2019/09/15 - 2019/09/15
197位(同エリア363件中)
まりも母さん
渋沢栄一大プッシュ中!? そんな深谷市に一足早く レトロ探索に行ってみた。前半
https://4travel.jp/travelogue/11552203
の続きです。
清風亭・誠之堂、七ツ梅酒造跡を見終え、
深谷駅 観光案内所へ向かいつつ、町歩きしてレトロな建物を探します。
午後一番の目的地は「深谷商業高等学校記念館」の校舎建物です。
そこへ向かう道でも、レトロな建物を探しまくり歩きます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
PR
-
深谷駅へ向かおうと 中山道(国道17号)に出ると、七ツ梅酒造のすぐ前辺りに、煉瓦蔵が見えました。
が、なにせ この時点では観光マップがありません。
この建物がなんなのか?も 不明でした。
すでに営業してないお店なのか?
このあたりに「旧福島屋商店」という煉瓦建物があるらしいのだが、どれだか判らない。 -
少し進んで脇から見たその煉瓦の建物。
かなり古そうには見えるが、この建物が何に使われていたものなのか?
帰宅後、じっくり調べてみると、「旧福島屋商店」の脇部分でした。
空き地の向こう側の通りから見れば、大正10年(1921)に建てられた コンニャク原料倉庫兼工場の入口が見えたようです。 -
七ツ梅酒造跡と並びになる所に、もう営業していない「耳鼻咽喉科 橋本医院」
昭和30年代とかに ちょっと洋風モダンに建てられた病院かな?というレトロな感じ。
が、詳細は不明・・・。 -
南へ曲がると 洗い出しモルタルの看板建築建物と煉瓦蔵が見えました。
小林商店 木造三階建て 昭和2年(1927)
事務所兼住居のこちらは 戦後アメリカ軍の住まいとして、接収されていた事もあるそうです。
装飾のきれいな看板建築。 -
煉瓦倉庫 大正元年(1912)煉瓦は小口積み 砂糖や乾物の倉庫だった蔵です。
内部の棟木に建設時と瓦職人の名前が書かれているそうです。
この煉瓦蔵は瓦職人が造った、と言う事ですね。
煉瓦の壁面に 屋根跡が見えます。隣に別の建物が隣接していたのですね。 -
他にも歩いていると、煉瓦蔵がちょくちょく見えました。
栃木県の大谷あたりに、大谷石の蔵が沢山あるように、深谷で蔵を建てるとなったら、材料は煉瓦で、と 言うのが普通だったのかもしれませんね。 -
深谷駅が見えてきました。あれれ~工事中だ~。
東京駅のようなりっぱな煉瓦駅舎が見えないよ~。
まぁ古い建物ではないです。
平成8年(1996)に改築されたものです。なので、コンクリートに煉瓦タイルを張った、なんちゃって東京駅風です。 -
駅辺りでお昼も食べようと思いますが、案外チェーン店ではない地元の飲食店が無い。
空き地は多いし、駐車場も以前は商店の土地だろうな、と思わせるものばかり。
地方の駅前なんて、どこも皆そんなですね・・・。
そして、コミュニティーバスがあるのも。深谷では、当然 ゆるきゃらグランプリ上位のふっかちゃん仕様で。 -
駅構内にある観光案内所に入ると、ありましたよ。欲しかった観光マップが。
「中山道 深谷宿観光名所マップ」
中山道を中心に歴史的な建物がマップ上に紹介されています。
これこれ、これが、他の所に無かったんだよね。
ちゃんと 観光スポットには用意しておいて欲しいわ。一応、案内所のおじさんに、
「誠之堂に置いてなくて、ここまで探しに来たんですよ」と 言っておきましたよ~。
駅から出ると、丁度12時。からくり時計は ふっかちゃん人形が上にあがって隠れ、
かわりに渋沢栄一人形があがってきました。
両手に持っているのは、青い目の人形と返礼の市松人形らしきもの。
人形を日米の子供たちに贈りあうことが実現したのは 渋沢栄一の力が大きく関わったからと言う事ですね。 -
駅前の青淵(せいえん)広場には栄一様の銅像もありましたよ~。
高い所に座っています。台座含め高さ6.5mもあります。
「近代日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一
実業家、と 一言では言えない 日本経済界に残した足跡はあまりにも大きく、
大河ドラマやお札の肖像ってのも 当然と言えば当然。
今の 深谷市 血洗島出身です。やっぱ、この出身地の地名に引っかかりますよね~。
「血洗島」横溝正史の小説みたいじゃ~ありませんか。
まりも母 学生の時 郵便局でバイトした事があって、当時この地名を見て、「どんな血塗られた歴史があるんじゃ~?」と友人とそーぞー膨らませてましたよ~。
多分・・・この出身地名も、今後ネタにされるでしょうな。
渋沢栄一自身も、この地名に関しては、あちこちで 質問されたそうです。
いくつか、説があり、
赤城山と男体山が戦場ヶ原で戦って、敗れた赤城山の神が腕に負った傷をこの地で洗った。と いうのや
チアライジマの島はこの辺りの地名に由来し 度重なる利根川の氾濫が地を洗うように荒れたとか
どちらにしろ、恐ろしい血塗られた昔話が由来では無いようです。 -
さて、どこかでお昼、観光案内所にあった「深谷煮ぼうとうマップ」で 深谷のB級グルメでも食べるか~と 駅近くのお店を探してみたら・・・。
駅近くには1軒しかない!マップがざっくりしすぎていて店が見つからない!!
だめじゃ~~ん。で、あえなく撃沈。
しかも その駅前の店 煮ほうとうはすでに提供終了だった。
マップ掲載の14店舗中3店舗が提供できないと言うダメさ加減が~~~あ~~。
おまけに、今日は 天気予報より暑くて、日差しも強いしですでに汗だく。
トホホな状態でとりあえず目の前にあった涼しいマックに入ってしまいましたよ・・・。
マックでテキト~にランチを済ませ、涼しい店内で観光マップから歩くルートをチェックし 歩き出します。
「ときわ園」というお茶屋さんに明治初期の煉瓦積みの建物がある、と マップには掲載されていましたが、
で、そのまま進むと 煉瓦と蔵の建物が空き地の所からわずかに見える場所が。
「埼玉石炭」という燃料屋さんの店舗の後ろでした。
お店は、新しく作りなおされていますが、その後ろに、古い蔵などが残っているのですね。 -
通り向かいには 同じ会社の蔵もありました。
-
その燃料屋さんの隣には
塚本商店 大正元年(1912)
和風の商家造りの建物の左右に煉瓦製の袖壁があります。
防火の為のうだつと同じものだと思われます。
塚本商店は、日本煉瓦製造会社に燃料の石炭を納めていたそうです。 -
煉瓦積みなのは袖壁部分だけではなく、建物の妻部分の壁は全部煉瓦積みでした。
このお店のある通りは中山道で、古そうな商店は、通りに面して間口はあまり広くなく、
奥に長い敷地となっています。
古い区画割りでよくある町屋形式です。
そんな 歴史ある通り沿いも すでに建物は壊されて、更地になった所が多く、空き地があるから、建物側面も見られた、と言う・・・。 -
更に東へ進むと これも古い建物ですね。
特にマップに記載は無くても、蔵や商家造りの建物がちょいちょい見られました。 -
他にも蔵などを見つけつつ、更に東へ。
蔵っぽい建物が並んだ景色が交差点から見えました。 -
その交差点から北側にこの建物。
田島木工所のある建物。
2階の壁面がレトロです。きれいに塗装もされていました。
縦割りの賃貸住宅でしょうか? -
交差点から見えたのは
お米のだいまさ
>店舗を改装して町屋建築の保存や土蔵の移設、保存を積極的にしているお店です。
とあります。
江戸時代創業の老舗米店でした。 -
蔵はそのまま使われているようですね。
-
あと少し中山道を進みます。
目的にした おうちの煉瓦塀が見えてきました。
きれいに見えるので古さはあまり感じなかったけど、煉瓦塀は深谷製の煉瓦なのかなぁ? -
大谷家住宅 昭和6年(1931)魚住儀一設計
主屋、洋館、本蔵、松庭湯、祠、中門及び塀、裏門及び塀、欅空庵、米蔵 国指定登録有形文化財
美しい洋館と接続する和館がちらっと見えます。 -
洋館は、ユーゲント・シュティルスタイルで、
窓の上部、屋根の形、避雷針らしきものもデザインされていて、すばらしく美しい建物です!
これはすごい!
そして、手入れが良いのか、とても状態も良く、植栽も含めて、驚きの素晴らしさでした。 -
むくり屋根の中門も、チラッとしか見えない主屋も、すばらしいです。
しかし、これは、今もお住まいの方いらっしゃる住宅なので、煉瓦の塀の中には入れませんし、
あまりジロジロ眺めて写真を撮るのもはばかられます。
帰宅後、調べると、少しだけ室内の画像が紹介されているものが見つかりました。
内部は、数々の美しいステンドグラス、彫刻や細工、職人の技巧だらけのものすごいインテリアがそのまま残っているようです。
見たい~見たすぎる~。が、まさか、ピンポンして「おうち見せてくださ~い」とは言えない・・・。
まりも母 怪しい人になって、門前で萌えまくってしまいましたよ・・・。 -
はぁ、すごいおうち見ちゃった、あれが見られただけで、深谷に来た甲斐があったかも。と思う位。
と、暑い中 いい加減遠くて嫌になってきたのも忘れ、ちょっと戻って、本日の午後一番の目的だった
深谷商業高等学校記念館 大正10年(1922)木造 濱名源吉設計(埼玉県技師)国指定登録有形文化財
平成23年(2011)~平成25年(2013)保存修復工事
フレンチルネッサンス洋式の美しい木造校舎。
(天気が良すぎて、明るく見えすぎです。緑の濃淡でペイントされています)
渋沢栄一や 先ほど見てきた素晴らしい住宅の施主で後に深谷町長となる大谷藤豊の力もあって創立された学校です。 -
入口 格天井の車寄せ部分。
修復以前は 白っぽく塗られていました。それをコンピューター解析の結果
判明した創建当時の外壁 萌黄色 窓枠は緑 尖塔や屋根は深緑 に 塗りなおされました。
玄関を入り、 スリッパに履き替え 受付をし 館内を見学させて頂きます。
開館日 毎週日曜日 午前10~12時 午後1時~3時(年末年始など休館日あり) -
玄関は中央で、左右対称の横長の建物。
廊下もまっすぐです。(玄関から入って左側方向) -
建物右側(東側)から見る事にします。
最初のお部屋は「展示室(旧事務室)」
学校関係の資料がケースなどに展示されています。 -
ありましたね~。渋沢栄一像。大正11年(1922)10月に来校し
「至 誠」「士魂商才」の書を残し これはそのまま深谷商業の校訓となりました。 -
隣は「応接室(旧校長室)」
クラシックなデザインのテーブルと椅子などが置かれています。
壁には歴代の校長先生のお写真。 -
りっぱな扉のある戸棚のようなもの
「奉安庫」戦前の学校には設けられていた 御真影や教育勅語が収められていた場所。 -
校長先生のデスク。古い電話などもディスプレイされていました。
-
また隣は「自習室(職員室)」
照明器具は蛍光灯です。ここは、今も普通に使われているみたいですね。
だから、見学できるのは日曜日だけって事か。 -
1階の右端は「会議室2(旧図書室)」
窓こそ、上げ下げ式のものが残っていますが、
他は、古い感じはしない部屋でした。
腰壁、窓枠は旧校長室と同様に木地仕上げに復元されています。 -
東側階段
階段下にゲタ箱があるのが、学校っぽいです。建物の両端 西と東にそれぞれ同じ回り階段があり
南側に部屋が並ぶ、学校建築らしい造りになっています。 -
階段室の持ち送り部分の意匠。
フレンチルネッサンス洋式の外観の建物でも、用途は学び舎だからか、屋内の装飾はほとんど見当たりません。
階段親柱と壁の持ち送りには装飾らしい彫刻がありました。
ブラケット照明も見えます。これは復元ではないかと思います。 -
2階へは上がらず、玄関へ戻ります。
今日、最初に受付をした窓口が玄関脇にあります。
窓口の周りは、木製のフレーム飾りが。
この向うは、「管理室(旧応接室)」なのです。
なんか、応接室の壁に穴があるのが変な気もします・・・。
反対側の旧事務室に受付窓口があるのなら判るのですが。はて。なんでだろう?? -
玄関内側から見た入口の観音開きのドア。
玄関部分は案外広くなく、学生の出入りは 多分、階段下の建物左右の入口だったのではないかと思われます。
ここじゃ~全員分のゲタ箱置けないし、混雑しそうですもん。 -
旧応接室の隣には小さな旧宿直室があって、その隣に校史保存室(旧機械室)
深商出身のプロ野球選手が居たんですね。ユニフォームも飾られていました。 -
西側端の部屋は「会議室1(旧商品陳列室)」
商業高校ならではのお部屋だったのかも。
今は、広めの教室みたいな会議室です。 -
西側階段室
現在はバリアフリー用のスロープが階段下に設置され、屋外に通じた
バリアフリー出入り口に改装されています。
その他は、東側の階段とシンメトリーです。 -
こちらの階段をあがり、2階へ行きます。
踊り場には明かり取りの大きな窓。 -
踊り場から2階を見た景色。
外観は緑の濃淡が印象的な色ですが、玄関、廊下、階段は木の腰壁 茶色系濃淡と漆喰壁の白です。 -
昔もこんな風に電球のあかりが ずら~っと並んでいたのでしょうね。
ドアが開いていると内側が緑っぽく塗られているのが判ります。 -
2階の部屋は全て旧教室です。
この部屋も「多目的室」となっていますが、普通の教室ですね。 -
隣も教室。ここには椅子や机がありませんでした。
1階の校長室、会議室は木地仕上げの茶色っぽいインテリアで、
教室に使われるお部屋はどれも、外観同様の緑っぽいペイントになっています。 -
更に隣の部屋。やはり教室。
ロッカー棚には荷物が入っていて、リアルな学校感があります。
小中学校の時は 私もこういうロッカーだったと思う。 -
2階の中央あたりに、保存修復工事の時に造られた、小屋組みが見える場所がありました。
-
棟札も見えます。
工事で天井が剥がされ、この棟札が発見され 設計者が判明したそうです。 -
古い時計が掛けてあります。
定規時計 学校で時間の基準に使われた時計ですね。
この時計は、修復工事中に見つかったものを職人に修理してもらい、再び時を刻む事になったものだそう。
精工舎(現SEIKO)の二本分銅引きの物。 -
壁に展示してあった、修復以前の外観写真。
外壁は白っぽく塗り重ねられていたのですね。屋根は赤で。
現在の 創建当時の色の方が美しいです。 -
2階廊下の中央部に手洗い場。これ、懐かしいです。そうそう、学校にはこういうのあったなぁ。
大正時代と言えば、一般家庭はまだまだ井戸水の時代。
蛇口から水の出る水道があったのなら、
最新設備のモダンだと感じたでしょうね。
網に入ったレモン石鹸は・・・もっと後だな。 -
教室と廊下の間の窓も上げ下げ窓でした。(教室内から見た所)
窓は、どの部屋も上げ下げ式のものになっています。
これも復元工事で戻されたもので、2階の南面や1階事務室は 修復前は引違い窓に替えられていました。 -
館内の部屋は見終えましたので、外に出て ぐるっとまわって見ます。
堂々とした外観ですね。
下見板張りに尖塔、ドーマーのある屋根。
立派な造りです。 -
建物西側。ブラケットの外灯もありました。(これも昔からあったのでしょうかね?)
-
北側、裏の出入り口
煉瓦の門柱がありました。
正門と書かれています。昔の正門に使われていた門柱でしょう。 -
土台には煉瓦。
日本煉瓦製造会社の上敷免レンガが使われています。
排気口の格子デザインも 古い建物の鑑賞ポイントのひとつ。
七ツ梅酒造跡から駅まで歩き、その後お昼を挟んでここまで建物を見つつ歩いて来ました。
下調べでは、深商には駐車場が無い、となっていたのもありましたが、
実際はこの校舎の後ろ側に来客用の駐車スペースもちゃんとありました。
車で見学に来られるなら、直接学校まで車でアクセス可能です。 -
学校の建物見学を終え、車を停めた場所に戻りつつ、まだ見ていない古い建物を探します。
釜屋金物店 明治15年(1882)
元禄6年創業としている(それ以前だがはっきりしない為)深谷の老舗商店。
お店の前面は造り直されていてオリジナルは見えないけど、横の漆喰、大屋根がすごいですね。 -
藤橋藤三郎商店の赤煉瓦煙突 埼玉県指定景観重要建造物
江戸時代 嘉永元年創業の老舗酒造
お店の建物は新しくなっていました。
煙突の他に、蔵と井戸も深谷の煉瓦でできたのもが残っているそうです。 -
糸屋製菓店
明治41年(1908)創業 出桁の商家造り。2階の戸袋や樋は銅製みたいですね。
最中、あんドーナツが有名なお店らしいです。 -
糸屋製菓店の脇に路地が見えました。ここを通って、駐車場へ戻る事にします。
やはり、中山道沿いの 間口はそんなに広くなく、奥に長い敷地。
2階の方が1階より飛び出している部分は、古そうですね。
多分、昔は隣の建物が2階前いっぱいまで建っていて、
1階を少し引っ込めて通路を取っていたのではないかな?
奥の方はお菓子の工場で、沢山の方がお仕事されているのが覗き見えました。 -
路地を出たところ、突き当りの住宅。
こちらも片側に これは煉瓦ではなく、漆喰塗りのうだつ壁が。
深谷の街中に袖壁のある建物が多いので、昔大火でもあったのかな?と思いました。
でも、考えてみると、埼玉でも群馬との県境。
この辺りは冬、乾燥した強風の「赤城おろし」の吹く場所。
冬の火事は相当恐ろしいものだったでしょう。うだつ壁を作る理由はそういう事でしょうね。
ちょっと調べが不足したまま来てしまった深谷。
観光マップが無かったり、観光案内もちょっと物足りなさを感じました。
が、誠之堂、深谷商業高校、それに、思いがけなかった大谷邸、と 見ごたえある建物もあってよかったです。
思ったより暑くて疲れた・・・。そろそろ帰宅です。 -
帰り、前からちょっと気になっていた 「羽生パーキングエリア上り線」近くを通り、
ダンナが、「このパーキング、外からも入れるんだよ。」というので寄ってみました~。
ちゃんと駐車場があり、徒歩でPAに入れるのです。
外の駐車場はほぼ満車で、たくさんの人が来ていました。
丁度 高校生の太鼓の披露が終わった所でした。 -
「鬼平江戸処」鬼平犯科帳の世界観でPAの建物が造られています。
プチテーマパークみたいな気分で来る方が多い訳ですね。
混んでる混んでる。 -
PAなので、そんなに広くはありませんけど、なかなか良く出来ています。
-
店内のフードコートも売店エリアもそんな江戸っぽい雰囲気。
売り物もそんな和物っぽいのが多いですね。 -
暑かったのでソフトクリームでも食べようか?と。表のお店は並んでいたし
これ見つけたので買っちゃいました!
栃木名物レモン牛乳のアイスバージョン。
特別美味しい訳ではないけどねぇ。めったに見ないから見ると食べたくなるなぁ~。
9月半ばも暑かったねぇ。
深谷・・・渋沢栄一生地「中の家」はスルーしちゃったまりも母。
ごめんなさい渋沢先生。
次回、日本煉瓦製造会社を見に来る時は、寄りますので~。
これからは、どんどん観光客も来る事でしょう。
深谷市観光協会さんももうちょっと頑張って下さいね。
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