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2019年、年末年始に四国を周遊した時に訪れた3輌のSLです。<br />3輌とも日本製ではありませんが、1輌はかつての「坊ちゃん列車」です。<br />現役の「坊ちゃん列車」が走っている所も見られました。<br />運行を終えた「坊ちゃん列車」が休んでいる道後温泉駅で、<br />からくり時計と、道後温泉本館も見て来ました。<br />  何度か四国を周っているので、これで四国内すべてのSLを訪ねました。<br />高知から徳島県を通って愛媛に入る途中、「名頃かかしの里」と「落合集落」に<br />立ち寄り、ついでに「小便小僧」も見て来ました。<br />前二者は、旅行記にしたので、今回は「小便小僧」から始めます。

愛媛県のSL3輌(別子銅山・梅津寺・岡田)と「坊ちゃん列車」

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2019/12/28 - 2020/01/04

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旅行記グループ 2019年末年始 四国周遊

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ミズ旅撮る人

ミズ旅撮る人さん

2019年、年末年始に四国を周遊した時に訪れた3輌のSLです。
3輌とも日本製ではありませんが、1輌はかつての「坊ちゃん列車」です。
現役の「坊ちゃん列車」が走っている所も見られました。
運行を終えた「坊ちゃん列車」が休んでいる道後温泉駅で、
からくり時計と、道後温泉本館も見て来ました。
何度か四国を周っているので、これで四国内すべてのSLを訪ねました。
高知から徳島県を通って愛媛に入る途中、「名頃かかしの里」と「落合集落」に
立ち寄り、ついでに「小便小僧」も見て来ました。
前二者は、旅行記にしたので、今回は「小便小僧」から始めます。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配

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  • 高知から徳島県に入りました。<br />高知県と瀬戸内側の間には四国山地が立ちはだかっているので、<br />山越えルートは限られます。<br />その代表的な道が国道32号線。<br />有名観光地である大歩危(おおぼけ)から東に逸れた県道45号線沿いに祖谷(いや)渓があり、小便小僧像があります。<br />普通は高知道を通るし、そうでなければ国道なので、<br />こちらに寄るのは初めてです。<br />「小便小僧」は、ベルギーの首都ブリュッセルのグランプラスの<br />そばにあるものが有名です。<br />それが日本にもある。それを知って行ってみたくなりました。

    高知から徳島県に入りました。
    高知県と瀬戸内側の間には四国山地が立ちはだかっているので、
    山越えルートは限られます。
    その代表的な道が国道32号線。
    有名観光地である大歩危(おおぼけ)から東に逸れた県道45号線沿いに祖谷(いや)渓があり、小便小僧像があります。
    普通は高知道を通るし、そうでなければ国道なので、
    こちらに寄るのは初めてです。
    「小便小僧」は、ベルギーの首都ブリュッセルのグランプラスの
    そばにあるものが有名です。
    それが日本にもある。それを知って行ってみたくなりました。

    小便小僧 名所・史跡

  • こういう場所って、何故か硬貨を投げるんですよね。<br />落ちた分がもったいないから、下にお賽銭箱でも置きたいところですね。

    こういう場所って、何故か硬貨を投げるんですよね。
    落ちた分がもったいないから、下にお賽銭箱でも置きたいところですね。

  • 冗談はさて置き、何故こんな何もない渓谷の岩の上に「小便小僧」が?<br />前述したとおり、高知と瀬戸内との間には高い山波が連なり、<br />南北を分断していました。<br />それを繋げるための道路工事が進められ、開通したころ、<br />祖谷川沿いの断崖には、祖谷(いや)街道の開設工事で残った岩が<br />突き出ており、工事の作業員や、そこを通る旅人たちが、<br />度胸試しのために小便をしていたのだとか。<br />1968年に、観光資源を兼ね、度胸試しの代役にと、<br />当時の副知事が設置を考えたそうです。

    冗談はさて置き、何故こんな何もない渓谷の岩の上に「小便小僧」が?
    前述したとおり、高知と瀬戸内との間には高い山波が連なり、
    南北を分断していました。
    それを繋げるための道路工事が進められ、開通したころ、
    祖谷川沿いの断崖には、祖谷(いや)街道の開設工事で残った岩が
    突き出ており、工事の作業員や、そこを通る旅人たちが、
    度胸試しのために小便をしていたのだとか。
    1968年に、観光資源を兼ね、度胸試しの代役にと、
    当時の副知事が設置を考えたそうです。

  • そこで製作を依頼されたのが、徳島県出身の彫刻家・河崎良行(かわさき りょうこう)氏。<br />「4歳の息子をモデルに存在感のあるリアルさを追究した」<br />「岩が渓谷と彫刻をつなぐステージのような役割を果たしている。<br />渓谷美を望む『アイストップ』(目印)にもなったのでは」という<br />コメントがありました。<br />確かに、この辺のV字谷の景観は素晴らしいのですが、<br />狭くてカーブの多い区間であり、<br />なかなか車窓を楽しむ余裕はありません。<br />(観光バスの乗客なら見られるけれど、それも片側限定です)<br />そこで、ちょっと足を止めて車外に降りて<br />谷を覗き込めるスペースがあれば、<br />この道を通る意義もあろうというもの。<br />彼の後ろ姿は、あまり見ないと思うので、撮ってみました。<br />腰に手を当てて、バランスをとっている所に、高さを感じますね。

    そこで製作を依頼されたのが、徳島県出身の彫刻家・河崎良行(かわさき りょうこう)氏。
    「4歳の息子をモデルに存在感のあるリアルさを追究した」
    「岩が渓谷と彫刻をつなぐステージのような役割を果たしている。
    渓谷美を望む『アイストップ』(目印)にもなったのでは」という
    コメントがありました。
    確かに、この辺のV字谷の景観は素晴らしいのですが、
    狭くてカーブの多い区間であり、
    なかなか車窓を楽しむ余裕はありません。
    (観光バスの乗客なら見られるけれど、それも片側限定です)
    そこで、ちょっと足を止めて車外に降りて
    谷を覗き込めるスペースがあれば、
    この道を通る意義もあろうというもの。
    彼の後ろ姿は、あまり見ないと思うので、撮ってみました。
    腰に手を当てて、バランスをとっている所に、高さを感じますね。

  • 2015年12月のブリュッセルの「小便小僧」ジュリアン君です。<br />※衣装は日々変わります。来ていない時も多々あります。<br />彼は地面に立って、導火線の火を消しているので、<br />手を腰に回してはいません。<br />祖谷の小便小僧にも、誰か羽織を贈ってくれないかな・・・<br />  余談ですが、「小便小僧」とはベルギー語で「マネケンピス」です。<br />昨今、こういう名前のワッフル屋さんが散見されますね。<br />

    2015年12月のブリュッセルの「小便小僧」ジュリアン君です。
    ※衣装は日々変わります。来ていない時も多々あります。
    彼は地面に立って、導火線の火を消しているので、
    手を腰に回してはいません。
    祖谷の小便小僧にも、誰か羽織を贈ってくれないかな・・・
    余談ですが、「小便小僧」とはベルギー語で「マネケンピス」です。
    昨今、こういう名前のワッフル屋さんが散見されますね。

  • この美しい祖谷の景観を、慈しむ場所がもっとあるといいなあ。<br />

    この美しい祖谷の景観を、慈しむ場所がもっとあるといいなあ。

  • 国道32号線に戻って、吉野川沿いに北上していると、<br />JR土讃線の列車が横を通過して行きました。<br />土讃線には「アンパンマン列車」が走っています。<br />岡山から多度津・琴平・阿波池田・土佐山田・高知を走る「南風)と、<br />高知から窪川・中村・宿毛を走る「あしずり」があります。<br />それぞれ2往復ずつしかないので、遭遇率は高くは無いですね。<br />「アンパンマン列車」は、瀬戸大橋を走行しているのを<br />見たことがあります。<br />与島PAにいると、「アンパンマン列車」に手を振りましょうと<br />アナウンスがあります。<br />

    国道32号線に戻って、吉野川沿いに北上していると、
    JR土讃線の列車が横を通過して行きました。
    土讃線には「アンパンマン列車」が走っています。
    岡山から多度津・琴平・阿波池田・土佐山田・高知を走る「南風)と、
    高知から窪川・中村・宿毛を走る「あしずり」があります。
    それぞれ2往復ずつしかないので、遭遇率は高くは無いですね。
    「アンパンマン列車」は、瀬戸大橋を走行しているのを
    見たことがあります。
    与島PAにいると、「アンパンマン列車」に手を振りましょうと
    アナウンスがあります。

  • さて、愛媛県に入りました。<br />新居浜の南部には別子銅山があります。<br />そこへ向かって行くと、前方の小山の上にレンガ造りの煙突が<br />見えて来ました。<br />生子山(しょうじやま)に建てられた山根製錬所跡の煙突です。<br />1888(明治21)年竣工、高さ19m。<br />山根製錬所は、含まれる銅が3%程度の貧鉱の製錬をするために<br />建てられました。<br />銅を取り出した後には、鉄と硫黄がそれぞれ4割強を占めています。<br />回収しきれなかった亜硫酸ガスによる煙害によって<br />周辺の農作物に被害が出はじめたことに加え、<br />硫酸の需要が思ったほどふるわず、明治28年に山根製錬所は<br />閉鎖されることになりました。<br />

    さて、愛媛県に入りました。
    新居浜の南部には別子銅山があります。
    そこへ向かって行くと、前方の小山の上にレンガ造りの煙突が
    見えて来ました。
    生子山(しょうじやま)に建てられた山根製錬所跡の煙突です。
    1888(明治21)年竣工、高さ19m。
    山根製錬所は、含まれる銅が3%程度の貧鉱の製錬をするために
    建てられました。
    銅を取り出した後には、鉄と硫黄がそれぞれ4割強を占めています。
    回収しきれなかった亜硫酸ガスによる煙害によって
    周辺の農作物に被害が出はじめたことに加え、
    硫酸の需要が思ったほどふるわず、明治28年に山根製錬所は
    閉鎖されることになりました。

  • 大山積神社です。この境内に「別子銅山記念館」があります。<br />

    大山積神社です。この境内に「別子銅山記念館」があります。

    大山積神社 寺・神社・教会

  • 階段を上がって行くと、石の鳥居があり、<br />その横の屋根の下に小さなSLが保存されています。<br />

    階段を上がって行くと、石の鳥居があり、
    その横の屋根の下に小さなSLが保存されています。

  • 「鉱山専用鉄道用蒸気機関車<br />明治26(1893)年開通した鉱山専用鉄道用に、<br />ミュンヘンのクラウス社より<br />明治25年購入の、別子では第一号の蒸気機関車である。<br />

    「鉱山専用鉄道用蒸気機関車
    明治26(1893)年開通した鉱山専用鉄道用に、
    ミュンヘンのクラウス社より
    明治25年購入の、別子では第一号の蒸気機関車である。

  • 昭和31(1956)~昭和50(1975)年 <br />愛媛県立新居浜工業高校に保管。<br />昭和38(1963)年10月 <br />準鉄道記念物愛媛第一号(国鉄四国総局指定)」<br />

    昭和31(1956)~昭和50(1975)年 
    愛媛県立新居浜工業高校に保管。
    昭和38(1963)年10月 
    準鉄道記念物愛媛第一号(国鉄四国総局指定)」

  • LOCOMOTIVFABRIK KRAUSS&C<br />MUNCHEN LIMZ 1892<br />日本は新橋~横浜間の鉄道こそイギリスでしたが、<br />イギリスやアメリカのSLよりドイツのクラウス社のSLが好まれ、<br />かなりあちこちに残されています。<br />

    LOCOMOTIVFABRIK KRAUSS&C
    MUNCHEN LIMZ 1892
    日本は新橋~横浜間の鉄道こそイギリスでしたが、
    イギリスやアメリカのSLよりドイツのクラウス社のSLが好まれ、
    かなりあちこちに残されています。

  • クラウス1号の前には「別子銅山記念館」があります。<br />年末年始の休館中でした。<br />

    クラウス1号の前には「別子銅山記念館」があります。
    年末年始の休館中でした。

  • 別子銅山の専用線だったからか、ナンバープレートがありません。<br />私が馴染みのあるクラウス製SLは、<br />正面から見ると煙室下部が裾広がりで、<br />一目見てクラウスとわかりましたが、<br />別子銅山のSLは違うタイプでした。<br />

    別子銅山の専用線だったからか、ナンバープレートがありません。
    私が馴染みのあるクラウス製SLは、
    正面から見ると煙室下部が裾広がりで、
    一目見てクラウスとわかりましたが、
    別子銅山のSLは違うタイプでした。

  • 北海道雨竜郡沼田町幌新の「ほろしん温泉ほたる館」に保存されている<br />クラウスです。<br />自走は出来ませんが、押し出されて車庫の外に出て来ます。<br />http://www.horosin-onsen.com/facilities.html#kurausu

    北海道雨竜郡沼田町幌新の「ほろしん温泉ほたる館」に保存されている
    クラウスです。
    自走は出来ませんが、押し出されて車庫の外に出て来ます。
    http://www.horosin-onsen.com/facilities.html#kurausu

  • 別子鉱山鉄道は、海岸の新居浜と別子銅山の南麓を結ぶ輸送経路を<br />確立するため、明治26年(1893年)に建設されました。<br />鉄路は3区間に分かれていました。<br />第一通洞の北口付近の角石原(かどいしはら、標高1,100m)から<br />石ヶ山丈(同850m)に至る5.5kmを走る「上部鉄道」、<br />石ヶ山丈と麓の端出場(はでば、同164m)を繋ぐ<br />「高架索道(ロープウェイ)」、<br />そして端出場から製錬所のある山根・惣開(新居浜)までの<br />10.3kmをつなぐ「下部鉄道」です。<br /><br />「上部鉄道」は、日本初の高山鉄道でしたが、<br />明治44年に東平と別子山日浦が第三通洞によってつながったことにより、<br />第一通洞はその役割を終え、同時に「上部鉄道」も廃止となりました。<br /><br />「下部鉄道」は、昭和に入ってから一般旅客営業も行うなど、<br />地域の足として親しまれて来ましたが、<br />別子閉山から間もなく1977(昭和52)年に営業を終えました。<br />

    別子鉱山鉄道は、海岸の新居浜と別子銅山の南麓を結ぶ輸送経路を
    確立するため、明治26年(1893年)に建設されました。
    鉄路は3区間に分かれていました。
    第一通洞の北口付近の角石原(かどいしはら、標高1,100m)から
    石ヶ山丈(同850m)に至る5.5kmを走る「上部鉄道」、
    石ヶ山丈と麓の端出場(はでば、同164m)を繋ぐ
    「高架索道(ロープウェイ)」、
    そして端出場から製錬所のある山根・惣開(新居浜)までの
    10.3kmをつなぐ「下部鉄道」です。

    「上部鉄道」は、日本初の高山鉄道でしたが、
    明治44年に東平と別子山日浦が第三通洞によってつながったことにより、
    第一通洞はその役割を終え、同時に「上部鉄道」も廃止となりました。

    「下部鉄道」は、昭和に入ってから一般旅客営業も行うなど、
    地域の足として親しまれて来ましたが、
    別子閉山から間もなく1977(昭和52)年に営業を終えました。

  • 「坑内牽引6tトロリー電車」<br />第四通洞専用の鉱・人車牽引用電車<br />

    「坑内牽引6tトロリー電車」
    第四通洞専用の鉱・人車牽引用電車

  • 「大型四角鉱車(0.7m3小型ダンプカー)<br />ともに鉱石・操業用資材を運搬するのに用いた鉱車で<br />四角鉱車は、1952(昭和27)年頃から、<br />ダンプカーを主として採用した。

    「大型四角鉱車(0.7m3小型ダンプカー)
    ともに鉱石・操業用資材を運搬するのに用いた鉱車で
    四角鉱車は、1952(昭和27)年頃から、
    ダンプカーを主として採用した。

  • かご電車<br />1938(昭和13)年から閉山(1972)まで、<br />東平坑口(新居浜市側)→日浦坑口(別子山村側)間、<br />約4kmの坑内を運行した人員の輸送車。<br />利用者は電車のつくり、そのままを「かご電車」と呼んで親しんだ。<br />

    かご電車
    1938(昭和13)年から閉山(1972)まで、
    東平坑口(新居浜市側)→日浦坑口(別子山村側)間、
    約4kmの坑内を運行した人員の輸送車。
    利用者は電車のつくり、そのままを「かご電車」と呼んで親しんだ。

  • 鉱山専用鉄道用電気機関車(ED104号)<br />1950(昭和25)年鉄道電化の後、鉱石輸送増強のため<br />日立製作所より部品を購入して、<br />別子事業所で組み立てた自社製電気機関車。<br />

    鉱山専用鉄道用電気機関車(ED104号)
    1950(昭和25)年鉄道電化の後、鉱石輸送増強のため
    日立製作所より部品を購入して、
    別子事業所で組み立てた自社製電気機関車。

  • 「別子(べっし)銅山記念館」<br />1690(元禄3)年、別子銅山は発見され、翌年開坑しました。<br />海抜約1,200mの地点から採掘が開始され、<br />海抜マイナス約1,000mまで掘り下げました。<br />総延長700kmにも及ぶ坑道があり、<br />全産銅量65万tは、足尾銅山に次ぐ国内第2位でした。<br />1695年には2,700人が暮らす鉱山町が形成されていました。<br />1973(昭和48)年に閉山しています。<br />開坑から閉山まで一貫して住友が経営した、<br />世界でも例のない銅山であるため、<br />普通なら散逸していてもおかしくない数々の貴重な史料を<br />見ることができます。<br />昨年、石見銀山を訪れてから、鉱山の歴史に興味が湧いて来ました。<br />別子銅山は、ここから更に山奥に行くと「マイントピア別子」で、<br />実際の様子を詳しく体験することが出来ます。

    「別子(べっし)銅山記念館」
    1690(元禄3)年、別子銅山は発見され、翌年開坑しました。
    海抜約1,200mの地点から採掘が開始され、
    海抜マイナス約1,000mまで掘り下げました。
    総延長700kmにも及ぶ坑道があり、
    全産銅量65万tは、足尾銅山に次ぐ国内第2位でした。
    1695年には2,700人が暮らす鉱山町が形成されていました。
    1973(昭和48)年に閉山しています。
    開坑から閉山まで一貫して住友が経営した、
    世界でも例のない銅山であるため、
    普通なら散逸していてもおかしくない数々の貴重な史料を
    見ることができます。
    昨年、石見銀山を訪れてから、鉱山の歴史に興味が湧いて来ました。
    別子銅山は、ここから更に山奥に行くと「マイントピア別子」で、
    実際の様子を詳しく体験することが出来ます。

  • 伊予鉄道高浜線の梅津寺(ばいしんじ)駅に高浜行きの<br />電車が入って来ました。<br />元京王電鉄井の頭線用の通勤形電車3000系です。<br />1996年(平成8年)から2011年12月にかけて全車廃車され、<br />地方で走っています。

    伊予鉄道高浜線の梅津寺(ばいしんじ)駅に高浜行きの
    電車が入って来ました。
    元京王電鉄井の頭線用の通勤形電車3000系です。
    1996年(平成8年)から2011年12月にかけて全車廃車され、
    地方で走っています。

    梅津寺駅

  • 愛媛みかんをイメージしたオレンジ色に塗られた3000系。<br />

    愛媛みかんをイメージしたオレンジ色に塗られた3000系。

  • 伊予鉄道の券売機は、カラフルで見やすいです。<br />高浜線の終点・高浜駅から松山観光港までのバスまで含んだ<br />切符が売られています。<br />港から出るフェリーは、呉経由広島行きや、<br />北九州市小倉行きがあります。<br />瀬戸内観沿岸地域は、海上交通が盛んですね。<br />

    伊予鉄道の券売機は、カラフルで見やすいです。
    高浜線の終点・高浜駅から松山観光港までのバスまで含んだ
    切符が売られています。
    港から出るフェリーは、呉経由広島行きや、
    北九州市小倉行きがあります。
    瀬戸内観沿岸地域は、海上交通が盛んですね。

  • 梅津寺駅前には「みきゃんパーク」があります。<br />ちょっと寄ってみたかったけれど、こちらも年末年始の休館中。<br />

    梅津寺駅前には「みきゃんパーク」があります。
    ちょっと寄ってみたかったけれど、こちらも年末年始の休館中。

  • でも今回の目的は、そのお向かいにある「梅津寺公園」にあります。<br />入園料100円と書いてありますが、係員が誰もおらず、<br />料金箱だけが置いてありました。<br />一応、チャリンと入れておきましたが、無人駅ならぬ無人公園で、<br />「寸志」状態なの?<br />

    でも今回の目的は、そのお向かいにある「梅津寺公園」にあります。
    入園料100円と書いてありますが、係員が誰もおらず、
    料金箱だけが置いてありました。
    一応、チャリンと入れておきましたが、無人駅ならぬ無人公園で、
    「寸志」状態なの?

  • 「梅津寺公園」の入り口を入って右手に、立派な屋根付きの、<br />客車を引いた小さなSLがあります。<br />

    「梅津寺公園」の入り口を入って右手に、立派な屋根付きの、
    客車を引いた小さなSLがあります。

  • 「鉄道記念物<br />伊予鉄道1号機関車<br />指定日:昭和42年10月14日<br />指定者:日本国有鉄道<br />建植日:昭和42年10月14日」<br />

    「鉄道記念物
    伊予鉄道1号機関車
    指定日:昭和42年10月14日
    指定者:日本国有鉄道
    建植日:昭和42年10月14日」

  • 梅津寺公園に保存されているSLですが、<br />今回の表紙のSLと酷似していることに気が付きましたか?<br />

    梅津寺公園に保存されているSLですが、
    今回の表紙のSLと酷似していることに気が付きましたか?

  • 鉄道記念物 伊予鉄道1号機関車<br />この機関車は「四輪連結水槽付機関車」で、<br />明治21年伊予鉄道株式会社が松山~三津間に、<br />軌間2尺6寸(0.762m)の鉄道を敷設した時から使用されたもので、<br />ドイツのミュンヘン州クラウス製造所から輸入されました。<br />当時は米1升が4銭5厘の時代に、<br />この機関車の価格は9,700円でした。<br /> 以来線路も延長されて明治・大正・昭和と実に67年にわたり<br />松山平野を走り続けました。<br />夏目漱石の名作「坊ちゃん」に登場してからは、<br />「坊ちゃん列車」の愛称で親しまれましたが、<br />今は使命を全うしてここに保存されています。<br /> 我が国に現存する最古の軽便鉄道機関車として、昭和42年10月<br />14日、日本国有鉄道から鉄道記念物として指定されました。

    鉄道記念物 伊予鉄道1号機関車
    この機関車は「四輪連結水槽付機関車」で、
    明治21年伊予鉄道株式会社が松山~三津間に、
    軌間2尺6寸(0.762m)の鉄道を敷設した時から使用されたもので、
    ドイツのミュンヘン州クラウス製造所から輸入されました。
    当時は米1升が4銭5厘の時代に、
    この機関車の価格は9,700円でした。
     以来線路も延長されて明治・大正・昭和と実に67年にわたり
    松山平野を走り続けました。
    夏目漱石の名作「坊ちゃん」に登場してからは、
    「坊ちゃん列車」の愛称で親しまれましたが、
    今は使命を全うしてここに保存されています。
     我が国に現存する最古の軽便鉄道機関車として、昭和42年10月
    14日、日本国有鉄道から鉄道記念物として指定されました。

  • 正面は柵の隙間から窮屈な画面になります。<br />「坊ちゃん列車」の初号機だったんですね。<br />こちらのクラウスもこの形でした。<br /><br />

    正面は柵の隙間から窮屈な画面になります。
    「坊ちゃん列車」の初号機だったんですね。
    こちらのクラウスもこの形でした。

  • 全盛期は最大18輌が運行していたそうです。<br />

    全盛期は最大18輌が運行していたそうです。

  • 運転席のあまりに簡素な装置に「こんなんで蒸気機関車は<br />走れるんだなあ。」と妙に感心。<br />

    運転席のあまりに簡素な装置に「こんなんで蒸気機関車は
    走れるんだなあ。」と妙に感心。

  • 「坊ちゃん」で、「マッチ箱のような汽車」と呼ばれたのも<br />頷ける小さな客車。<br />

    「坊ちゃん」で、「マッチ箱のような汽車」と呼ばれたのも
    頷ける小さな客車。

  • 拘留中の囚人になった気分が味わえそう。<br />明治時代、新橋~横浜間に初めて鉄道が走った時、<br />客車に乗り込んだ乗客たちは、<br />車両の外で草履を脱いでしまったそうです。<br />床が畳敷きだったら、それもありかも?

    拘留中の囚人になった気分が味わえそう。
    明治時代、新橋~横浜間に初めて鉄道が走った時、
    客車に乗り込んだ乗客たちは、
    車両の外で草履を脱いでしまったそうです。
    床が畳敷きだったら、それもありかも?

  • 別子銅山と基本的には同じクラウス社の機関車なので、<br />プレートも似ています。<br />伊予鉄道が最初から最後まで使っていた筈ですが、<br />中央の「SASGA&C IE TOKIO」は何でしょう?<br />

    別子銅山と基本的には同じクラウス社の機関車なので、
    プレートも似ています。
    伊予鉄道が最初から最後まで使っていた筈ですが、
    中央の「SASGA&C IE TOKIO」は何でしょう?

  • ちょっと錆が出ています。光沢の色に違和感があります。<br />材質が違うのかな?<br />

    ちょっと錆が出ています。光沢の色に違和感があります。
    材質が違うのかな?

  • 1888年製なので、すごく無骨な感じがします。<br />

    1888年製なので、すごく無骨な感じがします。

  • 取り敢えず、いつものショットを撮っておきます。<br />

    取り敢えず、いつものショットを撮っておきます。

  • 梅津寺駅は、人気のある駅なんだそうです。<br />

    イチオシ

    地図を見る

    梅津寺駅は、人気のある駅なんだそうです。

  • それは、駅の目の前にこの風景が広がるからです。<br />

    それは、駅の目の前にこの風景が広がるからです。

  • 夕暮れに、白く輝く海。青い海とは違う魅力に輝いています。<br />

    夕暮れに、白く輝く海。青い海とは違う魅力に輝いています。

  • 松山市内中心部に入って来ました。<br />交通量の多い交差点で信号待ちをしていると、<br />前方から・・・あれ?<br />う・わ~~~!蒸気機関車が走って来る!!!

    松山市内中心部に入って来ました。
    交通量の多い交差点で信号待ちをしていると、
    前方から・・・あれ?
    う・わ~~~!蒸気機関車が走って来る!!!

  • 何を見ているのか理解できない数秒のうちに、<br />機関車はどんどん近付いて、<br />交差点を曲がって行きます。<br />「坊ちゃん列車」だ~!<br />まったく念頭になかったので準備が出来ていません。<br />

    何を見ているのか理解できない数秒のうちに、
    機関車はどんどん近付いて、
    交差点を曲がって行きます。
    「坊ちゃん列車」だ~!
    まったく念頭になかったので準備が出来ていません。

  • 松山市内の路面電車に「坊ちゃん列車」が走っているとは知っていても、<br />まさかここでいきなり出くわすなんて、思ってもいなかったんですう(;O;)<br />

    松山市内の路面電車に「坊ちゃん列車」が走っているとは知っていても、
    まさかここでいきなり出くわすなんて、思ってもいなかったんですう(;O;)

  • なんという偶然。<br />私の曲がる方向に「坊ちゃん列車」も曲がって行きました。<br />追い付けるかな?<br />

    なんという偶然。
    私の曲がる方向に「坊ちゃん列車」も曲がって行きました。
    追い付けるかな?

  • やっほ~い!意外に「坊ちゃん列車」は早くない。追い付きました。<br />実際に走っている生の「坊ちゃん列車」と並走できるなんて、<br />そうあることじゃない。<br />しかも、客車の後ろに車掌さんまで立っている。<br />自分の幸運に感謝感激でシャッターを切り続けました。<br />

    やっほ~い!意外に「坊ちゃん列車」は早くない。追い付きました。
    実際に走っている生の「坊ちゃん列車」と並走できるなんて、
    そうあることじゃない。
    しかも、客車の後ろに車掌さんまで立っている。
    自分の幸運に感謝感激でシャッターを切り続けました。

  • 松山と言えば、道後温泉です。伊予鉄道道後温泉駅にやって来ました。<br />

    松山と言えば、道後温泉です。伊予鉄道道後温泉駅にやって来ました。

    道後温泉駅

  • 道後温泉駅の前には、「坊ちゃん列車」が停車していることがあります。<br />どうやら今日の運行を終えて、落ち着いているようです。<br />

    道後温泉駅の前には、「坊ちゃん列車」が停車していることがあります。
    どうやら今日の運行を終えて、落ち着いているようです。

  • 梅津寺公園にあった機関車たちが廃車となり、<br />一旦は伊予鉄道から蒸気機関車は姿を消しました。<br />しかし、人々の復活を望む声により、<br />2001年10月12日復元された車輛が運行を開始しました。<br />

    梅津寺公園にあった機関車たちが廃車となり、
    一旦は伊予鉄道から蒸気機関車は姿を消しました。
    しかし、人々の復活を望む声により、
    2001年10月12日復元された車輛が運行を開始しました。

  • かつては石炭で蒸気を作って動いていましたが、<br />現在はディーゼルエンジンを採用しています。<br />つまりは厳密にいえば、姿は蒸気機関車であっても、<br />中身はディーゼル機関車なのです。<br />さらに、煙突から出ている煙に見えるものは、<br />蒸気を煙に見たてたものです。<br />だから、給水も要らないし、もちろん石炭燃料も要りません。

    かつては石炭で蒸気を作って動いていましたが、
    現在はディーゼルエンジンを採用しています。
    つまりは厳密にいえば、姿は蒸気機関車であっても、
    中身はディーゼル機関車なのです。
    さらに、煙突から出ている煙に見えるものは、
    蒸気を煙に見たてたものです。
    だから、給水も要らないし、もちろん石炭燃料も要りません。

  • なんという運転席でしょう。プラ板張りです。<br />オリジナルにはガラス窓も何もなかったので、<br />寒さ除け?いや、盗難除け?<br />梅津寺の1号機は道後公園に保存されていた時に、<br />ひどい部品の盗難にあって、<br />3号機から部品をもらって梅津寺に移設されたのだそうです。<br />

    なんという運転席でしょう。プラ板張りです。
    オリジナルにはガラス窓も何もなかったので、
    寒さ除け?いや、盗難除け?
    梅津寺の1号機は道後公園に保存されていた時に、
    ひどい部品の盗難にあって、
    3号機から部品をもらって梅津寺に移設されたのだそうです。

  • 「坊ちゃん列車」が復活運行を始めた<br />翌年8月より2輌目の機関車が運行を開始しました。<br />1輌目は「1号機」、2輌目は「14号機」となっています。<br />それぞれの違いはいよてつのHPで写真付きで紹介されています。<br />https://www.iyotetsu.co.jp/botchan/about/spec.html<br />これを見ると、私が先程、走っているのを見たのは14号機で、<br />ここにいるのは1号機だということがわかります。<br /><br />このいよてつのHPには「坊っちゃん列車の転回」と題して、<br />松山市駅での「坊ちゃん列車」の転回の様子を図解しています。<br />客車と切り離した機関車は人力で方向転換をします。<br />転車台もないのにどうやって方向転換をするのかと思ったら、<br />機関車は自ら支点となる2本の棒を下ろし、<br />ジャッキアップされたような状態で、ぐるっと回るのです。<br />初めてこれを見た時は、あまりのお手軽さに唖然としました。<br />

    「坊ちゃん列車」が復活運行を始めた
    翌年8月より2輌目の機関車が運行を開始しました。
    1輌目は「1号機」、2輌目は「14号機」となっています。
    それぞれの違いはいよてつのHPで写真付きで紹介されています。
    https://www.iyotetsu.co.jp/botchan/about/spec.html
    これを見ると、私が先程、走っているのを見たのは14号機で、
    ここにいるのは1号機だということがわかります。

    このいよてつのHPには「坊っちゃん列車の転回」と題して、
    松山市駅での「坊ちゃん列車」の転回の様子を図解しています。
    客車と切り離した機関車は人力で方向転換をします。
    転車台もないのにどうやって方向転換をするのかと思ったら、
    機関車は自ら支点となる2本の棒を下ろし、
    ジャッキアップされたような状態で、ぐるっと回るのです。
    初めてこれを見た時は、あまりのお手軽さに唖然としました。

  • 新型LRT(低床式)車両5000形です。<br />平成28年12月、伊予鉄グループ本社ビル1階に<br />「坊っちゃん列車ミュージアム」が開館しました。<br />館内には、伊予鉄道1号機関車の原寸大レプリカが展示されています。<br />車輌部品・資料等も間近で見ることができます。<br />松山市駅前で、入場無料です。<br />

    新型LRT(低床式)車両5000形です。
    平成28年12月、伊予鉄グループ本社ビル1階に
    「坊っちゃん列車ミュージアム」が開館しました。
    館内には、伊予鉄道1号機関車の原寸大レプリカが展示されています。
    車輌部品・資料等も間近で見ることができます。
    松山市駅前で、入場無料です。

    道後温泉駅

  • 道後温泉本館へと繋がる商店街の入り口の脇に、<br />からくり時計があります。<br />その隣には足湯も。<br />

    道後温泉本館へと繋がる商店街の入り口の脇に、
    からくり時計があります。
    その隣には足湯も。

    放生園 公園・植物園

  • 17時になり、からくり時計が動き始めました。<br />屋根の下がせり上がり、3階部分が出て来ました。<br />2階の文字盤が回転して、「坊ちゃん」のマドンナが登場します。<br />

    17時になり、からくり時計が動き始めました。
    屋根の下がせり上がり、3階部分が出て来ました。
    2階の文字盤が回転して、「坊ちゃん」のマドンナが登場します。

  • それぞれの窓に「坊ちゃん」の登場人物が現れます。<br />1階は道後温泉本館ですね。<br />

    それぞれの窓に「坊ちゃん」の登場人物が現れます。
    1階は道後温泉本館ですね。

  • 道後温泉本館は現在工事中です。<br />商店街から出て、すぐ目の前の正面玄関から入ることは出来ません。<br /><br />

    道後温泉本館は現在工事中です。
    商店街から出て、すぐ目の前の正面玄関から入ることは出来ません。

    道後温泉本館 温泉

  • 平成31年2月より、左に回り込んだ北側に<br />臨時の入り口が設けられています。<br />1階の神の湯のみ、入ることが出来ます。<br />2~3階の障子部分で手塚治虫のオリジナルアニメーション<br />「火の鳥“道後温泉編”」が上映されています。<br />

    平成31年2月より、左に回り込んだ北側に
    臨時の入り口が設けられています。
    1階の神の湯のみ、入ることが出来ます。
    2~3階の障子部分で手塚治虫のオリジナルアニメーション
    「火の鳥“道後温泉編”」が上映されています。

  • 本館の工事中は、「道後温泉別館 飛鳥あすか乃湯泉」に入るという<br />選択肢があります。<br />2017(平成29)年12月に開館しました。<br />本館の復元のような建物です。<br />令和元年の大晦日は、道後温泉で終わります。<br />

    本館の工事中は、「道後温泉別館 飛鳥あすか乃湯泉」に入るという
    選択肢があります。
    2017(平成29)年12月に開館しました。
    本館の復元のような建物です。
    令和元年の大晦日は、道後温泉で終わります。

    飛鳥乃湯泉 温泉

  • 令和2年、明けましておめでとうございます。<br />松山市内に宿泊し、新しい年の一番手は、この黄色い機関車です。<br />なんと小児科の駐車場に設置されています。<br />

    令和2年、明けましておめでとうございます。
    松山市内に宿泊し、新しい年の一番手は、この黄色い機関車です。
    なんと小児科の駐車場に設置されています。

  • なんだか普通の機関車とは、随分違うみたい。<br />運転席に後ろから上る階段が付いているのは、初めて見ました。<br />

    なんだか普通の機関車とは、随分違うみたい。
    運転席に後ろから上る階段が付いているのは、初めて見ました。

  • 大きな煙突と黄色い車体が印象的なこの機関車は、<br />1919年H.Kポーター製。<br />

    大きな煙突と黄色い車体が印象的なこの機関車は、
    1919年H.Kポーター製。

  • H.K.ポーターは、1866年アメリカで創業した機械工場で、<br />翌年から機関車の製造をはじめ、<br />1878年に創業者の一人のヘンリー・カーク・ポーターが、<br />H. K. ポーターと改名した会社を運営しました。<br />約8,000輌の産業用の小型機関車を製造した後、<br />1950年で製造を終了しました。<br />H.K.ポーターの車輛は日本国内でも残っています。<br />もっとも有名な車体は、大宮の鉄道博物館の「弁慶」と<br />小樽市総合博物館の「しづか」でしょう。<br />

    H.K.ポーターは、1866年アメリカで創業した機械工場で、
    翌年から機関車の製造をはじめ、
    1878年に創業者の一人のヘンリー・カーク・ポーターが、
    H. K. ポーターと改名した会社を運営しました。
    約8,000輌の産業用の小型機関車を製造した後、
    1950年で製造を終了しました。
    H.K.ポーターの車輛は日本国内でも残っています。
    もっとも有名な車体は、大宮の鉄道博物館の「弁慶」と
    小樽市総合博物館の「しづか」でしょう。

  • 説明書きがないので、どういう経歴の機関車なのかわかりませんが、<br />輸入当時からは、随分と姿が変わったようです。<br />

    説明書きがないので、どういう経歴の機関車なのかわかりませんが、
    輸入当時からは、随分と姿が変わったようです。

  • 手作り感満載の運転席。外壁は木造に作り変えられています。<br />こんな修繕の仕方があるんですねえ。<br />

    手作り感満載の運転席。外壁は木造に作り変えられています。
    こんな修繕の仕方があるんですねえ。

  • 装置はほぼこれだけ。もともと単純な構造の機関車です。<br />

    装置はほぼこれだけ。もともと単純な構造の機関車です。

  • よく見えませんが、オリジナルのようです。<br />針の形が洒落ています。<br />

    よく見えませんが、オリジナルのようです。
    針の形が洒落ています。

  • ハチのような色柄だなあ。<br />小児科なので、子供向けの塗装にしたんでしょうね。<br />

    ハチのような色柄だなあ。
    小児科なので、子供向けの塗装にしたんでしょうね。

  • 新年らしい気持ちのいい青空に、黄色い車体が映えます。<br />この機関車で四国のSLはすべて訪れました。<br />四国は、お遍路さんや坂本龍馬ばかりでない、魅力の多い場所でした。<br />伊予西条駅の脇にある「鉄道歴史パーク in SAIJO」には、<br />新幹線の走ったことのない四国に0系新幹線があったりして、<br />おもしろかったです。<br />予土線には「鉄道ホビートレイン」として、<br />0系新幹線を模した車両も走っています。<br />今度四国を訪れる時には、ホビートレインに乗りたいと思います。<br />

    新年らしい気持ちのいい青空に、黄色い車体が映えます。
    この機関車で四国のSLはすべて訪れました。
    四国は、お遍路さんや坂本龍馬ばかりでない、魅力の多い場所でした。
    伊予西条駅の脇にある「鉄道歴史パーク in SAIJO」には、
    新幹線の走ったことのない四国に0系新幹線があったりして、
    おもしろかったです。
    予土線には「鉄道ホビートレイン」として、
    0系新幹線を模した車両も走っています。
    今度四国を訪れる時には、ホビートレインに乗りたいと思います。

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