2019/09/27 - 2019/09/27
1126位(同エリア16389件中)
関連タグ
frau.himmelさん
- frau.himmelさんTOP
- 旅行記571冊
- クチコミ0件
- Q&A回答14件
- 916,387アクセス
- フォロワー134人
9月26日、フランスのジャック・シラク元大統領がお亡くなりになられました。86歳でした。
シラク元大統領は皆様もご存じのように大変親日家で知られています。
訪日は公私合わせて50回近くにも及び、日本の伝統文化にも大変造詣が深く、特に大相撲の大ファンだったことは有名です。シラク氏がパリ市長・フランス大統領在任中に2度、大相撲パリ公演が実現しております。また愛犬の名前も「スモウ」だったとか。
シラク氏が現役を引退されてからと言うもの、しばらくお名前を聞きませんでしたが、私は半年前に思いがけずそのお名前に拝していたのです。
東京都庭園美術館にフランスの彫刻家ザッキンが制作した「住まい」という現代彫刻が置かれています。プレートには東京都とパリ市の友好都市の絆として、当時パリ市長であったジャック・シラク氏から東京都に贈呈されたものと記されていました。
ジャック・シラク・・・、懐かしいお名前です。
なお、シラク元大統領から贈られたザッキンの彫刻は隅田川に架かる中央大橋上にも設置されています。
実のところ今回は、数多あるパリの有名美術館の中から、どちらかと言えばマイナーな「ザッキン美術館」に行く選択肢は全くありませんでした。
しかし、私たちがパリに滞在中にお亡くなりになった、日本人にもなじみの深かったジャック・シラク氏の追悼のために、予定を変更して「ザッキン美術館」を訪れることにしました。
*旅行記の日付が前後します。申し訳ありません。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
9月26日夜、パリ市内観光からホテルに戻りテレビを点けたら見覚えのあるお顔が映りました。
フランスの元大統領であったジャック・シラク氏が本日9月26日お亡くなりになったそうです。86歳でした。 -
シラク元大統領と言えば、日本でも特に馴染みのある方です。
日本文化に大変造詣が深く、特に大相撲の大ファン。在任中に2度の大相撲パリ公演が実現しております。
シラク元大統領死去の際には、相撲協会の八角理事長も追悼の意を述べています。
そういえば、最近は大相撲の海外公演の話は聞きませんね~。 -
2007年に政界を引退されてからは話題に上ることも少なくなりましたが、なんでもアルツハイマーを患っていらっしたそうです。
いずれ追って国葬が執り行われるとのことです。 -
実は私は半年ほど前に、ジャック・シラク氏のお名前に拝しているのです。
桜が満開の3月のある日、私は東京白金にある東京都庭園美術館を訪れました。
庭園美術館は旧朝香宮のお屋敷だったところで、現在は都立美術館として公開されています。 -
館内はさることながら、手入れの行き届いた庭園も定評があります。
四季折々の花々が訪れる人の心を和ませてくれ、まさに都会のオアシスです。
私はそこで不思議なモニュメントを見つけました。 -
モニュメントのプレートにはこんな文字がフランス語と日本語で記されていました。
「東京都とパリ市の友好都市協定は、1982年7月14日、鈴木俊一東京都知事及び、ジャック・シラクパリ市長により調印された。
「住まい」と題するこの彫刻は、1963年ザッキンが制作したものであり、両都市を結ぶ友好の絆の象徴としてパリ市から東京都に寄贈されたものである。
1989年10月」
ジャック・シラク・・・。
最近こそ余りお名前は聞きませんが懐かしい名前です。 -
1963年にザッキンが制作した彫刻は、私が最も不得手とする現代彫刻。
ゴツゴツしてガチガチして何がなんだかわからない。
これが「住まい?」って思ったものでした。
しかしじっと見つめているうちに、温かみがあってユーモアがあって、みんなで住まいを守っている・・・、そんな意図が感じられるようになったのですから、やはり芸術家の力って凄いですね。 -
ジャック・シラク氏の死去がなかったら、すっかり忘れていたオシップ・ザッキン(1869-1967)。
ロシア生まれのフランスの彫刻家。キュビズムの彫刻家と言われる。
ザッキン自身も親日家として知られ、藤田嗣治はザッキン夫妻が結婚する際の証人を務めています。
また二科展に何度も出展し、彼の多くの作品が日本に残っています。 -
1937年に制作された「メッセンジャー」。
パリ万博に出展されたものでしたが、これもパリ市長であったジャック・シラク氏より東京都に贈呈され、中央大橋上に設置されています。
これは隅田川とセーヌ川との間に1989年に友好河川協定が結ばれ、記念として贈られたものです。
*写真はネットより拝借 -
さて前置きが長くなりましたが、9月27日、パリ市内をいくつか観光した後「ザッキン美術館」へ行くことにしました。
シラク氏がお亡くなりにならなかったら訪れることのなかった「ザッキン美術館」。
夫に言っても「ザッキン?なにそれ?」でしょうし、パソコンで「ザッキン」と検索するとまず最初に「雑菌」と出てくるし・・・。
ホテルの無料wifiで調べると、場所はモンパルナスの便利なところにあるようです。それに嬉しいことに入場料も無料とのこと。 -
メトロ4号線「ヴァヴィン駅」が最寄りの駅。
地上に出ると、賑やかなモンパルナス大通り。
1930年代のモンパルナスは多くの芸術家たちが集う地域だったそうです。
駅近くにロダン作「バルザック像」がありました。
正面から撮れなくて顔が歪んで見えます。それに身体も曲がっているよう。 -
振り向くとモンパルナスタワーが。
付近の大きな建物を見ても、歴史的な古い街だということが判ります。 -
ザッキン美術館はどこだろう?
大通りからちょっと路地を入ったところで通りすがりのおばさまに尋ねました。
メジャーではないせいか、私たちが示した地図を見てちょっと考えて教えてくれました。 -
ザッキン美術館は通りに面してひっそりと佇んでいました。
-
白い壁の瀟洒な家、中庭には木々が生い茂り、なかなか風情がある邸宅です。
現在ザッキン美術館となっているこのお屋敷を、ザッキンは1928年に手に入れました。そしてアトリエ兼自宅として使っていました。 -
しかし、フランスにもナチスの不穏な足音が聞こえてくると、彼自身がユダヤ人という出自もあり、1941年~1945年の間アメリカのニューヨークに移り住みました。
終戦後再びパリに戻り、ザッキンはお気に入りのこの家で生涯制作活動を続けました。
ザッキン亡きあと、妻の遺言でザッキン美術館として公開されることになりました。
写真はモンパルナスの自宅で製作をしているザッキン(絵葉書より) -
さて、では入場します。
昨夜調べた美術館案内には入場料は無料とあったし、お構いなくずんずん入っていく私。
そこに東洋系らしい若い女性が「あの~、チケットを・・・」と追いかけてきました。
「あら~有料だったの、ごめんなさい」赤面する私。
もしかしてこの女性・・・、
ザッキンは大変な親日家だったことを思い出しました。この東洋系の係の女性はもしかして日本人かしら。
「日本人の方ですか?」って聞いたら「いいえ、韓国人です」と、日本語で答えてくれました。
感じのいい女性でした。 -
チケットは一人8ユーロ、やっぱり特別展をやっていました。
特別展のテーマは「LE RÊVEUR DE LA FORÊT:森の夢想家」。
日本語の題名は翻訳機にかけたものです(笑)。
何でも40人のアーティストの森に関連する作品が100点以上も展示されているのだそう。
中にはピカソやゴーギャン、ロダンなどの作品もあったそうだけど、人が多くて写真を撮るのが憚れるほど・・・。
辛うじて撮影できたいくつかの作品を見ていきましょう。 -
展示室の最も目立つ出窓にはこの作品。
ジェルメール・リシエ(1904-1959)フランスの女流彫刻家の作品。
題名を付けるとしたら「黄金バット」かしら? -
モーリス・ド・ヴラマンク(1876-1958)の絵皿
森の中で笛を吹いている女神像 -
セラフィーヌ・ルイ(1864-1942)フランスの画家。
鮮やかな色彩の絵です。
森の中に妖怪が棲んでいそうな恐怖を覚えます。 -
カレル・アペル(1921-2006)
この色鮮やかな鳥はフクロウ。
特別展は、若い人にもお年寄りにも年代問わず人気でした。 -
アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966)
彼の作品の特徴である針金を長く伸ばしたような人物像。
わからん・・・。 -
まさに森の木立、白樺でしょうか?
こういう普通(?)の作品を見るとホットします。
作者は調べられませんでした。 -
さて、オシップ・ザッキンの作品です。いろんな素材で彫られています。
題をつけるなら、まとめて「人体の森?」 -
その他のオシップ・ザッキンの作品。
裸体像はたぶん「水を運ぶ女性」。同じものが後で出てきます。
あとの2つは何がテーマなのかさっぱりわかりません。 -
「ぶどうの収穫」オシップ・ザッキン作。
1本のぶどうの木に複数の人物が彫りこまれているのだそう。
絵葉書より。 -
わからない現代作品を首を捻りながらあれこれ考えて、疲れてしまいました。
息抜きに中庭に出ます。
ザッキン美術館は庭園も需要な展示場。緑豊かなお庭のアチコチからザッキンの作品がひよっと出てきて驚きます。
手前の像は「水を運ぶ女性」(1927)。
室内にも同じ題材の木彫の裸体像がありました。 -
明るい光が射し込むアトリエの前には「破壊された都市のトルソー」(1947)。
第二次大戦時、ナチスドイツ軍に爆撃されたオランダのロッテルダムの悲惨さに衝撃を受けて制作したものだそうです。
両手を天に突き上げ慟哭しているかのような男性の胴体、戦争は二度と起こしてはならないというザッキンの意志を感じます。
ザッキンの代表作だと言われています。 -
「オルフェウスの像」(1956)。
オルフェウスはギリシア神話に出てくる吟遊詩人。 -
左は「人間の森」(1957-1959)
右に小さく見えるのは「植物の手」(1957-1958)。
難しい~~。
もともと審美眼がないと自認している私、キュビズムの作品は最後までよく判りませんでした。 -
東京の庭園美術館の「住まい」は、どちらかと言うとこの「人間の森」に一番近い様な気がします。
でもやっぱり私は東京の「住まい」の方が好きだな~。
きっとシラク元大統領は、大好きな日本のために数あるザッキンの作品の中から、一番お気に入りの作品を選んで贈ってくれたのでしょうね。
なんて勝手に想像しています(笑)。 -
ザッキン美術館を後にして・・・。
-
ザッキン美術館に行かれる方のために、グーグル地図を貼り付けておきます。
-
美術館の目の前はたくさんの煙突が並んだ歴史ある建物。どこかの学校だと思われます。
その先を少しだけ北へ移動するとそこはリュクサンブール公園です。
私たちはリュクサンブール公園へは行かないで地下鉄駅へ引き返します。 -
最寄りの地下鉄4号線「ヴァヴィン駅」の近くのお花やさんで「竹」と「菊の花」を見かけました。
思わぬところで日本に出合った私、
親日家のザッキンの作品を日本にプレゼントしてくれた、日本びいきだった故シラク元大統領に捧げるお花として、これ以上相応しいものはないのではないかしら、
なんてこじつけて考えてしまいました。
シラク元大統領、安らかにお眠りください。 -
駅前のロダンが制作した「バルザック像」。
今度は正面から撮れましたが、やっぱりバルザックの顔は歪んで見えました。
まるでキュビズムの彫刻のよう(笑)。 -
ザッキン美術館の後はエッフェル塔を見に行きます。
パリ最大の観光名所、エッフェル塔くらいは見ておかなければね、と言っても塔に登るわけではありません。
私は一度登っていますし、夫は高いところよりエッフェル様が造られた最高傑作を近くから眺められたらそれでいいのです。
地下鉄のエコール・ミリテール駅で下車します。 -
地上に出ると宮殿のような左右対称の立派な建物。
エコール・ミリテールと言うのは旧陸軍士官学校のことです。 -
18世を紀末にルイ15世の命で、貧しい貴族のための士官養成学校として設立されたそうです。
学校設立に特に熱心だったのは、愛妾ポンパドゥール夫人だったとか。資金難の折には多額の援助も惜しまなかったそうです。
建物の装飾も贅を尽くしたものです。 -
最もここを有名にしたのは、かのナポレオン・ポナパルトが在籍していたということ。
現在も陸軍軍関係の機関と士官養成所として使われています。 -
旧陸軍士官学校の前の騎馬像。
この士官学校(エコール・ポリテクニック)を卒業し、第一次世界大戦初期の陸軍総司令官だったジャック・ジョッフル元帥(1859-1931)。
手にしているのは元帥杖。 -
そして、ジャック・ジョッフル元帥の騎馬像の目の前にはエッフェル塔と、その手前のモニュメントは「平和の壁」。
-
平和の壁の隙間からエッフェル塔を撮るのがベストスポットとか。私もマネをします。
平和の壁は2000年のミレニアムモニュメントとして造られたものです。
アクリル板には49の言語で「平和」の文字が刻まれています。
世界中の人々の平和の願いが込められているのですね。 -
壁の間を通り抜けることができないので回り込んで背後から。
この壁を破壊する輩が続発して、今はバリケードで囲まれて近づくことができないのです。
「平和」という言葉は壁だけでなくポールにも刻まれています。
だけどバリケードの中の「平和」。なんかむなしい。 -
エッフェル塔を正面からとらえます。
エッフェル塔と旧陸軍士官学校の間の広場はシャン・ド・マルス広場。
士官学校の練兵場だったところです。 -
広場ではみんな思い思いに過ごしています。
私たちも近くのベンチに座りました。
その昔、ここにはジャガイモが植えられていたとか。
マリー・アントワネットはジャガイモの花が大好きで、髪や服に飾っていましたね。
あの紫色の花もここで摘まれたものかな~。
また「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったそうですが、その時代の深刻な食糧危機の時には大勢の人々が助かったのではないかしらと思いを巡らせたり・・・。 -
エッフェル塔の下ではテントが張られて何かイベントをやっているみたい。
「どうする、あの下まで行きますか?」。
広場のベンチでまったりしていたら、大勢の人ゴミの中に突入するのが面倒くさくなりました。齢には逆らえません。 -
エッフェル塔が正面からこんなにきれいに見えたからもういいね。
フランス革命100周年の記念として、またパリ万博の目玉として1889年に造られたエッフェル塔。
アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェルによって造られました。
私たちはエッフェル塔に背を向けて地下鉄駅へ向かいます。
この旅行記のタグ
関連タグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- ぶどう畑さん 2019/11/21 09:59:31
- あの像が…
- himmelさん
ぶどう畑です。
隅田川に架かる橋の像がそうだったんですね。
あの近くに会社のビルの1つがあり、家から片道2時間の通勤時間でしたが、何年か通っていました。
まさに「痛勤」でしたが、せっかくだからと、会社の周りを探索して、洲崎神社の波除の碑に驚いたり、門前仲町の富岡神社を参拝したり。
佃島のフレンチに行った時、茅場町駅に行く途中で見かけたのが、あの「メッセンジャー像」。
橋から見ると後ろ姿なんで、「船からしか、正面見えないじゃん」、なんて思ったものです。(^^;
しかし、よくザッキン氏の美術館がパリにあるとわかりましたね~!
- frau.himmelさん からの返信 2019/11/21 22:16:48
- RE: あの像が…
- ぶどう畑さん、こんばんは。
あら、中央大橋のメッセンジャー、ご存じでしたか?
私はこの度存在を知ったばかりで、まだ見ておりません。
パリ万博に出展されたものをシラクさんが東京にプレゼントしてくださったものだそうです。
そうですってね、橋からは正面が見えないんですってね。
ザッキンさんの像はその他にもいろいろあるらしく、神田駿河台にもあるそうです。
とりあえずは神田と中央大橋は行こうと思えば何時でも行けますので、暇を見つけて雑菌像に会いに行きたいと思っています。乗りかかった船ですから。
ザッキン美術館がパリにあると知ったのは、3月に庭園美術館でザッキンの像を見てから、興味をもって調べてみたのです。
ザッキン、雑菌なんて出てきましたけど、私が知らなかっただけでザッキン氏が有名な彫刻家だと知りました。でもパリに行ったとしてもわざわざ訪れるほどではないなと思っていましたが、ひよんなことから行ってまいりました。
ぶどう畑さんは今回はパリは諦めるのですか、残念ですね。
フランスの交通スト、早く回避されるといいですね。
himmel
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
frau.himmelさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
49