1977/09/14 - 1977/09/15
73位(同エリア2403件中)
ほいみさん
東西冷戦の象徴のひとつだった、ベルリンの壁が崩壊して30年なんだそうだ。1977年に見たベルリンの壁・・・まさかネットを通じてアップ出来る時代が来るとは。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.0
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1977年、ほいみ青年はこんなに身軽に、ヨーロッパを旅してたさ・・・23歳だよ。
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フィンランドで友達になったベルギー人の家に行ってみた。
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泊ってけよ・・・って言われて、遠慮なく泊まってしまうのが若さ!?
-
その後、列車でベルリンに向かった。
当時の東ヨーロッパは、旅行することがとっても面倒臭くって、このちょっと前にハンガリー・チェコスロバキア・ポーランドを回ってイヤになり、西ヨーロッパに戻っていた。
やっぱ、ベルリンだけは見ておこうか…ってことで、ケルンから列車に乗った。 -
西ベルリンは普通の大都市だった。
もちろん、目的は東ベルリンに行ってみることだった。 -
当時のブランデンブルグ門。
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西側からは、物見台に上ると、東ベルリンをのぞき見することが出来たが、東側はバリゲートが築かれ、クルマでも突破できない。
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この先、壁あり行き止まり!
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観光客が東ベルリンに行くには、このチャーリーチェックポイントを通るのが一般的だった。
YHに荷物を置いて、財布とカメラだけを持っていただけだったので、簡単に通過。 -
東ベルリンに一歩入ると、色彩が乏しく、雰囲気も暗い。
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斬新なTV塔だけが目立つ。
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建物には弾痕が・・
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西ベルリンが華やかだっただけに、その落差に驚く。
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この子はクルマのステッカーを地下道で隠れる様にして売っていた。
当時のソ連を含め東側諸国は国民を含め、みんなUSドルを欲しかった上に、政府が観光客用の両替レートを勝手に決めるし滞在日数に比例した「義務両替」なるシステムがあった。で、東ベルリンの街を歩いてると闇両替を迫る連中が声を掛けて来る・・・相場は7倍! もちろん違法。
闇両替すれば、すっげ~買い物が出来るじゃん・・・って思う? ところが東ドイツに限らず共産諸国は想像を絶する貧乏・物不足。品質も最低・・・買うものが無い。もちろん高級なモノを並べたデパートもあるが、そういうところは「ドルしか使えない」 -
東側から見た壁。
マジで見張りしてる。
もちろん、こういう写真は撮っちゃいけないことになっていた。
そんな中で、ホテル以外のレストランは東ドイツの金が使えたので、5ドルだけ闇両替してたらふく食った・・・貧乏旅行してたからね。ここで油断して残った紙幣を財布に入れたままにしておいたら、西ベルリンに戻るときのチェックでそれが見つかってしまった。
有名なチャーリーチェックポイントの別室でパンツ一丁にされて徹底的に調べられた。結果的には「財布の中の金を没収」されて放免。当時の共産国の警察なんて、今の中国の公安より怖いからね。 -
西ベルリンから見た壁・・・子供が遊んでる。
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ここからも東側が覗けた。
監視塔やバリゲートが見える。
東西冷戦の最前線? -
ベルリンの壁だけじゃ、さすがに写真が少ないので、その後行ったオクトーバーフェスティバル。
日本じゃ、まだあまり知られてなかった。 -
凄い熱気!
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オリンピックの選手村跡だっていう噂
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トイレってどうなってるんだろう?
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飲み過ぎて?飲まされ過ぎて? 目が酔ってるので隠しときました。
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ケチと思われてるドイツ人に、いっぱい奢って貰っちゃいました。
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10年以上が過ぎた、1989年11月。
なぜか私は、3人組のドイツ人とエジプトを旅していた。 -
彼らは毎日新聞を見ては、あ~だこ~だと話していた。
正しく、ベルリンの壁が崩壊したその日だった。
帰国してから図書館に行って、ベルリンの壁のことを調べた。
今だったら簡単に検索出来るのにね。
というわけで、「ベルリンの壁崩壊30年」の件は、ちょっと感慨深いのだ。
っつ~か、あれから40年以上が経つんだ・・・歳とるわけだ。
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旅行記グループ
1977~1978 ロンドンからカルカッタへ陸路旅
この旅行記へのコメント (38)
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- 横浜臨海公園さん 2019/11/20 11:01:48
- その拉致ですが
- ほいみさま、こんにちは。
そのまま拉致されちゃわなくて良かったです
→本当にそう思います。
だからこそ、北朝鮮に拉致された日本人を救う会が結成された当初から、小生、黙視する訳にもいかなくなり、会員として参加をさせて頂いております。
横浜臨海公園
- ほいみさん からの返信 2019/11/20 12:05:06
- RE: その拉致ですが
- 北朝鮮による拉致事件は、戦後の日本の歪みを濃縮してますね。平和憲法のせいにし、拉致被害者を犠牲に、政治家を始め日本中が目を反らして忘れようとしてます。
ほいみ
- 横浜臨海公園さん からの返信 2019/11/20 17:20:46
- 仰せのとおり
- ほいみさま、こんばんは。
仰せのとおり、北朝鮮は、我が国国内に存在するサヨクと新興宗教を隠れ蓑にし、巧みに国民の目線を外させ、北朝鮮自体の国益に利用しようとする魂胆がミエミエです。
横浜臨海公園
- ほいみさん からの返信 2019/11/21 10:08:08
- RE: 仰せのとおり
- > ほいみさま、こんばんは。
>
>
> 仰せのとおり、北朝鮮は、我が国国内に存在するサヨクと新興宗教を隠れ蓑にし、巧みに国民の目線を外させ、北朝鮮自体の国益に利用しようとする魂胆がミエミエです。
>
>
>
> 横浜臨海公園
日本の周りは変な国ばかりと感じるのは、近くて無視出来ないからかそう感じるのか、実際に変なのか?
- 横浜臨海公園さん からの返信 2019/11/21 15:20:38
- 国際常識の認識相違
- ほいみさま、こんにちは。
中国にせよ韓国にせよ、北朝鮮にせよ、要するに事大主義で、自己が絶対、他は卑下の対象。
周囲から見れば、異質な状況下に置かれていると見えてしまいます。
昨今では、欧米でも韓国の非常識ぶりが話題になり嫌われ国家、国民となっております。
横浜臨海公園
- ほいみさん からの返信 2019/11/21 16:44:09
- RE: 国際常識の認識相違
- > ほいみさま、こんにちは。
>
>
> 中国にせよ韓国にせよ、北朝鮮にせよ、要するに事大主義で、自己が絶対、他は卑下の対象。
> 周囲から見れば、異質な状況下に置かれていると見えてしまいます。
>
> 昨今では、欧米でも韓国の非常識ぶりが話題になり嫌われ国家、国民となっております。
>
>
>
> 横浜臨海公園
ですよね〜・・これって教育の結果なのか、民族的なんでしょうか?
今から、ちょっと出掛けてきます。
帰りは30日かな。
ほいみ
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- くろねこだりゅんさん 2019/11/13 17:11:06
- 行けなかった場所!
- 若い時に行きたくて!
でも東ベルリンの検問の怖さを聞いていてそれだったら西ベルリンに行ってもな~で行かなかったのです。ドレスデンやマイセンも行ってみたかった…
とにかく東側ってだけでビビッて観光でお気楽に行ける場所じゃないと思っていました。
壁が崩壊して30年、いきやすくなった今!まだ行けていないという(笑)
何でかな~多分土地柄的に縁が無いのかも?
あ、でも死ぬまでに行く場所のリストにはなっているのでそろそろかも。
コメント欄の皆様の素敵なお話とても楽しかったです。
また「ほいみ少年の冒険譚」読ませてくださいね♪
- ほいみさん からの返信 2019/11/13 20:21:05
- RE: 行けなかった場所!
- >確かにね〜・・・あの当時の共産諸国って、今の北朝鮮みたいなものだったかも。当時はもちろんネットも無いし、ガイドブックは交通公社だしね。行ってみなきゃ分からないことばっかり。そんな中でアウシュビッツも見学した「ほいみ青年」は若かった! 7月には北欧を1ヶ月、8月はイギリスを1ヶ月旅した後でした。
あの頃はヨーロッパを旅するだけでも、十分に冒険だったんですよね。ただ治安は今より良かったんじゃないかな。野宿も何回かしたけど、強盗にも警察にも起こされなかったし。
私の「死ぬまでに行くリスト」・・・変な処ばっかり残っちゃってます。今回は一個片付けました。中国がたくさん残ってるんですよね!
>
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- らびたんさん 2019/11/11 20:49:36
- 1枚目、ケルンですか?
- ほいみさん、こんばんはー^^
23歳のほいみさんがたたずんでる1枚、奥に見えてるツインタワーはケルンに見えます。
すごく貴重な写真だ~!
そういえば昔の上司が「卒業旅行でエジプトにいたときソ連がなくなった。アエロフロートで来たのに帰りどうしよう」って経験をされたといってました。
歴史的な瞬間に情報の出遅れがあるのって昔のパッカーならではですよね。
私は911がそうでした。。
昔のシリーズもっとUPしてください(^o^)丿
らびたん
- ほいみさん からの返信 2019/11/11 21:28:24
- RE: 1枚目、ケルンですか?
こんばんは。
恥ずかしい写真はケルンですね。
ヨーロッパを旅行中に、あのツインタワーには3回も行きました。
あの下には、当時まだ日本では珍しかったマクドナルドがあったし、トーマスクックの代理店もありました。
そういえば、1989年の中東・エジプトの旅はアエロフロートでした。
アテネから入って、帰りはマドリッドからの2か月間のバックパッカーっぽい旅。帰りのマドリッドが台風?で、キャンセルが相次ぐ中、なぜか我アエロフロートは嵐の中を余裕で離陸しました。ところがモスクワが大雪でなかなか着陸出来ず。運が良かったのは、ロストバゲッジで、成田から身軽に帰れて、数日後荷物が宅配便で届いた。
年寄りに昔話をさせると際限がないですよ・・・ヒマだし。
ほいみ
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- M-koku1さん 2019/11/11 20:00:54
- 色の無い街でしたね!
- ブランデンブルグ門の前の壁 覚えてます!
写真を撮って 捕まったら怖いと思って ほとんど撮らなかったです。
こんな若い頃から 隠し撮りが上手だったんでしょうか?
あの頃流行っていた ソニーのビデオを持ち込んだのですが 観光バスだったので 座席の下に隠しました。
本物の銃を構える兵隊に見られながらの 検問所通過は 怖かったです。
そして突然街から色が消え ポンコツ自動車が走り回っていたのが 印象的でした。
普通の主婦が行くような観光地じゃないと 思ったのを思い出しました!
ホイミさん さすがに若い!
ヨーロッパであの頃 すれ違ってたかも!
私は80年代になってから行きましたが。
こちらも新婚で 皺なんてない時代!
懐かしかった!
Mより
- ほいみさん からの返信 2019/11/11 21:18:44
- RE: 色の無い街でしたね!
- こんばんは。
最近見掛けるブランデンブルク門の写真とはエラい違いですよね。
当時は、小さなフィルムカメラ(ピッカリコニカ)しか持ってなかった上に、フィルム代がもったいなかったので、大した写真ヶありません。しかも自分でフィルムスキャンしたら、画質が悪い!
このちょっと前に東欧諸国を回っていたので、あの雰囲気に少しは慣れていました。ヨーロッパはこの年にけっこう巡ったのですが、その後はフランスやイタリアに「お付き合い」で行っただけかなぁ。スペイン・ポルトガルにはまた行ってみたいし、クロアチアとかも興味があります。
当時、80年代も、ヨーロッパは憧れの旅先でしたよね!
ほいみ
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- コロコロパッカーさん 2019/11/11 18:21:43
- 貴重!
- 大変貴重な記録のシェアありがとうございます。興味深く拝見しました!
10年前に滞在していましたが、その当時も東側の駅は古めかしくどんよりしていたのを思い出しました。
オクトーバーフェスの盛り上がりだけは、今と変わらないんですね!
エジプトにつながる下りもロマンを感じました!
- ほいみさん からの返信 2019/11/11 21:10:15
- RE: 貴重!
- こんにちは。
ベルリンは、当時よくありがちな「ヨーロッパをYHに泊まりながら巡る」旅の途中で寄りました。壁を越えたらドヨ〜ン…は貴重な体験ですね。西ベルリンは華やか過ぎてつまらない、東ベルリンは根暗(ねくら)でつまらない? でもトータルとしては貴重な体験となりました。
インスブルックのYHに泊って、ミュンヘンまで日帰りで飲みに行きました。ジョッキが1リットルなので、2杯も飲むと酔っぱらっちゃう。
アフリカ縦断の旅日記はどうなったのでしょうか?
コロコロパッカーさんの旅日記は、写真も綺麗だし楽しみにしてますよ。
ほいみ
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- 横浜臨海公園さん 2019/11/11 16:47:05
- 東ベルリンでの体験
- ほいみさま、こんにちは。
旅行記を拝見させて頂きました。
実は小生、フンボルト大学に、昭和58年(1983年)から半年間だけ交換留学生として東ベルリンに滞在しておりました。
四六時中監視に監視、尾行されるのは当たり前の時代で、西側では闇でしか入手出来ない東ドイツのエテルナレコードを買い集め、留学を終え帰国の為に税関で輸出禁止を理由に全部没収された苦い体験を有しております。
今思い出しても、良い思い出など絶無で、本当に嫌な国でした。
横浜臨海公園
- ほいみさん からの返信 2019/11/11 17:36:15
- RE: 東ベルリンでの体験
- 初めまして。
失礼ながら、なんでよりによって東ベルリンだったのでしょうか・・・って、フンボルト大学だったからなんでしょうけど。壁を越えれば、そこには資本主義の堕落した楽しい世界があったのに!
きっと鉄道か工業の勉強をされていたんだろうことは横浜臨海公園さんの日記を読めば想像が着きますが。
あの時代の東ヨーロッパは本当に真っ暗でした。国境を越える度に執拗な荷物検査を受けるのですが、単純に西から来たヤツがどんなモノを持ってるのか興味があるだけなんですよね。ポケットラジオ・セイコークリーンカット(電池式髭剃り)・時計付き電卓には異様に興味を持った様です。でも、それをくれ…って言わないのがインドとの違いかな?
エテルナレコードって知らなかったのですが、検索したら西側では貴重なモノみたいですね・・・そういえば、当時はレコードだったんですよね。
それにしても、交換留学生で日本に来られた方の話を聞いてみたいです。
ほいみ
- 横浜臨海公園さん からの返信 2019/11/13 10:56:49
- 壁の向こうの灯り
- ほいみさま、こんにちは。
> 失礼ながら、なんでよりによって東ベルリンだったのでしょうか・・・って、フンボルト大学だったからなんでしょうけど。壁を越えれば、そこには資本主義の堕落した楽しい世界があったのに!
→壁の向こうの眩い灯りが、何と頼もしい存在に見えたか、東ベルリン在住の西側出身者には羨ましく見えたものです。
> きっと鉄道か工業の勉強をされていたんだろうことは横浜臨海公園さんの日記を読めば想像が着きますが。
→残念ながら、両方とも答えはノーです。
> あの時代の東ヨーロッパは本当に真っ暗でした。国境を越える度に執拗な荷物検査を受けるのですが、単純に西から来たヤツがどんなモノを持ってるのか興味があるだけなんですよね。ポケットラジオ・セイコークリーンカット(電池式髭剃り)・時計付き電卓には異様に興味を持った様です。でも、それをくれ…って言わないのがインドとの違いかな?
→週末にポーランドを訪れたら、パスポートを見ただけで後は何もなし。
荷物の検査をしないのかと聞いたら、係官が、向こう(東ドイツ)でたっぷりやったでしょう。と、ウィンクされ笑ってました。
東欧で好印象だったのは、ポーランドとハンガリーだけです。
> エテルナレコードって知らなかったのですが、検索したら西側では貴重なモノみたいですね・・・そういえば、当時はレコードだったんですよね。
→小生、クラッシク音楽ファンで、当時の日本ではドレスデン国立歌劇場ぐらいしか発売されておりませんでした。
ベルリン国立歌劇場なんて、登場人物の衣装なんて、雑巾にでもした方が良さそうなボロボロの状態でした。
そんな所の録音なんて、日本や西ベルリンでも入手困難でした。
昭和56年(1981年)に登場し、西ドイツでも巷に溢れていたのに、東ドイツでCDは遂に見かけませんでした。
没収されたレコードは、外貨稼ぎの為に、また外貨ショップに戻し販売され、そして税関で没収の盥回しかとも思ったものです。
> それにしても、交換留学生で日本に来られた方の話を聞いてみたいです。
現在のメルケルドイツ首相が東ドイツ出身で、嘗ての交換留学生の成れの果てです。
メルケルは難民受け入れをして自身への批判をかわしたかどで、旧西ドイツ国民から怨嗟の声で嫌われております。
横浜臨海公園
- ほいみさん からの返信 2019/11/13 15:47:34
- RE: 壁の向こうの灯り
- ご丁寧な返信をありがとうございます。
横浜臨海公園さんの話を聞くと、東ベルリンや東ドイツをもっと見とけば良かった・・・と反省してます。きっと楽しくはなかったと思いますが、なかなかああいう?世界は体験出来ないですね。同じ年っていうか、同じ旅で、私はモスクワからソフィアまで50時間列車に乗りましたが、それはモスクワ2泊と合わせて「異質な体験」として忘れられません。
ウィーンで、ハンガリー・チェコスロバキア・ポーランドのビザを取って、それらの国を「たった1週間」で巡りましたが「もう絶対共産圏には来ないぞ」と思いました・・・まぁ、10数年後には普通の国になっちゃったようですが。そうなってみると、それはそれで「行っても面白くないか・・」とか、人間は全く勝手です。23歳の頃でしたが「共産主義って絶対に間違ってるだろ」って思いながら旅しましたが、やっぱりそうだったのかなぁ・・・ってことになりましたね。
私は列車で国境を越えるとき、所持金検査も何度かやられました。要するに入国時に申告した外貨と両替した時の「バンクレシート」から闇両替をした証拠を突き止るってことなんでしょうけど、全財産を警察に見せるっていうのは本当に嫌でした。
エテルナレコードの件、了解しました。
東ドイツで知ってる工業製品と言えば「カールツアイス・イエナ」だけでした。
メルケルさんも、いよいよ引退っぽいですね。
そうそう、フンボルト大学も検索してみましたが、凄い名門校!
ノーベル賞受賞者を29人も輩出してるとか・・・驚きました。
ほいみ
- 横浜臨海公園さん からの返信 2019/11/13 18:00:18
- 共産主義の幻影
- ほいみさま、こんばんは。
小生、昭和52年(1977年)に旧一般旅行業主任者資格を取得して、当時のJTBで海外旅行専門のコンダクターのアルバイトをしていた関係で、当時の旧ソ連や、ウズベキスタン等々も訪れており、あれを見たらメッキの剥がれた共産主義など真っ平だとの印象を受けました。
シルクロード・サマルカンドツアーや、シベリア鉄道横断乗車等々、我慢大会の連続、客は待遇の悪さに怒り出すはで、散々でした。
当時のソ連ルーブルなんて本当に紙屑程度の価値しか感じられませんでした。
現在でも、日本で社会主義やら共産主義を礼賛する年寄連中を見て、あの当時の共産圏を知ったら、どの様な反応をするか知りたいものです。
あの時の異常な体験があったからこそ、東ベルリンの生活で耐えられたのかもしれませんが、あの留学が1年間だったら、小生、本当に発狂していたかもしれません。
横浜臨海公園
- ほいみさん からの返信 2019/11/13 20:39:07
- RE: 共産主義の幻影
おお、1977年と言えば、初めて一人旅に出た歳です。
当時はメジャー・・でもないか?・・・「日ソツーリストビューロー」でモスクワ経由、ソフィアまでのチケットを買いました。当時、大卒の初任給が10万円の時に、15万円位したように記憶してます。
1ルーブルは500円位で(旅行者レート)ロシアでは闇両替屋に追い掛けられました。実勢レートは10分の1?
実は私、小学生の時から「ラジオ少年」で、自作したラジオで北BBC・京放送・モスクワ放・オーストラリア放送等を聞いては、受信報告書を送ってベリカードを集めることを趣味としてました。ドイツベレ?とかいうのもあったかな。モスクワ放送や北京放送は受信報告書を送ると、大量の共産宣伝パンフレットや手書きの手紙が同封されてたりした感動したものです。
とにかくロシアや中国は凄いんだ! と書かれた50ページもありそうな立派なパンフレットが次々に航空便で送られて来ました。今思うと、小中学生にそんなもの送って洗脳する気じゃなかったのかと恐ろしく感じます。実際、私は社会科の授業で、ソ連の「ソホーズやコルホーズの」合理性や先進性を熱く語ってしまったこともありました。
まぁ、そんなこともあって、最初の旅の行先にはモスクワ経由東ヨーロッパを実行してしまったのですが。もちろん、その頃には「共産主義って怪しくない・・・?」ってことは、一般の日本人も「私」も気が付いてましたが。
ほいみ
- 横浜臨海公園さん からの返信 2019/11/14 11:56:54
- 共産主義の幻覚
- ほいみさま、こんにちは。
あと東ドイツでの硬貨はアルミばかり、銅貨は兵器に利用可能なので、全部ソチラに回したとの事で、あの安っぽい硬貨と、薄汚いウルブリヒトの肖像画の紙幣に軽蔑感を抱いたものです。
小生が共産主義に疑問を抱いたのは、昭和43年(1968年)の東欧での事件がきっかけだったと思います。
当時、父の転勤でロンドンに在住しておりましたが、当時のチェコスロヴァキアで反ソ運動が高まりを見せ、首都プラハでは、現在の香港で発生しているような統治の自主権回復が暴動化し、その為に、ロンドンにも多数のチェコ人が亡命避難をしてきたもです。
当時の英国は反共産主義者チャーチルの残影が色濃く残り、何せ、BBCのニュースで流される亡命者の姿は、お世辞にも日本人から見てみずぼらしい限りで、当時の日本人学校でも共産主義、社会主義は悪と教えられていただけに、あの姿を見せ付けられて、あんな窮屈な世界など真っ平御免だと感じました。
シベリア鉄道ツアーは3回派遣されましたが、ソ連人達は、アレは1度乗るバカ、2度乗るバカと言われ、確かに3回目は苦痛でした。
別に毎週水曜日だけ運転されるフィンランド・ヘルシンキ発モスクワ行寝台列車乗車ツアーも添乗した事がございましたが、フィンランド天国、ソ連地獄と感じたものです。
昨日も東京永田町で反安陪政権デモがあり、参加者を見ていると70代以上の老人ばかり、ええがげんにボケ老人達よ、本当に目が覚めないのかとシニカルな目線を向けておリます。
横浜臨海公園
- ほいみさん からの返信 2019/11/14 15:36:56
- RE: 共産主義の幻覚
- > 昨日も東京永田町で反安陪政権デモがあり、参加者を見ていると70代以上の老人ばかり、ええがげんにボケ老人達よ、本当に目が覚めないのかとシニカルな目線を向けておリます。
これ分かります!
頭の中が朝日・毎日新聞とNHKで出来てるのかな?
ギブミーチョコレートで育ち、戦後日本を支えて豊かにしてくれたことには感謝してますが、ここで日本を貶めてどうするんだ?
私はハバロフスクからモスクワまで飛行機だったのですが(安かったから)、シベリア鉄道を制覇しなかったのは今でも悔やんでます。最近はずいぶん早くてデラックスになっちゃった様なので興味が無くなっちゃいましたが。
当時はモスクワからウィーンかヘルシンキに入るのが主流でしたね。五木寛之の「青年は荒野を目指す」の影響?
あの頃の情報はいい加減で、ちょっと前には「北朝鮮こそ理想の国だ!」なんて、本気で叫んでいたマスコミもあったわけで。私が小中学生の頃、北京放送・モスクワ放送・北朝鮮の声?だっけ・・・何かを毎晩聞いてたのは、ほんとヤバかったです。
しかし、ソ連時代の東ヨーロッパをこんなところで語りあうとは思いませんでした・・・私は旅を通じての知識しかありませんが。
- 横浜臨海公園さん からの返信 2019/11/14 16:43:51
- 共産主義の幻惑
- ほいみさま、こんにちは。
> 頭の中が朝日・毎日新聞とNHKで出来てるのかな?
→
更に、首都圏なら東京新聞も含まれるでしょう。
小生、オックス在籍中に、日本の新聞を英訳して聞かせた事が数回あり、
産経→普通の新聞。
毎日→左翼新聞。
さて、朝日新聞はと言えば、会場で聞かせた英国人等々に言わせると、カルト新聞と内容的に同じで、紙面も異常で国益を無視し、中国か北朝鮮の御用新聞だと申しておりました。
いったい、どんな日本人が読むのかと質問され、何でもカンデモ批判が好きな低学歴低次元なブルーカラーが通ぶって読む。と答えた処、出席者満場の納得を得られました。
NHKの中国賛美台湾偏狭報道にも、台湾人の方々もお怒りのご様子で、あんな所に受信料を払う義務と云うものが理解出来かねます。
尤も、昨今では、香港報道を巡り、此れらマスコミの中国側正当論的香港報道に、香港人が激怒しているといった情報も届いております。
> 私はハバロフスクからモスクワまで飛行機だったのですが(安かったから)、シベリア鉄道を制覇しなかったのは今でも悔やんでます。最近はずいぶん早くてデラックスになっちゃった様なので興味が無くなっちゃいましたが。
→当時は夏場でも湯沸かしの関係で各客車で石炭を焚いていたので、モスクワなりハバロスク到着時は、体は勿論、服までベトベト状態になったものです。
1度は、途中停車駅で地元住民が売りに来た鶏の丸焼きを買って食べた方が腹痛を起こし、残り3日間気が気でならなかった事がありました。
> 当時はモスクワからウィーンかヘルシンキに入るのが主流でしたね。五木寛之の「青年は荒野を目指す」の影響?
→そう言えば、ヴィーン-モスクワ間直通の寝台車はソ連国鉄の茶色でショボイ車輛が使用されていて、1度乗車しましたが、立て付けが悪いせいか、走り出すと車体が歪んできて、
無事にモスクワまで耐えられるのだろうかとビビリ続けました。
> しかし、ソ連時代の東ヨーロッパをこんなところで語りあうとは思いませんでした・・・私は旅を通じての知識しかありませんが。
→大学時代に親がモスクワ駐在も外交官の娘がおりましたが、彼女も大使館員アパートから一歩出ると、直ぐ、ソ連の国家機関員に尾行されたと申しておりました。
他国大使館員と付き合う以外、いいことは全くなかったそうです。
横浜臨海公園
- ほいみさん からの返信 2019/11/14 17:29:03
- RE: 共産主義の幻惑
>オックス在籍中
って、ますます凄いじゃないですか・・・オリックスじゃないでしょ!
私など、学生時代はろくに勉強もせず、何となく父親の仕事を継いだとたん、父が死んでしまい、3-4人のスタッフに助けられながらなんとか40年間やって来ました。1年に1回海外旅行をする以外、まったく休みも無く働きました…盆も正月も! その間、赤字を出すことも無く順調だったのですが、大変な仕事ゆえ後継ぎも無かったところに上手い話し?が舞い込んだので、スッパリ廃業しました・・・年金貰える歳になったし!
その間、世間のことには疎かったのですが、最近は新聞を読んでもTVを見ても、ほんとばかばかしいことばっかり大袈裟に取り上げて、馬鹿なタレントが意見する・・・みたいなのばかりですね。いったい日本はどうなっちゃうんだろう・・・って、他の国もそれなりにおかしいですが。
あと何回、海外旅行が出来るか分かりませんが、もう暫くは健康に留意して楽しみたいと思ってます。海外旅行はお手軽になったけど、その文、ありがたみが減っちゃいましたね。
ほいみ
- 横浜臨海公園さん からの返信 2019/11/14 17:57:07
- その点
- ほいみさま、こんばんは。
本当に何処へ行っても風景は近代的ビルが続き似たり寄ったり、コンナ事は有り得ませんでした。
その点、小生など60歳を迎えながら定年退職は70歳なので、あと10年は無い知恵を絞らねばならず、退職後は名誉教授で骨までしゃぶり取られる有様で、本当に1人になって旅に出たいなと思いつつ、なかなか出来ないのが現実です。
横浜臨海公園
- ほいみさん からの返信 2019/11/14 22:46:20
- RE: その点
- デキる方の宿命かな?
私なんか、孫の世話もろくに出来ない役立たずだと思われてます。本当はアテにされない様に、そんなフリをしてるんですけどね。ところが最近は、アレ?本当にこんなこともデキなくなったのか・・・ってヤバくなることもあります。
フォローさせて頂きますね。
- 横浜臨海公園さん からの返信 2019/11/15 11:33:27
- フンボルト大学
- ほいみさま、こんにちは。
オックス留学時に、在校生からフンボルト大学留学体験を聞かれ、墓場で生活した様な気分だった。と答えて大うけでした。
現在の旧東ベルリン地区、家族ぐるみのホームレスの溜り場みたいな光景に出くわします。
あの連中は時間だけ働けば賃金が貰えたのに対し、自由主義社会では本人の努力がモノを云う世界である事が理解すら出来ず、競争から弾かれた連中だと思っております。
横浜臨海公園
- ほいみさん からの返信 2019/11/15 15:23:45
- RE: フンボルト大学
- イメージ的には、ドイツ人は勤勉。
そうか、勤勉な教育を受けたドイツ人が勤勉ってことで、同じドイツ人でもお役人教育を受けタドイツ人はそうじゃなかったのかな。
勤勉(だった?)日本も危ないかも。
ほいみ
- 横浜臨海公園さん からの返信 2019/11/15 15:35:40
- 日本人なら
- ほいみさま、こんにちは。
いえいえ。
日本人なら息抜きの仕方が上手ですから、あんな事にはならないと思っております。
昨今の日本人はスマホに夢中、おかげで、在日経営のパチンコ屋は何処も青息状態!
横浜臨海公園
- ほいみさん からの返信 2019/11/15 20:34:52
- RE: 日本人なら
な〜るほどね・・・最近のパチンコ不況はスマホも原因してるんだ。
確かに、海外旅行よりもスマホの方が楽しい連中が増えるかも。
スマホに夢中になってる間に中国の侵略の手が。。。って、中国人の方がもっと夢中になってたりして。もっとも、スマホゲームの中身が「日本侵略シュミレーション」とか。
ほいみ
- 横浜臨海公園さん からの返信 2019/11/16 14:27:51
- 昨今のパチンコ業界
- ほいみさま、こんにちは。
昨今の駅前パチンコ店が、不況が原因で次々と閉店に追込まれているのは、スマホの発達で、カネを出して玉を弾くなら、同じくカネをだしてスマホゲームをやった方が楽しいとの由。
特に、若い世代はパチンコ、麻雀なんてやらないと思います。
そのせいでしょうか。
コンビニのナイト勤務者に、昨今在日系の人が多数アルバイトで働いております。
原因は不況で自身のパチンコ店倒産で借金返済の為に昼夜働いているとか!!
支那ですか?
あんな国怖い存在だなんて考えもしません。
今、香港で起きている事実、その内、チベットや西域でも起こりえます。
漢民族以外、誰も自国が成長し他国を侵略するなど、有り得ないと思っている様子がアリアリです。
横浜臨海公園
- ほいみさん からの返信 2019/11/16 17:25:44
- RE: 昨今のパチンコ業界
- そうか〜・・先日の台風21号で、近所のパチンコ屋が2軒冠水して現在も営業してませんが、もしかしたらこのまま廃業?
香港はそろそろ武力で治安圧ってことにはならないのかな?
その結果が共産党にとってどういうことになるのかは分からないけど、それを先進諸国がいさめる? 経済と引き換えに出来るのかが疑問です。外に向かって問題を起こさないと、国内の圧力を逃がせないし。
がんばれトランプ!・・・なのかなぁ?
ほいみ
- 横浜臨海公園さん からの返信 2019/11/17 14:10:41
- 中国経済
- ほいみさま、こんにちは。
中国経済なんて隠蔽に隠蔽、それこそ旧ソ連や旧東欧諸国家が公然と行っていた大赤字経済の隠蔽が、或る日綻びが出た途端、ボロボロと崩れていった先例がありましたね。
力で抑えこめられる時代なら兎も角、香港の如き情勢が連日の報道で白日に晒されている以上、若し、中国側が武力鎮圧行使と云う事になれば、アメリカが黙って見逃すはずが無く、中国に対し、今以上の制裁処置を持って対抗するのは必定と考えております。
現在、世界中で共産主義を標榜するのはアジアとアフリカだけです。
トランプが嫌いな
横浜臨海公園
- ほいみさん からの返信 2019/11/17 20:17:33
- RE: 中国経済
こんばんは
確かに、共産党が正々堂々と政治活動出来る先進国は少ないですね。アメリカ非合法だと聞くし。
アメリカが黙って見逃すはずが無く・・・はどうなんでしょう。ここまでずっと見逃して来たっていうか、中国共産党と上手いことやって来たって感もありますが。
元祖西側諸国が中国共産党の極悪非道を世間に晒そうと思えば、チベット・内モンゴル・ウィグルなど、幾らでもネタはあると思うのですが、そうはならないところに香港も、アメリカに都合がいい経済優先理論に隠蔽されちゃう気がしますが…日本みたいに。
私は、トランプ安倍はけっこう好きです。リタイアした無責任感もありますが。
小物だけど、蓮舫と百合子はアレルギー対象です。
- 横浜臨海公園さん からの返信 2019/11/18 15:24:45
- 東アジア
- ほいみさま、こんにちは。
チベット、内モンゴル、ウィグル内政干渉時は、第二次世界大戦終結直後で、日米共に自国の事で手一杯状態、然し、現在ではテレビをはじめとするマスコミ万能時代、香港に関しては、中国のなすが儘となれば太平洋の主導権争いに発展する事から、アメリカが黙視している筈は無いと考えております。
連坊は地元では革新層のオバサン連中しか相手にされておりません。
小池百合子に至っては、某漫画家、死んだ映画評論家と共に、30年前は極左に近い人物だったのが、いつの間にか保守を自称していたので、些か侮蔑感を抱いてます。
安倍総理、現実主義で小生も評価しております。
横浜臨海公園
- ほいみさん からの返信 2019/11/18 22:56:51
- RE: 東アジア
- 何だかんだと言いながらも、最近の南シナ海の例を取るまでもなく、何となく中国のお得感が払拭出来ないのですが。中韓・朝鮮日本間の問題にしても最後は中国が得するみたいに、中国は困ったふりして仕組んでるような。
まぁ我々に真実の情報なんて入るわけないので、心配事や日本の未来何て考えようもないのですが。
ほいみ
- 横浜臨海公園さん からの返信 2019/11/19 18:57:13
- 兎に角
- ほいみさま、こんばんは。
兎に角、当時の東ベルリン市内の生活は極度の緊張から緊張への連続で、精神的に張り詰めた状態が出国時まで終始継続していました。
当時、東ベルリン市内で東ドイツ人友人など1人も出来ませんでした。
今から思うと、それで良かったと思います。
横浜臨海公園
- ほいみさん からの返信 2019/11/19 23:04:11
- RE: 兎に角
- そのまま拉致されちゃわなくて良かったです。
東ベルリンだけでなく、東ヨーロッパがどんな風に変わったのか確かめに行ってみたい気分です。
ほいみ
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