2019/09/27 - 2019/09/27
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今回はのんびりとパリで美術館や博物館めぐりをしよう・・・、それが目的でパリ入りをしたのでしたが、モンマルトル博物館を訪れる予定は全くありませんでした。実はお恥ずかしいことにそんな博物館があることさえ知らなかった。
パリ往きのANAの機内であのビデオを見るまでは・・・。
ANAの機内でやっていた「モンマルトル博物館」のビデオ、これを見た夫が、「ここに行こう!」と言い出した時には、え~っ、スケジュールが狂うじゃない、と内心苦々しく思ったものでしたが、結果、行ってよかった。
その代わり、予定していたルーブル美術館には行けなくなってしまいましたが・・・。(まあいいか、夫も私も何度か行っているし・・・)
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サクレクール寺院を見学して、10時になったのでモンマルトル博物館にやってきました。
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博物館の壁には、かつてこの場所を住居あるいはアトリエとして使っていた画家たちや文化人たちの名前が。
○ルノワール
○マキシミリアン・リュス「1871年パリコミューンの犠牲者」を描いた画家(既出)
○エミール・オトン・フリエス(1879-1949)画家
○ラウル・デュフィ(1877-1953)私は昔からこの画家の静かな絵、特に楽器など音楽関係の絵が大好きでした
○エミール・ベルナール ポン・ダヴァン派(既出)
○フランシスク・プールボ(1879-1946)
○シャルル・カモワン(1879-1965)
○シュザンヌ・ヴァラドン
○モーリス・ユトリロ
○アンドレ・ユッテル(1886-1948)ヴァラドンの夫、ユトリロの親友だった
○アンドレ・アントワーヌ(1858-1943) 俳優
○レオン・ブロア(1846-1917)小説家
○ピエール・ルヴェルディ 詩人
○デメトリオス・ガラニス(1879-1966) -
受付で入場料を払って、まずお庭から見学します。
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受付でいただいた地図。
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まず目に入ったのはルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレットのダンスホール」のパネル。
この絵は、ここにあったルノワールのアトリエで描かれました。
と言うのは、この絵は131×175もある大きな絵。絵を描く度にこの大きな絵を持ち運びできません。
そこでダンスホールにはこの半分くらいの小さな絵を持ちこみ、それに絵を描き、それを持ち帰ってアトリエで大きな方の絵に再び絵を描くという方法を取ったそうです。 -
ここで面白いのは、大きな絵はルーブル美術館にありますが、小さな方の絵は、日本の齋藤了英氏が高額で落札したそうです。
しかしバブルがはじけ外国へ流出。
今はスイスの個人蔵になっているとか。
たしかこの齋藤氏、ゴッホの絵も目の玉が飛び出るくらいの高額で落札した人でしたね。 -
この庭はルノワールの絵画を基に設計されています。
「ルノワールの庭」と呼ばれています。
緑のアーチをくぐると・・・。 -
洋ナシやアーモンドの木が茂っています。とても落ち着いた庭です。
アーモンドの木の下には、実がいっぱい落ちていますね。 -
その先にはブランコが。
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ルノワールの「ブランコ」もこの庭で描かれました。
下の写真はオルセー美術館の絵。
このブランコの絵も上の「ムーラン・ド・ラ・ギャレットのダンスホール」も印象派展に出展されましたが、余り人気がなく・・。
この2点ともカイユボットに買い取られて(既出)、オルセー美術館に寄贈されたのでした。 -
緑のアーチのそばに別な絵がありました。
シュザンヌ・ヴァラドンが描いた「コルト通り12番」。
シュザンヌ・ヴァラドンは息子モーリス・ユトリロと共に、ここ「コルト通り12番」にアトリエ兼住居を置いていました。 -
モンマルトル美術館はモンマルトルの丘で最も古い3つの邸宅の敷地に1959年に設立されました。
ヴァラドンやユトリロが住んでいたこの建物はベルール邸。
今は博物館の常設展の会場になっています。 -
そののお隣のこの建物はドゥマルヌ邸、ここにはかつてモリエール劇団の俳優や、ゴッホの絵で有名な、画材商のタンギー爺さんが住んでいました。
現在ここでは企画展が開かれます。 -
シュウメイギクが咲いている小路を進むと・・・。
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フランシスク・プルボの胸像。
可愛い子供たちの絵を描くイラストレーター。
モンマルトルの子供たちに慕われていました。
彼の胸像がどうしてここにあるのか?後ほどわかります。 -
階段を降りて下へ行きます。
鬱蒼と茂る庭。
この庭園はパリ市の環境保護地域に指定されているそうです。 -
ルノワールもこの庭の絵を描いています。
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その下にはモンマルトルのブドウ畑が広がっています。
先ほどのプルボの胸像からもここが見えます。
ここモンマルトルの丘は、1860年パリ市に併合されたのを機に、高級住宅地として不動産投機の対象となりました。
プルボほかモンマルトルに住む芸術家たちが中心となり、昔の面影を残そうと立ちあがりました。
人々はこの広場にブドウの苗を植え、以来モンマルトル唯一のぶどう畑として残ったということです。 -
プルボの胸像からこのぶどう畑が見渡せます。
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ぶどう畑の下には、パリで現存しているものとしては最も古いキャバレー「オ・ラパン・アジル:跳ねうさぎ」が見えます。
プルボやユトリロなどの画家が通いました。 -
「オ・ラパン・アジル」の前に見えるのは「サン・ヴァンサン墓地」。
ここにユトリロが眠っています。
さっきあの近くを通ったのに・・・(泣)。 -
あ~~ビックリした~。
茂みからウサギが跳ねて出てきました。
「オ・ラパン・アジル」の看板のパネルです。 -
ヒイラギの赤い実や、バラの花や、東屋など。
この庭、とっても気持ちいい。 -
それでは3つ目の建物、博物館にはいりましょう。
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ここでは、当時の写真や絵画でモンマルトルの歴史が語られます。
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モンマルトルは長い間パリ郊外の農地であり、ブドウ畑と風車がシンボルでした。
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丘の上の大修道院や雑木林、採石場、風車があったかつてのモンマルトルの風景。
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19世紀半ば、ナポレオン3世の指示でオスマン男爵によってパリ改造が進められました。
多くの市民が家を失い、パリ近郊への移転を余儀なくされました。
その移転先の一つがモンマルトルでした。
絵は、パリ改造が行われたパリ市内をモンマルトルの丘から眺めているところ。 -
当時モンマルトルはパリ市に含まれず、パリの税金が適用されませんでした。
また長年ぶどう畑で修道女たちがワインを作っていたこともあり、19世紀から20世紀初頭、急激にモンマルトルにいくつものキャバレーが造られて、人々が多く集まる歓楽街になっていきました。
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」 -
フランスは1871年の普仏戦争での敗戦、それに続くパリ・コミューンにより、多くの犠牲者を出しました。
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1876年から1912年にかけて、それら多くの犠牲者への償いとして、一般人の寄付によりサクレクール寺院が建設されました。
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上階はモンマルトルに花開いたキャバレーの全盛時代について取り上げています。
モンマルトルはパリ市の税金が適用されず酒税が安かったこともあり、多くのキャバレーや飲み屋が開店しました。
また人々も安い酒を飲みに、そんなお店に足を運びました。 -
まずは、1882年にできたフランス初のキャバレー「ル・シャノワール:黒猫」から。
店の名前は当時人気があったエドガー・アランポーの小説「黒猫:シャノワール」から。
ボヘミアン芸術家、ルドルフ・サルフが詩人のエミール・グードーに協力を求めて開業しました。
エミール・グードーはアトリエ「洗濯船」の前のエミール・グードー広場に名を残しています。
この黒猫の絵は、パリ市内を歩いていると良くお土産屋さんなどで見かけますね。
スタンラン作『ルドルフ・サリスの「ル・シャ・ノワール」の巡業』(1896) -
サルフとグードーは、作家や画家のエスプリあふれる会話を売りとする新しい文化的な酒場を創りました。
そして多くの芸術家・文人たちをモンマルトルに引き込むことに成功します。
「黒猫が月と戯れている絵」。 -
また、前衛的な芸術家や文人らも集まり、退廃的で前衛的なキャバレー文化が栄えます。
「ル・シャ・ノワール」の内装に使われたアドルフ・ウィレット (1857-1926) の絵 -
特に、アンリ・イヴィエールの亜鉛版のプレートを利用して上映される「影絵劇場」は大変な人気を博しました。
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テアトール・ドンブル(影の劇場)で影絵の上映会が開催されている様子。
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ル・シャノワールの店先での記念撮影
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部屋の隅には、実際のバーカウンターが造られていました。
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「美しき居酒屋のおかみ」マルセル・ルブラン
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壁にはピアノが置いてあります。
ル・シャノワールはピアノを置くことを初めて許可されたキャバレーです。
専属音楽家だったエリック・サティ(1866-1925)やクロード・ドビュッシー(1862-1918)、彼らはこのピアノで作曲をすることもあったそうです。 -
モンマルトルにはいくつものキャバレーが軒を連ねていました。
見覚えのある「オ・ラパンアジル」看板。
アンドレ・ズル(1840-1885)作 -
「オ・ラパンアジル」に集まった人々(1905年)。
この中に、フランシスク・プルボやデュフィの姿もあるそうです。 -
「ディヴァン・ジャポネ」。日本の長椅子という意味。
カフェ・コンセールのポスター。 -
当時、パリではジャポニズムが大流行していました。
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ロートレックも「ル・ディヴァン・ジャポネ」のポスターを描いています。
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック作「ル・ディヴァン・ジャポネ」1893
ネットよりコピー -
「バル・タバリン」、ジュール・アレクサンドル・グリュンのポスター。ヴィクターマセ通りにあるキャバレー。
余談:このキャバレーでダンサーとして出演していたフローレンス・ワレンはユダヤ人でした。
ナチスによるパリ占領時代、彼女は数か月の間抑留されました。
その後釈放され、バレ・タバリンに戻り有名になった彼女は、ユダヤ人の逃亡やレジスタンスの手助けをしました。
ここにも「シンドラー」がいました。 -
「ムーラン・デ・ラ・ギャレット」のポスター。
窓に光が反射して見難い写真で申し訳ありません。 -
「フォリー・ベルジェール」ジュール・シェレ作。
現在も営業しているパリで有名なミュージックホール。
モデルはアメリカのダンサー「ロイ・フラー」 -
「ニューアテネ カフェ」1896
Augste Rosdel(1859-1900)。
当時印象派の画家たちが集まったカフェ。
素敵なポスターがいろいろありますね。 -
さて、大勢の文化人・芸術家が集まるようになった「ル・シャノワール」。
手狭になったため移転することになりました。その後を手に入れたのはアレスティード・ブリュアン。
あの後姿は! -
モンマルトルを歩いているとあちこちで眼にする後姿。
この後姿の人物こそブリュアンなのです。
彼はル・シャノワールを改装して「ル・ミルリトン」を開店しました。 -
赤いスカーフと黒い帽子、それに濃紺のコート。
ロートレックが描いた「アリスティード・ブリュアン」。
アリステート・ブリュアン(1851-1925)はシャンソン歌手。
彼が歌う痛烈な社会批判、政治批判、ブラックユーモアを交えた歌は話題を呼び、キャバレーはいつも大入り満員。
貴族の出でお坊ちゃまだったロートレックを、夜の歓楽の世界に引き込んだのもブリュアンでした。 -
親友ブリュアンの協力で、ロートレックはモンマルトルの夜に生きる人物を生き生きと描いています。
キャバレー「ムーランルージュ」から依頼されたこのポスターは、彼を一躍人気者にしました。 -
Félicien Champsaurの小説「ダンサーの恋人」より
ジュール・シェレ(1836-1932)
ダンサーの傍にはいつも黒服がついていますね。 -
酒場で語り合う紳士と女性。
Pierre de Belay(1890-1947) -
ル・シャノワール経営者サリスは、手狭になった前の店をブリュアンに譲って、ラヴァル通り12番地に新しいシャノワールを開店しました。
その際、前の店の協力者だったグードーは経営の意見の違いで辞めています。
いろんな表情の黒猫たち。 -
キャバレーだけでなく、文化的にも大きな貢献をしたル・シャノワールは、商業的にも成功を収めました。
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ル・シャノワールの絵やポスター
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機関誌、小説や詩なども発行された。
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なぜだか花の絵
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ル・シャノワールの歌ができたり
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エリック・サティとドビュッシーの写真、1892年。
長い間、芸術・文化を発信してきたキャバレー「ル・シャノワール」は、1897年のルドルフ・サルフの死去により幕を閉じました。 -
モンマルトルのキャバレー文化の最後はやはり「ムーラン・ルージュ」ですね。
モンマルトルのブランシェ広場に1889年にオープンしたキャバレー「ムーランルージュ」、「赤い風車」という意味です。
フレンチカンカンで人気を博し、ロートレックが踊り子たちをモデルに数々のポスターを描いています。
戦後はエルビス・プレスリーやフランク・シナトラも出演したそうです。今でもパリ観光の人気スポットの最たるものです。 -
写真の数も多くなりましたので、ここらへんでいったん終わらせます。
前にここを訪れた方のブログでは写真撮影は禁止だったとか。
それを聞くと、私はいい時期に訪れたなぁと思います。
当時の貴重なポスターや写真などどれもこれも撮りたくなるものばかりでした。
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この旅行記へのコメント (4)
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- ハッピーねこさん 2020/01/17 23:58:02
- 素敵な博物館ですね。
- himmelさん、こんばんは。
遅ればせながら、今年もよろしくお願いいたします。
さて、モンマルトル博物館、素敵ですね。
所蔵品はもちろんのこと、建物もお庭もいい雰囲気。
私もはるか昔にパリを訪ねた際、モンマルトルにも行ったのですが、こんな博物館があるとはつゆ知りませんでした。
あの頃はまだまだネットも今のように発達・充実しておらずガイドブックだのみでしたので、それに載っているスポットをさらっと歩いたのみで。
himmelさんはANAの機内で貴重な情報を得られましたね。
そしてご主人の「ここへ行ってみよう」とおっしゃった一言で、この素敵な博物館に出会われた。
旅のオーソリティのなせる業、ですね。さすがです。
今年もそういう旅の醍醐味をhimmelさんのご旅行記でたっぷり見せて(魅せて)いただけるものと楽しみにしております。
終末は冷え込むようですのでご自愛下さい。
ハッピーねこ
- frau.himmelさん からの返信 2020/01/19 00:26:01
- RE: 素敵な博物館ですね。
- ハッピーねこさん、今年もよろしくお願いいたします。
いつもコメントありがとうございます。
最近は旅行記アップの間隔も長くなり、1本仕上げたら疲れてくたーっとなってしまう感じがします。齢ですね〜〜。
モンマルトル博物館のことは出発前は全く知りませんでしたが、本当に良かったです。
お庭も素敵でしたし、展示なども美術館とは異なり、ユトリロとヴァラドンのアトリエが再現してあったり、昔の貴重な写真が展示してあったり、大変楽しめました。
ANAの機内ビデオを見なかったらたぶん行かなかったでしょうから、当分スタアラから抜け出せません(笑)。
ハッピーねこさんは旅行記は完結されて、今は忙中閑ありってとこでしょうか。
先日見せていただいたアウクスブルクのご旅行記、懐かしいところがいっぱい!
バウエルンタンツへいらっしゃったのですね。そうそうあの陶器のグラス、店内もちっとも変わっていない・・・、なんてもう一度行きたくなりました。
ハッピーねこさんは今年の計画を立てていらっしゃる頃でしょうか。
また楽しい旅になさるのでしょうね。
こちら関東も今朝がたちらちらと雪が舞っていました。
どうかお風邪など召されませんように。
himmel
-
- norisaさん 2020/01/16 06:56:34
- ルノアールにデュフィ!
- frau himmelさん
おはようございます。
今年もよろしくお願いいたします。
モンマルトル博物館っていうのがあるのですね!
ルノアールのこの名作がここで描かれたとは知りませんでした。
デュフィはじめ多くの芸術家のアジト?だったのですね。
モンマルトルの成立の経緯やその後の繁栄もよくわかりました。
ムーランルージュにル・シャノワールなど有名ながらよく知らなかったモンマルトルの繁栄を教えて頂き感謝です。
このパリで熱狂的に賞賛されたジャポニズムの風潮が今のフランス人の日本びいきに通じているのかと思うと一層親しみが湧きましたーーー。
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2020/01/16 22:03:33
- RE: ルノアールにデュフィ!
- norisaさん、こんばんは。
こちらこそ、今年もよろしくお願いいたします。
さて、いつも早くに見ていただいてありがとうございます。
昨夜眠くなってしまい途中で投稿してしまいましたので、不完全なものをお見せして申し訳ありませんでした。
モンマルトル博物館、なかなか面白かったです。
名前だけ見知っている有名な、あの画家この画家の古い写真なども展示してあり、これ貴重なものだろうなー、と思いながらバシャバシャ撮影してまいりました。
デュフィなんて日本ではあまり取り上げられない人の名前が出てきたり、
私はこの人の絵が大好きです。特に楽器の絵が。
ルノアールやロートレックの表向きではない影の姿とか、今回いろいろ知りました。
次回は、別な観点からこれらの画家たちのことを取り上げてみたいと思っています。
その節もよろしくお願いいたします。
himmel
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