2019/07/27 - 2019/07/27
145位(同エリア2331件中)
sio爺さん
山陰旅行2日目の行程は、午前中に出雲大社、午後から境港周辺ということで、出雲大社関係については既に投稿しているが、古代出雲歴史博物館については想像以上に素晴らしい展示なので、何れじっくりと・・・・・と思っているうちに半年以上経過してしまった。そこで今回、古代出雲歴史博物館に焦点を絞ってご紹介したい。
なおタイトルに「約1年ぶりの旅行は山陰地方」とあるが、2018年の姫路旅行に対して約1年ぶりで、もうすぐ2年ぶりになるため、アップが遅れてやや恥ずかしい気がする。
- 旅行の満足度
- 4.5
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出雲大社を参拝した後、古代出雲歴史博物館に向かう。出雲大社を背にして歩くと左側になる。
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古代出雲歴史博物館の外観
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入館して1階ロビーに入って中央付近に鎮座しているのは、出雲大社巨大本殿の柱(宇豆柱)で、出雲大社境内遺跡出土品として国の重要文化財に指定されている。
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説明文には「平成12年の発掘調査で径1,4mのスギ材が3本出土し、想像を絶するこの巨大な柱はどのような神殿を支えていたのであろうか。」と書かれ、それを検証・解明する展示物が館内に集中していた。
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常設展に入る
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出雲大社の創建を物語る「古事記」「日本書紀」。「古事記」「日本書紀」は奈良時代の成立だが、この書籍そのものは江戸から明治にかけての刊。
出雲で編纂された「出雲国風土記」には、大国主命の高天原への国譲りの代償として壮大な宮が造営される話が記されているそうだ。 -
いろいろな発掘物が展示されているが、
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気になるのは、やはりコレ。ここでしか見ることができない出雲大社巨大神殿の復元模型だ。
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画像左が平安時代の出雲大社本殿1/10の模型で、画像右側に見える5基は研究者たちの本殿模型だ。
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右側が藤澤彰博士の復元模型で、鎌倉時代で、全長129,59mで総高48m。
左側は宮本長二郎博士の復元模型で、鎌倉時代で、全長127,3mで総高47,9m。 -
縮尺はともに1/50で、復元の数値に多少の違いはあるが鎌倉時代には壮大な神殿が築かれていたことが想像される。
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1/50復元模型が5基あるうち、左の3基はこの画像だ。
左から三浦正幸博士の復元案で、全長37,385m、総高27,272m
画像中が浅川慈男博士の復元案で、全長42,064m、総高41,814m
画像右が黒田龍二郎博士の復元案で、全長49,061m、総高43,765m
何れも鎌倉時代の復元だ。
今の出雲大社は高さ24mということだから、左3基にしても相当な規模ということが想像される。 -
「金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)」(巨大本殿の設計図)(「玉勝間」)
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宣長も疑った巨大神殿
門人・千家俊信から送られた「金輪御造営差図」の写しを見た宣長は「心得ぬことのみ多かれど」といぶかしく思ったそうだ。宣長にしてすら想像を絶する図だったようだ。宣長の著作である「玉勝間」に記載されている。 -
「金輪御造営差図」(複製):昔の本殿の設計図と伝えらえる。
巨木3本を束ねて1本柱として、その柱9セットで本殿を支えているということ。 -
ということで、本旅行記冒頭でご紹介した3本の宇豆柱は平成12年からの発掘調査で出土した宇豆柱であり、出雲大社の宮司千家国造家に伝わるいにしえの出雲大社の本殿の設計図と一致したことになる。
入館時、そのようなことは知らなかったので、画像は何となく撮った1枚で、3本の柱になっているとは確認しづらい。 -
平安時代の出雲大社本殿復元模型(縮尺1/10)
高さ48mという学説に基づいて設計されているので、これなら階段の長さは1町規模となるだろう。 -
9本の柱はこんな感じで神殿を支えていたのだろう
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神殿をアップで
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江戸時代、寛文期の出雲大社本殿復元模型(縮尺1/150)
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現在の境内の景観と似ている。
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出雲大社の屋根にあった千木・勝男木で、奥の千木はレプリカだそうだ。
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1881(明治14)年遷宮の御用材で、1953(昭和28)年遷宮の際に撤下されたものと記載されている。
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ミニ企画 手銭家と文学
手銭家にはたくさんの古典籍や古文書が伝来し、これらの調査を続ける中で、江戸時代、大社を含め出雲地域でどのような文芸活動が行われていたのか少しずつわかってきたということだ。 -
右の4冊は、「百羅が大社に持ち帰ったと思われる落柿舎系の俳書の写本」
百羅とは、大社生まれの広瀬百羅のことで、18世紀半ばに京都で向井去来の甥から教えを受けて落柿舎系の俳諧を伝えた人物 -
「誹要辨(はいようべん)」
手銭家伝来の俳諧資料中、最も古い時期のもの -
「極秘誹諧初重傳(ごくひはいかいしょじゅうのでん)」
広瀬百羅の著書 -
「百人一首聞書」
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様々な古典籍のほか掛軸なども展示されていた。
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その後、「出雲国風土記」をもとに再現した人形像や
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土器などの展示が続き、
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金ピカの青銅器が見えてきた。2000年前の輝きを再現した復元品だ。
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そしてついにお目にかかったのが、この銅鐸だ。
「弥生人の至宝」とタイトルがついている。23号銅鐸 雲南市 加茂岩倉遺跡 弥生時代(紀元前2-1世紀)と記載され、文化庁所蔵の国宝だ。 -
本物が持つ迫力
「国宝 荒神谷青銅器」「国宝 加茂岩倉遺跡」の展示
今日の展示 荒神谷遺跡銅剣 国宝実物 319(他にレプリカ39)
加茂岩倉遺跡銅鐸 国宝実物 31(他にレプリカ8) -
エっ、まさか、本当?
これらは出土品で、実物国宝が319点 -
凄いとしか言いようがなかった。
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更に驚いたのはこれだ。実物の国宝銅鐸が31。
撮影は基本的にOKだが、ストロボNGなので画像は不鮮明。あの迫力と臨場感は、残念ながら写真ではお伝えできない。 -
いろいろな角度から撮ってみた。
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これだけの数の実物の国宝銅鐸が一堂に会するのを目の当たりにして、ただただ圧倒された。
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顔が描かれた銅鐸
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顔が描かれた銅鐸(説明部分拡大)
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鋳掛け
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鳴らした痕跡
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「卑弥呼の鏡」か
「景初三年」を含む41文字が鋳出された「三角縁神獣鏡」。景初三年は邪馬台国の女王・卑弥呼が中国の魏に使いを送り、銅鏡100枚を賜った年とされているようなので、そのうちの1枚かも? -
奇跡の輝きを今に伝える。古墳時代(6-7世紀)の太刀で、国重要文化財に指定されている。
(注) 島根県立古代出雲歴史博物館のHPには、
2019年11月18日~2020年4月23日 島根県立古代出雲歴史博物館の休館について
と記載されているので、ご注意ください。
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