2018/09/20 - 2018/09/23
2941位(同エリア5392件中)
三峯霧美さん
京都と奈良の旅、最終日は興福寺から。
宿泊した春日ホテルは興福寺の隣なので、朝食後のチェックアウトまでの時間に拝観しました。
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旅の四日目、昨夜、小学生並みに早寝した連れは、早朝、朝風呂に行きました。
その物音で目覚めた。
部屋の窓から外を見ると、興福寺の中金堂の再建工事現場が見えました。春日ホテル 宿・ホテル
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7:00 昨夜と同じ食事処で朝食。
本日も茶粥とおかず沢山の幸せな朝食です。 -
チェックアウトまで時間があるので、興福寺に行ってみます。
ホテル外観は校倉造に似せているんですね。おしゃれです。 -
奈良では最優先されるのが鹿。
それを知っているのか、危機感のない鹿たち。 -
8:25 興福寺の一番近い入り口は再建工事で通行止め、奥の参道はコーヒーフェスティバルのテントが並んでいます。
お店のスタッフの方が、開店の準備をしています。活気にあふれて、元気をもらう。興福寺 寺・神社・教会
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参道を進むと、左手に東金堂と五重塔
興福寺の創建は669年
藤原鎌足の病気平癒を願って夫人が京都の山科に創建した寺を藤原京に移転し、さらに平城京の遷都に伴い、鎌足の子、藤原不比等が710年に現在地に移して「興福寺」と名付けたそうです。
というわけで、藤原氏の氏寺で、南都七大寺の一つです。
何度か大火にみまわれて創建時の堂宇はありません。 -
絶大な権力を持っていた摂関藤原北家から手厚く保護され 、多くの荘園を領して大和国の実権を握っていました。
塔頭の数も百を超え僧侶が4千人、塔頭の中には一乗院、大乗院のように門跡寺院になる寺もありました。
現在一乗院跡は裁判所、大乗院跡は奈良ホテルになってます。 -
鎌倉室町時代は、大和四家の武士と僧兵がおり、幕府は守護を置くこともできずにいました。
安土桃山時代に入りお寺は織田・豊臣に屈して、江戸時代には知行が2万1千石となります。 -
明治の廃仏毀釈では子院はすべて廃止、寺領は没収、僧は春日大社の神職となり、境内は奈良公園の一部になりました。
廃寺同然となって五重塔は250円で売りに出される始末。結局、観光資源として解体は免れます。
仏像も一部は売却して寺の維持費にあて、それらの仏像は国内外のお寺や美術館の所有となっています。 -
8:31 東金堂の拝観は9時からなので、まずは西国三十三所の札所になっている南円堂にお参りします。
納経所はすでに書き手の方がスタンバイされている。興福寺 南円堂 寺・神社・教会
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さすが札所、手水舎も大きく、井戸で地下水をくみ上げているのかな?
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南円堂
お寺の中で最も遅い平安時代の813年に創建された八角形のお堂で、四度の大火にあい、その都度、再建を繰り返し、現在の建物は1789年のものです。 -
南円堂の札所本尊は不空羂索観音
当初の本尊は1180年の兵火で焼失しました。
現在の本尊は鎌倉時代に復興されたもので、国宝、康慶(運慶の父)の作。 -
普段は内部の公開はされておらず、毎年10月17日の大般若経転読会の日と特別公開時のみ拝観できます。
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南円堂の御朱印
西国三十三所 弟9番札所 興福寺南円堂
南円堂 -
南円堂の横は昨夜照明がついていた一言観音 興善院
お願い事を一つずつ叶えてくれるんだそうです。
春日大社の中にも一言主神社があったな~。 -
一言観音の御朱印
奈良のお寺の納経所の方は、どなたもとてもフレンドリーです。
朝いちばんなので、他に納経する方もなく、隣の書き手の方とおしゃべりしたり、楽しいひと時でした。 -
南円堂のはす向かいに不動堂
お堂の中は護摩のすすで、お不動様も真っ黒です。
奉納用の護摩木があり、独国の方がお二人、護摩木を持ってうろうろしてる。
意味わかってんのかな?と思うものの、ドイツ語しゃべれないんで放置して、護摩木に自分の願い事を書いて奉納しました。
一本300円、妥当な価格(笑) -
まだ時間があるので、猿沢池を廻ってみよう。
昨夜も降りた石段。 -
石段は南円堂に一番近い入り口。
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毎年4月17日に一言観音で行われる放生会では、桶に入った魚に貫主さんが戒を授け、般若心経を唱えて池に放つんだそうですよ。
お魚に授戒するって面白い。 -
猿沢池
昨夜は暗くて、よく見えなかった采女祭の船。極彩色で綺麗です。
采女祭りは中秋の名月の日に行われます。
本日も池の周りのベンチは満席です。猿沢池 名所・史跡
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奈良時代に帝の寵愛を受けていた采女が、寵愛が薄れたことを嘆いて、猿沢池に身を投げました。
采女の霊をなぐさめるために采女神社た建てられました。
采女の命日が中秋の名月に近かったそうですよ。 -
昭和スタイルの旅館、立地はかなり良いですが、近年廃業されたようですね。
采女神社はホテルの脇にあります。
昭和40年代は団体旅行が主流、50年代には個人旅行にシフトして、今じゃ高級旅館ほど予約が取りずらいご時世、経営は流れを察知する力と資金力がものをいう、古くからある観光地では流れに乗り遅れた遺物に出合います。 -
采女祭りでは中秋の名月の月あかりで縫い針に赤い糸を通すと願いが叶うそうです。いや、もうね、老眼だしね。
九重塔と衣掛柳 采女が衣を掛けた柳なんだそうです。 -
池を一回り、正面の階段は地元の方が「五十二段」と呼ぶ石段。
フィルムフェスティバルのロゴが描かれています。
52段は仏門の修行の段階を表すそうです。 -
8:55 御朱印所が開くのを待って、一番のりで御朱印帳を預けました。
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東金堂と国宝館の共通券を購入。
中学の修学旅行では興福寺は拝観していません。
拝観したのは東大寺、春日大社、法隆寺、薬師寺でした。 -
東金堂 とうこんどう
創建は726年に聖武天皇が伯母の元正天皇の病気平癒を祈願して薬師三尊像を安置するお堂として創建しました。
6度被災し再建され、現在のお堂は1415年の室町時代の建立。
創建当時は薬師如来の浄瑠璃光世界を表して緑色のタイルが敷かれていたそうです。興福寺東金堂 寺・神社・教会
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ご本尊は薬師如来 室町時代に再興されたときの作。
脇侍の日光菩薩と月光菩薩像は1411年の火災時に救出されたもので、奈良時代の作。
そもそも、この日光、月光菩薩は飛鳥の山田寺にあった薬師三尊像で、1187年に東金堂衆が山田寺から強奪し東金堂の本尊に据えました。
1411年の火災時に日光、月光菩薩は持ち出されましたが、薬師如来坐像は頭部(国宝)を残して焼失してしまいました。 -
薬師三尊のほか、文殊菩薩坐像、維摩居士坐像、四天王寺立像、十二神将立像と、ずらりと国宝が並んでいます。
朝から国宝三昧の興福寺散策です。 -
東金堂の御朱印 西国四十九薬師霊場 第四番
御詠歌
さるさわの いけのほとりの てらにはに るりのひかりは あまねかりけり -
五重塔 国宝
1426年室町時代中期の再建
光明皇后(藤原不比等の娘)の発願により730年に建立されましたが、5回の焼失再建を繰り返しています。
高さ50.1m、東寺の五重塔に次ぐ高さです。興福寺五重塔 寺・神社・教会
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中金堂
創建時からお寺の中心的なお堂で、今回は8回目の再建。
創建時から何度も焼失し、江戸時代に7度目の焼失の後、資金不足で百年ほど再建されず、1819年に仮金堂が再建されました。
あくまで仮堂として建設されたため、一回り小さいお堂で、部材も長年の使用に耐えられず老朽化が進みました。興福寺 中金堂 寺・神社・教会
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1974年に薬師寺の旧金堂を改造して移設し、仮本堂としました。
中金堂の後ろに見えるお堂がそれ。
江戸時代の仮堂は老朽化のため2000年に解体しました。
仮本堂は今後、仮講堂となります。 -
中金堂の御朱印
2週間後の10月7日に、中金堂再建の落慶法要が行われます。 -
中金堂の御朱印
世界文化遺産に登録された時にできた御朱印
令興福力 りょうこうふくりき 維摩経の一文
福力を興さしめる
幸せになる力をおこすって、いいね。 -
国宝館 食堂跡に1959年に建てられました。
創建時の食堂の姿を模して造られ、2017年は休館して耐震工事を行いました。
LED照明でガラスケースがなくなり、仏像をすぐそばで拝観できます。
やっぱり一番人気は阿修羅像です。息遣いさえ聞こえそうな距離で見ることができます。
美術館としてはそれほど大きくありませんが、内容の濃さはすごい! -
食堂本尊の千手観音の御朱印
現在の国宝館は食堂の跡地にあります。
国宝の千手観音は高さが5mの大きな像で鎌倉時代に造られたそうですが、作り始めて、途中で投げ出したりして、完成まで450年もかかったんだとか。
講堂
本尊 阿弥陀如来の御朱印 -
ミュージアムショップはお客さんでいっぱい、購買欲をそそる品物がたくさんあって、眺めるのも楽しい、すっかりやられて阿修羅香を買いました。
お香を焚くと知った香り・・・??
ん?ひっくり返すと製造元が山田松香木店、やっぱりね。 -
北円堂 国宝
772年に藤原不比等の一周忌に元明太上天皇と元正天皇が建立
ここは平城京を一望に見渡すことができる高台で不比等の霊を慰めるには最良の場所・・確かに駅から来ると坂を上り切ったところにあります。
現在の建物は1210年頃の再建で、興福寺内最古の建物。
通常は非公開、春と秋に特別開扉され、公開時のみ御朱印がいただけます。 -
北円堂の正面の坂を下りて行きます、左手は西金堂があった場所。
西金堂は734年に光明皇后が母の一周忌に釈迦三尊を安置するお堂として建立、その後3回被災し、江戸時代に中金堂と共に焼失後は資金難のため再建されず、基壇が残るのみ。
堂内にあった仏像は現存して、国宝館などに安置されています。あの阿修羅像も西金堂にあった仏像です。 -
坂を降りたところにあるのが三重塔
1143年に崇徳天皇の中宮・皇嘉門院(藤原聖子)によって創建され、大火による焼失の記録はありませんが、鎌倉時代に再建されたと考えられています。
北円堂と共に興福寺最古の建物。興福寺三重塔 寺・神社・教会
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藤原聖子(皇嘉門院)は崇徳天皇との間に、子供がなく、のちの近衛天皇の准母となります。
この塔の建立は近衛天皇が即位して、聖子が皇太后をなったころに建てられました。
その後、保元の乱では夫と父が敵対し、夫は敗れて配流されてしまいます。
どうだ!と言わんばかりの五重塔とは対照的に、優美で心が和むような三重塔です。 -
摩利支天石
興福寺の宝蔵院にあった石で、明治に廃寺になって放置されていたものを1999年にここへ移転しました。
宝蔵院流槍術の祖、胤栄がこの石に摩利支天を祀って稽古に励んだと伝わります。
武士から深い信仰を集めたそうです。 -
南円堂の石段の脇にある延命地蔵尊。
小さなお地蔵様が並んでます。
9:49 一回りしたので、宿に戻りましょう -
9:55 チェックアウトしてロビーの喫茶スペースでコーヒー休憩。
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コースターは大極殿のイラスト入り。
旅の思い出にと持ち帰る?いやいや、家じゃ使わないよね。 -
10:17 皆さん出発して、駐車場は我らのレンタカーだけになりました。
ダイハツ ブーン君
とりあえずリッターカー(笑) FF CVT
こいつのウインカー、反応が遅くて、イラっとする。
じゃ、海龍王寺に出発しよう。
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