2019/09/15 - 2019/09/15
134位(同エリア364件中)
まりも母さん
深谷市出身の「渋沢栄一」の肖像が次の新紙幣に採用
再来年2021年の大河ドラマは渋沢栄一の生涯を描いたもの・・・と 相次いで発表され
渋沢栄一関連で「深谷市」はこれから注目の場所となりそう~。
そんな事には関係なく、前から
「深谷市には いくつもの歴史的建造物があるらしい いつか行こう・・・」と 思っていました。
天気がいまいちで、山に行かれないダンナに「ざっくりでも調べてあるなら行こうよ」と言われ、
突撃状態で深谷に出発~。
画像が多いので、この日の旅行記は前後半に分けて掲載します。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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-
ダンナはできればお山へ行きたい。でも 天気次第って事も。
9月は週末のたびに微妙な天気で、山には行けないから
ここで、奥さんの行きたい場所へ行って機嫌を取っておこう・・・と言う 魂胆が見え見え。
なので、下調べがざっくりしか出来ていないから~~って 言ってるのに「今日は深谷へ行こう!!」
以前ざっと調べた分と、車内でスマホ検索して とりあえずの目的地を
「誠之堂・清風亭」のある大寄公民館としました。
車で行くから駐車所の有無がポイントでもあります。
この公民館には 無料の駐車場があると調べてありました。
公民館の建物に入り、受付で 建物を見学に来た旨を申し出る事になっています。
すると、パンフをくれて、建物にガイドが居るからその人に声をかけるようにと。
まず、案内されたのが
清風亭 大正15年(1926)西村好時設計 鉄筋コンクリート造
埼玉県指定有形文化財
当時第一銀行頭取であった 佐々木勇之助の古希(70歳)を記念して、
世田谷区瀬田の清和園内に誠之堂と並べて建てられたもの。 -
外観は スパニッシュ洋式
煉瓦のように見えるのはすべて、スクラッチタイルです。
今年の3月に見学した 「小笠原伯爵邸」もスパニッシュ洋式の邸宅で、昭和2年(1927)の建物でしたが、
その頃、スパニッシュ洋式は流行だったそうです。この「清風亭」もほぼ同時期。
当時流行のスクラッチタイル採用と言い、外観は最先端のスタイル のようですね。
また、初期のスパニッシュスタイルとして、庇が無く、屋根の端が壁面とフラットなのも 小笠原伯爵邸と同じ。
これは、雨の多い 日本の気候に合わない・・・と 後々 スペイン風でも 庇があるスタイルに変わっていくのです。 -
ガイドさんと一緒にバルコニー側の吐き出し窓から スリッパに履き替え 室内に入ります。
広いお部屋がひとつ。
この建物が建てられたのは「清和園」という第一銀行所有の保養施設で
先に「誠之堂」が建てられていました。
「誠之堂」と同じく 第一銀行行員たちの出資で建設されました。
記念館のような感じですね。 -
天井は漆喰で、梁部分には唐草模様の漆喰レリーフ。
シャンデリアはオリジナルではなく、後から雰囲気に合わせてつけた物だそうです。
と、いうのも 「清和園」の土地が その後 私立の学校に売却され 建物も学校用に使われた事があったからです。 -
マントルピースもスクラッチタイル製。
外壁に使われるスクラッチタイルが、ここではインテリアにも多用されていました。
個人的にスクラッチタイルは大好きなので、煉瓦もいいが、こーゆースクラッチタイルもえ~の~、と思いましたよ~。 -
椅子は 背と座面の張替えはしてるもの、オリジナルだとボランティアガイドさんがおっしゃっていました。
帽子を被って立っている方が、ガイドさん。
ここ 無料で見学できるのでした。 -
広間の両側にはどちらも アールの出っ張りにアーチ窓が三つ。
窓の下にはベンチ状の部分がありました。
出窓の左右 角にはめられているのも外観と同じスクラッチタイルです。 -
窓の端の所にはステンドグラスもはめてあります。
色味を押さえた品のあるステンドガラス。
素敵ですね。 -
広間の他に廊下の向うに2部屋とトイレがあるようでした。
ドアの廻りや、廊下にもスクラッチタイルが使われていました。 -
中の案内は済んだので、外観をもう一度。
三連の窓の外側も素敵ですね。
ここには葡萄の柱頭飾りのあるオーダー。 -
バルコニーの反対側になる面 こちらに正式な入口が。
スクラッチタイルでアーチが作られていますが、案外ここはシンプルです。 -
マントルピースの煙突もスクラッチタイル張り。
でも、張りかたにアクセントがあって、いいですねぇ。 -
次に、お隣の建物を見せて頂きます。
誠之堂 大正5年(1916)田辺淳吉設計 煉瓦造 スレート瓦 国指定重要文化財
渋沢栄一の喜寿を祝って建設されました。
「誠之堂」の名は、渋沢栄一自身が儒教の経典の一節から命名したものです。 -
設計発注には以下の条件があったと なっています。
1 西洋風の田舎屋
2 田舎の家らしく
3 建坪は、30坪前後
4 小集会に適する程度の設備
外壁の煉瓦は、色とりどり。
赤一色の同じ煉瓦ではなく、白っぽいのや黒っぽいのが混ざっているあたり、田舎家っぽさがありますね。
窓の木枠の感じと合わせても、いまどきの小洒落た パン屋やレストランでも違和感なしのデザイン性です。 -
積まれた煉瓦は、こんな感じです。
良く見ると、色むらがあったり(経年劣化ではなく)キズやわずかなカケがあるようなものもあるのです。
黒っぽく見える煉瓦は、普通なら使わない 焼き過ぎみたいな いわゆるB品煉瓦だと、ボランティアさんが言っていました。
あえて、そういった煉瓦も使った と いう事のようです。
そして、張り方もちょっと変わっていて、デコボコしているのです。
表面がフラットではなく、煉瓦の出っ張りが3パターン位。
「変わった張り方だなぁ~。この時代にシャビーシックと言うか~、ジャンクスタイルやエイジング加工を好むってのもなぁ~」と思っていたら・・・
ボランティアさんが、「脇から見て下さい」と。 -
あれま~~「なんと言うことでしょう~~」
出っ張った煉瓦は 斜めに並べられていたんだ~~。
テキトーにデコボコにしたのではなく、あえてこういう風に積んだのか~。やるな~。
こいう小細工 まりも母は 大好きですわ~。
ちなみに、この建物を移築する際、煉瓦に「上敷免製」の刻印のあるのが発見され、
深谷市にあった 日本煉瓦製造株式会社の製品である事が判ったのだそう。
ここからさほど遠くない ホフマン式煉瓦窯で焼かれた 煉瓦造の建物が、深谷に移されたって事は、
「煉瓦レベル」でも正に 里帰りと言う事なのです。 -
中に入ります。
入口ドアも田舎家風。玄関部分内側も外壁と同じ煉瓦積みのままです。 -
天井あたりは漆喰が塗られたハーフティンバー。
「西洋の田舎屋」感出てますねぇ~。 -
「誠之堂」も住宅ではないので、大広間ひとつに次の間、化粧室などの小部屋が少々ある建物です。
メインの大広間は、アーチ天井に 煉瓦のマントルピースが印象的です。
家具とシャンデリアは写真を基にした復元です。
窓の左右にも煉瓦が見え、漆喰と煉瓦の美しい空間。
この「誠之堂」と隣の「清風亭」どちらも
平成9年(1997)土地を所有していたセントメリーズインターナショナルスクールの施設拡充に伴い、
解体の危機にあったのです。
当時どちらの建物も一般公開されていなかったので、関係者以外知らなくて
深谷市にその解体予定の連絡が届き 翌日 市長と職員が急行したのは解体の5日前!
大至急 深谷市への移築が検討され 保存が決まったと言う、なんともギリギリセーフな命拾い。
その建物が、重要文化財ですからねぇ~。
この移築事業は深谷市の誇りと言っていいでしょうね。 -
煉瓦積みのマントルピースの正面には
渋沢栄一の肖像レリーフ。
ガイドさんのお話だと、大正5年の建築当初は 横向きのレリーフだったのだそう。
何故だかは判らないけど、大正8年4月 正面のものに作りかえられたという事です。 -
暖炉脇の窓にはステンドグラスがはまっています。
沢山の人が何かを行っている図柄です。
全部で6枚あり、中国漢代の「画像石」の図柄を模したもの。
これも、渋沢栄一を貴人に見たて、喜寿を祝う図と いう事です。 -
漆喰の天井にはあちこち、レリーフ飾りが。
雲と鶴。縁取りは松葉。和風?ではなくて、朝鮮風との事。 -
もうひとつは、「寿」の文字です。
どれも、渋沢栄一の喜寿を祝っての図柄だそうです。 -
大広間に続いて「次の間」とされる小部屋。
天井が網代張り。出窓は三面のガラス。
和っぽい雰囲気もある明るいお部屋です。 -
化粧の間(着替えなどを行う小部屋らしい)の扉にもステンドグラス。
こちらには菱格子に鳳凰と龍。 -
玄関からテラスに出るドアには古いドアハンドルもそのままに。
(鍵穴部分はふさがれていましたが)
今は 保存状態も良く感じられるこの建物、移築が大変だったそうです。
移築解体の際に詳細な調査も行われたのは当然ですが、
この建物は元々、設計者の田辺淳吉が清水組出身だった事もあり 清水組(現清水建設)が施工し
図面も残っていたそう。
それもあって、建物解体・移築と言う大仕事も 清水建設が最高の技術力で行った、と言う事です。 -
外に出て外観を見ます。
煙突の上には風見鶏。が、これも珍しいなぁ~ 東西南北を示す十字の先が漢字だ~。
普通はEWSNのアルファベットだよね。
なんか、かわいい。 -
テラスは屋根付き。
はじっこにはベンチがあり 手すりのデザインがちょっと不思議。
設計者の田辺淳吉は セセッションの影響を強く受けた方だそうで、
この意匠も幾何学模様的とも思えるし、中国風にも見えるし
この建物は色々な要素が含まれていますね。 -
テラス部分は洗い出しでした。
この洗い出し部分 大きさの異なる四角を幾何学的に並べたデザインで、ここにもセセッションの影響が感じられます。 -
テラス面の眺め
屋根は天然スレート瓦。いいですね~~。
移築時は一枚一枚はがしてきた瓦を 再び一枚づつ張ったそうですよ。 -
暖炉の煙突ももちろん煉瓦製
-
暖炉の煙突の下 これは、丁度 室内の暖炉の外側に当たる部分。
煉瓦が「喜寿」の文字に積まれていました。
これも、中国風。
ところで、これらの煉瓦を焼いた 日本煉瓦製造株式会社の跡地は、この敷地からも見えるあたりにあるのです。
ホフマン輪窯6号窯の一部や旧事務所などの建物が残り、見学施設になっています。
が、6号窯は 現在保存修理工事中で令和6年まで見学できません。
(まりも母は2017年2月に野木市のホフマン窯を見学しています)
修復工事が終わったら、また見に来よう。 -
移築にあたり スレート瓦は1枚づつ剥がして張り直すことができましたが、
煉瓦はすべてはずして組み直す、と言う事が出来ない為、
高度な切断技術で部分ごとに分解し 移動後、組み立てたそうですよ。
そうそう、明治末期、清水組の経営には 渋沢栄一も関わっていたのですね。
なるほど、清水建設のやる気も ただの「移築工事依頼」ってだけでは無かったのかも。 -
煉瓦の町深谷 と言う事もあるのでしょう。
公民館の建物も中庭も そのイメージのあるものでした。
見学後、公民館の受付あたりに 観光マップがある事を期待したのですが、残念ながらありませんでした。
最初にここに来た時、「渋沢栄一に興味があって来られたのですか?」と聞かれました。
まりも母の目的は、歴史的建造物と、レトロな建物見物なので、「違いますけど」と正直に言いましたよ。
が、これからは、そういう明治時代や大河ドラマファンも観光に来るのでしょうから~
やっぱ、観光マップ位は置いておかないとね~。
と、いう事で、マップが無いと見落としもありそうなので、観光案内所のある深谷駅の方へ行ってみようと思います。
車をどこに停めて、どうやって歩けばいいか?公民館ロビーで作戦会議です。 -
とりあえず、車が停められそうな観光施設 と 言う事で
駅方面に向かう途中の「七ツ梅酒造跡」に行ってみる事にしました。
カフェや映画館、古書店などのお店が営業しているようなので、お昼も食べられるかな?と。
深谷シネマの通り向かいに 商店街無料駐車場と言うのがありました。
七ツ梅酒造の西酒蔵を改装した 深谷シネマ
改装されているこの西蔵 元は創建当初の享保元年~幕末の建築と推定される相当古いものだったようです。 -
この一角は 七ツ梅酒造という造り酒屋のあった場所でした。
元禄7年(1694)創業という歴史ある蔵元でしたが 平成16年(2004)に廃業しました。
所有者の意向を受け 「まち遺し深谷」という社団法人が保存・管理・運営をおこなっているそうです。
950坪もある敷地に 多くの建物群がありますので、見せて頂こうと思います。
東酒蔵 今はイベントホールに使われています。 -
木造の建物や煉瓦蔵。映画のロケセットみたいに広い敷地に古い建物がそのまま残っています。
蔦の絡む壁もあったりして、レトロな雰囲気はバッチリです。 -
右手前の平屋の建物は お店として使われていました。
鬼瓦の製造・販売の「鬼義」工房兼事務所のようです。
が、今日は開いていませんでしたね。
お隣は「二兎三兎」という和風居酒屋。こちらもやっていなかった・・・。
(通常は11時~15時は営業らしい)
店主が蔵人で酒造りを行う為、10月~3月は休業とwebサイトにはありました。 -
赤煉瓦倉庫の壁面
資料がはっきり出てきませんが、元精米蔵だったよう。
中はミニホールとしてイベントなどに使われるようです。
「東京厚生食堂協会」の看板は・・・なんで東京?という事もあり、レトロ感出す為の飾り?と言う気も。
下に貼られた、論語の書かれた赤い紙も なんか変・・・。なにかの撮影にでも使った跡かしらね?
まぁ、怪しげな雰囲気は、この場所に合ってますね。 -
煉瓦倉庫の先はちょっと広くなったスペース。
建物が連続するようにあるけど、営業しているお店などは、この時は ほとんど無かった。
立入禁止の使われていない建物も多く、老朽化が進んでいます。 -
煉瓦倉庫の隣あたりは、こんな様子。
壁が崩れたり、梁もかなり痛んでいます。
ベンチの後ろには煉瓦の窯のようなものも見えました。
コーヒー店が営業しているらしいけど、この時はやはり やっていませんでした。 -
そんな中、唯一ちゃんと営業していたお店は
「須方書店」という古書店。 -
古書店に入ってみます。
昔の本屋さんを思い起こさせますね。
子供の頃通った近所の本屋さんは、古書店じゃないけど、こんな木製の棚の並んだ書店だった。
我が家のルールで、マンガはダメだったけど、
読書用の本は、好きなのを選んで、本屋のおばさんに名前を言って、ツケで買える事になってました。
本屋のおばさん 名前言わなくても、子供の顔を覚えていたけど。
配達される子供雑誌の分と一緒に 母がまとめて支払いをしていました。
そんな事、思い出しちゃったなぁ。 -
古書店の前にはミニFM局 FMふっかちゃんのスタジオなどもありました。
建物の軒下には陶器の碍子が沢山並んだ、ふるい配線と配電盤も。 -
古書店の裏辺りには煉瓦の煙突。
酒造には高い煙突がシンボリックにあるのが良いです。
深谷だけあって、煙突は煉瓦製。
古書店の建物は、どうやら元窯屋のようです。
だとすると・・・こちらも創建当初の享保元年~幕末の建築と推定されるよう。
かなり古い建物もいつくも残っている、という事ですね。 -
煉瓦煙突の裏にも路地があり、建物が建っています。
もんじゃ焼きのお店やギャラリーなどがあるようでした。
が、もんじゃのお店も日曜日は休み・・・。
店舗マップでは カフェがあると記載されてたけど、「七ツ梅結ぃ房」は8月で閉店していました・・・。
残念。この敷地内でお昼を食べる事はできなかった~。 -
更に続く建物群を見ると、2階建ての建物。
りっぱな手すりのあるバルコニーも見えます。
「母屋(主屋)」昭和8年(1933)
1階は店舗や事務所、奥に金庫室。
2階は居住空間、という建物だそう。
2階のバルコニー・・・上がって見たいなぁ。 -
素敵な窓がありました。
昔の建具はデザインが素敵です。
この旅行記を書くにあたって、この場所の事を調べつつ書いていますが、
すると、行って見て来ただけでは判らなかった事を また知ります。
この七ツ梅酒造跡地は、映画館を運営するNPOを中心に基金を創設し
2023年までに寄付金を集め、元酒造のご家族から土地を購入する事に決まっているそうです。
購入後は、建物を修繕し 地域に親しまれる場所、 新たな観光スポットとして活用していく計画だそう。 -
あちこち痛んでいる場所も多いので、この先の この場所が心配になっていました。
でも、そんな新たな計画があると知って、ちょっと安心。
母屋の脇にあった建物は「中山道深谷宿本陣」と書かれています。
七ツ梅酒造は、深谷の中心だったと言うことですね。 -
母屋の街道沿いの部分は見世蔵風の建物で大きな看板も。
この時はレトロなシャッターが閉まっていました。
現在は雑貨ショップ「なんでも屋mog」として営業しているようです。(日・火定休) -
母屋脇の門の所に 「田中藤左衛門 電話十五番」の表札。
今日は、営業していないお店がほとんどだったし
痛んだ所が多くて残念な感じではありました。
次に来る時は・・・この雰囲気は変わらずに、老朽化した場所が改修され、もっと楽しい場所になっている事を期待します。
まだ手に入れていない観光マップを求め レトロな建物探しをしつつ深谷駅へ歩きます。
この続きは
渋沢栄一大プッシュ中!? そんな深谷市に一足早く レトロ探索に行ってみた。後半
深谷商業高校とぐるり町歩き編です。
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