
2019/06/06 - 2019/06/06
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walker2000さん
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妻も子供も今年の夏の旅行は国内がいいと言ったので、海外旅行の機会を失ってしまったのですが、マイレージがそこそこ貯まっていたので、妻と交渉の結果、北京なら行っていいとなったので、初めての北京観光一人旅に行ってきました。
【旅程】
今回の旅行記★印
★6/6 出国→北京(天壇、北海公園、什刹海、南鑼鼓巷)
●6/7 北京(天安門、故宮)
●6/8 北京(居庸関、明十三陵・神道)
●6/9 北京(動物園)→帰国
世界遺産・天壇を散策後、夕暮れ前に北海公園・什刹海と水辺を散策してみました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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天壇東から地下鉄に乗って、北海北にやってきました
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北京の地下鉄構内には各駅の風景をタイルにしたものが多いです。こちらはこれから行く、北海公園ですね。
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駅を出て北海公園に向かいます。入口まで少し歩きます。
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こちらが入口。天壇でかなり時間を過ごしたので、すでに18時30分頃。今回は公園だけなので、入場料は10元です。
北海公園 広場・公園
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日本でも見かけますが、鯉に餌をあげる人たちを見ながら、北海公園を散策です。
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北海の面積は71ha、水面39ha、陸地は32ha。
北海の庭園は古代神話の故事「西王母伝」中の描写の仙境の建造物に由来します。遼、金、元、明、清の五王朝を経て、徐々に今日の様子を形造りました。 -
前海の向こう岸、瓊華島に白塔が見えてきました
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チベット仏教様式の白塔で、翌日訪れた故宮からも見えました。
今回は時間がなかったので、ここは眺めるだけ。 -
ここで北海公園造園に至る歴史を。
戦国時代の伝説に、渤海の東に「蓬莱」、「瀛州」、「方丈」の三仙山がありました。山上には神仙が住んでおり、不老長寿の薬を持っていました。
紀元前221年、秦の始皇帝が中国を統一した後、方士徐福ら若い男女数千人を派遣し,海に三「仙山」を探させ、不老不死の薬を求めましたが、果たせず。蘭池宮に100里の長い池を作り、土で蓬莱山を築き、石で長さ200丈のクジラを彫りました。
漢王朝になると、漢の武帝は同じ過ちを繰り返し、いまだ仙山は見つけられませんでした。建章宮に大きな池を掘り、太液池と名付けました。
掘った土で池の中に3つの山を積み上げ、蓬莱、瀛州、方丈をかたどりました。この後、歴代皇帝の都には宮殿付近に「一池三山」を建てることになりました。北海もまたこの伝統を継承して建てられました。北海と中南は太液池、瓊華島は「蓬莱」、団城は「瀛州」、中海犀山台は「方丈」に似せています。 -
北海1000年の歴史と北京城の発展は密接な関係があります。最初、ここには永定河胡道があり、川は自然に南へ下ったのち、荒野と池に流れ込んでいました。
遼王朝時代初期、遼の太宗耶律徳光の会同元年(938年)、燕京に都を建てたのち、城東北郊外「白蓮潭」(すなわち北海)に「瑶嶼行宮」を建て、島の頂には「広寒殿」などを建てました。
金が遼を滅ぼしたのち、燕京改め「中都」としました。金の海陵王完顔亮の天徳2年(1150年)、「瑶嶼行宮」拡張し、「瑶光殿」を建て増ししました。
金の大定3年から19年(1163年-1179年)、金の世宗は北宋ベン梁(現、河南開封)の艮岳園を模し、瓊華島に建てました。それから「艮岳」御苑から大量の太湖石を運び、石積みの洞窟を造り、中都の東北郊外にある瑶嶼(すなわち北海)を中心に、大寧離宮を造営しました。それ以来、北海は今日の宮廷庭園造りの基本となりました。その時掘った「金海」の土で島の拡張と周りの丘を作り、島を瓊華島と名付け、水を西華潭と名付け、そして「広寒殿」などの建物を再構築しました。
1264年、元の世祖クビライは旧中都城東北郊外に新しく移り、大都を造営しました。至元元年から8年(1264-1271年)、クビライは三度瓊華島を拡張し、広寒殿を再建しました。 -
西天梵境
元々、明代、明代西天禅林喇嘛廟で、清代の1759年に再建し、西に拡大し、1980年再修復後、公開されました。 -
西天梵境
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ここにも龍。西天梵境の龍が一番綺麗だった気がします。
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西天梵境の前にある牌楼
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こちらにも龍
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北海公園に来た最大の目的、九龍壁を見に来ました。
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九龍壁は元々は大円鏡智宝殿前の影壁(目隠し壁)でした。
清の乾隆21年(1756年)に建造。壁高5.96m、厚さ1.6m、長さ25.52m。
青白石の基座の上に建ち、壁の4面は浮き彫りを施した424個の七色瑠璃をはめ込んで建てられ、屋根は寄棟造です。 -
壁の大棟、隅棟、軒平瓦、軒丸瓦、レンガなどに様々な姿勢で装飾された大小635匹の蟠龍がいます。
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現存する中国三大古代九龍壁で、ここだけ唯一両面壁です。
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裏に回ってきましたが、こちらも立派な九龍壁。
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九匹の彩色ある大きな蟠龍(とぐろを巻いた龍)で、飛騰(高く飛び)戯珠(珠と戯れ)、波涛雲中の図柄が施されています。
次に同じ壁でも、鉄影壁に向かいます。 -
鉄影壁
元代の遺物。壁は茶褐色を呈しています。中性火山塊礫岩を彫って作られ、色と性質が鉄に似ているため、鉄影壁と呼ばれています。
壁高1.89m、長さ3.56m。両面は雲門と伝説の野獣が彫られています。
鉄影壁は元々建徳門(今は徳勝門)外、古廟前の影壁(目隠し壁)でした。明代初期、この壁は徳勝門内の護国徳勝庵前に移され(現在の鉄影壁故同内)、1947年に壁だけ北海公園に移されました。1986年、鉄影壁故同から基座も北海公園に移し、この文化財を復元することができました。 -
せっかくなので、まだ少し北海公園を散策し、五龍亭にやってきました。
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五龍亭
明の嘉靖22年(1543年)に建てられ、真ん中(写真)は龍澤亭、左は涌瑞亭、浮翠亭、右は澄祥亭、滋香亭。ここは皇后及び近臣が魚を釣り、月見をする場所でした。
清の乾隆28年(1768年)、木製のアーチ橋を石橋に替え、青石欄板と柱を設置しました。清の光緒26年(1900年)、欄板と柱は八カ国連合軍に破壊されましたが、1974年原型に復元されました。 -
五龍亭・龍澤亭の天花も立派です
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そろそろ日没も近いので、北海公園を後にします。
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公園を出て通りを渡った先に什刹海があります。古き北京を体験です。
什刹海公園 広場・公園
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今いるあたりの湖は前海と呼ばれています。遠く鐘鼓楼も見えます。
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荷花市場牌坊を通って散策します
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湖沿いの散策路は歩きやすくて綺麗なのですが、再開発中なのか、この辺り、湖に面した場所は工事中。
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蓮の花には少し時期は早かったようです
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そろそろ日が沈みますが、まだボートで遊んでいる人が多くいます。
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ここ什刹海のマンホール
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前海をそぞろ歩き
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前海をそぞろ歩き
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前海と後海とをつなぐ狭い水路
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前海と後海をつなぐ水路にかかる銀錠橋を渡ります。10mほどの短い橋です。
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後海を望みますが、今日はそちらは散策しません。
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先ほど渡った銀錠橋
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この辺りお店屋さんが多いので、気になった蟹黄湯包とやらを
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基本はかなり大きな湯包で、スープがメイン。なので、ストローを突っ込んでいただきます。蟹っぽいスープで味はまあまあ。ただ、肉はかなり小さく、皮も固めなので、ストローではかなり食べづらかったです。
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少しお腹に入れたので、再びそぞろ歩き
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今回訪れた目的はこちら。この辺りも世界遺産・大運河の構成資産になり、そこをさらに散策します。
什刹海 旧市街・古い町並み
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世界遺産
中国大運河
(The Grand Canal)
登録基準 1・3・4・6
中国の8つの省を貫き、北は北京から南は浙江省に至る大運河。
紀元前5世紀前から建設が始まり、後7世紀の隋時代には、広大な中国内陸部を結ぶ交通網となった。その後も歴代王朝によって維持拡張され、国民への米や穀物の供給、軍事物資や軍隊の輸送に利用され続けた。
建設が最盛期に達した元代の13世紀には、総延長は2000㎞以上におよんだ。産業革命前の世界最大の土木技術であり、中国で最も重要な黄河や長江を含む5つの河川流域をつなぐこの運河は、現在でも交通網として重要な役割を担っている。
1
大運河はその非常に古くからの起源とその広大な規模、そしてその継続的な発展とその時代への適応により、人類の歴史の中で最も優れた水力工学の傑作です。
それは人間の知恵、決意、そして勇気への明かな証です。それは人間の創造性の優れた例であり、技術的能力と古代中国に直接由来する広大な農業帝国における水文学への精通を示しています。
3
大運河は漕運による運河管理の独自の文化的伝統、その起源、その繁栄、そして様々な王朝とその首都への適応、そして20世紀での消失を示しています。
それは穀物、塩、鉄の輸送と貯蔵の帝国独占と課税システムから成り立っていました。そして農民経済、朝廷、そして人民と軍への食料供給の間で基本的連環に貢献しました。それは時代を越えた王朝への安定要因でした。
大運河沿いの経済と都市の発展は、偉大な農業文明の機能的な核心と
水路ネットワークの開発によって、この点で果たす決定的な役割を示しています。
4
大運河は世界で最も長く、最も古い運河です。それは水力工学の優れた初期開発の証です。それは産業革命以前からの重要な技術的成果です。環境の多様性と複雑性に完全に適応した多くの構造物に反映されるように、困難な自然環境に対処するという点で基準となります。
東洋文明の技術的能力を十分に示しています。大運河は水力工学の重要で革新的、特に初期の例が含まれています。
堤防、堰と橋の建設における特定のノウハウと、石や版築、そして(粘土と藁のような)混合材料のように、材料の独創的で洗練された使用を示しています。
6
7世紀以降、そしてその後の王朝から現代中国まで、大運河は経済と政治統一の重要な要素であり、また重要な文化交流の場でもあります。
それは運河沿いに住む人々に特有の生き方や文化を作り出し、維持してきました。
長い歴史にわたって、中国の領土と人民の大部分に影響を及ぼしてきました。大運河は大同という古代中国の哲学的概念を示すものであり、時代を超えた中国の偉大な農業帝国の統一、相補性そして統合に不可欠な要素でした。 -
先ほど対岸から見えていた金錠橋。こちらはまだ新しい橋。
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前海の眺め
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前海とは逆の方角に、もう一つの橋、万寧橋が見えます
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少し古めかしい橋です。たもとには檻に囲まれた珍獣!がいます。
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鎮水獣と呼ばれる石像が橋の両脇を守っています
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橋を渡った両側にも鎮水獣
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万寧橋自体は普通に車が走る橋になっています。
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前海から流れ込むかのような細い水路(玉河故道)を散策します。
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玉河故道脇はかなり綺麗に整備されています。
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玉河故道遺跡(東城段)
玉河は京杭大運河に属し、通恵河の城内の河道です。
元の至元29年(1292年)に建設され、北京市街終点の埠頭・積水潭までの輸送用河道。
東城区の玉河故道、地安門外の万寧橋澄清上閘東側より、帽儿胡同の南側に沿って、東不圧橋胡同西側、北河胡同、東皇城根一線に沿い、正義路南口より、崇文門東に沿い、西河沿一線、東便門と朝陽区の胡道街に出る、全長8キロほど。
その内、考古発掘できた部分は全長約1.1キロ、南北両区に分かれた場所です。
北区は澄清上閘東側より、東不圧橋まで。南区は東板橋街北口から北河胡道東口まで。
主要な保存遺跡は明清両時代の堤防と河道、埠頭、雁翅、排水道、鎮水獣石彫、玉河庵、東不圧橋遺跡、澄清中閘と下閘。 -
世界遺産の構成資産としては、
北京旧城段
(1) 玉河故道:遺跡である運河の市街地(0.5km)
(2) 澄清上閘
(3) 澄清下閘
(4) 什刹海 -
ちょうど世界遺産に登録された箇所だけが、再開発され綺麗に整備されたようです。
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遺跡なので、水が無いところもあります
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この玉河のマンホール。玉河は多くの胡同に囲まれています。
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これで本日の世界遺産観光は終わりですが、晩御飯を探しにもう少し歩きます
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もうすっかりに夜になりましたが南鑼鼓巷まで歩いてきました。
南鑼鼓巷 散歩・街歩き
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この辺りの地図ですが、まわりは多くの胡同があります。ただ、夜は真っ暗で明かりも少なそうだったので、今回は行かず。
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南鑼鼓巷には食べ物屋さんも一杯ありますが
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こちらは北京ダックが一杯つっています
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北京ダックを包んだ食べ物のようなので、さっそく購入
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レタスやキュウリに、北京ダックは皮だけでなく、肉も一緒に巻いています。席がないので、立ち食いになりますが、美味しくいただきました。
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お腹も満たしたので、明日に備えて、地下鉄でホテルに帰ることに。
皆さん、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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