
2018/04/19 - 2018/04/21
2884位(同エリア3840件中)
三峯霧美さん
京都の寺社を巡っていて、成り行きで始めてしまった洛陽三十三観音霊場巡礼も、札所の近くに行ったら寄ろうという、気合の無さでは結願できないので、真剣にお参りすることにしました。
旅の三日目は京都駅から歩いて行ける城興寺から。
三十三間堂の近くにある俵屋宗達の杉戸絵と血天井で有名な養源院と後白河法皇の院政の名を留める法住寺を拝観。
秀吉の作った京都の大仏の跡をたどっていきます。
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8:42 京都駅八条口前
エルイン京都をチェックアウトして、京都駅へ。
コインロッカーに荷物を預けて、歩いて城興寺に向かいます。
昨夜のホテルの撮影をすっかり忘れました。
で、建物が見えたので、ここから撮影、あの奥の建物です。
大浴場、良かったわ。 -
京都駅から烏丸通を南下して数分、九条通のSAKURA TERRACEってホテルの前にお寺の入り口があります。看板がありました。
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8:50 城興寺 じょうこうじ
門が見えて来た。
城興寺は平安時代に藤原道真の孫にあたる藤原信長が大きな邸宅を構えていて、そこが城興寺になりました。
九条通に南大門があって広大な敷地だったそうです。城興寺 寺・神社・教会
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薬院社って神社もあるみたい。
平安時代末期に以仁王がお寺を領していましたが、平氏に取り上げられて、ブチギレ。それが以仁王の挙兵、平家滅亡の第一歩的となったんだとか。 -
広大だったお寺も、応仁の乱で焼失してしまいます。
江戸時代に洛陽三十三ヶ所観音の札所になりました。
今は、本堂と薬院社のこじんまりとしたお寺です。
瑞寶山 城興寺
ご本尊は千手観音 慈覚大師円仁が遣唐船の中で造った観音様。 -
薬院社
平安時代に施薬院という病院にあったお稲荷さん。
今は荼枳尼天堂に合祀されています。
病気平癒と夫婦円満のお稲荷さん -
庫裏は新しい建物です。
写経や写仏の会が催され、来てくれる人達が元気になるお寺にしたいというご住職のお考えがいいですね。 -
御朱印を頂きました。
洛陽三十三所観音霊場 22番。 -
9:01 九条烏丸の交差点近くのバス停に向かいます。
交差点を渡って、バス停の数メートル手前まで来たら後ろからバスのエンジン音がする、振り返るとバスが迫って来てる。
小走りして乗り込む!なんてラッキー!待ち時間なし! -
9:14 東山七条でバスを降ります。
この日は市営バス乗りまくりなんで、一日乗車券を購入しました。
歩いて三十三間堂の方向へ戻ります。 -
9:21 養源院 南叡山 養源院
三十三間堂の東側正面にあります。
創建は1594年 養源院は浅井長政の院号で、豊臣秀吉の側室の淀殿が父の浅井長政と祖父の浅井久政の二十一回忌の供養のために秀吉に願って創建。 -
古い井戸水汲み上げ式の手水舎
使ってないみたいです。
大阪夏の陣(1616年)の後、淀殿の妹のお江(徳川秀忠正室)によって、淀殿と秀頼の菩提が弔われたそうです。 -
山門を入ってすぐ右側に白衣弁財天
お寺は1619年に落雷による火災で焼失しますが、お江(祟源院)により再興されました。その際、伏見城の秀吉の学問所と、「血天井」と言われる板を天井に張っています。 -
弁天様は蛇がお使いなので、いろいろ奉納されています。
伏見城の血天井といえば、前日、大原の宝泉院で見てきたばかり。
伏見城で徳川方の鳥居元忠が討ち死にし、彼らの血が床板に染みこみ、洗っても削っても、その血は落ちなかったそうで、家康は板を外し「決して床に使ってはならぬ」と命じたと言います。 -
はす向かいには毘沙門天
養源院の見どころの一つに俵屋宗達が描いた杉戸絵があります。
描かれた白象、唐獅子、麒麟は仏様の乗り物で、亡くなった人たちを慰めるものだったのだとか。
位牌を安置したお部屋には、襖絵の大きな松「金地着色松図」があります。
中学生たちの拝観の目的は俵屋宗達の「絵」だね。 -
両側の紅葉がとても綺麗。
玄関で中学生たちに追いつきました。
みんな小さく固まって説明を聞いています。お行儀がいいですね。
拝観受付で俵屋宗達の杉戸絵のポストカードを頂きました。
中学生がいるからか、お寺の人達は、なんだかとても忙しそうです。 -
受付を済ませ、ある程度人数が集まると、カセットテープ(年代物だ!)に録音された説明を聞きながら進みます。声はTVで見たことのあるご住職みたいですよ。
江戸時代には徳川幕府の菩提寺となりました。なので葵の紋ね。
鴬張りの廊下、見上げた血天井を竿で指し示し、これが顔でこれが腕でとおっしゃるが、見えないこともないって感じです。
しかし、その壮絶な死にざまは冥福を祈るばかりです。 -
御朱印を頂きました。
雨賽殿 うほうでん
説明があるのでとても充実した拝観でした。
お隣の法住寺に向かいます。 -
10:10 法住寺
後白河法皇御所聖蹟 天台宗 法住寺
平安中期 988年に太政大臣藤沢為光が妻と娘の菩提を弔うために創建しました。火災により焼失して再建されず、その跡地を包み込むように1161年、後白河上皇の「法住寺殿」が建てられます。 -
隣に並んだ、竜宮風の門は後白河法皇の旧御陵正門とあります。
法住寺殿は平清盛の後ろ盾で広大な敷地を持っていました。
お寺はその後、後白河天皇の御陵を守るお寺となりました。 -
本堂 ご本尊は身代わり不動尊
慈覚大師作の不動明王立像で、木曽義仲が法住寺殿を攻めた時に、天台座主の明雲大僧正が敵の矢に倒れ、後白河上皇は避難することができました。
上皇はお不動様が明雲となり、自分の身代わりとなってくれと涙を流したという話が伝わっているそうです。それで身代わり不動尊 -
右側が ご本尊の身代わり不動尊の御朱印
左側は 親鸞聖人そば喰いの御真影の御朱印「南無阿弥陀仏」
全て金泥で書かれています。
親鸞聖人が比叡山にいた18歳の年に造ったという阿弥陀如来像が祀られています。 -
阿弥陀堂と本堂を結ぶ渡り廊下、両側のお庭が癒されます。
阿弥陀堂は若い女性(若奥様?)か、お掃除をなさっていました。お寺の維持は一般人には計り知れないご苦労があると思います。
お寺には「親鸞のそば喰いの木像」という木像があります。
親鸞が比叡山で修行していたころ、毎夜烏丸の六角堂にお参りし、明け方帰って来ていました。
その噂を聞いた和尚はある夜、弟子を呼び集め一人ずつ名前を呼んだところ、親鸞もちゃんと返事をして、ふるまわれたそばを食べて帰って行ったのです。 -
明け方、親鸞が山に戻ってくると、みんな驚きます。
弟子の一人が座像を見ると口元にそばがついていて、親鸞自作の木像が本人の代わりに返事をして、蕎麦を食べていたのだという事に・・・。
なかなか面白いお話ですね。 -
後白河院の御朱印
運慶作と伝わる後白河法皇木造が安置されています。
明治に入って御陵がお寺から切り離され、今は宮内庁が管理をしています。 -
阿弥陀堂の庭に面する写経場 写経の手を休めふと目をあげるとお庭がある、一度、この素敵な環境で、ゆっくり時間を取って、写経に訪れるのもいいかも。
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毎月、定例写経会が開催されます。写経のあとに、精進料理が供されるのだそうで、ここは、京都駅から近いので、時間を有効に使えそうです。
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豊川稲荷と厳島弁天を祀ったお堂。
赤穂浪士、大石内蔵助は山科に閑居していたときに、法住寺の身代わり不動尊にお参りして、大願成就を願いました。 -
赤穂四十七義士の御朱印「忠臣蔵」
本堂横には赤穂浪士四十七人の木像が安置されています。真っ黒なんすけどね、きっと長年の護摩供養で黒くなったのではないかなと。 -
オリジナルの御朱印帳。
本堂落慶の際、版画家の木田康彦さんが奉納された「灰不動」が描かれた布張りの御朱印帳です。 -
見開きにすごい迫力の御朱印がかかれています。
身代り不動尊
右側は不動明王の御真言。 -
護摩木に願い事を書いて、納めました。
全ての厄災を祓い、良いことがたくさんありますように。
お次は三十三間堂の前を素通りして、大和大路七条の交差点へ。 -
10:38 交差点にある派出所の名前が「大仏前交番」
京都に大仏はありませんよね。でも、あったんですよ、知らなかったのですが、昭和48年まで存在していたんです。初耳でした。 -
豊国神社前にある児童公園「耳塚公園」のベンチで一休み。朝ご飯のコンビニおにぎりをいただきました。
公園の名前が気になったので、旅から帰って調べると、この「耳塚」って、秀吉が朝鮮出兵した時に、戦いで討ち取った敵兵の「くび」を持って帰れないので、耳やら鼻を塩漬けにして持ち帰ったそうで、秀吉の命で埋められ、供養されたのだそうです。 -
10:50 一息ついて、豊国神社へ
豊臣秀吉を神様として祀っている神社です。地元の方からは「ほうこくさん」って呼ばれてるそうです。
創建は1599年、秀吉の死後、朝廷から豊国乃大明神の神号を与えられて、豊国神社と命名しました。豊国神社 寺・神社・教会
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豊臣家が滅亡すると、家康によって神社は廃絶。
明治に入って明治天皇が秀吉の天下統一を評価して、豊国神社を再興しました。
唐門は伏見城の門で、二条城、南禅寺の金地院を経て移築されました。 -
この日は、神前式の結婚式があるようで、参列する新郎新婦のお友達たちが談笑して待っていました。
いいお天気で良かったですね、お二人の末永い幸せを祈ります。 -
もともとここには、秀吉が大仏を作った場所です。
当時東大寺の大仏が戦火で倒壊し、それに代わる大仏としてこの地に大仏を建立したのです。
しかし、この大仏様は木製で地震によって倒壊、秀頼が再建しますが火災で焼失、その後も地震、雷の火災などで、元の姿に戻ることはありませんでした。 -
秀吉は奈良東大寺の大仏と手向山八幡宮を模して、自ら大仏を作って、自分はそのそばで新八幡として祀られたかったようなのです。
秀吉はこの神社の奥、阿弥陀ヶ峰の山頂に眠っています。 -
境内社の槙本稲荷神社 京都らしい天井からたくさんの提灯がさがっています。
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豊国神社の御朱印
桐の紋にひょうたんの印があり、ど真ん中に「関白」
福如東海 寿比南山 って書いてあるらしいですが、私には読み取れない。
とてもおめでたい文章で、長く永遠に続く幸せと、老いることのない命という意味だそうです。 -
北側の鳥居をくぐって、お隣の方広寺へ向かいましょう。
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10:59 方広寺
1595年創建、開基は秀吉。
秀吉が造った大仏を安置するお寺ですが、今はこの鐘楼の鐘の方が有名です。
秀吉が造った時は広大な敷地で三十三間堂の南側にある大きな門は方広寺の南大門。
現在の東寺の立派な南大門は方広寺の西門を移築したものです。方広寺 寺・神社・教会
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大仏は崩壊や火災で三回造られました。
京都のわらべ歌に、1798年の落雷で焼失したことが歌われています。
最期の木像の大仏は1973年に失火によって焼失してしまいます。
ニュースネタだったはずですが、まったく記憶にありません。 -
鐘楼は明治の再建、そしてこれがあの鐘です。重要文化財。
鋳造は1614年、重さが82.7トン、豊臣秀頼が大仏の復興時に家康の承認を得て作りましたが、大仏の開眼供養が突如延期になりました。
鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の文が、家康の名を分け豊臣を君主とすると読めると・・・。 -
白くなっているのが、その文章。
これをきっかけに家康は豊臣家を滅亡に追いやります。
言いがかり、揚げ足取りともいいますが、文章をチェックしなかった豊臣側のケアレスミスだったんじゃないかと。
いつの時代も同じようで、SNSの文章で炎上したり、それで人生一変する人もいる。
人の不幸は蜜の味と思うのは、自分の人生に問題があるって気付かないとね。 -
頂いた御朱印。
廣福殿
本堂には秀頼再興の2代目大仏の10分の1バージョン大仏様が祀られています。
その他にも大仏殿の柱の金輪等も見ることができます。 -
お寺の東側、豊国神社の裏側に行ってみます。
こんな狭い側溝の上を歩いて行いきます。 -
かつて大仏殿の台座があった場所は大仏殿跡緑地に整備されています。
大仏殿の伽藍は南北260m、東西210mで、回廊で囲まれていたそうです。恐ろしくデカイ。
なにしろ大仏は東大寺の大仏より大きかったそうです。
派手好きな秀吉らしい。 -
2000年に発掘調査が行われ、大仏殿の大きさが90×55mだったこと、大仏の台座の石組が八角形だったこと、石組だけで高さが18mもあったことが判りました。
基壇の花崗岩の一部は明治時代に京都の石橋に転用されたそうです。あらあら・・・。
さて、秀吉の大仏はこれでおわり。秀吉のお墓は山の上なのでお参りはパスしました。
また東山七条からバスに乗って、特別公開中の正伝永源院に向かいます。
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