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「宮殿」{世界遺産} エカテリーナ宮殿(内部)Ⅳ サンクトペテルブルク <br /><br /><br />エカテリーナ宮殿 (Ekaterina Palace)<br />エリザヴェータ女帝の命により、18世紀、イタリアの建築家ラストレッリによって建てられた夏の離宮。バロック調の華麗な宮殿は、落ち着きのある青色を基調にした外壁に白い円柱のコントラストが映え、窓には精緻な彫刻が施されている。2003年に復元された琥珀の間も見逃せない。<br /><br />http://www.alexanderpalace.org/2006tsarskoe/palace.html<br /><br /><br />エカテリーナ宮殿(エカテリーナきゅうでん、ロシア語: Екатерининский дворец)は、サンクトペテルブルク中心部から南東25kmの郊外の避暑地ツァールスコエ・セローに存在する、ロシア帝国時代のロココ建築の宮殿。<br /><br /><br />宮殿の名前は、ピョートル大帝の后でもあった、第2代ロシア皇帝エカテリーナ1世(在位:1725年 - 1727年)に由来する。<br />エカテリーナがドイツの建築家Johann-Friedrich Braunsteinを雇って夏の避暑用の離宮として1717年に作らせたのが最初のもので、その後、第4代ロシア皇帝アンナ(在位:1730年 - 1740年)がロシア人建築家に命じ増築させた。<br /><br />第6代ロシア皇帝となったエリザヴェータ(在位:1741年 - 1762年)は母のエカテリーナが建築させたものが時代遅れで不便であるとして抜本的に作り直すことを決定、壮麗・壮大なロココ調建築に入れ替えるよう、既に冬宮殿建設に関わっていた宮廷付き建築家バルトロメオ・ラストレッリに命じた。<br />建設は1752年5月から4年の歳月をついやし、1756年7月30日に全長325メートルの現行規模の宮殿が完成した。<br /><br />とりわけ「琥珀の間」(en:Amber Room)が有名である。<br />琥珀は、第二次世界大戦のレニングラード包囲戦中にドイツ軍に持ち去られたが、1979年から始まった復元作業により、2003年に完全に復元された。<br /><br />1791年、日本人の漂流民大黒屋光太夫が帰国を願うため、エカテリーナ2世(在位:1762年 - 1796年)に謁見した場所としても知られる[1]。<br /><br />一般に夏の間過ごしたことから「夏の宮殿」とも呼ばれる。<br />名称として冬宮殿と対になる「ペテルゴフ宮殿」(なつきゅうでん、Summer Palace、ロシア語: Ле?тний дворе?ц (レツニイ・ドヴァリェーツ);ラテン文字表記:Letniy Dvorets)は、サンクト・ペテルブルク中心部から30km離れたペトロドヴォレツの100以上の噴水があることで著名なペテルゴフにピョートル大帝時代に建設されたものであるが、<br />冬宮殿と同じく壮麗なロココ建築のエカテリーナ宮殿の完成以降、<br />実質的に本宮殿が夏の宮殿として用いられた。<br />現在は、両宮殿とその周辺は世界遺産「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」に登録されている。 <br /><br />豪華絢爛に目が奪われる・・・が、床も地味に凄いと思う。

{宮殿} エカテリーナ宮殿(内部)Ⅳ 豪華絢爛・世界遺産  ロシア・サンクトペテルブルク 

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2019/06/22 - 2019/07/05

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大島敏幹 ooshimatoshimiki

大島敏幹 ooshimatoshimikiさん

「宮殿」{世界遺産} エカテリーナ宮殿(内部)Ⅳ サンクトペテルブルク 


エカテリーナ宮殿 (Ekaterina Palace)
エリザヴェータ女帝の命により、18世紀、イタリアの建築家ラストレッリによって建てられた夏の離宮。バロック調の華麗な宮殿は、落ち着きのある青色を基調にした外壁に白い円柱のコントラストが映え、窓には精緻な彫刻が施されている。2003年に復元された琥珀の間も見逃せない。

http://www.alexanderpalace.org/2006tsarskoe/palace.html


エカテリーナ宮殿(エカテリーナきゅうでん、ロシア語: Екатерининский дворец)は、サンクトペテルブルク中心部から南東25kmの郊外の避暑地ツァールスコエ・セローに存在する、ロシア帝国時代のロココ建築の宮殿。


宮殿の名前は、ピョートル大帝の后でもあった、第2代ロシア皇帝エカテリーナ1世(在位:1725年 - 1727年)に由来する。
エカテリーナがドイツの建築家Johann-Friedrich Braunsteinを雇って夏の避暑用の離宮として1717年に作らせたのが最初のもので、その後、第4代ロシア皇帝アンナ(在位:1730年 - 1740年)がロシア人建築家に命じ増築させた。

第6代ロシア皇帝となったエリザヴェータ(在位:1741年 - 1762年)は母のエカテリーナが建築させたものが時代遅れで不便であるとして抜本的に作り直すことを決定、壮麗・壮大なロココ調建築に入れ替えるよう、既に冬宮殿建設に関わっていた宮廷付き建築家バルトロメオ・ラストレッリに命じた。
建設は1752年5月から4年の歳月をついやし、1756年7月30日に全長325メートルの現行規模の宮殿が完成した。

とりわけ「琥珀の間」(en:Amber Room)が有名である。
琥珀は、第二次世界大戦のレニングラード包囲戦中にドイツ軍に持ち去られたが、1979年から始まった復元作業により、2003年に完全に復元された。

1791年、日本人の漂流民大黒屋光太夫が帰国を願うため、エカテリーナ2世(在位:1762年 - 1796年)に謁見した場所としても知られる[1]。

一般に夏の間過ごしたことから「夏の宮殿」とも呼ばれる。
名称として冬宮殿と対になる「ペテルゴフ宮殿」(なつきゅうでん、Summer Palace、ロシア語: Ле?тний дворе?ц (レツニイ・ドヴァリェーツ);ラテン文字表記:Letniy Dvorets)は、サンクト・ペテルブルク中心部から30km離れたペトロドヴォレツの100以上の噴水があることで著名なペテルゴフにピョートル大帝時代に建設されたものであるが、
冬宮殿と同じく壮麗なロココ建築のエカテリーナ宮殿の完成以降、
実質的に本宮殿が夏の宮殿として用いられた。
現在は、両宮殿とその周辺は世界遺産「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」に登録されている。

豪華絢爛に目が奪われる・・・が、床も地味に凄いと思う。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
100万円以上
交通手段
観光バス 徒歩
航空会社
スカンジナビア航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
阪急交通社
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