの建物が残っています。
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柳生茶屋。前回はここで蕎麦を食べたっけ。
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先ずは坂の上にある柳生正木坂剣禅道場へ。
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途中から眺める柳生の里。山深い小さな集落です。
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柳生正木坂剣禅道場。昭和40年に建てられたものです。ここで昼の弁当。
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宮本武蔵が訪れたといわれる当時の柳生道場(正木坂道場)は、こことは別の場所にあったそうです。そこで柳生宗矩の長子三厳(通称十兵衛)が大勢の門弟を錬成したと伝えられています。
正木坂剣禅道場 名所・史跡
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剣道に座禅の心を取り入れた「剣禅一如」の精神が伝わる質素な道場内。裂帛の掛け声と竹刀を打ち合う音が聞こえてきそう。
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正木坂道場のすぐ上が芳徳寺。柳生一族が眠る菩提寺です。
芳徳寺 寺・神社・教会
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柳生宗矩が父の菩提を弔うために、親交のあった沢庵和尚を開山として建立されました。裏の墓地には柳生一族代々の墓石が80基余りが並んでいます。
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芳徳寺から見た正木坂道場
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柳生藩の陣屋跡。建物は一切残っていません。
柳生一族は古くからこの地に根付いた土豪武士でした。上泉伊勢守信綱から新陰流を相伝された柳生宗厳(石舟斎)が、徳川家康の前で「無刀取り」を披露したことが、世に出る契機になりました。旧柳生藩陣屋跡 公園・植物園
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家康は宗厳を兵法指南役に迎えようとしましたが、彼は老齢を理由に五男の柳生宗矩を代わりに推挙しました。宗矩は政治力もあり徳川三代に仕え、遂に一万石の大名に取り立てられました。陣屋は宗矩の時に建てられました。
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宗矩の子で最も有名なのは、片目に眼帯をした「隻眼の剣豪」の十兵衛三厳。映画やドラマでは、徳川幕府の隠密として諸国を旅する主人公として描かれていますが、謎も逸話も多い人物だったようです。
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次は旧柳生藩家老屋敷。昭和39年に作家山岡壮八氏の所有となり、現在は奈良市が管理しています。
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昭和46年放映のNHK大河ドラマ「春の坂道」は山岡壮八氏の原作で、ここで構想が練られたそうです。
旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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入口に柳生宗矩と正室お藤。お藤は土地の娘で美しく才気に富んでいたので、宗矩が惚れ込んで自らの妻としたというエピソードがあります。
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家老屋敷からしばらく歩くと高い枯れた一本の杉の木。十兵衛杉です。
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柳生十兵衛三厳が諸国漫遊に旅立つ前、先祖の墓地に植えたものだとされています。樹齢は350年ほどになりますが、昭和48年に二度の落雷により、枯れてしまい、現在は2代目が横で大きくなっています。
~柳生観光協会HPより抜粋 -
のどかな柳生の風景の中を笠置に向かって歩きます。
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途中にお城のような建物。表札がかかった民家でした。
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向こうには白壁の土塀をめぐらした広い屋敷。
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東海自然歩道を20分ほど歩くと小川沿いに磨崖仏。周囲は水音が聞こえとても静か。
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阿対の石仏、又は阿対の「地蔵」とも呼ばれ、室町時代の作と言われています。数珠や千羽鶴が奉納されていて、地域の人々を中心に深い信仰を集めるスポットです。
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巨大な石には大きな阿弥陀如来と小さな地蔵菩薩の2体の仏像が彫られています。いずれの像も温和な表情。
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道はゴルフ場の横から山道に入り、
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14:10 笠置寺の山門に到着。1300年前に東大寺の修行僧により笠置山の大岩石に仏像が彫られて以来、山全体が一大修験道場として栄えました。
巨石と伽藍が造る壮大な景観 by 万歩計さん笠置山 自然・景勝地
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収蔵庫。笠置寺には藤原時代から江戸時代にかけての多くの文化財があり、その一部が展示されています。
笠置寺収蔵庫 美術館・博物館
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これから修行場を反時計回りで一周します。
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山内にはいたるところに巨石が。笠置山の巨石はすでに2000年前から信仰の対象になっていたようで、弥生時代の石剣が発掘されています。
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巨石には弥勒石、薬師石、文殊石と言うように、彫られた仏像にちなんだ名前が付けられています。
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これは弥勒石。岩の高さは15.7m、幅12.7m。ここに日本最大最古の弥勒菩薩が彫られていますが、元弘の変の戦火で彫刻部が不鮮明になっています。
山内の代表的な大摩崖仏 by 万歩計さん弥勒磨崖仏 名所・史跡
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平成22年に特殊カメラで撮影して、見つかった当初の彫刻線をつなぎ合わせて復元したもが、正月堂にあるそうです。
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これがその復元図。戦火に遭う前はこんなお姿。
正月堂 寺・神社・教会
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千手窟前の巨岩。立ってる人物と比べると、その巨大さがわかります。
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ここで行われた行法が、東大寺二月堂で毎年3月に行われる「お水取り」になったと言われています。
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千手窟の横の大岩は虚空蔵石。
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ここに彫られたのは虚空蔵磨崖仏。
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兵火に焼かれず彫線が鮮明に残っています。
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ここからが本格的な行場巡り。まずは胎内くぐり。
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10m余りの狭い岩の間をくぐって進みます。
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胎内くぐりを出ると、
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次は太鼓石
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窪みをたたくと不思議な音がするらしいが、よくわからず。
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太鼓石を過ぎると平等石。巨大な花崗岩で周囲を回って行をしたそうです。
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石に上ると木津川が見えます。
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ゆるぎ石。元弘の変の時、宮方が攻撃用に備えた石。駅前のオブジェはこの石を使った攻防戦を再現したものです。
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ゆるぎ石から平等石の下をくぐる「蟻の戸わたり」へ。
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狭い岩の間をくぐってしばらく進むと二の丸跡。
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後醍醐天皇の行在所。
後醍醐天皇は、荒廃していく鎌倉幕府政治に代わって理想の政治を実現するために、倒幕を考えるようになりました。天皇の側近である日野資朝、俊基等の公家たちと倒幕の密談を重ねます。幕府に不満がある武士たちも加わり挙兵の日取りも決まりましたが、事前に幕府方に漏れ未遂に終わりました(正中の変)。元弘の変での宮方の本拠 by 万歩計さん後醍醐天皇行在所跡 名所・史跡
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それでも諦めない天皇は、今度は武士ではなく寺社の武力に頼ろうと考え、自らの息子である護良親王を天台座主に据え、自らも東大寺や興福寺などに行幸し、協力を要請していきます。
しかしこの計画も幕府方に漏れ、天皇は比叡山に逃れると見せかけ笠置山へ逃げて挙兵し、それに呼応して吉野の護良親王と河内国の楠木正成もそれぞれ挙兵して幕府と戦おうとしました。
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幕府側は七万五千の兵で笠置山を包囲してこれを攻撃し始めた。これに対し宮方の兵は三千余と圧倒的に不利な状況でしたが、笠置山は天然の要害ということもあって幕府側相手に善戦しました。
しかし籠城一か月足らずで笠置山は陥落、天皇や側近らは幕府側に捕えられ、天皇は隠岐に流罪になりました(元弘の変)。 -
後醍醐天皇のお歌
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行在所跡からは眼下に木津川が見えます。
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笠置寺からは急な山道を一気に下って麓へ。
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眼下に笠置の集落。
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笠置山の入口に下りてきました。
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15:43 笠置駅に戻ってきました。秋の一日、歴史を訪ねるハイキングでした。本日2.4万歩。
笠置駅 駅
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