2024/11/17 - 2024/11/17
181位(同エリア516件中)
まりも母さん
国道16号を通りかかり目にした西洋館をずっと見に行きたいと思っていました。
入間市の「旧石川組製糸西洋館」
やっと念願かなって行かれたのは2024年公開最終日。
ガイドツアーにも参加し じっくり見学ができました。
宮大工が造った 美しい和洋折衷の建物
家具、調度品も 創建当初の物が多く残る見どころ多い建物でした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
-
現在 入間市の所有となっている 旧石川組製糸西洋館
3月~11月の土日を中心に 一般公開日が決められています。
大人1人200円。
この日は13時15分からのガイドツアーに参加しようと
少し早めに行きました。
建物裏手に無料駐車場があります。
その脇に裏門。ここから入りました。
鉄製の門扉の横にくぐり戸のある 創建当時からのものであろう門です。 -
最初に見えたのは建物の裏側。ほぼ南面になります。
レンガ調のタイル張り。
縦長の観音開き窓が並んだ 西洋建築らしい外観です。
2階の一部に出窓状の部分があります。
後で そこの秘密が判ります。 -
建物を廻って 北側の玄関へ向かいます。
西側には裏口らしきドアが。 -
軒下に雷紋が彫られているのが見えます。
このラーメン模様っぽい柄 この後度々登場し
この建物全体に統一した いくつかのデザインポイントのひとつと考えられます。
「あ、ラーメン模様」なーんて言いたくなっちゃいますが~
実はラーメン丼の模様は四角の渦巻きが2個1セットです。
これは それではなくて 渦巻きがずっと繋がっています。
ボランティアガイドさんの話だと エッフェル塔にも同様の雷紋が使われているそう。
この雷紋の装飾は むしろヨーロッパっぽさを出しているのでは?と言う事です。 -
北側 現在の国道16号に向いたのが建物正面です。
旧石川組製糸西洋館 大正10年(1921)木造2階建て
室岡惣七 設計 (室岡惣七は現在の狭山市出身 この他に重要文化財「旧遠山家住宅」も設計)
宮大工 関根平蔵 (川越市出身)
国指定登録有形文化財 -
車の導入路はありませんでしたが、
車寄せのような玄関ポーチがあります。
そのポーチ部分はまさに和風。
入母屋破風の屋根も乗っています。 -
その本館建物の左 東側には平屋の別館の建物も。
こちらも 本館同様レンガ調の化粧タイル張り。
この建物も 登録有形文化財指定を受けています。 -
本館と別館の接続部分。
この仕上がりを見る限り どちらも同時に完成したと判ります。 -
建物に入ります。
玄関ポーチを下から見上げると 格天井になっていました。
この部分だけを見ると社寺建築のよう。
宮大工の本領発揮と言った所でしょう。 -
軒下 角の所に透かし彫りが見えます。
モチーフは笹竜胆
これは石川家の家紋です。 -
玄関の照明器具 この建物 古い照明器具もかなり残っています。
平成15年(2003)に建物が入間市に寄贈されるまで
長きにわたり 良く残っていたと思います。 -
木製のドアにはアーチ型の鉄飾りが。
当時流行っていた アールデコ様式のデザインを取り入れた感じですね。 -
腰壁には大理石が張られています。
-
床はモザイクタイル。
ポーチの和風な それも社寺建築のような格式を感じさせる意匠に比べ
ドアの内側は モダンな西洋的なデザインとなっているのです。 -
玄関の先は広い玄関ホール
その天井です。
シャンデリアは 創建当初のものでは無いそう。
天井は 多分 ティンパネル。
建築された時代 特にアメリカで 流行ったものです。
漆喰で造ったパネルを張るより
プレス加工された鋼鈑に色を塗って天井の装飾が出来る訳ですから
施工もコストも楽な 最新の加工方法であった事でしょう。 -
玄関ホールにマントルピースがありました。
しかし、この建物に暖炉の設備は無く
このマントルピースはただの飾りなのだそう。
このマントルピースの左に 受付カウンター。係りの方がいらっしゃいました。
そこで 見学料を払います。 -
提示されていた平面図の画像も載せておきます。
この西洋館については 入間市が詳しい解説付きのwebサイトも公開しています。 -
受付後 「見どころガイド」の前に自分でざっと見てから・・・と思ったら
よければその前に 大まかな案内をしますよ、と言われ
お願いしました。
結果 2度のガイドを聞かせて頂く事になり 写真もその都度撮りました。
最初に食堂から見せて頂きます。
とても広いお部屋です。
鏡のついたキャビネット、長テーブルなどは創建時のままの家具。
ここは喫茶コーナーとしても使われていました。
コーヒーや狭山茶が有料で楽しめます。 -
天井が豪華なのには驚きました。
歴史的建造物の鑑賞ポイントのひとつですからねぇ。
これは 堪能のしがいがありました。
天井萌えです。
西洋風の折り上げ格天井。
木製の幾何学模様は やはりアールデコの印象があります。
明治から大正初期の漆喰のメダリオンや蛇腹模様のスタイルとはまた違います。
木製の天井装飾が多いのは 宮大工の施工ならでは、と言えるかも。 -
折り上げの部分には透かし彫りが。
この透かしの円形を横に並べたデザインも
先の雷紋同様 統一デザインのひとつ。 -
天井から下がるシャンデリアに 天井の透かし柄と同じ文様が。
幾何学模様である所は 雷紋や条線紋と同様ではあります。
シーリング飾りも重厚感があり素敵です。
歴史的建造物の鑑賞ポイント「照明器具」も見どころレベルが高いです。 -
鏡のついたキャビネット。
この家具にデザインされている縦ラインが彫られた部分
上の棚を支える円柱、キャビネットの左右に見られます。
解説では「条線紋」と呼ばれていました。
これも 他の家具などにも何度も見られ
統一デザインポイントのひとつでもあるのです。
それと葡萄の彫刻が見えます。
この葡萄も実は ちょこちょこ登場するモチーフなのでした。 -
食堂の腰壁。
ここにも条線紋。材はケヤキっぽいですね。
木目が美しい。
この手前に置いてるベンチは この西洋館のすぐそば
「武蔵豊岡教会」でかつて使われていたものだそう。
グラデーションになったツイードっぽい張地が素敵なベンチです。
石川家はキリスト教徒で その豊岡教会の建築には
石川家と同族会が土地と建築費の約半分を寄贈しました。
教会建物自体もヴォーリーズの設計したものですが
国道16号の拡幅時に外装は一新してしまっています。
(内部は以前の面影が良く残っているそうですが
普段は非公開です) -
そして この建物の鑑賞ポイントに「床」があります。
フローリングの床には お部屋ごとに異なる寄木のフレームがあるのです。
これが食堂の床。
当時のことですから無垢の材を組み合わせたものでしょう。
100年を超えて 外れたり欠ける事もなく維持されています。
素晴らしいです。 -
玄関ホールに戻って次は 控えの間
隣の応接室の控えの間です。
壁と天井は同じ壁紙が張られています。(建築当初のものでは無い)
柱や長押のある 和風の印象が強いお部屋です。
画像では見えにくいですが 柱と長押の内側 フレームのような木部には
雷紋の彫刻がぐるりとあります。 -
照明器具はひとつだけ。
竿縁が組まれた中央に下がっています。 -
2度目のガイドの時 明かりを消した所を見せて頂けました。
照明器具にも雷紋がデザインされていました。
ガラスには切子細工もあり 凝った造りなのが判ります。
この部屋には小さなテラスもありました。
床は茶色と白の市松タイル張り。
網戸もついていましたよ。 -
控えの間から応接室へ。
折り上げ格天井の豪華なお部屋。
まさしく もてなしのお部屋だと判ります。 -
大きな枠組みの中に細かい竿も組まれたこれは
「折上小組格天井」だと 解説にありました。
宮大工の腕の見せ所です。
4基の照明器具も控えめながら 格式の高さを感じさせる物です。 -
保存状態は良くありませんが、創建当初からの絹縁の壁紙が残っています。
ガイドさんのお話だと このお部屋 最近ではドラマ「相棒」のロケにも使われたそう。
冷房設備が無い建物の為 窓を開けているうちに 壁紙が風に吹かれたりと
ここ数年で劣化が進んでしまったそうです。 -
中国風のキャビネットがありました。
大正15年11月 69歳の記念に製作された事などが彫られています。
このように家具類が多く残っているのも この建物の見どころです。
(腰壁の上部に条線紋のデザインも認められます) -
応接室の寄木模様。
絨毯はペルシャ製の大変高価なものだそう。 -
絨毯をめくると 周りの寄木模様の床より 絨毯が敷かれた部分が一段高くなっています。(応接室と控えの間にのみ施されている)
このような床は他の建物では 見られない特徴だと言う事。
高価な絨毯をより 分厚く感じさせるための工夫なのか?
はっきりとした理由は・・・まだ謎です。 -
中国の東洋画の画材とされる「四君子(蘭・竹・菊・梅)」の彫刻付きのキャビネットも。
後ほど この「四君子」はまた 登場します。 -
玄関ホールへ戻り 階段下のスペース。
置かれた家具 テーブルにはここにも条線紋。
床はヘリンボーン張り。
階段下の壁の中は物置になっています。
奥に見えるドアは外観で見えた裏口になります。 -
2階からの階段室の眺め
階段の手すりは 一本丸太から削りだしたつなぎ目の無い物が
踊り場の上下に一本づつ。
踊り場にある窓は 床部分が窓の途中に来ているのがちょっと変わっています。
外観に並んだ窓の位置を揃える事を優先した為のようです。 -
階段の親柱部分 製糸会社の建物だった事から
糸巻をデザインしたものだと考えられています。 -
2階ホールの照明器具 創建当時からのもの。
金属とガラスでできた照明器具は この西洋館のランプに共通した素材。
これらも設計者のデザインなのでしょうか? -
2階ホールから階段室方向
窓は大きく明るいです。
壁際にあるソファーは引き出し式のソファーベッド。
米軍に接収されていた時 タグ付け管理され 後に返還されたもの。
床はヘリンボーン張り -
2階ホールから伸びる廊下へ進みます。
ドアの先 この廊下 市松細工の床脇に畳の薄縁が敷いてあります。 -
なんと廊下の先には和室が2部屋ありました!
畳が敷かれ 欄間や床の間もある きちんとした和室です。 -
この和室 建物が戦後進駐軍に接収 3世帯の将校住宅にされた際
板敷の洋室にされ 床の間はクローゼットに改造されてしまったのだそう。
昭和33年(1958)返還されたあと 石川家で和室に戻されています。
(このクローゼットはそのままです) -
本来は違い棚があったであろう 床の間の右には
2階ホールへ出るためのドアが造られてしまっています。
進駐軍によって追加されたドアは 材料が 杉板らしい安価なものです。
床の間も一度はクローゼットに改造され 後 床の間に戻されています。
(痕跡が残っています) -
外観からはとても和室があるとは思えませんでした。
洋風窓のある廊下がぐるりとある その内側に
障子戸があるので 全く外からは判らなかったのですね。 -
付け書院を廊下側から。
木目の美しい良い材が使われています。
材料が高級なのも 宮大工ならではの印象を持ちました。 -
廊下の天井部分。
窓側は漆喰塗り 部屋側は板張り。
この板は 屋久杉です。
高級な材も 多用されています。 -
二間の間にある透かし柄の欄間
この欄間は 川越の彫刻師 野本義明によってつくられたもの。
非常に技量の高い細工で 渦巻き模様の所々にとても細いつなぎ部分が見て取れます。 -
次に階段室の反対側にある貴賓室。
西洋館に招いた賓客の宿泊に使用したお部屋。 -
最も豪華な造りの部屋です。
周りに格子が組まれ 中は雲が描かれた絹布。
寺社建築のような肘木までつけられています。 -
床の寄木細工も複雑。
ここにも豪華な絨毯が敷かれています。 -
創建当初からの壁紙が残ってはいますが
綿を仕込んだ絹の布団張りという壁で
損傷が激しく このお部屋は入口から見るだけ、となっています。
ドアはこの部屋からバスルームへの扉でした。 -
出窓のある西側の角部屋。
-
貴賓室隣のバスルーム
接収時代にタイル張りのバスルームに改造されたもので
当初の形状は不明との事。 -
バスルームの上部だけ 小屋組みが見えるように天井が外されています。
西洋館は幾度かの改修が行われての 現状です。
昭和16年に 陸軍士官学校長の宿舎となった際 石川家によって
別館の改修があったとされ
昭和21年 戦後の進駐軍の接収時に将校住宅用に改修
(本館に2世帯 別館に1世帯が居住)
昭和30年石川家に返還された際 和室等一部は元に戻されています。
また、この部屋に展示されている創建時の敷地想定図では
現在の倍以上の敷地があったようです。 -
バスルームのドア脇に第2階段。
お屋敷にはよくある 裏階段。
大広間のステンドグラスはこの階段室に面していました。 -
西洋館で一番大きなお部屋 大広間。
天井は格天井。漆喰で折り上げられています。
赤い絨毯の下はコルク敷きになっていました。
防音の為ではないかと思われます。 -
シャンデリアは大き目の物が2基。
凝った美しいデザインです。 -
南側にはベランダがあります。
画像が良く撮れませんでしたが、窓からベランダを見ると
接収時 ベランダがキッチンに改造されていたのが判ります。
サッシの窓がつけられ 水道のカランもありました。 -
窓には豪華なカーテンボックス
彫刻のある木部の下に それぞれすべて 花の模様が異なる布製のボックスが。 -
大広間の窓から見える別館の瓦屋根。
鬼瓦の位置には
数珠掛けの中に 石川家の家紋である 笹竜胆がデザインされた瓦が。 -
窓から見える大煙突。
最初に駐車場に車を停めた時 目の前にとても目立っていました。
この煙突はおそらく 別館のキッチンに繋がっているのだろうと
考えられるそうです。
しかし、建物と接続していない事もあり確認が出来ず まだ不明なのだそう。 -
大広間のステンドグラス。
応接間のキャビネットに彫られたと同じ 四君子を題材にされた物。
デザインは三崎彌三郎
(三崎彌三郎は 国立科博の中央階段、国会議事堂議員会館のステンドグラスをデザインした方)
ただし 遊び心か 右端が菊の代わりにお茶の花と実らしき図に。
狭山の名産品であり 石川家が製茶業も行っていた関係かもと。
製作は「別府ステンド硝子」と入間市では推測しています。
これは、別府七郎が大正2年に起こした「別府ステンド硝子製作所」の事
同じ埼玉県内川越市の「旧山崎別邸」にも
別府ステンド硝子製作所で造られたステンドグラスがありました。 -
接収前の大広間の写真が展示されていました。
カーテンボックスの下にはカーテンがあります。
これらのカーテンは行方不明だと言う事。
恐らく 進駐軍が引き上げる際 持ち帰られたのではないでしょうか? -
ドアに面した壁にカーテンロッドらしきものがあります。
ここにも かつて タペストリーが下げられていたそう。
それも行方不明だと言う事です。 -
1階へ戻り 西角の客室。
いかにも洋館と言った内装のお部屋。 -
照明器具は小ぶりなステンドグラスの使われた物
-
ベッドが置かれていました。(割と古そうな)
こちらも2階の貴賓室同様 お客様の宿泊部屋だったようです。
平面図では玄関との間にトイレもあったようです。 -
客室の床。縁は矢羽根模様の寄木細工。
-
このお部屋には 他と違い木製の廻り縁飾りが。
デンティル飾りと言うクラシックな装飾が -
カーテンボックスも凝った造りです。
やはり条線紋がデザインされています。 -
玄関ホールから別館方面へ。
食堂脇の廊下の天井です。
玄関ホール同様 ティンパネルが採用されています。
この天井材は個人的にとても好きなのです。
が、一部アメリカからの輸入品を扱う業者さんがある位で
現在の日本ではあまり見ませんね。 -
その廊下につけられたブラケット
シャンデリアはともかく、このような小さな照明器具も
西洋館の為にデザインされたものでしょうか? -
別館は非公開となっています。
なので、廊下から先を眺めるだけ。
(男女別のトイレが整備されていてそれは使用できます)
平面図では 右にキッチン、洋室2つ。
左にトイレドア2つの先に和室となっています。 -
振り返って本館と別館の接続部分にあるドア。
多分これも欅製の 美しいドアです。 -
本館側 ドアの内側に先ほど2階から見た 第2階段。
曲がり階段です。が、腰壁の下部にカーブを付け
緩やかな螺旋階段のように見せる工夫がある、と教えてもらいました。 -
西洋館 かなりじっくり見せて頂けました。
企業が建てた迎賓館。各地に色々な規模で存在し いくつも見てきました。
いずれも お客様をもてなす そして ここのように列強国の客人を驚かそう
と言う 意志とお金の掛かった建物。
私なんて庶民は 見る事も出来なかった その内部を
今になって見れば その豪華な造りや装飾の職人技に感激します。 -
最後に 駐車場に戻りつつ 別館の裏側を。
サッシの出入り口がある所までが「キッチン」とされる場所。
平面図では左のアルミサッシの窓の内側に階段の図があり
その階段がどこに出るものだったのかが謎。
(ここは現在事務所にでも使われていそうですね) -
出っ張った部分とキッチン脇に2つの洋室。
入間市のwebサイトではこの内部の画像が見られます。
なかなか興味深い内装です。
こちらも是非公開して欲しいです。 -
小さな玄関もありました。
他にもすでに失われた茶室などもあったそうです。
損傷の激しい貴賓室の修復予定もあるそうですし、
まだまだ 見どころが出てきそうな 旧石川組製糸西洋館でありました。
見学 とても楽しかったです。
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