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1970年代のアフガニスタンは、バックパッカー天国だった・・・って、信じられる?  大昔のことで写真はほとんど残ってないし、画質も最悪です。<br /><br />写真はカブールの香辛料屋さん。<br />

平和だった頃のアフガニスタンから、インド国境まで

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1977/12/04 - 1977/12/14

1位(同エリア19件中)

ほいみ

ほいみさん

1970年代のアフガニスタンは、バックパッカー天国だった・・・って、信じられる?  大昔のことで写真はほとんど残ってないし、画質も最悪です。

写真はカブールの香辛料屋さん。

旅行の満足度
4.5

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  • こういう結末を誰が想像しただろうか? ランボーはどうするんだ?<br /><br />詳しくはないが、アフガニスタンを日本人が普通に旅行出来たのは1970年代だけだったんじゃないだろうか。60年代は海外旅行自体が一般的でなかったし、80年にソ連軍が侵攻して混沌世界になってしまった。それ以降のことはご承知の通りだ。<br /><br />私は運良く、1977年にアフガニスタンを旅することが出来た。と言っても既に季節は冬に向かっていたので、行くことが出来たのは「カンダハルとカブール」だけだ。肝心なバーミアンやヘラートには行けなかったので「いつかもう一度行く国」の筆頭となっていたが、何時まで経っても「普通に旅が出来る国」にはならない。<br />そんな時期が来たら、「平和が戻ったアフガニスタン」と「かつてののアフガニスタン」を並行してアップしたかったのだが、ここ数週間のアフガニスタン事情を見れば「私が生きてる間には無理」なことが分かり、急遽アップすることにした。<br /><br /><br />

    こういう結末を誰が想像しただろうか? ランボーはどうするんだ?

    詳しくはないが、アフガニスタンを日本人が普通に旅行出来たのは1970年代だけだったんじゃないだろうか。60年代は海外旅行自体が一般的でなかったし、80年にソ連軍が侵攻して混沌世界になってしまった。それ以降のことはご承知の通りだ。

    私は運良く、1977年にアフガニスタンを旅することが出来た。と言っても既に季節は冬に向かっていたので、行くことが出来たのは「カンダハルとカブール」だけだ。肝心なバーミアンやヘラートには行けなかったので「いつかもう一度行く国」の筆頭となっていたが、何時まで経っても「普通に旅が出来る国」にはならない。
    そんな時期が来たら、「平和が戻ったアフガニスタン」と「かつてののアフガニスタン」を並行してアップしたかったのだが、ここ数週間のアフガニスタン事情を見れば「私が生きてる間には無理」なことが分かり、急遽アップすることにした。


  • 1977年5月に日本を出てヨーロッパをひと巡りした後、8月末にロンドンを出発、フランス→スペイン→モロッコ→アルジェリア→チュニジア→イタリア→ギリシャ→トルコ→イラン→パキスタン…と陸路旅を続け、12月4日にアフガニスタンのカンダハルに到着した。<br /><br />この旅の移動ルート。<br />割と素早く動けて、これで2週間ほどです。<br /><br />興味がある方は、この旅の続きになりますので一緒に読んでもらうと分かり易いです。<br />https://4travel.jp/travelogue/11585206

    1977年5月に日本を出てヨーロッパをひと巡りした後、8月末にロンドンを出発、フランス→スペイン→モロッコ→アルジェリア→チュニジア→イタリア→ギリシャ→トルコ→イラン→パキスタン…と陸路旅を続け、12月4日にアフガニスタンのカンダハルに到着した。

    この旅の移動ルート。
    割と素早く動けて、これで2週間ほどです。

    興味がある方は、この旅の続きになりますので一緒に読んでもらうと分かり易いです。
    https://4travel.jp/travelogue/11585206

  • パキスタンのクエッタから、アフガニスタン国境のチャマンへ向かうバス。<br />屋根しか乗れないかな~…と思ったら、車掌が無理矢理、車内席を確保してくれたが、屋根の方が快適だったかも。<br /><br />ここから長いけど面白いかも・・・他人の不幸は密の味!<br /><br />イランからパキスタンに鉄道で入った際に「悪い予感」はあったのだが、知らない間にイランーパキスタン国境を越えてしまっていたのだ。まだまだ「旅素人」だった私は、ボーっと列車に乗っていて砂漠の中の国境事務所に出頭?しなかったのだ。パキスタンの入国スタンプが無い! この時は「まぁ何とかなるだろう・・」と気軽に考えていた。<br /><br />パキスタンの出国事務所の係員が「入国スタンプは何処だ?」とパスポートをめくりながら聞く。あ~やっぱし、3日前にイランのザヘダンで国境を越えたんだけど、国境事務所に寄るのを忘れた・・・と正直だけど間の抜けた答えをした。<br /><br />「カモだ!」と思ったに違いない。「こっちへ来い…」所長室に連れて行かれた。お茶でもくれるのかな?と思ったら、軍服姿の偉そうなオヤジが「これはいち大事だ。入国スタンプが無いのに出国スタンプを押したら、私の首が飛ぶ」「まずはクエッタのイミグレーションオフィスに戻って事情を話してから出直せ」、とりあえずこういう場合は「荷物検査をするのが決まりだ」ってことで、全ての持ち物をテーブルに並べた。<br /><br />ヤツはその中の「寝袋」と「SONYのトランジスタラジオ」に目を付けた。<br /><br />「これくれたら何とかしてやる」・・・キタ~!<br />「入国スタンプはどうするんだ?」って聞いたら<br />「今、ここで今日の日付の入国スタンプを押す、ついでに出国スタンプも押してやろう」<br />な~るほど、そういう手があったか! って、同じトラブルが良くあるんだろう。<br /><br />その「ハンコ代」が寝袋かSONYってことなんだ。<br />完全に私のミスなんで、円満解決するには何か差し出さなくてはならないのだが、どちらも必要なものだ・・・で、10US$で手を打った。<br /><br />私のパスポートには12月4日、アフガニスタンからパキスタンに入国、そのまま出国のスタンプが押された。アフガニスタンの出国スタンプが無いことが見つからない様に、アッラーに祈れ!<br /><br />数日後に話したバックパッカーに言わせると、その相場は5US$とのことだった。<br /><br />皮肉なことに、SONYのトランジスタラジオは、この1週間後、ラホールで盗まれてしまった!<br /><br /><br /><br />

    パキスタンのクエッタから、アフガニスタン国境のチャマンへ向かうバス。
    屋根しか乗れないかな~…と思ったら、車掌が無理矢理、車内席を確保してくれたが、屋根の方が快適だったかも。

    ここから長いけど面白いかも・・・他人の不幸は密の味!

    イランからパキスタンに鉄道で入った際に「悪い予感」はあったのだが、知らない間にイランーパキスタン国境を越えてしまっていたのだ。まだまだ「旅素人」だった私は、ボーっと列車に乗っていて砂漠の中の国境事務所に出頭?しなかったのだ。パキスタンの入国スタンプが無い! この時は「まぁ何とかなるだろう・・」と気軽に考えていた。

    パキスタンの出国事務所の係員が「入国スタンプは何処だ?」とパスポートをめくりながら聞く。あ~やっぱし、3日前にイランのザヘダンで国境を越えたんだけど、国境事務所に寄るのを忘れた・・・と正直だけど間の抜けた答えをした。

    「カモだ!」と思ったに違いない。「こっちへ来い…」所長室に連れて行かれた。お茶でもくれるのかな?と思ったら、軍服姿の偉そうなオヤジが「これはいち大事だ。入国スタンプが無いのに出国スタンプを押したら、私の首が飛ぶ」「まずはクエッタのイミグレーションオフィスに戻って事情を話してから出直せ」、とりあえずこういう場合は「荷物検査をするのが決まりだ」ってことで、全ての持ち物をテーブルに並べた。

    ヤツはその中の「寝袋」と「SONYのトランジスタラジオ」に目を付けた。

    「これくれたら何とかしてやる」・・・キタ~!
    「入国スタンプはどうするんだ?」って聞いたら
    「今、ここで今日の日付の入国スタンプを押す、ついでに出国スタンプも押してやろう」
    な~るほど、そういう手があったか! って、同じトラブルが良くあるんだろう。

    その「ハンコ代」が寝袋かSONYってことなんだ。
    完全に私のミスなんで、円満解決するには何か差し出さなくてはならないのだが、どちらも必要なものだ・・・で、10US$で手を打った。

    私のパスポートには12月4日、アフガニスタンからパキスタンに入国、そのまま出国のスタンプが押された。アフガニスタンの出国スタンプが無いことが見つからない様に、アッラーに祈れ!

    数日後に話したバックパッカーに言わせると、その相場は5US$とのことだった。

    皮肉なことに、SONYのトランジスタラジオは、この1週間後、ラホールで盗まれてしまった!



  • アフガニスタンへの入国は何も問題がなかったのか、ほとんど記憶に残ってないし日記でも触れてない。アフガニスタンのビザはテヘランで取ってあった。<br /><br />国境からアフガニスタン最初の都市「カンダハル」へのバスからの景色は「ひたすら何もない」<br />細かいことは忘れてしまったが、このバス内で車掌?に5倍くらいボラれた。切符に穴開けるパンチの代わりにナイフ見せるんだものね。まぁ「アフガニスタン無事入国祝い」を兼ねて大人しく払った・・・100円が500円って感じだし。っていうか、この日はもう疲れた!<br /><br />真っ暗になってからカンダハルに着いた。バスターミナルで降りると旅行者は私ひとり、地元民はそれぞれ闇に消えて行く。さて、宿をどうするか? バスターミナルだから安宿はいくらでもありそうだが、今日の「運の悪さ?」を考えると慎重になる。<br /><br />と、2時間前にナイフで脅した車掌?が声を掛けて来た。「ようこそアフガニスタンへ、俺が良い宿を紹介するよ・・」言葉は分からないが、こんな感じで宿に連れてってくれた・・・もう疲れてしまって思考力ゼロなんで、助かったみたいな。いや~…長い1日だった! すげ~勉強になったぜ!<br /><br />私のアフガニスタン旅はこの様に始まった。<br />正しく「期待と不安」がてんこ盛り。

    アフガニスタンへの入国は何も問題がなかったのか、ほとんど記憶に残ってないし日記でも触れてない。アフガニスタンのビザはテヘランで取ってあった。

    国境からアフガニスタン最初の都市「カンダハル」へのバスからの景色は「ひたすら何もない」
    細かいことは忘れてしまったが、このバス内で車掌?に5倍くらいボラれた。切符に穴開けるパンチの代わりにナイフ見せるんだものね。まぁ「アフガニスタン無事入国祝い」を兼ねて大人しく払った・・・100円が500円って感じだし。っていうか、この日はもう疲れた!

    真っ暗になってからカンダハルに着いた。バスターミナルで降りると旅行者は私ひとり、地元民はそれぞれ闇に消えて行く。さて、宿をどうするか? バスターミナルだから安宿はいくらでもありそうだが、今日の「運の悪さ?」を考えると慎重になる。

    と、2時間前にナイフで脅した車掌?が声を掛けて来た。「ようこそアフガニスタンへ、俺が良い宿を紹介するよ・・」言葉は分からないが、こんな感じで宿に連れてってくれた・・・もう疲れてしまって思考力ゼロなんで、助かったみたいな。いや~…長い1日だった! すげ~勉強になったぜ!

    私のアフガニスタン旅はこの様に始まった。
    正しく「期待と不安」がてんこ盛り。

  • この時代は当然フィルムカメラだし、今ほど写真に興味が無かったのでフジカのコンパクトカメラ。

    この時代は当然フィルムカメラだし、今ほど写真に興味が無かったのでフジカのコンパクトカメラ。

  • しかも途中で落下させてしまい、レンズがぐらぐらで狙ったところとちょっと違うところが写るという曲者。

    しかも途中で落下させてしまい、レンズがぐらぐらで狙ったところとちょっと違うところが写るという曲者。

  • 何より初日にナイフで脅かされちゃったもんだから、正面切ってレンズを向ける勇気がない。

    何より初日にナイフで脅かされちゃったもんだから、正面切ってレンズを向ける勇気がない。

  • 今思えば、みんな写真大好きで、シャッターチャンスの連続だったのにね。

    今思えば、みんな写真大好きで、シャッターチャンスの連続だったのにね。

  • 帰国後プリントして、10年ほど前ネガも捨ててしまったので、写真はあまり残ってない。

    帰国後プリントして、10年ほど前ネガも捨ててしまったので、写真はあまり残ってない。

  • 残っていたプリントをスキャンしたので見てやって下さい。<br /><br />この写真はチャイハナかな。<br /><br />意外なことに?緑茶が基本。<br />注文すると、お茶のポットと「砂糖が半分まで入ったコップ」が出る。<br /><br />1杯目はそのコップにお茶を注ぐ・・・すっげ~甘い1杯目!<br />上澄み?を飲んだら、またお茶を注ぐ、少し甘さが減る?<br />飲んだら更にお茶を注ぐ…の繰り返しで、最後は「ただのお茶」になる。<br /><br />これを髭だらけのむさ苦しい男どもが集まって、繰り返し飲む!<br />禁酒だから、お茶で盛り上がる!<br />「おい、日本人か! こっちへ来いや~」<br /><br />女性はいない。

    残っていたプリントをスキャンしたので見てやって下さい。

    この写真はチャイハナかな。

    意外なことに?緑茶が基本。
    注文すると、お茶のポットと「砂糖が半分まで入ったコップ」が出る。

    1杯目はそのコップにお茶を注ぐ・・・すっげ~甘い1杯目!
    上澄み?を飲んだら、またお茶を注ぐ、少し甘さが減る?
    飲んだら更にお茶を注ぐ…の繰り返しで、最後は「ただのお茶」になる。

    これを髭だらけのむさ苦しい男どもが集まって、繰り返し飲む!
    禁酒だから、お茶で盛り上がる!
    「おい、日本人か! こっちへ来いや~」

    女性はいない。

  • この当時、町を行く女性は少なかったが、それでも普通に顔出ししてるご婦人も多かった。

    この当時、町を行く女性は少なかったが、それでも普通に顔出ししてるご婦人も多かった。

  • すっぽりチャドリを被ってる女性の方が少なかったんじゃないかな。ここに写ってるけどね。

    すっぽりチャドリを被ってる女性の方が少なかったんじゃないかな。ここに写ってるけどね。

  • 肉屋さん

    肉屋さん

  • 肉屋さん2

    肉屋さん2

  • 電気屋さん。

    電気屋さん。

  • モスクへ続く道

    モスクへ続く道

  • 写真がバラバラになってしまって、正確な撮影場所が分からないけど、カブールへ向かう途中かなぁ。

    写真がバラバラになってしまって、正確な撮影場所が分からないけど、カブールへ向かう途中かなぁ。

  • カブール市内からは、どこからでも郊外のこの山が見えていた。<br /><br />

    カブール市内からは、どこからでも郊外のこの山が見えていた。

  • TV 塔がある市内の丘は景色が良いのだが、登っていく途中、確実に子供に石を投げつけられる。しかも、おっかね~犬が放し飼いになっていて危険地帯だった…朝の散歩で2回登ったけどね。

    TV 塔がある市内の丘は景色が良いのだが、登っていく途中、確実に子供に石を投げつけられる。しかも、おっかね~犬が放し飼いになっていて危険地帯だった…朝の散歩で2回登ったけどね。

  • 市内を流れる川

    市内を流れる川

  • 安宿はボロだけど居心地が良かった。<br />ただし・・・1年間の旅で食当たり?は3回経験したが、そのうちの1回がカブールだった。<br /><br />この頃のカブールはバックパッカー天国で、俗にいう?チキンストリートには欧米のイカれた連中がたむろしていた。本当かどうか、当時世界の3大ヒッピー天国は、カトマンズ・ゴア・カブールって言われてた。アムステルダムやプーリーだっていうヤツもいたけど。<br /><br />いずれも共通するのはマリファナなんだけどね。<br /><br />イスタンブールからカブールまで急ぎ旅?をしていたせいか、日本人とはほとんど会うことが無かったが、カブールでは7-8人と会話した。その中のひとりはフランス娘と結婚してフランスに住んでいたが、新婚旅行で我が家に来た。更に数年後には二人の息子を連れて来た。<br /><br />元気にしてるかなぁ?

    安宿はボロだけど居心地が良かった。
    ただし・・・1年間の旅で食当たり?は3回経験したが、そのうちの1回がカブールだった。

    この頃のカブールはバックパッカー天国で、俗にいう?チキンストリートには欧米のイカれた連中がたむろしていた。本当かどうか、当時世界の3大ヒッピー天国は、カトマンズ・ゴア・カブールって言われてた。アムステルダムやプーリーだっていうヤツもいたけど。

    いずれも共通するのはマリファナなんだけどね。

    イスタンブールからカブールまで急ぎ旅?をしていたせいか、日本人とはほとんど会うことが無かったが、カブールでは7-8人と会話した。その中のひとりはフランス娘と結婚してフランスに住んでいたが、新婚旅行で我が家に来た。更に数年後には二人の息子を連れて来た。

    元気にしてるかなぁ?

  • 12月12日、カイバル峠を越えてパキスタンのペシャワールに着いた。当時はカイバル峠の云われを知らなくて、写真も撮らなかった。その前のアフガンとパキスタンの国境では右側通行が左側通行に変わる。ここが面白かったのだが、写真に撮らなかったなぁ。<br /><br />その国境のアフガニスタン側では、ライフルなどの小火器が道端で売られていた。パキスタン側では両替商が道端に札を積み上げて、その上に石を乗せて客待ちしていた。

    12月12日、カイバル峠を越えてパキスタンのペシャワールに着いた。当時はカイバル峠の云われを知らなくて、写真も撮らなかった。その前のアフガンとパキスタンの国境では右側通行が左側通行に変わる。ここが面白かったのだが、写真に撮らなかったなぁ。

    その国境のアフガニスタン側では、ライフルなどの小火器が道端で売られていた。パキスタン側では両替商が道端に札を積み上げて、その上に石を乗せて客待ちしていた。

  • ぺシャワールから列車でモヘンジョダロに向かった。<br />夜中にモヘンジョダロに着いたのだが、車内が超混雑していて、なかなか降りられない。勢いで出口で踏み外し、ホームが無いからそのまま落ちた。<br /><br />暫く動けないでいたら、駅長さんが来て駅長室に泊めてくれた。

    ぺシャワールから列車でモヘンジョダロに向かった。
    夜中にモヘンジョダロに着いたのだが、車内が超混雑していて、なかなか降りられない。勢いで出口で踏み外し、ホームが無いからそのまま落ちた。

    暫く動けないでいたら、駅長さんが来て駅長室に泊めてくれた。

  • 翌朝はトンガ(ロバ車)を手配してくれて、それでモヘンジョダロに向かった。<br /><br />モヘンジョダロの写真は、他の日記でもアップしてありますが悪しからず。

    翌朝はトンガ(ロバ車)を手配してくれて、それでモヘンジョダロに向かった。

    モヘンジョダロの写真は、他の日記でもアップしてありますが悪しからず。

  • 途中の村が超素朴で興味深かった。

    途中の村が超素朴で興味深かった。

  • こんな村で泊まりたいなぁ・・・って、時間だけはいっぱいあったから泊まれば良かったのにね…って今でも思う。

    こんな村で泊まりたいなぁ・・・って、時間だけはいっぱいあったから泊まれば良かったのにね…って今でも思う。

  • モヘンジョダロは中学生の教科書に写真が載っていて興味深かった。

    モヘンジョダロは中学生の教科書に写真が載っていて興味深かった。

  • 3000-4000年前に栄えた近代都市?なのだが、都市を造るためのレンガを焼くために、周辺の木々を伐採してしまったために乾燥化が進み、住めなくなり放置されたと聞く。

    3000-4000年前に栄えた近代都市?なのだが、都市を造るためのレンガを焼くために、周辺の木々を伐採してしまったために乾燥化が進み、住めなくなり放置されたと聞く。

  • 本当のことは知らない。

    本当のことは知らない。

  • 3000年前のダスターシュート

    3000年前のダスターシュート

  • 博物館

    博物館

  • 地元の学生が遠足?に来ていた

    地元の学生が遠足?に来ていた

  • 記念写真を撮ったが、狙ったところと違うところが写っちゃうカメラの威力が残念だった。

    記念写真を撮ったが、狙ったところと違うところが写っちゃうカメラの威力が残念だった。

  • 帰りも馬車。

    帰りも馬車。

  • 駅長さんが、もう1日泊まってくか? って言ってくれたけど先を急いだ。今だったら泊まっちゃうね。<br /><br />夕方の列車が来るまで、近くの川で釣り・・・もちろん釣れない。

    駅長さんが、もう1日泊まってくか? って言ってくれたけど先を急いだ。今だったら泊まっちゃうね。

    夕方の列車が来るまで、近くの川で釣り・・・もちろん釣れない。

  • 夜行でラホールに来た

    夜行でラホールに来た

  • ごちゃごちゃでっかい町だ。

    ごちゃごちゃでっかい町だ。

  • アフガニスタンと比べると、安全ぽい

    アフガニスタンと比べると、安全ぽい

  • でも写真を撮るのはどきどきした。

    でも写真を撮るのはどきどきした。

  • ニワトリ、当時は高価だった。

    ニワトリ、当時は高価だった。

  • バザールを歩くのは楽しかった

    バザールを歩くのは楽しかった

  • 途中からいろいろ案内してくれた青年。

    途中からいろいろ案内してくれた青年。

  • 何食べてるんだろ。

    何食べてるんだろ。

  • 泊ってたホテルの近くだったかな。

    泊ってたホテルの近くだったかな。

  • 駅

  • 駅前

    駅前

  • チャイハナでは、こんなおじちゃんがお茶を入れくれることが多かった。

    チャイハナでは、こんなおじちゃんがお茶を入れくれることが多かった。

  • ラホールから国境を越えてインド入り。<br />ゴールデンテンプルが有名なアムリッツァに行った。<br />インドのビザはカブールで取ってあったし、カブールではインドルピーが安く売られていた。<br /><br />

    ラホールから国境を越えてインド入り。
    ゴールデンテンプルが有名なアムリッツァに行った。
    インドのビザはカブールで取ってあったし、カブールではインドルピーが安く売られていた。

  • アムリッツァでお世話になったリキシャマン。

    アムリッツァでお世話になったリキシャマン。

  • ここで2泊して、列車でデリーに向かった。

    ここで2泊して、列車でデリーに向かった。

  • 12月18日、デリーに到着。<br />この日から私の「インドとの戦い」が始まった。<br /><br />そんな日記もいつか。

    12月18日、デリーに到着。
    この日から私の「インドとの戦い」が始まった。

    そんな日記もいつか。

  • この後は、こんな風に旅しました。<br />なんと、インド・スリランカ・ネパールで半年掛かっちゃいました。<br /><br />インドあるある…な話です。<br />お楽しみに!

    この後は、こんな風に旅しました。
    なんと、インド・スリランカ・ネパールで半年掛かっちゃいました。

    インドあるある…な話です。
    お楽しみに!

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この旅行記へのコメント (10)

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  • gontaraさん 2021/09/02 21:10:46
    生きてる間には無理かな?
    アフガニスタン、ソ連の侵攻まではこうして旅行が出来たのですね。どの国も、行ける時に行っとけ!ですね。
    写真を見てると、何処にでもあるイスラム教国って感じで、実際も安穏とした雰囲気だったのでしょうね。

    アメリカは日本の占領統治がうまく行ったので、何処でも通用するとでも勘違いしてるのかな。どこにでもアメリカを持ち込むから嫌われることが分からないのかなー

    ほいみ

    ほいみさん からの返信 2021/09/02 21:43:23
    Re: 生きてる間には無理かな?
    ですね~・・・リビアとかマリも良いタイミングで行って来ました。世の中、この先どうなるのか想像も付かないけど、コロナが終息しても、別の意味で「中国が秘境」になっちゃうかも。

    アメリカ人って、マジでみんながハンバーガーを好きだと思ってるから困ります。日本人はマックが好きだからいいんだけど。

    まぁ、コロナが終息する前に、もっと深刻な問題で海外旅行が難しくなりそうです・・・キャンプングカー、買っちゃおうか!?

    ほいみ
  • sanaboさん 2021/09/02 00:34:07
    アフガニスタンもいらしてたのですね!
    ほいみさん、こんばんは

    昨日、北海道旅の最終章を拝見したばかりですが
    早速タイムリーな隠し玉のアフガニスタン旅行記をアップされ
    面白すぎて一気に拝読しました~。
    1970年代にアフガニスタンにいらしたこと自体驚きでしたが
    当時はアジアとヨーロッパを結ぶ経由国で、今から思うと
    70年代がアフガンを訪問できる絶妙なタイミングだったわけですね。
    で、葱を背負って出国事務所に出向かれたと…(笑)
    表紙の香辛料屋さんのおじさんの穏やかな顔つきを拝見し
    現状を思うと身につまされる思いがします。
    現地に残されたアフガニスタン人の協力者たちを
    是非とも救出しなくてはなりませんね!
    ところで「肉屋さん2」のお写真の動物は何なのでしょう?
    ぶら下がってる長い尻尾(?)が妙に気になりました。
    当時の旅情報は今と比べたら雲泥の差だと思いますけど
    もう「○○の歩き方」とかありましたか?

    9月を迎え季節の変わり目ですので、体調管理に十分お気をつけ下さいね。

    sanabo

    ほいみ

    ほいみさん からの返信 2021/09/02 09:40:32
    Re: アフガニスタンもいらしてたのですね!
    おはようございます。

    あの肉、私も気になって撮ったのでしょう。尻尾の形からして、たぶん牛だとは思います。中国だと、犬があの状態で吊る下がってたりしますが。

    地球の歩き方を私が初めて知ったのは、1982年にインド旅から帰国した成田空港ででした。既にインド編が出版されていて「え~‥こんなのあったの?」みたいな・・・田舎の本屋は品揃えが。その後は愛読させて貰ってます。

    当時はヨーロッパのガイドブックだって、日本語で読めるのは交通公社かブルーガイド。アメリカ人が書いた「1日10ドル、ヨーロッパの旅」が翻訳されてヒットしてましたが、アフリカやアジアの実用的な「日本語ガイドブック」は「アジアを歩く」っていうのが唯一の実用的だった様に思います。その存在を知ったのはロンドン滞在中で、既に廃刊になっていました。旅の途中、それを持っている日本人に会うと、これから行く予定の資料を書き写したものです。英語が読めればいろいろあったんですけどね。

    通信手段もヨーロッパからなら国際電話が出来ましたが・・・5分5000円?・・・アジア横断中はバンコックから電話したかなぁ、そろそろ帰る!って。

    「パキスタン国境カモネギ」体験は、10ドル以上の勉強になり、その後の「適切なわいろの渡し方」に大いに貢献しました。後から渡すのは「チップ」って言うらしいです。

    sanaboさんは国内旅行日記はアップされないのですか? 直ぐに「旅には良い季節」になりますね。

    アフガニスタンに平和を!

    ほいみ
  • mei1110さん 2021/09/01 19:58:59
    貴重な記録!!!
    ほいみさんこんにちは!

    これはなんという貴重な記録!!
    アフガニスタンがバックパッカーのメジャーな目的地(沈没地?)というのは本の中で読んだだけなので、
    写真と実際の体験談を読めてめっちゃうれしいです。
    もう本当に「まさかこうなるとは」ですね。
    90年代半ばはカンボジアも危険危険言われてたけど、
    21世紀になったら普通に旅行できる国になっていた。
    時間はかかるにしても、そんなふうになると思ってたのに。
    タリバンが外貨獲得の為に旅行者カモン政策でも始めてくれるのを待つしかないんでしょうか。
    その確率はどんなもんだろう…

    また貴重な記録がありましたら是非4トラで公開をお願い致します。


    mei1110

    ほいみ

    ほいみさん からの返信 2021/09/01 20:30:02
    RE: 貴重な記録!!!
    こんばんは。
    アフガニスタンもですが、この時代の旅行写真って我が家でも貴重です。プリントもネガも、知らない間に無くなっちゃうんですよね。

    私があの辺りを旅したのは1997年なんですが、1978年にはイランのホメイニ革命、80年にはソ連のアフガン侵攻と、いいなりヤバくなっちゃいました。その頃は、カンボジアやラオスは秘境中の秘境でした。ミャンマーは1週間だけのビザはカトマンズで実際に取得したのに、諸事情で行けませんでした。

    アフガニスタンと言えば、バーミアンとバンデ・イ・アミールですが、冬将軍が迫っていて峠道が閉鎖になると数日間は足止めされるとか脅されて行かなかったのが今でも悔やまれます。

    タリバンの戦士が護衛する「10日間で巡るアフガニスタンツアー」希望!

    ほいみ
  • らびたんさん 2021/09/01 09:14:17
    良き時代
    ほいみさん、こんにちは。

    セコマゴミ捨て問題にコメントする暇も与えられず、もうアフガニスタンに飛びますか!
    どんどん白地図埋めちゃってくださいね~。

    国境スタンプの話、めっちゃおもしろいんですけど。
    荷物検査で何に目を付けるか非常にワクワクしながら進めたところ、寝袋かSONYラジオ。
    そして10USDで入国・出国スタンプが押されるまでは想定内。

    アフガニスタン出国スタンプ(イラン出国スタンプ?)がないことをアッラーに祈るとかもうほいみさん最高で笑わせていただきました。
    そこで終わらないのがまたすごいです。
    相場USD5だったのか!w
    そして倍の10USDで守ったSONYラジオが盗まれるという・・・
    想定の3倍はぶっ飛びますね~毎度。

    右側通行が左側通告に変わるってちょっと信じられないけど陸続きだとよくあるんでしょうね。
    間違えて逆走して正面衝突!なんて日常茶飯事な気がします・・・?

    あとさらっと書いてるけどモヘンジョダロで線路に落ちてたら駅長室に泊めてもらえたとか、男性ならではの話で自分には無理な次元のエピソードは本当におもしろいです。

    こんな良い旅ができる時代はもう永久にこないんじゃないかと思っちゃいます。

    らびたん

    ほいみ

    ほいみさん からの返信 2021/09/01 10:41:43
    RE: 良き時代
    アフガニスタン、アップするのは8月31日しかないと思いました。

    「セコマゴミ捨て問題」・・・正しくは、北海道内のセイコーマートで「ゴミ出し専用ゴミ袋」10リットルを200円で売って欲しい。コンビニだって発生したゴミは業者が巡回して始末してるから、そのルートで始末すれば、10リットルのゴミなんて始末に10円も掛からないと思うんですよ・・・みんなでお得! なぜやらない? こういう意見を「旅行業界に絶大なる影響力を持つ4トラ」が音頭を取って欲しいね。

    国境スタンプね〜・・・これだけは今でも鮮明に覚えてます。
    要するに、これから向かうアフガニスタンから「この国境を越えて」やって来て「パキスタン入国スタンプ」を押して貰って、直ぐに出国スタンプを押して貰ってアフガニスタンに戻った…ってことです。イランの出国スタンプが無いことは咎められませんでしたが、過去のアフガニスタン入国スタンプが無いのは、実はけっこうヤバいですね。中国からの帰り便で、出国スタンプを貰ったのにスレスレ乗り遅れ!た時は、その始末にもっと面倒臭かったです。

    あのSONYのラジオは学生時代から使っていて、愛着があってとても残念でした。実は同時にシェーバーも盗られていたし、直後に銀行内でトラベラーズチェックをスラれて、ラホールの町は警察巡りで終わりました。更に国境へ向かう列車の窓が落ちて来て腕にケガをするというトドメ! なのにパキスタンが好きになってしまうという不思議。まぁ「インド突入の予習」ってことだったのかも。

    何十年後の7G時代には、コードがいっぱい付いたヘルメット被った「脳内旅行」が主流になってると思うので、現在の「スマホ万能旅」がクラシカルな体験になってますよ! 

    アフガニスタンに平和を!

    ほいみ
  • olive kenjiさん 2021/09/01 06:12:33
    アフガニスタン
    9月1日 本日をもってアフガニスタンは20年前の・・否・・一千年前の世界に戻ります。

    ほいみさん、また隠し宝を持っていたのですね。オー何とアフガニスタンへ行かれていたとは知りませんでした。
    貴重な写真がよく残っていましたね。写真の情景が、今もテレビで見る情景と変わらないのが不思議です。時代がストップしているのでしょうか。
    ただ武器を売ってたり、子供が石を投げてきたり、狂暴な犬がいるなどタリバンが出現出来る素養がその頃からあるようです。

    確かに、アフガニスタンは私たちが20代の時はバックパッカーやヒッピーの大御所が集まる所であり、私みたいな柔な旅行者は近づける国じゃなかったですね。
    そんな国へ行ったのだから、やはり大したものです。

    入国管理の賄賂の話も面白かったです。相場よりも倍で払って、その後にSONYトランジスタラジオを盗まれるとは・・ハハハ 他人の不幸は密の味
    そんなこと言っちゃダメですよね。命が有っただけで良しとしましょう。

    アフガニスタンの旅行記など4Tでは見たことなく、行ったのはほいみさんぐらいかなと思っていたら、この旅行記の下に訪問記2件あるのを発見。
    アメリカ占領時の後に行けたそうです。私としては、そんな行ける機会もあったのかと残念がると同時に、やはりムリムリと思うのでした。

    古いお話なのに、やはりアフガンからパキスタンへ入ると、平和な安堵感が感じられるのは、やはり昔からこの様な世情だったのですね。
    本当に珍しい旅行記有難うございました。
    今はただアフガニスタンが阿修羅ニスタンにならないことを祈るばかりです。

    ほいみ

    ほいみさん からの返信 2021/09/01 08:44:31
    RE: アフガニスタン
    お早うございます。

    当時、インドからヨーロッパを目指すにも、その逆でもアフガニスタンは通らなきゃならないので、ほとんどのバックパッカーはアフガにスタンに行ったことになります。当時はまだ中国から中央アジアを行くシルクロードは解禁されていなかったし。イスタンブールからカトマンズまで、超急いで17日間とか聞いてましたが、一般的には40日位掛かったでしょうか。私の場合、寄り道が多かったので4か月掛かってしまいました。当時は情報も少なくメインルートを外れると、いろいろややこしいので、イスタンブールからデリーまではバックパッカーが多く、実はそんなに大半な旅ではなかったです。

    カブール・ゴア・カトマンズ(ポカラ)はバックパッカーが沈没し易い街で、健康的にも精神的にも相当ヤバくなった連中も多かったです。大使館や安ホテルには、よく行方不明者の写真が張り出されていました。

    パキスタンの出国トラブルは勉強になりました。ああいう場合、こちらから「わいろで堪忍して・・」って出ると、それを逆手に取られるから「相手に言わせるのが重要」とは聞いてましたが、それを意識したわけじゃないのに上手く?行きました。あの時代、日当が1$くらいなので嬉しかっただろうな〜

    実はアフガニスタン、情報は流動的なんですが今はどうなってるか、バーミアンには日本の旅行会社が経営してるホテルもあって、10年程前には観光で行ける時期もありました。誘われたんだけど、突然何が起こっても不思議じゃないところなんでお断りしました。観光で行って何かあったら、ヤフーニュースに出ちゃうしね。

    当時、ほとんどの国がビザを要求してたのに、なぜかパキスタンは「ノービザ」だったんですよ。パキスタンって今でもそうなんだけど「人懐っこい」。この時の楽しい思い出で、数年後にパキスタンのフンザへ行ったら、益々パキスタンにハマってしまい、その後の秘境パックに繋がりました。

    アフガニスタンに平和を!・・・って、平和の概念が違うんだよな〜…タリバンとか。なんか、9月11日が怖いですね。

    ほいみ

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